いつも誤字報告ありがとうございます。
サラの自室はワンルームのものである。
そのためベッドで横になっていても、すぐ傍でトヴァルが報告書を右手に、通信機を左手に持ちながら忙しなく報告を続けている。
ルトガー・クラウゼルの生存。紫の騎神。領邦軍の護衛をする西風の旅団……
どう考えても治安維持なんてレベルを超える戦力の確保を続ける領邦軍は、戦争を仕掛けてでも《革新派》を抹殺せんと考えている。
加えてアリサの推理から、機甲兵は量産型の可能性が高い。
一機だけでなく、集団行動が取れる数を用意しているのだとすれば、戦車を主力に扱う正規軍の機甲師団と言えど分が悪い。
なぜなら騎神と似通った動きが可能ということは、細かな作戦行動が可能だからだ。
攻撃力では戦車に劣るかもしれないが、それを補ってなお余る汎用性が機甲兵にはある。
推測混じりではあるが、それらの危機感を告げた上で果たしてどれだけの牽制が出来るか……そればかりは正規軍やトヴァル達遊撃士の動きに期待するしかない。
手持ち無沙汰となったリィンは、ARCUSを開いてシュミットに連絡を入れる。
ひょっとしたら騎神を呼び出すかもしれないので、その許可を取るためだ。
シュミットは紫の騎神に興味を示し、データを直接持ち帰るよう言ってきた。
リィンがシュミットに報告している間、セリーヌもエマに紫のことを報告したようで、相変わらずトラブルに巻き込まれるリィンに頭痛を覚えながらも心配してくれているようだった。
忙しそうにするトヴァルへ雑談を投げるわけにはいかず、セリーヌと話すことも出来ないリィンは大人しくベッドで横になっているのだが、そんな折に部屋の扉が軽くノックされた。
まさかの訪問者に、トヴァルは作業の手を止めてリィンと顔を合わせる。
「誰だ?」
「んー……気配からして、昨日俺が助けたヴァレリーって子みたいですね」
「気配って……まあいい、そういうことなら開けてやるとするか」
トヴァルが立ち上がり、入口の扉を開ける。
その先に居たのはリィンの言葉通り、昨日彼が助けた銀髪の少女、手提げ袋を持ったヴァレリーの姿であった。
「あの……」
「ん、なんだいお嬢さん。ここに何か用か?」
「昨日のお礼に、改めて参りまして」
「あー、リィンが助けたっていう」
トヴァルは話に聞いていたため、振り返ってリィンにどうするか聞いてくる。
リィンは立ち上がろうとするが、トヴァルが手を伸ばして制してくる。
「少し、席を外す。その間を使いな」
気を利かせたのか、トヴァルは通信機を片手に出て行ってしまう。
そんな気軽に入れていいのかと思ったが、サラの代行として家を預かるトヴァルが許可するのなら問題ないのだろう。
トヴァルが出ていくのと入れ替わるようにヴァレリーが入室するが、ベッドで横になるリィンを見て息を呑んだ。
怪我こそ治ったものの、リィンの全身には軽く包帯が巻かれているため、一見すれば大怪我を負っているように見えたのだろう。
「あー、これは……」
「ごめん、なさい」
「え?」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「え、何!?」
突然顔を俯かせて体を震わせるヴァレリー。
下手をすれば泣いてしまうのでは、と危機感を抱いたリィンはベッドから飛び降りてヴァレリーの体を支えた。
「ほら、俺元気。元気だから問題ないから」
鈍い痛みが響くものの、よく知らない相手といえ眼の前で泣かれるのは気分が悪い。昨日フィーが泣いているため、合わせてリィンは慰めに走る。
その甲斐あってヴァレリーは泣かずに済んだが、顔を俯かせて何も語ってくれない。
それでも辛抱強く待っていると、ようやく顔を上げたヴァレリーがぽつりとぽつりと、言葉を発していく。
「すみません、お礼をしに来たって言っておきながら」
「構わないよ、泣きやんでくれたのが、何よりの礼だ」
本当に、とリィンとオズぼんとヴァリマールの三人は力強く思った。
「その…………」
ヴァレリーが続けようとするが、リィンを見て逡巡する。
手を彷徨わせ、ちらちらとリィンとベッドを交互に見ていることに気づき、リィンは一つ頷いて改めてベッドへ横になった。
