いつも誤字報告ありがとうございます。
「突撃陣《烈火》!」
リィンの振るう旗から不思議な力が溢れ、ARCUSを通してA班へ流れ込んでいく。
その力は攻撃力という点において不利があったアリサの導力弓やエリオットの魔導杖から放たれる一撃を明らかに強化していた。
「防御陣《鉄心》!」
リィンが再び旗を振るえば、直撃したはずの領邦軍兵士の一撃は明らかに痛みが少ない。
体に見えない盾でもあるように、その守護はアリサ達を守っていた。
「くそっ、なんなんだあいつ!」
「旗を振っているだけなのに、どうして攻撃が当たらない!」
銃弾を旗で包み、近接攻撃は柄で受け止め流し、リィンは相手の攻撃を捌いていく。
獅子の紋章が描かれた布が従来と違うパルム産の特別な生地であるといえ、銃弾を防ぐのは明らかにおかしいと兵士とA班は気持ちを一つにしていた。
その秘密は鬼の力と灰のチカラにあった。
もともとオズぼんとの訓練により、鬼の力を体の一部だけ覚醒させることが出来るリィンだ。
鬼の力のオーラともいうべきそれを旗に流すなど朝飯前、加え灰のチカラで補強すればその辺りの武器では逆にへし折られる硬度を持った品質の旗の完成である。
宣言している陣――オズぼん曰くオーダーもこの力の応用だ。
灰のチカラをARCUSを通じて仲間達に付与し、攻撃・防御の強化を行っているというわけだ。
何より領邦軍兵士が苛立つ理由は、そんなリィンが一切攻撃に参加していないことだ。
「エリオット!」
「っとと、ありがとうリィン!」
エリオットに向かっていた攻撃を旗で防ぎ、アーツを撃つ時間を稼ぐ。
「アリサ!」
「え、こっちに向かって撃てって……なるほど!」
アリサの導力弓の照準先を旗で隠し、巧みな視界誘導で領邦軍の兵士に当てていく。
「エマ!」
「イセリアルキャリバー!」
エマが放つアーツの剣群が手品のようにリィンをすり抜け、その先にいた兵士を貫く。
「こんなふざけたことが……!」
結局、領邦軍兵士四人との練武は一切攻撃に参加しなかったリィンとエマ、アリサ、エリオットの三人だけで勝利を勝ち取った。
ガイウスはウォレスとの話し合いのため、現在は不参加である。
その理由は、練武に参加している領邦軍兵士にあった。
「ぐっ……くっ、ちくしょう、こんな子供に……」
息を乱し、怒り心頭に発する兵士の顔はつい先程カジノで見た男達の一人。
特にガイウスやカジノ客にまで迷惑を撒き散らしていた男であったのだ。
その気配を覚えていたリィンはA班にその旨を話し、ガイウスを避難させる意味でウォレス准将に個別の話をしてもらっている。
彼自身、帝国でのノルドの評価というものも気になっていたようですぐに戻ると言って出ていった。
実際、練武は十分と経っておらず誰が見てもA班の圧勝という形で幕を閉じている。
カジノでのガイウスへの侮辱や迷惑行為は、穏やかな性格の多いA班でも怒りを覚えていた。
旗を振ったら強くなるという違和感については、リィンと一日行動したことでそういうこともある、とアリサとエリオットの中では受け入れられていた。
たかが一日、されど一日。
彼らはリィン・シュバルツァーを知ったと言える。
本当に、本当にやめて欲しかったが、こうまで恩恵がある以上は一概に否定出来ないのが辛いところだった。
「最初はどんな催し物と思ったが、武器は選ばないタイプだったか?」
「いえ、クラスの教官から他の生徒の成長のため、俺はなるべく戦闘は控えろとのことだったので。それに、トールズで試験運転中のARCUSの恩恵もありました」
「ふふ、その割には随分と挑発していたようにも思えるが……それを流せない上に負けたほうが悪かろう」
「オ、オーレリア将軍……」
「相手を子供と侮った結果だ、素直に受け止めよ……それに、どうやら休憩時間に歓楽街へ赴いていたようだしな」
