ほんとはムンクを出したかったのに、あれよあれよと違う方向へ。
いつも誤字報告ありがとうございます。
入学から一ヶ月、生徒達も学院の授業やリィンの噂に慣れ親しんだ頃。
リィンは学生寮から出て朝の早朝マラソンを行っていた。
トリスタへ来てから特別実習を除いて毎日行っている事ではあるが、ある程度似通っていても毎日違う景色がリィンを迎える。
本日が自由行動日ということもあり、私服に着替えたリィンは今日は何をして過ごそうかと脳内に予定を色々と浮かべていく。
そんなリィンに、今日はとびきりの変わり種にして、待ち望んだ出会いがあった。
「―――――――――え?」
その人は、リィンを見るなり足を止めて眼鏡の向こうに見える紫紺の瞳を瞬かせて呆然としている。
波打つ長い黒髪は艶に溢れ、その髪にかぶさるキャスケット帽が風に揺れる黒髪を抑えている。
美麗な容姿を後押しするように、ジャケットに包まれた体躯は華奢で膝丈のパンツルックから覗く足は細長く、女性の象徴である母性の肉体的な豊かさも相まって十人中十人は振り返りそうな美人であった。
リィンはそんな美女から困惑を秘めた視線にさらされる理由がわからず、同じように足を止めてしまう。
そして気づく。
その女性は、リィンを見て驚いているのではなく、左腕にしがみついた人形――オズぼんを見て驚愕している、ということに。
確認するように、リィンはゆっくりと左腕を掲げる。
すると女性の視線もまた、そちらに注視される。
リィンは確信する。
エマやセリーヌ、あるいは灰の試しのロジーヌや本当は見えてるんだろうと思っているベリル以来の、オズぼんが見える存在に出会えたということに――
それに気づいたリィンの行動は早かった。
「貴方、魔女ですか!?」
びくりと美女の体が震える。
確信を覚えたリィンは彼女に走り寄った。
「ちょ……なにっ!?」
「そうなんですね!? 話を聞いてください、俺はただちょっと聞きたいことがあるだけなんです」
「離……れて!」
見る者が見れば女性へ強引に迫る少年という、不埒者の行動のそれである。
早朝でなければ誰かに見られて通報され、士官学院の風紀問題として槍玉に挙げられること必至な事案。
加えてリィンは入学一ヶ月にして良くも悪くもトリスタで知らない者は少ないほど知名度が高いため、子供が見ても本人と特定することは容易いのである。
だがリィンも必死だった。
オズぼんが見える相手を探してトリスタに来たのだ、その目的を果たす条件を満たした相手を逃がす気はさらさらなかった。
「この人形のこと、見えるんですよね――」
「
(むっ、これは……ヴァリくん)
「応!」
「!?」
女性から漂う濃密なマナの気配――エマの魔術行使に似たそれを見て、オズぼんが気づきヴァリマールが吼える。
早朝のトリスタに竜を模した巨大なエネルギー体が顕現しそうになる寸前――
「
「させるか!」
決してこの手を離さない、とリィンは女性の腕を掴む。
瞬間、女性はリィンごとその姿を消す。
トリスタは朝の静けさを取り戻し、リィン・シュバルツァーの自由行動日の予定が埋まった瞬間であった。
*
転移した場所は森に包まれた静寂の土地。
空気のざわめきを感じたリィンは即座に鬼の力を使うと、周囲にマナが大量に満ちているのが見える。
「嘘…………座標指定してなかったといえ、まさかここに来るなんて。それに貴方、その姿…………」
そして、右手に掴んだ腕の感触がしっかり残っていることに気づいた。
呆然とする女性の姿を認め、リィンはほっと一息ついて手と距離を離す。
当然、何かされたらすぐに邪魔が出来る距離を維持して、だ。
「――失礼しました。親父が見える人だったからつい興奮してしまって。女性に取る行動ではありませんでした」
そう言ってぺこりと頭を下げる。
気配察知は怠っていないので、女性が逃げ出す素振りをしたらすぐに追撃するつもりであるが。
その気配を察したのか、女性は警戒の目でリィンを見る。