ほっと一息つくヴァレリー。どうやら正解だったようだ。
「怪我人に無理をさせてしまい、本当にごめんなさい……」
「うーん、俺は別に気にしてないけど。過剰に謝られても困るよ」
「ご……いえ、わかりました」
「それでヴァレリー、だったよね。どうしてここへ?」
「これを……」
そう言って持っていた手提げ袋を渡そうとする。
だがリィンの包帯に気づいて、すぐに視線を彷徨わせた。おそらくトヴァルを探しているのだろう。
リィンは気にするな、と言いながら強引にそれを受け取った。
中身を確認してみると、どうやら食材のようだった。
「いいのか? ノーザンブリアでは、食料は貴重のはずだけど」
「私は他の人に比べたら恵まれているほうなので」
「そっか、それなら昼食にでもありがたくいただくよ。……気になるから言っちゃうけど、俺に誰を重ねてたんだ?」
「っ」
ヴァレリーが体をすくませる。
先程謝罪をし続けた彼女の目はリィンを映しておらず、ヴァレリーの瞳の中にだけ映る誰かを示していた。
考えるのならば、かつて似たような状況に陥ったということだが……
「言いたくないならいいけど」
「いえ、知りたいというのでしたら、お礼も兼ねて言います。……私はノーザンブリア出身でありながら、他より恵まれた立場にいました。他の子供や大人が貧困にあえぐ中、私は衣・食・住が整った環境にいました。だからやっかみもひどくて」
「やっかみ、か」
「昔の話です。そんな私とも普通に仲良くしてくれた子がいたのですが……悪意の対象が彼女にも及んで、関係ない人にまで危害を加えるようになったんです」
――帰って! 貴女と居ると、私までイジメられるの!
ヴァレリーが頭痛をこらえるように頭を抑えるが、それでも彼女は過去を話してくれた。
「リィンさんを見た時、当時の光景が浮かんでしまって……」
「だからごめんなさい、ってことか。わかった、辛いことなのに話してくれてありがとうな、ヴァレリー」
「いえ、これもお礼で、お詫びですので」
「そっか……でも、そんな環境なのに、どうして昨日は街に?」
「日曜学校には通えないので、家庭教師を雇っていました。だから街にある個人塾とも言うべきそこへ通っていたんです」
「家には呼べないのか? ヴァレリーが出歩くのは危険そうだけど」
「逆に家に来たところを誰かに見られたら、その人も表を歩きにくくなりますからね。本来断られていたそれを、家族が大量のミラと引き換えに雇ったんです。けど、昨日の騒ぎを聞きつけていたのか……サラさんに送り届けてもらった後に、続けることを辞退され、そのままサラさんに護衛を続けてもらったまま帰りました」
「………………」
淡々と語るヴァレリーの過去に、リィンは顔を歪めた。
ノーザンブリアが貧困の土地というのは聞いていたし、実際に見た。
大人から子供まで痩せ型の人が多く、満足な栄養が取れないのだろう。
にも拘らずヴァレリーは健康的で、スタイルも良く均整の取れた体と言える。問題なく栄養を取り続けているということだろう。
ノーザンブリアにおいてそれがどれだけ恵まれているのか、その一端を見たリィンだった。
「ここまで聞いたんだ、もっと踏み込んでいいか?」
「……随分と、積極的なんですね。私達、まだ出会って二回目ですよ?」
「悪い、気になるととことん突き詰めちゃうタイプなんだ」
「それが関係なく、どうしようもないことでも?」
「それが関係なく、どうしようもないことでもだ」
「面倒な人ですね……」
「それに気づいているかもしれないけど、俺達は外国……帝国人だ。明日になればここから去る。そうなったらずっと悶々としちゃうからな」
「……やっぱり。いえ、そういうことと、これがお礼になるのなら、お話します」
ため息をつくヴァレリーだったが、彼女はそれでも自分が悪魔の子と呼ばれる理由を語る。
ノーザンブリアがまだ大公国と呼ばれていた存在した貴族制。
自治州になって以來、制度こそ廃止されたものの貴族の富はある程度残されていたという。
そんな家に生まれた幸せな子は当然、羨望と嫉妬、怒りの対象になる。