「そ、それは……」
「いやなに、ギャンブルをするなとは言わん。人間、息抜きは必要なものだ。だが、その結果がこれではな」
男はA班を睨みつけてくるが、リィンは旗でエマ達を隠して自分に注意を引くよう無感情に男を見下ろす。
まるでこの程度か、という言葉を態度で示したのだ。
「その少年、シュバルツァーの本来の得物はその腰に差した太刀だ。……手加減された上でこの体たらく、もう少し鍛え直す必要があるな。まあ、それは後日としよう」
そう言ってオーレリアは、練武に参加した領邦軍兵士を医務室へ運ぶよう告げる。
練武は代表が行っていただけで、流石に全員を相手にすることはない。
リィンは別にそれでも構わなかったし、オーレリアも最初はそうしようと思っていたがA班からの懇願によりそれは避けられた。
貴族の男は最後までリィン達に怒りを向けていたが、立ち上がることが出来ず同僚に支えられて去っていった。
「領邦軍にもああいうのがいるんですね」
「普段はもう少しマシなのだがな。今は色々とあるというわけだ。今回は予定を変更し、矯正のために要請の形で使わせてもらったが、あの調子では私が躾けたほうが良かったかもしれんな」
「はは、それはそれでご愁傷さまというべきですかね。あと色々について――」
「おや、もう終わっていたか」
その色々と、を聞こうとした瞬間、図っていたかのようにウォレスとガイウスが戻ってきた。
「なるべく、二人の会話が終わる前までに決着を付けようと思ってましたので」
「だ、だから戦術リンクじゃあんなに速攻を意識してたのね」
「でも本当に速攻なら、リィンが参加してればもっと早かったよね?」
「サラ教官からの宿題だからな」
「それは手配魔獣といったものだけだと思いますが……」
「だが、そうなると俺の練武はどうすればいいだろうか」
ガイウスのみが不参加というのは、確かに要請的にもⅦ組的にもよろしくない。
オーレリアがまともな領邦軍兵士を見繕おうとするが、それに待ったをかけるようにウォレスが一歩足を踏み出す。
「それなら同じノルドを源流とする者として、俺がガイウスの相手をしよう」
「……よろしいのですか?」
ガイウスは彼には珍しく、少し緊張した様子だ。
バルディアスの槍といえば帝国でも比類なき剛槍と名高い。
ガイウスがどこまで知っているかわからないが、ウォレスとの実力差はひしひしと感じているのだろう。
「ガイウス、俺も手伝うか?」
「俺は構わんぞ? 閣下が目をかける八葉の技、俺としてもぜひ知りたい」
(ごめんなさい、さっき見せたのは八葉じゃなくて旗なんです)
至極真面目なウォレスに謎の罪悪感を覚えるエマだった。
「…………いや、すまないリィン。ここは俺一人にやらせてもらっていいか?」
「別に構わないさ。純粋に応援してる」
「純」
「粋」
「え、なんだ?」
「ううん、別に」
「なんでもない」
アリサとエリオットがリィンの持つ旗をじっと見ていたが、ここで突っ込むほど野暮ではなかった。
承諾したウォレスとガイウスは、領邦軍兵士とⅦ組A班の仲間が見守る中、互いに対峙し槍を持った。
「准将、どれだけ届くかわからないが……胸を借りさせてもらいます」
「ああ、来るがいい。お前がノルドで培ったその槍、見せてもらおう」
そうして二人はぶつかり合う。
さすがに技量の差は如何ともし難いが、それでもガイウスは体力と気力の続く限りウォレスに挑み続けた。
最後には力尽きて倒れてしまったが、その健闘は見事の一言であり、残った領邦軍兵士とA班は揃ってガイウスの戦いに拍手を送るのであった。
*
その夜、オルディスの宿酒場に戻ったリィン達は疲れたガイウスをベッドに寝かせて、他の皆とレポート作成を行っていた。