「親父……」
「見えているんですよね? これ」
そう言って頭を上げてオズぼんを掲げると、女性の目はやはりそちらに向いている。
「俺の友人の魔女がこれを見えたので、貴方もそうだと思ったんですが……どうなんでしょう?」
「フフフ、誤魔化していてもその叡智は隠しきれないぞ、麗しの蒼き深淵の歌姫よ」
「しゃ、喋った……ごめんなさい、少し落ち着かせて」
「わかりました」
そう言って女性は深呼吸して息を整える。
もう逃走するつもりはないようだが、それでも油断はならない。
少なくとも連絡先を聞いて、友誼を結びたいとリィンは願っていた。
……その第一印象は誰が聞いても最低だから無理だと言うだろうが。
女性が落ち着いてきたころを見計らい、リィンは自己紹介をする。
「改めて、俺の名前はリィン・シュバルツァーと言います。こっちはオズぼんって名乗ってる見たままの人形です。俺は親父って呼んでますが」
「その……人形、デフォルメされてるけど、帝国の鉄血宰相のもの、よね?」
「はい。俺はどうやら、その人の息子のようなので」
女性が衝撃を受けたようにのけぞる。
額に手を当てるさまは、現実逃避にもなんとか受け入れようとしているようにも思える。
「えっと、人形から生まれて」
「いいえ、ギリアス・オズボーンの実子です。親父のことは、あちらの父さんも知らないってことですが」
「ふ、ふぅん…………それで、いきなり私に襲いかかった理由は何なの?」
最後辺りは怒気が混じっているのか、言葉が少しひくついている気がした。
偽る理由もないため、リィンは素直に答える。
「この人形――親父の姿は、今まで俺以外の誰も見ることが出来なかったんです。俺は親父のおかげでトラウマを乗り越えた手前、親父を認めてもらえないのが悔しくて、どうにか親父のことを見える人がいないか、それを探してトールズ士官学院にやって来ました。そこで先程言った魔女と知り合いになったんです。だから、魔女が見える人っていうことに思い至って、貴方ともぜひ友達……はダメでも知り合いになって欲しいんです」
一息にそう告げると、女性はどこかたじろいだ様子を見せる。
予想以上の素直さ、嘘偽り一切のない純粋な想いに動揺しているのだ。
それはさながら、一念岩をも通すような意志の強さに溢れている。
観念したのか、女性もリィンに名乗った。
「…………ミ………ヴィータよ。ヴィータ・クロチルダ。さっきその人も言っていたけど、蒼の歌姫の通り名でオペラ歌手をしているわ」
「魔女じゃないんですか?」
「貴方のお友達も、学生をしているのでしょう?」
確かに、とリィンは言われて納得した。
魔女のイメージとして、隠れ里に住んで過ごしているイメージが大きかったが、エマという前例がいるのだから目の前のヴィータのように普通に社会に溶け込んでいる魔女もいるのだろう。
「それで、貴方はそこの人形さんが見える人と知り合いになって、それからどうするつもり? 何か企んでいたり――」
「え、別に何もないですよ? 親父の言葉が俺以外の人に届く……それが日常になる、ってだけで嬉しいですし」
実際、リィンのそれは自己満足であると理解していた。
オズぼんからも自分の世界に閉じこもっているだけ、と指摘されたこともあるが、 リィンとしては単に父親の凄さを知ってもらいたい、それだけのためにやっていることなのだ。
迎える結末はどうあがいても変人に見られる奇異の視線であるのだが、リィンはそんなこと微塵も気にしていなかった。
「わかった、それじゃあ今後君を見かけたら声をかけるから、今はここで退散させて――」
「―――まさか、こんなところでお主と会えるとは、人生わからぬものじゃのうヴィータ」
そそくさと逃げようとしたヴィータの動きが止まる。
いや、周囲を見れば先程まで風に揺らめいていた木々まで写真のように動かず、風景を固定されている。
まるで、時が止まっているかのように。
「婆さま……」