ヴァレリーの家は恵まれているというし、貴族の子かと思っていたのだが、どうやら彼女の家系はバルムント元大公の親戚に当たるらしい。
塩の異変による故国の窮地にあって、真っ先にノーザンブリアから逃げた裏切りの国家元首。
そんな人物と繋がりのあるヴァレリーの家は、悪魔の一族と呼ばれているそうだ。
おそらくずっと秘密にしていたかったものを吐露するヴァレリーの心情を、リィンは観の目を通してある程度察していた。
昨日人から縁を切られたこと、リィンの怪我を見たことによる過去の傷、それらが続けざまに起こったことによる自暴自棄の行為だったのかもしれない。
だがリィンに助けられ、お礼という言い訳を得たヴァレリーは自分でも驚くほどにつらつらと気持ちを語った。
ひょっとしたら、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない、とらしくもないことすら思っていた。
「まあ、そんな感じです。おわかりになりましたか?」
「ああ、辛い話をさせてしまってすまない」
「いえ、もう、慣れました」
「それじゃあ、最後のお礼をいいかな?」
「…………案外、図々しい人なんですね」
「明日帰るから、これきりってことでさ」
ジト目でリィンを見るヴァレリー。
そこに恩人へ向ける感情はなく、なんとなく面倒な人という言葉を視線に乗せていた。
半眼のそれを流しながら、リィンはお礼として受け取った手提げ袋をヴァレリーに渡す。
「それじゃあこれを」
「一体何を?」
「これ、調理してもらえないか? どうせなら現地の人が作ったものを食べたいんだ」
「…………はあ、わかりました」
明らかに感情の冷えた声になりながら、ヴァレリーは昨日の調理のさいにオズぼん経由で取り出したエプロンやミトン、三角巾を手に調理を始めていく。
裕福層でありながら他人任せにするのでなく、彼女自身料理を嗜んでいるようでその手つきは慣れたものを感じさせる。
野菜やベーコンといった美味しそうな香りが部屋の中に広がっていく。ちらりと見てみれば鍋を使っているようで、何かのスープかもしれないとあたりをつける。
調理が出来上がる頃、はかっていたようにトヴァルが戻ってきた。
「おー、良い匂いだな……っておわっ、リィンお前さん、ほぼ初対面の相手に料理作らせてるのか?」
「ダメでしたかね」
「本人が否定してないならダメとは言えんが、図々しいぞ」
「本人にも言われました」
「ならなんで頼んだ……」
「いえ、食材をお礼にもらったので……」
「それでも強制するのはダメだろうに」
「いえ、大丈夫です。確かに思いの外に面倒な人とは思いましたが、怪我人なことに変わりはないですので」
一旦テーブルの上の書類などを片付け、ノーザンブリアにおける死んだ木を使った鍋敷きを真ん中に置く。
ミトンを改めてつけ直したヴァレリーが、湯気と食欲を立てる鍋を置いた。
白いスープのようだが、シチューのような濃さも伺える。
だが鶏肉といったものはなかったはずだが、と中身を予想するリィンにヴァレリーが素っ気なく言った。
「これは……?」
「クラムチャウダー、です」
「簡単に言えば貝を使ったスープだな。ミルクと貝のダシを合わせたスープは、体を温ませる」
「別にそこまでの効果はないと思いますが……ともあれ、お礼も済みましたので私はこれで……」
「待った待った。授業が中止になったのなら、暇なんだろ? どうせなら一緒に食べていこう」
そこに待ったをかけるリィン。自然、ヴァレリーの目は鋭く細まった。
とてもお礼のために訪れた少女が恩人に向けるものではない。
(人の好感度が逆転する瞬間を、はじめてみてしまった。……まいったな)
トヴァルが適当に取り出した酒を気まずそうに飲む。
その合間にもリィンはあの手この手で去ろうとするヴァレリーを引き止め、せっかく作ったクラムチャウダーが冷めてしまうという最終手段を以て説き伏せる。
そうやって拒否するヴァレリーを強引に誘い、三人での昼食を取ることになった。
別皿に取り分けたクラムチャウダー(セリーヌ用にも小皿を用意した)を咀嚼し、リィンは頬を緩ませる。
「うまー」