カジノの件も含めて今日一番頑張ったガイウスの分もある程度手伝っておこう、ということで彼のためにメモを取るエマをよそに、リィンは窓からジュノー海上要塞がある方角を眺めていた。
「どうしたの、リィン」
「いや、なんだかんだオーレリアさんと戦うと思ってたから、お流れになったのが拍子抜けになっちゃって」
「いやいや、怪我しないのが一番だって」
「同感。でも、オーレリアさん自身はその気だったのに、どうしてかしらね」
ウォレスとガイウスの稽古のあと、次は私だと言わんばかりに覇気を垂れ流すオーレリアに応え、リィンは旗をエマに預けて太刀を抜いていた。
領邦軍兵士はオーレリアが本気であることに驚き、A班はリィンが真面目に相対することに驚いていた。
そのまま稽古という名の実戦に入ると思われたその時、使用人の少女ミュゼからオーレリアへ伝言が届き、それを聞いたオーレリアが名残惜しそうに要請はここまでと伝え、一日目を終えたのだ。
あのオーレリアを止める何かが気にならない、と言えば嘘になる。
だがカジノの一件もそうだが、今のリィン達に何かが出来るわけでもなく、悶々を抱えて過ごす他ない。
「すまない、ちょっと外で素振りしてくる。少しやる気を発散させておかないと。ついでにミュゼに預けてたセリーヌを返してもらって来るよ」
「外に出るならARCUSは持っていってくださいね? まあ、私達は出られるかわかりませんが……」
「了解。一時間くらいで戻るよ。エリオットは先に風呂入っててくれ」
「わかった、じゃあお風呂から上がったらリィンを呼びに行くよ」
「頼んだ。ガイウスを起こすのは俺が風呂から上がった後でいいかな」
「それじゃあエマ、私達もお風呂に行きましょうか」
「そうですね、それではリィンさん、お先にいただきます」
「わかった、ゆっくり寛いできてくれ」
リィンは入浴へ向かう三人を見送り、太刀とARCUSを持って外に出ようとする。
だが宿酒場の裏手を借りようと主人に話かけようとするより早く、リィンを呼ぶ声があった。
「リィンさん、こちらにおられましたか」
「ん?」
リィンを呼んだのは、セリーヌを抱えたミュゼだった。
メイド服はすでに脱いでおり、私服に着替えている。
胸にフリルがついた白いブラウスは清潔感を出し、紫のコルセットスカートは彼女の華奢な腰を引き立て、ほっそりとした白い足を包むハイソックスにも上質な生地が使われている。
薄く化粧でもしているのか、エリゼより年下と思った少女は色気を溢れさせリィンと同年代に見えるようおめかしをしていた。
セリーヌは何故かぐったりとしながらも気持ちよさそうに眠っていたので、一度部屋に戻ろうとするが、それより早くミュゼはセリーヌを宿の主人に預けた。
そうしてリィンの元にやってくると、昼間の時よりも随分近い距離に近づいてきたかと思えば、リィンの右手を己の両手で包み込む。
その両手を胸に持ち上げ、潤んだ瞳でリィンを見上げるそれは見る者が見れば魅了されるような雰囲気を持っていた。
(フフフ、息子よ。よもや若いメイドに懸想されるとは思いもよらなんだ。まったく隅に置けない男よ)
(えりぜトイウモノガアリナガラ)
(ヴァリマール、お前なあ……)
だがリィンは心動かされない。
「ミュゼ、どういうつもりだ?」
「ウフフ、私、リィンさんに興味を持ってしまいまして。殿方はこういうのがお好きだと聞いたのですが……こちらのほうがよろしかったですか?」
そう言って左腕を取ろうとするが、さっと引いてミュゼの抱擁を避ける。
「いけず……」
「どうしてもって言うなら右腕にしてくれ」
「ご否定はされないので?」
「俺の左腕は一生予約が入ってるんだ」
「あら……」
何かを察したように意味深に笑うミュゼ。
本当の理由は、あのまま左腕を絡められていたらオズぼんがミュゼの顔に被さる惨事を予想したためだ。