「やんちゃ娘め、ついに捉え――んお!? ぬし、なんじゃそのけったいな物体は!」
威厳溢れる声を響かせていたはずのそれは、嘘のようにあっさりと崩して現れた。
声の主は、身の丈より大きな杖を持った子供だった。
長い金髪はヴィータよりも長く、膝まで届いている。
上質な絹のような質感は触れなくてもわかるほどの艶を生み出し、緋色の瞳はどこか鬼化したリィンの灼眼を思わせた。
だがリィンにとって大事なのは容姿でなく、少女もまたオズぼんを認識している、ということであった。
「君はこれが見えるのか?」
「お、おお? な、なぜこやつは動ける? 時の結界を砕いた様子はない――こらヴィータ、逃げるでない!」
「見逃して頂戴……」
逃げる気満々のヴィータを抑える少女に加勢するべく、リィンは灰のチカラを解き放つ。
「来い、灰のチカラ――ロア・ヴァリマール!」
「応」
「ぬえええええぇえぇええぇぇぇえ!?」
肥大化したマナが竜の形となり、リィンを守る灰の鎧ではなく完全体として顕現される。
驚いて奇声をあげる少女をよそに、リィンはヴァリマールとの間に戦術リンクを展開、鬼の力をさらに解放してヴィータの逃亡を防ごうとする。
そこに先程説いた、純粋な気持ちを汲み取ったヴィータはつぶやいた。
「この子怖いわ……」
「フフフ、息子がすまない」
*
ひとしきり騒いだ後、鬼の力を解いたリィンは少女に連れられて人里へやってきた。
なんでも魔女達が住まう隠れ里だそうだが、リィンを放置してはおけないということで案内されていた。彼女としては連行という形が正しいのだろう。
少女を挟んで同じく連行されるヴィータと並びながら、リィンはきょろきょろと周囲に首を巡らせている。
ロア・ヴァリマールはすでに引っ込めている。
ヴィータのリィンを見る目が、未知との遭遇をしたかのような有様だったから、とも言うが。
周囲の老若男女は興味津々といった具合でリィンを見ているが、それ以上にヴィータへの視線が強い気がした。
「ヴィータさん、ここの出身なんですか?」
「ええ、まあね。正直、二度と来るつもりはなかったのだけど……まさか転移を妨害してくるなんて」
「俺も必死だったので。と言っても妨害した実感はないんですが」
「必死すぎでしょう……まあ、悪いのは君じゃなくてそこの親父さんのようだけど?」
「フフフ、照れるな」
「褒めてないわ」
ヴィータが苦々しい顔の反面、リィンは笑顔だった。
オズぼんの声にきちんと答えてくれるヴィータの姿を見るのが嬉しいからだ。
そんなリィンの感情を察したからこそ、ヴィータの渋面は止まらないのだが。
「こら、妾を無視して会話するでない。ババアは寂しいと死ぬのじゃぞ」
「それは兎」
「同じ三文字ですね」
「言葉の数が同じってだけで同一視されたら、兎もたまったものじゃないでしょうねぇ」
「だーかーら! ヴィータもヴィータじゃ、出奔したと思えば小僧とばかり会話しおって! 妾のことはおざなりか!」
ヴィータが婆さまと呼ぶ少女は、リィンから見ると年相応に元気な女の子にしか見えない。
だがヴィータが大人しく従い、敬う様子が伺えることから相応の人物なのだろう。
疑問が顔に出ていたのか、少女がニヤリと笑みを浮かべ腰に両手を当てながら薄い胸を張る。
「ふふん、妾はこう見えても九百年は生きるとても偉い魔女なのじゃ。敬ってよいぞ? はっはっは」
「じゃあここに引っ越ししていいですか?」
「はっはっはああああああああああああああああああ!?」
突然そんなことを言い出したリィンに、胸を張っていた少女がのけぞって倒れかける。
ヴィータは何を言っているんだという目で見てきたが、リィンは気にしない。
「ユミルのこともあるのでずっとってわけじゃないですが、一、ニ年くらいは移住したいな、と」
「フフフ、息子よ。学院はちゃんと卒業してからだぞ?」
「ウム。何事モ中途半端トイウノハヨクナイ」
「そもそも話の脈絡が全然繋がっておらん、って、お主ら喋るのか! しかも一人は灰ではないか!?」