「確かに、ノーザンブリアに来てこんなほっとするメシが食えるとは思わなかった。お嬢さんには感謝だな」
「どういたしまして」
「これってヴァレリーの好物なのか?」
「…………どうしてそのように?」
「勘」
「リィン…………」
拒否以外の感情を示したヴァレリーに、曖昧な言葉を浴びせるリィンにため息をつくトヴァル。
だがリィンは補足するように付け足した。
「もっと言うと、スープを呑んだ時に少し口元がほんのちょっとだけ緩んでいたからな。好物を食べる時って割と似たような感じにならないか?」
「それだけの理由かよ……自画自賛ってわけじゃないが、単に美味しく出来て良かった、って意味かもしれないだろ?」
「それにしては満たされている、って気持ちが見えたんですよね」
「…………まあ、好きなものに違いはありません」
「ノーザンブリアでこういった海産物が好きになるのは珍しいな。お嬢さんはどう見ても異変後に生まれた世代だろう?」
「単純に、白いものが好きなんです。それにジュライ市国と貿易をしていた頃は、海上に面したあちらの海産物……貝もよく輸入されていたそうで。その名残かもしれません」
「そうなのか? 塩を想起させて、逆に苦手な人が多いと思っていたが」
「だって、全部真っ白に染めてくれたら煩わしい気持ちも消えますから」
そこに篭った少女の声に、トヴァルは口を止める。
ノーザンブリアの貧困層に苦労があるように、裕福層にも比例するような厄介事がある。
体が貧しいか、心が貧しいか。
二者択一のようで、コインの裏表のようにそれは繋がっている。
トヴァルには言っていないが、ヴァレリーの健康状態から彼女の環境についてはある程度察しをつけているのだろう。
多くの万事を解決した遊撃士の身分であるが、貧富の差から来る揉め事は落とし所が難しい。
それがノーザンブリアとなれば、全ての住人が対等に、平等の保証を得る必要がある。
貧困層に関しても北の猟兵という、元公国軍の軍人達が外国で膨大なミラを稼ぐ足掻きを続ける限りは、ギリギリのラインで生存を許されている。
それこそ帝国のような資源豊富な大国に併合されない限り――いつまでもノーザンブリアという土地はこのままなのだろう。
(いっそ国にトドメを差して楽にして欲しい……異変後世代におけるノーザンブリアの住人は、心のどこかでそう思っているのかもしれんな。もちろん、サラ嬢のように必死であがく者もいるが)
(人間って面倒な生き物よね。住みづらいなら、よそへ引っ越しすればいいのに)
オズぼんが茶々を入れずに語る。
セリーヌが猫として、人の機微を考慮しない正論を言う。
それに対してリィンが口を開こうとしたその時、再び入口の扉が開かれた。
入ってきたのはサラだった。その後にB班の三人が続いているのだが……三人ともどこか気落ちしている。エリオットが特に、だ。
「お帰り、お疲れ様……って言いたいところですが、何かあったんですか?」
「それはこっちのセリフでもあるんだけどね。こんにちは、ヴァレリーちゃん。ベッドで寝ているお馬鹿さんに何されたの?」
「なんで俺がヴァレリーに何かしたって前提なんですか」
「だって、したんでしょ?」
「はい。挨拶をしに来ただけだったんですが、お礼として持ち込んだ食材を調理するよう言われ、ついでに一緒に食事を取ろうと頼まれました」
「リィン、レポートの追加ね」
「理不尽!」
「……………レポート?」
「あー……まあここには調査に来たようなものだから、その資料のね」
サラは学院の授業の一環で来た、ということは言わなかった。
裕福層だとしても、旅行気分で来たと思われる感情を抱かせる言葉を出すことはないという判断だ。
「とりあえず、みんな中に入るといい。狭いが……リィン、もう立てるならちょっと動いてくれ」
「了解です」
すでに体の調子はほぼ戻っているので、午後から特別実習に復帰出来るくらいに回復している。
リィンは体を起こしてベッドに腰掛け、その両隣にヴァレリーとトヴァルが座る。
今まで使っていたテーブルには、サラとB班の四人を座らせた。
「クラムチャウダーはまだ残ってるから、それ食べて体をあっためるといい」
「作ってくれたのはヴァレリーだから、しっかり感謝してな」