年頃の女の子に、中年のおじさんの人形に口づけさせてしまうという取り返しのつかない行為をさせるわけにはいかなかった。
たとえそれが実際に触れられないものだとしても、映像でそれを見てしまうと色々とアレなのだ。
(フフフ、息子)
(お静かに)
それ以上はミュゼの名誉や色々な意味で言わせなかった。
リィンはオズぼんの口を封じつつ、朝に自分達を案内してくれた少女の顔を見やる。
ミュゼは恥ずかしそうに照れているが、突然の態度の変化に疑心が芽生えるのは仕方ないと言えよう。
そんなリィンの瞳から感情を察したのか、察していないのか。
ミュゼは柔和な笑みのまま提案してくる。
「少し、街を歩きませんか?」
「腕を取りながら?」
「はい♪」
「…………まあ、いいか」
素振りは延期だな、と思いつつリィンは右腕に自分の腕を絡ませるミュゼを見ながら、二人でオルディスの街へ繰り出した。
時刻はすでに夕暮れを超えて夜の闇を導力灯が明るく照らす時間。
ミュゼの容姿は人目を惹き、少女に向けられる視線は時間が立つごとに増えている。
ただでさえリィンも昼間に色んな意味で街の有名人となったため、士官学院生が街の少女とデートしている、という風に見られている目を塞ぐことは出来なかった。
ミュゼはあえてそうしているのか、これが素なのか。
リィンにはそれがわからないが、ミュゼという少女を知るためにも付き合いを続ける。
「いつもこんなことをしているのか?」
「いつも、とは?」
「オーレリアさんに近づく男でも図っているのかと」
「まさか、私そんなに軽い女ではありませんよ? 今はプライベートの時間ですし」
「とてもそう見えないんだけど……」
「ふふ、興味のある方に積極的なだけです。それに伯爵様なら、興味を覚えた相手にはそんな絡め手ではなく自分で攻めますので」
「確かに、それっぽい気がする」
口では敵いそうにないな、とリィンは短い時間の中でそう思った。
(フフフ、息子よ。実際にお前が好かれているのかいないのかはともかく、どうするつもりだ?)
(とりあえずこのまま歩いて、埒が明かなくなったら人気の少ないところへ行ってみようかなって)
(りぃん、マサカ)
(ヴァリマールが考えてることでは絶対にない。というか染まりすぎだろお前……もしもの時に逃さないためだよ。人混みに紛れられたら面倒だしな。逆にミュゼのほうから何か仕掛けてくるかもしれないし)
(フフフ、息子よ。物騒な思考より話し合いをまずするべきだと思うぞ)
(いや、オーレリアさんの使用人なんだしもしもの時は実力行使じゃないかきっと)
リィンがそんなことを考えていると、ミュゼは甘い声音で囁いてくる。
「どうかされました?」
「いや、なんでもない。ミュゼはどこか行きたいところはあるか?」
「いいえ、リィンさんの赴くままに」
「いいのか? 案外、暗いところに連れて行かれるかもしれないぞ?」
「まあ怖い」
冗談めいて言った台詞も流され、ミュゼは素直に付いてくる。
リィンは昼間に行ったマラソンで、人の少ない場所というのは心得ている。
故にそこへ向かう足に迷いはなかった。
導力灯が少なくなる場所へ向かっても焦る様子を見せないミュゼにどうしたものかと思案していたリィンだったが、ふと目に端に入ったものに咄嗟に右腕からミュゼを離した。
「リィンさん?」
ミュゼに振り返る余裕もなく、リィンは一目散に走る。
その目的地――地面に座り込み、やがて倒れてしまった黒髪の女性を咄嗟に支えた。
「大丈夫ですか!?」
「………………ぅ………………」
(かなり衰弱している。怪我ではなく極度の疲労ゆえアーツではダメだ、病院の点滴も無意味だろう。エマ嬢を呼んで回復魔術をかけてもらったほうがいい)
(ここからは遠い! くそっ、間に合うか)
リィンはARCUSを操作し、エマに連絡する。