「我ヲ知ッテイルノカ」
「待て、待て待て待て! 色々説明せよ!」
説明した。
「………………………………」
「………………………………」
無言になった。
「灰の意識が起動者に宿るとか、クロウから聞いた時はライザージョークと笑い飛ばしてたけど、本当だったなんて……」
俯きながら、リィンには聞こえない小声で現実を受け止めるヴィータ。
ローゼリアも魂が抜けたようにほけーっとしているため、リィンは仕切り直しのためにどこか休める場所はないかと聞いてみる。
「とりあえず、立ち話もなんですしどこか落ち着ける場所はありませんか?」
「お主が言うな……」
少女の声はどこか力がなかった。
そうしてやってきた広い屋敷に案内されたリィンは、執事っぽい人から頂いた紅茶を飲みながら二人のブレイク復帰を待つ。
「……エマの苦労が浮かぶわ」
「うむ……今度帰って来たらもうちょっとあやつを安心させるようにしよう」
「あ、やっぱりエマの知り合いだったんですか」
「そうじゃ。妾はエマの母親が亡くなって以来、あやつを育てておった。こっちの放蕩娘もな」
「ってことは、エマが探しているお姉さんって」
「…………そう、やっぱりエマはそのために学院に居たのね」
憂いの中、わずかな嬉しさを感じる笑みを浮かべるヴィータ。
そこには妹への愛情が垣間見えたが、それならなぜエマと会ってやらないのだろう?
「起動者を導く以外にも、貴方を探すためにやってきたとも言ってました。会ってあげないんですか? トリスタに居たってことは、すぐにでも会える距離ですよね?」
「…………私はやることがあるから」
「むむ、そうじゃヴィータ。一体何を考えておる? よからぬ輩に誑かされおって」
「フフ、そこは秘密。それとも力ずくで聞いてみる?」
「いいんですか?」
「…………いや、なんで貴方が割り込むの?」
「俺はエマの友達なので。転移は出来ないけど、この辺からトリスタへ帰るのは二度目ですから一週間もかからずに着きますよ。歩くのが嫌なら背負っていきますので、面倒はみます。あ、野宿が不安なら心配しないでください。親父は色々アイテム持ってるので。それに以前サザーランドに飛ばされた時に、サバイバルが得意な男の子と知り合いまして。おかげで食べられるものを見分ける判断は多少あると思います」
「…………友達を作るなら、適度な距離感って大事だと思うわ」
「うん、妾が言うのもあれじゃがお主はちょっとおかしい」
むぅ、と唸るリィン。
今のリィンにとってヴィータは友誼を結びたい相手であるが、エマより優先すべきことではない。
故にエマのために色々頑張ろうと思ったが、諭されてしまっては口が出ない。
ふと、少女の名前を聞いていなかったことを思い出して尋ねた。
「そう言えば、貴方のお名前は?」
「おっと、色々と衝撃的なことが多くて自己紹介をしておらんかったの。妾はローゼリア。この魔女の里、エリンを束ねる長である」
「俺はリィン・シュバルツァーと申します。温泉郷で有名なユミルを治めるシュバルツァー男爵家の嫡男です」
「基本的に丁寧ではあるが、行動がぶっ飛んでおるのう」
「俺はただ親父が見える人と友人になりたいだけなんですが……」
「うん、なら私は友達でいいわ。ってことだから戻っていいわよね?」
「待たぬか! 小僧とはそれでいいが、妾との話が済んでおらんぞ!」
「ヴィータさんがエマのお姉さんなら、その件で話がしたいですね」
「味方がいない……」
うなだれるヴィータが哀愁を漂わせているところで、オズぼんが会話に参加する。
「フフフ、ヴィータ嬢。家族仲は良好でいることにこしたことはないぞ?」
「うーん、人形に言われるこの気持ち。どう表現すればいいのかしら」
「ナラバ我ガ言エバイイノカ?」
「もっとおかしいでしょ!」
「というか、灰の試しを吸収とかやっぱりおかしいぞお主。ドライケルスが見たらなんと言うか……」
ローゼリアのそんなつぶやきにオズぼんが反応する。