「やめてください……」
両手を合わせて拝むリィンに、顔をそむけるヴァレリー。
リィンはアニマルセラピーを期待して、食事を済ませたセリーヌをヴァレリーの膝の上に置く。
セリーヌとヴァレリーは共に面倒くさそうであったが、大人しく受け入れ毛皮を撫でたり撫でられたりした。
食事自体はつつがなく進むものの、内容はともかく先程まで雑談で盛り上がっていた部屋の空気は冷たくなっている。
「何か、あったんですか?」
代表して、リィンが声をかける。
途端、エリオットが反応して体を震わせた。
気まずそうにするマキアスに、どうしたものかと何も言えないフィー。
サラはクラムチャウダーをすすり、一息ついて事の次第を報告した。
それは、リィンとルトガーの戦いの現場の再調査を終えた頃だった。
昼食まで時間もあり、せっかくなら午後は木材の調達に全力を使おうと先んじて教会の手伝いに訪れたB班は、それぞれ街の雑務等の奉仕を行うこととなった。
書類整理を手伝うマキアス、保存食や食べられる草などの選別を行うフィーに教区長と打ち合わせをするサラをよそに、エリオットが担当したのは子供達の面倒だった。
先月の特別実習の悩みを子供達に救われたことで、エリオット自ら志願して彼らの面倒を見ようと思ったのだ。
昼食が出来るまでの間、という限定の下に十歳以下でまとまった子供達に対して、エリオットは自然と己の音楽を披露したのだが……
――それ、なあに?
――お腹膨れないよ、別のがいい。
――騒音じゃんかそれ、うるさい!
――そんな無駄なことして、楽しい?
他にも色々とあったようだが、エリオットが信じていた、救われた音楽の力がまるで意味のない、むしろ害あるものとして扱われたことがとてもショックだったらしい。
エリオットの様子に気づいたサラが乱入し、備えていた飴玉を与えたことで子供達はすっかり大人しくなったのだが……心が折れそうなエリオットに配慮し、手伝いを一区切りさせたところで戻ってきたようだ。
「勘違い、していた」
サラが全てを語り終えた後に満ちる沈黙を、エリオット自ら砕く。
だがそれは決して前向きなものではなかった。
「音楽の力は偉大で、心を晴れやかなものにさせるって信じていたけど……生きることに必死な場所じゃ、音楽なんて必要ない。まったく無駄なものだったんだ……」
「無駄だなんて、そんな」
「音楽じゃお腹は膨れない。真理だったよ、この上なく。傷を癒やすことが出来ても、空腹を紛らわせることは出来なかったんだ」
すっかり落ち込んでしまったエリオットは、マキアスやフィーの励ましにも曖昧に答えるだけでずっとこの調子らしい。
ひたすら自己嫌悪に近い悔しさを背負っている。
マキアスもまた、ノーザンブリアへの施しに対して色々と悩むことはあったが、エリオットは音楽という身近なものすら響かない現状に心が折れかけていた。
誰もが会話を躊躇する中、リィンが口を開く。
「エリオット、どんな曲を弾いたのか実演してくれないか?」
「リィン?」
「ヴァレリーは、忌憚ない感想をもらえると嬉しい。これが済んだら、もう引き止めない。本当の最後の最後に、協力してくれないか?」
リィンは隣に座るヴァレリーに頭を下げる。
先程までの勘といった曖昧なものではない、エリオットを想う気持ちがそこにあった。
そのギャップにセリーヌを撫でていた手を止め、しばらく悩んだ後にこれが本当に最後です、と言ってヴァレリーは了承してくれた。
ありがとう、と真剣な声でヴァレリーに礼を言うリィンに、彼女はそっと目をそらした。
「エリオット、このヴァレリーって子は同じノーザンブリア出身なんだ。ひょっとしたら音楽のジャンルが受け付けないだけって可能性もあるだろうし、一通り演奏してもらえないか?」
「でも、僕は……」
「気持ちが簡単にわかるなんて言えないけど……その子供達が、たまたま音楽が苦手だっただけかもしれないだろ? 一部を見て全部を判断するのは、まだ早い」
「…………そんなはず」
「まあまあ、食後の箸休めってことで。生きる上で必要ない子供達じゃなくて、生きる上での『無駄』を楽しめる俺達に聞かせてくれ」