だが一向に出る様子もなく、エリオットやアリサにも繋げてみるがやはり同じだ。
ここでエマ達は風呂に向かったことを思い出し、女性の入浴は長くエリオットは単純に外で涼んでいるのか間が悪いのかもしれない。
倒れた女性に気づいたミュゼも近づいてくる。
彼女は女性の様子に息を呑んだ。
「リィンさん!」
「ミュゼ、悪い!」
「えっ……きゃあっ!」
リィンは女性を右手に、ミュゼを左手に抱えながら鬼の力を発現させる。
同時に灰のチカラも合わせ、ロア・ヴァリマールの上半身をその場に召喚した。
「こ、これは……」
「ヴァリマール、俺達を宿酒場まで投げろ!」
「承知」
「えっ」
ミュゼの呆然とした声をよそに、二人を抱えたリィンの体がふわりと浮かぶ。
ロア・ヴァリマールの巨腕によって抱えられているのだ。
「リ、リィンさ――」
「やれ!」
「応!」
「き、きゃああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――」
ミュゼの悲鳴を残し、引き絞った弓から放たれる矢のようにリィン達は宿酒場へと投げられた。
襲いかかるはずの風圧は灰の鎧によって防いでいるため、リィンやミュゼはもちろん女性に負担をかけることは一切ない。
ただし正常なミュゼは、目まぐるしく変わる夜の景色と人が飛空艇を使わずに空を飛ぶ――ただし嵐に飛ばされる鳥の気持ちを味わっていた。
「もう一回!」
「応!!」
「あああああああああああああああああぁぁぁぁっぁぁぁぁ―――――」
一投では距離が足りなかったため、投げられたリィンは放物線から落ちる頃合いを見計らって再びロア・ヴァリマールを召喚。再びリィン達を全力で投げてもらう。
「さらにもう一回!」
「応!!!」
「あああああああああああああああああぁぁぁぁっぁぁぁぁ―――――」
三度繰り返すことで、リィン達は大幅に時間を短縮して宿酒場へと降ってくる。
リィンは鬼の力と灰の鎧に加えた体術で衝撃を完全に殺し、一切の負担をかけることなく女性を宿酒場へと運んだ。ただしその分ミュゼのダメージがひどかったが目もくれない。
当然のように周囲の客は隕石のように降ってきたリィン達に驚いていたが、それを無視して自室へと向かう。
「ミュゼ、起きてるか?」
「あ、あ、あ、あ……」
「ミュゼ!」
「は、はい!」
「エマを呼んで来てくれ! 多分風呂にいる! 人の命がかかってる緊急事態なんだ!」
「わ、わかりました!」
リィンがその間にベッドに女性を寝かせながら氷のうなどの道具を用意していると、湯着で裸眼のエマの手を引いてミュゼが駆けつける。
「リィンさん、一体何事――」
「エマ、回復魔術を頼む!」
「ええっ、ミュゼちゃんが――これはっ!」
「早く!」
「わかりました!」
エマが女性に手を向けると、そこからアーツとは違う魔女の力による癒しの光が女性を包み込む。
ミュゼは立て続けに起こる事象に目を回しており、おろおろとリィンとエマに首を向けていたが二人に答える余裕はない。
やがてエマの魔術の光が消える。
息を乱しながらも、エマはリィンに微笑みかけた。
「なん、とか……持ち直し、ました。ですが油断、は、禁物です。魔女の里の、薬でも、あれば……」
「わかった、そっちはなんとかしておく。ありがとうエマ、助かった」
「な、んと、か、って……………わか、り、た……‥‥」
体力を使いすぎたのか、エマは静かに寝息を立て始めた。
「ミュゼ、すぐ戻る。エマや後のことは頼んだ」
「え、え、え?」
リィンはエマのベッドに彼女を寝かせて布団をかけると、魔女の薬を手に入れるべくセリーヌの元へ向かう。
その後、セリーヌに経緯を説明して協力してもらい、オズぼんの補助による転移で魔女の里へ向かったリィンだったが、時間が夜ということや材料不足もあり、一晩中魔の森を探索することになってしまう。