「そう言えば、獅子戦役でドライケルスを導いた善き魔女はローゼリア嬢のことで良いのかな?」
「うむ、妾のことじゃな。そういう意味では当代の灰の起動者にも会えたのは因果を感じるというが……いや、お主の因果おかしなことになっておるな?」
「…………本来のルートに沿っているようで全然違うわね。目的地は同じのはずなのに、歩んでる過程がまるで違う。そもそも道を歩くんじゃなくて飛んでいると言えばいいのかしら。というか灰がこれじゃ幻焔計画が…………いえでも本体はあるっていうし意志がなくても…………でもそれじゃ闘争の果ての疑似相克も…………」
ヴィータが何やら言っているが、リィンには何のことかよくわからないので、口を挟めずにいた。
オズぼんやヴァリマールも何も言わないので、どうすることも出来ない。
仕方ないので、リィンはローゼリアに話しかけた。
「ところで、どうして俺を案内してくれたんでしょうか? いえ、嬉しいことは嬉しいのですが、隠れ里ってことですし、ヴィータさんを入れたら俺はてっきり外に放り出されるものかと思いましたが」
「イレギュラーすぎるが、灰の騎神の起動者なのであろう? ならば魔女として導く使命がある。エマがそれを担っているが、妾達が手伝ってはいけないということもあるまい。良ければ里の施設などにも顔を出して欲しいものじゃが……」
「でも、本体は士官学院にありますよ?」
「そこは転移術でサポートしてやろう。というか、お主はヴィータに連れて来られたそうじゃからな、帰してやらねばならんじゃろう。ほれ、ヴィータ」
「何よ婆さま」
「お主が連れて来たのじゃから、責任とって帰すんじゃぞ?」
「えー…………」
ふてくされる様子のヴィータ。
初見で感じた麗しの美女という印象はそこになく、家族に叱られて困っている普通の女性にしか見えない。
リィンとローゼリアを見比べて悩むさまは、何故か自分が悪いことをしているように思える。
ヴィータ側からすれば逃亡を止めようとしたり、会う気のない妹に無理矢理会わせようとするのは悪人という他ないのだが。
この様子では話も進まないし、用件も果たせないだろう。
リィンは埒が明かないと判断し、腹を決めた。
「ヴィータさん」
「え、な、何?」
「妥協します。友達とか知り合いになりたい、とかは一旦やめますので、エマに手紙を書いてもらえませんか? 少なくとも、貴方がエマを悪く思っていないっていう、今の気持ちを教えてあげたいんです」
先月の特別実習を終えたさい、エマから言われたことだ。
オズぼんが見える友を欲するなら、相手をよく見るように、と。
だが今回はお互いが不意打ちの遭遇に加え、逃げられそうになったという事実がリィンからエマのアドバイスを忘れさせていた。
しかしリィンも落ち着けば、ヴィータのことも考えるようになれる。
彼女のことを思うならリィンはここで引くべきだが、それでもリィンはヴィータよりエマの事情――姉に会いたいという友の気持ちを優先した。
「良イノカ、りぃん。おずボンガ見エル友ヲ探スノガ目的ダッタハズダガ」
「今いる友人をないがしろにするほどじゃないからな。それに……ローゼリアさん、今後俺はここに来ていいんですよね?」
「なんか勝手に決まっておる……エマを伴ってなければ入って来れんじゃろうが、構わんぞ。引っ越しの件はともかく」
それは残念、と本当に残念がるリィン。
ローゼリアは遠くない将来、本当にリィンがここに住居を構えてしまうのではと冷や汗を垂らした。
「それで、どうです?」
「私は……」
「フフフ、ヴィータ嬢。私が言うにもあれだが、ここで断ったら息子はどこまでも貴女を追いかけるぞ?」
「気配は覚えましたよ」
「書くわ」
「脅迫ではないか……」
ヴィータは渋々ながら手紙を書くこととなり、その監視をしようと思ったリィンだったがローゼリアに咎められて里をマラソンすることになった。
ローゼリアもまた、二人きりで話したいことがあるのだろう、とオズぼんの言葉に従った結果でもある。