あえてシニカルにリィンはエリオットを発破する。
慰めはマキアスやフィーがしたはずだ。その上で効果がないのなら、その逆で攻めてみた。
本当に音楽が好きであるのなら、今エリオットが感じている『悔しさ』は上達に欠かせないものだ。
一部に否定されたから辞めるというのであれば、エリオットにとって音楽はその程度のことだったのだろう。
言外にそう言ってやれば、非難の目がリィンに向けられるものの、すぐにエリオットはバイオリンを構えた。
奏でられる旋律におかしいところはない。
リィン自身、テオからリュートを習っていたこともあり簡単な曲なら弾ける程度の嗜みはあるので、曲調についての意見も言えた。
だが所詮素人のため、プロとアマの音楽の違いを詳しく表現することが出来ないでいた。
けれど、リィンにはそれを補う存在がいた。
(ふむ、やや感情が先走って技術が乱れているが……だからこそ、気持ちは明確に伝わってくる。拙いが、エリオット君の荒れ狂う心が見えるようだぞ)
感性に優れたオズぼんがそう表現し、リィンはこう思った。
(やっぱりいつものエリオットじゃないな……あの時、トリスタの教会で聞かせてくれた曲は……こう、もっと楽しそうに弾いていた)
今のエリオットは、苦しそうだ。
荒療治といえ、やはり強引にやらせたのは間違いだったかもしれない、と思いながらリィンは隣に座るヴァレリーへ感想を聞く。
「ヴァレリーにはどう聞こえた?」
「好きだから苦しそう、というのは伝わりました。加えて、『好き』なだけの音楽では無理がある、ってことも」
「君は音楽を……?」
「はい、ノーザンブリアでは『無駄』なことでしたが、私はそれを楽しめたので。だから、もったいない、って思いました」
「もったいない……?」
マキアスのつぶやきに頷くヴァレリー。
「貴方はこんなところに居るのではなく、もっと専門の学校に行って音楽を学ぶべきだと思います」
ヴァレリーの率直な言葉にエリオットが詰まる。
その姿にマキアスが反論しようとするが、その動きをフィーが制した。
「フィー君、何故!?」
「これはただの感想。マキアスが出しゃばるのは、違うよ」
「だが、エリオットは苦しそうで……」
なおも迫るマキアスにフィーは無言で首を振る。
サラやトヴァルも同意見のようでフィーを止めない。
リィンはエリオットを慰めるでも、ヴァレリーを咎めるでもない、第三の選択肢を選んだ。
「ヴァレリーには、今のエリオットの曲にアドバイスも出来るのか?」
「アドバイスというほどではないです。私ならこうする、程度のもので……」
「構わないさ。エリオット、ヴァレリーに編曲をお願いしてみたらどうだ? ノーザンブリア流の曲調になるかもしれないぞ」
「そこまで持ち上げられるものではありませんが」
じっとエリオットを見るヴァレリー。
リィンの提案は彼女にとって否定するものではなく、やぶさかでない、ということ。
エリオットは、しばらく悩んだ後に頷いた。
「では、少しテーブルを貸してもらえませんか? 色々書きたいものがあるので……」
ヴァレリーの鶴の一声で鍋や皿などは取り下げられ、リィンが取り出したノートとペンで簡単な楽譜を描いていく。
そこからエリオットが使用した曲を元にアウトラインを作曲していくヴァレリー。その淀みのない動きに、気づけば全員が、エリオットですらその作業を眺めていた。
「…………出来ました」
「すごい、こんな短時間で……」
待っていられない、とばかりにエリオットは編曲された楽譜を覚えて奏でていく。
すると苦心しかなかった先ほどと違い、未知の感覚に楽しむエリオットの顔が浮き彫りになり、彼の最大の魅力である音楽を楽しむ心が前面に現れていた。
一通りの演奏を終えて、エリオットが息をつく。
瞳を閉じたまま、何かを考え込むようにだらりと両手を下げた。
その時間を邪魔してはいけないと、誰もが無言でエリオットを見守る。
「…………僕って簡単だなあ。さっきまであんなに苦しかったのに、気づいたら弦を引く手が軽いや」
「それだけエリオットが音楽を好きだってことだろ」
