「エミル……ごめん、ごめんね、ごめんなさい……! わたし、わたし……!」
出合い頭でクレアに抱きつかれる、思い切り泣かれるという行動にリィンはひたすら困惑していた。
クレアは泣き止むことがなく、ひたすらリィンをエミルと呼び謝罪と懺悔を繰り返している。
どうやらリィンを誰かと誤解しているようで、引き離そうとしても力強く拘束されるように背中に回された両腕がそれを許さない。
押し付けられる柔らかな感触に、一本取られたメイドのことを思い出して強引に振りほどこうとするが、泣きじゃくるクレアの姿に何かすることが出来ず、セリーヌに助けを求めた。
(セ、セリーヌ。どうすればいいんだこれ)
(人間の落ち着かせ方なんて知らないわよ……あーでも、最近見た慰め方で良ければ教えてあげられるわ)
(頼む! マジ泣きしてる年上の女の人とかどう接すればいいかわからん!)
(ならね――)
念話からのアドバイスで、リィンは何も言わずにクレアと同じように背中に両腕を回して落ち着かせるように頭を撫でる。
髪型こそ変わっていないが、軍服姿でなく、ニットセーターの上に薄着のベストを羽織ったスカートという私服姿は、元から整った容姿のクレアに別の魅力を与えている。
年下の子供でなく、そんな大人の女性の頭を撫でるという行為は気恥ずかしいものがあったが、その甲斐はなくますます声を荒げる。
(だめじゃないか!)
(おかしいわね、ヴィータはこれでエマを慰めてたんだけど。でもしばらくエマも泣き続けてたし、耐える他ないと思うわ)
(うぐぐぐ……せ、せめて移動だけでも!)
こんなところを警備員か市民に見られたらまずい、と感じたリィンはクレアを抱えたまま人気のいない場所へ移動する。
引き離されると思ったのかクレアは激しく抵抗したが、単純な力で勝るリィンは引っこ抜くように跳躍してなんとか場を離れた。
どれだけ時間が経過したかわからないが、ようやくクレアの声が落ち着いてくる。
そのタイミングを見計らい、リィンは声をかけた。
「クレアさん。落ち着きましたか?」
「…………えみる?」
「俺はリィン・シュバルツァーです。残念ながらエミルって人じゃありません」
ぼんやりとした顔で、幼子のような声を上げるクレア。リィンは変装のかつらを取って元の黒髪に戻る。
トワから施された変装も全て剥ぎ、やがて士官学院の夏服を着たリィンが姿を現した。
そんなリィンとクレアの目と目が合う。
「…………………………………………」
「…………………………………………」
「…………………………………はふぅ」
「クレアさん!?」
一気に脱力したクレアが手の中で崩れ落ちる。
慌てて彼女の体を支えると、今度はさめざめと泣いてしまった。
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
「あ、いえ、なんというかその」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
(思ったより繊細な人なんだな)
先日の事件で頼れる女性という印象があったが、その裏にある気弱さを必死で隠しているだけかもしれない、とリィンは感じる。
周囲に首を巡らせ、適当なベンチを発見したのでそこにクレアを座らせた。
夜の闇を照らす導力灯の光の下で、クレアの瞳がどんよりと曇っている。
一方的な勘違いをしたあげく、年下の子供の前で泣いてしまったという事実と羞恥がクレアから感情と表情を奪っていた。
「あはは……あはは……」
「ダメねこれ。最近のエマみたいだわ」
どうやらエマは最近疲れているようだ。
セリーヌを引き渡した後にマッサージか差し入れでもするべきか、と考えながらリィンはクレアの回復を待つ。
そして待つこと数十分、ようやく話せるようになったクレアが少しずつ口を開く。
「ごめんなさい、リィン君……」
「構いませんよ。あーほら、とりあえず要件を済ませましょう。俺はそれを聞きに来ただけで、他のことは知りませんから」
クレアの醜態を見なかったことにしようとするリィン。
今こうして話している時も目を合わせず、というより両手で顔を覆ったまま話しているという姿がクレアの精神状態をよく現していると言えた。
「そうですね。私がリィン君を呼んだ理由は、ある確認のためです。ルーファス・アルバレア卿にテロリスト対策の要請をしましたか?」
しかも、そのまま話し始めた。
面くらいながらも、リィンはこれ以上こじれるのもと思い言葉を返す。
「あ、はい。ユーシスを通じて連絡を取って、先週オリヴァルト殿下やセドリック殿下達の合意の元に依頼しましたが」
金の騎神を報酬にテロリスト対策を依頼しました、と言いそうになったが以前クレアに言われたことを思い出し、全ては語らないリィン。
クレアも詳しい内容に追及はしない。
それは暗黙の了解というより、下手に藪をつついて蛇を出す行為を避けていると言えた。
「まさか金の騎神を報酬に、なんて馬鹿な真似するなんて思わなかったわ。まったく、騎神をなんだと思ってるんだか。それで、それがなんだって言うの?」
「……………えーっと、あの時の猫さんでしたか」
「そうよ、それがどうかして?」
「いえ、なんでもありません……」
だがそんなクレアを後ろから押して藪へ突っ込ませる
彼女は人間のことはよくわからないと口にしているが、リィンの影響を少なからず……というよりエマの次に受けている。