リィンは隠れ里を回る間、里の子供達に外の話をしたり釣りをしたり、騎神関連の施設に占いや宿酒場や温泉など、色々なところを回った。
場所に応じてオズぼんのことに驚かれることも多く、その反応がいちいち新鮮でリィンにはたまらなく嬉しかった。
そう言うと子供達を除いて一様に変人を見る目を向けられるのだが、リィンはその程度でへこたれるメンタルをしていなかった。
そもそもそれを気にしていたらオズぼんという存在が憑いた時点で折れている。
まだ新しい出会いがありそうだ、と口元をほころばせながら、リィンはエリンを走り回るのであった。
*
「はあ、なんだか思っていた再会ではなかったのう」
「私もこんな形で帰ってくるなんて、微塵も思ってなかったわ」
「懐かしい気配を感じて見に来ればお主と灰の小僧が居て、さらに止まった時の中を普通に動いた時は何事かと思ったぞ」
「やはり、あのオズぼんって呼ばれていた人形のせいなんでしょうね。私の魔術を妨害して、転移先をいじられた」
「逃げずに大人しくしているのはそのせいか。まあ、おかげで妾はこうした時間が取れるのじゃが……
〈外の理〉よりの来訪者と思うたが、小僧の話を聞いてもいまいち確証が取れん。かといってあれと話し合いというのは、正直気が引けるというか……」
「わかるわ。まさか当代の贄がああ、なんてね。計画の修正が必要になりそう」
「むむ。先程も言うておったが、計画とはなんじゃ。何を企んでおる」
「婆さまに迷惑をかけるものではないわ。将来的には、むしろ……」
「おのれ、すっかり秘密主義になりおって」
「婆さまに似たのよ」
「ああ言えばこう言う」
口は尖らせるローゼリアであるが、そこに会話の妙を楽しむ余裕さが感じられる。
ヴィータもまた、今すぐ逃亡という気はないようで諦めの境地があるものの久しぶりの祖母との再会を楽しんでいた。
「せっかくだし、婆さまもエマに何かないの?」
「そうじゃのう。まあ、定型句を省けば言いたいことはヴィータと同じじゃと思うぞ?」
「やっぱり? 重要なのはこれよね」
そう言って、二人は同時にその言葉を言った。
『友達は選ぶように』
*
色々あった自由行動日であったが、リィンは魔女の里の面々に別れを告げてヴィータの転移でトリスタへと戻って来ていた。
ヴィータはトリスタ放送局で、ミスティという名前を使い、アーベントタイムなるラジオ番組のパーソナリティをしているそうだ。朝に見かけたのも、その打ち合わせのためだったと言う。
「でも君のせいでサボってしまったわ……」
「そこはすみません。俺も一緒に謝ります」
「いえいえ、年下の男の子連れでスタジオに入ったら何を言われるか」
「でも、いいんですか?」
「これでも魔女ですもの。誤魔化しくらい、いくらでも通用するわ。そもそも、エマが私に会えないのも、因果律を操ってそういう運命にしているおかげだからね」
「…………まあ、今回は俺も不躾でしたし、エマにはいきなり渡された、ってことにしておきます。ミスティさんや蒼の歌姫についてもダメですか?」
「あの子が自力で気づかない限りは、ね。今回は君の
「言葉をそのままに受け取れないんですが」
「だって、そう言ったもの」
くすくすと笑うヴィータ。
一日で一通り驚いたせいか、すでにリィンの行動を笑って流せるようになっていた。
「連絡先とか交換できます?」
「攻めて来るわね。婆さまや里の人達にも連絡先を聞いていたようだし、本当に行動力の化身だわ……まあ、いいわよ。そうしておかないと仕事先に押しかけて来そうだし」
「否定はしませんが」
「してね? お願いだから。一般常識だから」
「ヴィータさんは魔女ですので」
「魔女だって一般のルールは基本的にしっかり守っているからね?」
「じゃあ今回は例外で」
「君は例外だらけになりそうね……」
ヴィータはエマが罪悪感でリィンの友人しているのではないか、等の心配を手紙に書いたが、それも七割ほどの冗談のようなものだと思っている。