「ううん、その子……ヴァレリーちゃんも言ってたけど、好きなだけじゃ無理な道なんだ。それでも……僕じゃ描けない旋律を弾けたら、ますますのめり込んでしまう」
「いいんじゃない? そうやって好きなことにのめり込んで悩むのは、とても健全だもの。だって、どうでもいいことならそんなことにはならないもの」
サラの言葉に頷くトヴァル。
トヴァル自身もそこまで嗜んでいるわけではないが、さっきと今とでは今のほうがより耳に心地良かったと言う。
「子供達には受け入れられなかったのはショックだろう。だが、それは今だけだ。今のエリオットの気分のように、二度目三度目が同じ結果になるわけじゃない」
「まあ、お腹を満たすほうが重要ってのはわかるけどさ。それは音楽を楽しむ以前の問題なんだし、もっと別のアプローチもあるんじゃない?」
「別のアプローチ?」
フィーの言葉に食いつくエリオット。
そこをトヴァルがフォローする。
「そうだな、蒼の歌姫ってわけじゃないが、音楽のプロがコンサートで稼いだ金を支援金にするってこともある。いわゆるチャリティコンサートってやつだな。そうして積んだお金で腹を満たせば、フィーの言う楽しむ下地ってやつも生まれるだろ」
「アプローチの、仕方……」
そこで悩みだしたエリオットに、サラは手を叩いて視線を集める。
「さて、このままエリオットのお悩み教室を続けるのもありだけど……午後の要請ができなくなるからね。一旦、ここまでにしましょう」
「じゃあサラ教官、俺も復帰します」
「アンタはまた……」
「体を動かさなくても、ロア・ヴァリマールで木材を運ぶ手助けは出来ます。それに、そっちのほうが多く木材を確保出来ますよ?」
「出歩くな、って言ってんのよ。とはいえ、そうも言ってられないか……わかった、リィン。あんたも午後から復帰。ただし、絶対に自分では動かないこと。それを破ったら、強制的にトリスタへ送還するわ」
「それは怖い。わかりました、それでいいです」
「ならよし。それじゃトヴァル、ヴァレリーちゃんを送ってちょうだいな」
「了解。上手い昼食の礼も兼ねて、だな」
そう言って皆が午後に向けての準備を進める中、ヴァレリーがリィンへ話しかける。
「リィン……さんは、面倒くさい人じゃなくて、お節介焼きで面倒な人だったんですね」
「面倒な人は外れないんだな」
「だって、面倒くさい人ですから」
口調こそシニカルだが、ヴァレリーの口元は穏やかなものだった。
仕方ないな、と呆れているような物言いだ。
「そういうヴァレリーも、なんだかんだ面倒見が良いんだな。俺のお願いをいくつも聞いてくれたり、最後は感想を求めただけで、編曲をしてくれることはお礼に含めてないぞ」
「……意地悪な人、というのも追加です」
「はい、意地悪さんです。けど、ありがとうな。エリオットを励ましてくれて。俺達だけじゃ、きっとどうにも出来なかったから」
「気にしないでください。私も、興味があっただけなので」
「音楽に?」
「はい。北方系ロックというのはご存知ですか?」
「ロック……」
(フフフ、息子よ。ゼムリア西部の北方に広まるロック音楽の通称だ)
「聞いたことはないが、言葉だけなら知っているな。それも音楽のジャンルなのか」
「ええ。案外、エリオットさん、でしたか。あの人も気に入ると思います」
「伝えておく……って、直接言ったほうがいいな。おーいエリオット、ヴァレリーがそろそろ帰るそうだから、何か言っておいたらどうだ?」
「あ、ごめんね。さっきの楽譜に夢中になっちゃってて……」
「いえ、そこまで気に入ってもらえたのなら、何よりです」
もっと音楽についての会話をしたいエリオットは、午後の要請までの時間ギリギリまでヴァレリーと話を続けた。
そんな彼女が帰る頃には、当初の曇った顔に少し晴れ間が覗くエリオットの表情が見える。
リィン達はそんなエリオットの様子を見て、互いに顔を合わせながら午後の要請へ向かっていった。
エリオットへのスポット回と思わせて、ヴァレリーが凄まじく目立ちます。
分校面子で一番好きなのはマヤのはずですが、これに関してはノーザンブリア出身という設定勝ちですね。
詰めていくと彼女の色々を明かしていく必要があるので、必然的に主役のような目立ちぶり…