そのため、エマを連れ出されたアリサ、リィンのダイナミック帰還による旗持ち生徒の同行者ということで質問攻めにあったエリオットにミュゼが問い詰められるも、答えられる者がいないという状況に追い詰められた彼女は、明朝にリィンが帰るまで彼の計り知れない恐ろしさを味わうのであった。
*
「本当に、ありがとうございました……!」
翌朝、女性(一児の母だったらしい)の娘であるマヤと名乗る黒髪の少女が宿にやってきていた。
マヤは母の無事を知るや、涙を浮かべながらリィンに頭を下げてお礼を言っている。
どうも昨夜帰宅しない母親を心配して一人探しにやってきたようだ。
聞けばまだ十四歳だそうだが、その行動力には目を見張るものがあるとリィンは思った。
昨夜から夜の強行軍だったので睡眠不足となり、目に隈が出来ているリィンだったが、マヤはそんなに必死になって看護してくれたのかと勘違いしてますます感謝の気持ちをリィンに抱いていた。
「俺はただ宿に運んだだけさ。お礼ならエマに言ってあげてくれ」
「いえ、正直リィンさんが迅速に連れて来てくれなければ危なかったと思います」
「うーん、何事かと思ったら人助けだったのね」
「それなら、まあ、仕方ないか。急いでたなら手段も選んでられないだろうし」
「俺だけぐっすり寝ていて申し訳ない」
A班もリィンの行動に思うところもあったが、その理由が人助けであると知ればすぐに怒りも消えた。
一番の被害者と言えるミュゼも、涙を流して喜ぶマヤの姿を見れば昨夜のリィンの行動もほんのちょっぴり驚いただけだと、自分を誤魔化した。
「こちらが薬ですが、一日一回、加えてしっかり栄養を取って体を休ませてください。でなければ、同じことの繰り返しですから」
「はい……でも……」
「何か不安が?」
「我が家はその、あまり裕福なほうではなくて」
「うーん、家庭の事情か。その人が治るまでの食費くらいなら俺が払うよ。せっかく助けられたのに、また体壊されたら目覚めも悪い」
「い、いいえ! そんな、ただでさえリィンさんにはお世話になってしまったのに……私がなんとかします」
「いや、でもマヤの年齢じゃそんな良い給金の出る仕事は……ミュゼ、何とかならないか?」
「え、そうですね……ではひとまず借金という形で私が融資致します。そこから働いて返してもらう、という形はいかがでしょう?」
「お仕事、あるんですか?」
「ええ、とりあえず何が出来るか色々お聞きしますが、イーグレット家というところで――」
リィンは隠し事をほとんどしていない上に、ミュゼですら助からないと思いかけた女性を生かすほどの行動力を見せた。
エマは何やらアーツとは違う不思議な力を持っているようで、リィン以外には秘密にしているようだ。
リィンがどこからか持ってきた薬といい、彼らには何らかの特別な事情が伺える。
なるほど、確かに奇妙な縁を持っているらしい。
(ひょっとして、この人なら……)
諦めかけていたミュゼの心に、一抹の希望が生まれる。
詰みの盤面を盤外からこじ開ける奇手。
その一手を、リィン・シュバルツァーが持っているのではないか、と。
自分が昨夜の状況を予測できなかった、ただそれだけのことかもしれない。
でも、と、ミュゼは本日の要請にある依頼を仕込むことを決める。
それがどうなるのか、今は誰にもわからない。
ただ、どうか……とミュゼは願いながら、今は母を想う少女を救う一手を考えるのであった。
夜は毎回宿にいない生徒がいるらしい。
分校生ではマヤが一番好きなので、早く出してしまいました。
分校マラソンのさい、マヤの部屋で見せてくれた寝ぼけ眼が可愛くて可愛くて。
加えて母親が亡くなったのはⅢで二年前だったそうなので、十分救出可能ということで生存展開に。
特別実習をオルディスに選んだ理由はここにもあったり。