根本的におかしいオズぼんやヴァリマールのことはさておき、その影響を受けているであろうリィンのことはある程度の信用をおいていた。
たった一日で何を、と思うかもしれないが、ヴィータは才知溢れる魔女の身だ。
因果律も含めて彼の行動に嘘か真かを見分ける目も当然持っている。
今回、ヴィータに願ったエマへの手紙や彼女への友情は紛れもないものだと、魔女の慧眼が見抜いている。
暴走の多い当代の《灰》を導く魔女として、エマやセリーヌの気苦労が多そうねと思いながらも、生真面目なあの子達にはこれくらいでちょうどいいのかもしれない、と姉としてヴィータは妹のことを想う。
「へえ、グリアノスっていうのか」
「うむ。言葉こそわかりにくいが、感情は理解できよう?」
「我ニハ見分ケガツカンナ」
ふと目を離せば、自分の眷属である蒼い鳥を腕に止まらせて、会話を行っていた。
グリアノスは戦闘や魔力特化の存在であり、その意志はセリーヌほど細かなものではなく大雑把である。
だというのに、リィン達は彼から攻撃されることなく意思の疎通を計っている。
オズぼんのせいか、ヴァリマールのせいか、リィンの資質であるのか。
魔女であるヴィータにも見抜けないが、三人合わせて大物なのだろうと彼らをまともに推し量るのは諦める。
「連絡先って言っても、私がそう頻繁に出られると思わないでね?」
「そこは弁えてます。普段からの連絡というより、いざという時のためなので」
「そ。なら用件があれば、トリスタ放送局にハガキか手紙でも送ってちょうだい。君が送ったものは、私に届くようにしておくから」
「魔女って色んなことが出来るんですね」
「魔女ですもの」
二人はようやくトリスタ放送局前に足を踏み入れる。
アーベントタイムは色々あって聞く機会を逃していたので、今夜から聞くとリィンは言っている。
リスナーが増えるのは嬉しいが、それが彼だということに妙な厄介さを覚えるヴィータだった。
「それじゃあ、ここまでありがとうございました。俺は早速エマに手紙届けてきます。お仕事、頑張ってくださいね」
そう言ってリィンは通信端末を片手にトールズ士官学院のほうへ走っていく。
今のところだけ見れば礼儀正しい少年に見えなくもないが、ヴィータはもうリィンのことをそんな目で見ることは二度と出来ないだろうと考える。
これからも尽きない妹の苦労を思えばこそ、ヴィータは手紙をしたためた。
けれど、楽しそうな面もあるのは間違いない。
遠目で『視』たエマは以前視た時にあった気負った雰囲気もなく、自然体の様子がうかがえる。
リィンとの親交が彼女に苦労を与え、その仮面を取って彼に叩きつけたのだろうと察せられる。
姉として認めるのは癪であるが、リィンのおかげでエマが助かった面も確かにあるのだ。
――その夜、アーベントタイムの収録前にヴィータがエマを『視』て見ると、彼女は両手に自分からの手紙を携えて、その瞳から絶え間なく涙を垂らしていた。
泣き虫なのは相変わらずね、と思いながらもヴィータはその姿に愛おしさを感じる。
「直接会うのは思ったより早いかもしれないわね……エマ。今度直接顔を合わせる時は、願うなら相克の果てに会いましょう」
エマへの想いとヴィータの名をミスティとしての仮面で封じながら、姉はトリスタから決して妹に届かせない声を帝国中へ送る。
夕べの時間は等しくリスナーの心を癒し、今日だけは形を変えて家族に伝わっていくのであった。
なお、リスナーとしてのリィンからのハガキが数日後に届き、無駄に警戒したヴィータが脱力しながら採用するのは、また別の話。
リィンがヴィータと知り合いであると明かしてしばらく経った後の会話
リィン
「そう言えばヴィータさんって健康維持に熱心なんだな」
エマ
「どういうことです?」
リィン
「減塩計画っていうのにすごく悩んでたんだ」
エマ
「姉さんも苦労してるんですね……」
二人が幻焔計画という本当の名前と内容を知るのは、まだ先の因果。