よってリィンが黙った報酬の内容を聞いてしまい、クレアは己が感じた疑念に対する答えを否応なく理解した。
背中を丸ませながら、クレアは続ける。
「……《貴族派》がテロリストに加担している、という事実を遅れながらに掴んでおりまして。鉄鋼・大型機械全般を担当するラインフォルトの第一開発部への強制捜査も視野に入っております」
「ラインフォルトに?」
「はい。あの会社はまるで現在の帝国の縮図のように、複数ある開発部がそれぞれ支持する派閥がありまして。
詳しいことは省きますが、カイエン公との繋がりが濃厚というところまで調査しています。……そこにルーファス卿からの手紙をいただきました」
「手紙?」
「ええ。――帝都に潜伏している、件のテロリストと思われる者達の情報です」
「えらく早いわねえ、あの優男」
セリーヌは呑気そうに声をあげるが、リィンは仕事が早いとルーファスへの尊敬の念を覚える。
要請して一週間程度なのに、もう成果を上げるとは。
(親父が推薦するだけあったんだな……)
(フフフ、彼の真価はこの程度ではなかろう。ともかく、今はクレア嬢の真意を質すといい)
「なるほど、クレアさんはその手紙の真偽を問いただすために俺を呼んだと。ですが、どうしてルーファスさんでなく俺に確認を?」
「本人の手紙に書いてありました。名前こそ伏せていましたが、それがリィン君であるとわかるように」
リィンは頭の上に乗せていたセリーヌを下ろし、自分の膝上に乗せながら前足を操るように握る。
ふりふりと無造作に上下運動させながら簡易人形劇ならぬ猫形劇を行いながら、ルーファスがあえてクレアに手紙を送った理由を思案する。
セリーヌは諦めているのか、されるがままだった。
「おそらく、私は記載されていたのが両殿下の名前であったなら信じなかった可能性が高いでしょう。
ですが、機甲兵の存在をもたらした他ならぬⅦ組……いいえ、リィン君だったからこそ、こうして確認してみようと思いましたが、真実なんですね」
「敵対しているとは言いませんが、内戦を企てる《貴族派》の中心人物に近い相手からオリヴァルト殿下達に頼まれた、なんて胡散臭いものですからね」
実際アルバレア家がカイエン公とどこまで繋がっているかリィンには計りかねるが、無関係というわけではないはずだ。
ハイアームズ侯であれば、あの人柄も考えてなんだかんだ理由を作って事実上の中立としての立ち位置を確保するだろう。
「スパイって可能性は考えなかったんですか?」
「一週間でテロリストの詳細を入手出来る人物が、今まで事の流れを静観していたということになりますよ?
情報を売るのなら、もっと早い段階で動いているでしょう」
「それもそうですね。あ、その件のデータに、スカーレットって人の情報はありますか?」
「私に送られた一覧にその名前はありませんね。帝都に住む市民であったり、労働者に紛れ込んでいたり、警備員といった人物達です」
「そうですか、それとスカーレットっていうのは――」
リィンは改めてスカーレットが友人にとっての姉のような人物のため、叶うならば説得を行いたいという旨を伝える。
《V》という通称こそ伝わっていなかったようだが、クレアはオリヴァルトから従来よりも遥かに巨大な機甲兵を所有していた情報も渡されていた。
「難しいかもしれませんが、もし確保出来た場合はお伝えします」
「よろしくお願いします。あ、俺にも手伝えることはありますか?
要請を回してくれたら、一緒にいる先輩達と手伝えますので。きっと他の班のみんなも同じです」
「こういうのは大人の仕事、と言いたいのですが、リィン君は放っておいたら勝手に首を突っ込みそうですからね。
わかりました、何か手伝ってもらえることがあればサラさんのほうへ連絡させていただきます」
「教官のこと、ご存知なんですか?」
「……ええ、ちょっと前に色々と」
口を濁すクレア。
オズぼんは帝国におけるギルド問題に関してのことだろう、と教えてくれた。
(トヴァルさんが言ってたやつか。遊撃士と帝国の問題は根深そうだから、聞かないほうがいいか)
そう考えるリィンの横でクレアが立ち上がる。
「もう行くんですか?」
「はい。元から確認のためでしたからね。ARCUS越しにしなかったのは、人払いを兼ねてもいたのですが、今となっては詮無いことです。
どちらにせよ、情報ありがとうございました。特別実習、頑張ってくださいね」
「はい、クレアさんもお仕事頑張ってください」
ぺこりと頭を下げて去っていくクレア。
その後ろ姿を眺めていたセリーヌがぽつりと漏らす。
「あのクレアって子、結局ずっと顔隠したままだったわね」
ずっと顔を覆って真面目な会話をしていたクレアは、傍から見れば素っ頓狂と評する他ないとセリーヌは思った。
「なあ、やっぱりエミルって人について聞くべきだったと思うか?」
「知らないわよ、そんなの。本人が話さないなら、今はそれでいいんじゃない?」
「毛並みに反して冷たいなあ」
「私はエマと違って、そこまで面倒見はよくないの」
ペットは飼い主に似るのに、とリィンとオズぼんとヴァリマールは心を揃えたが、口にすることはなかった。
顔にひっかき傷を作るのは、結構痛いのだ。
*
翌日、C班はハーシェル雑貨店の郵便受けに届けられた要請を確認していた。
クレアの件や、疲れているというエマにユン老師も絶賛のマッサージを行って(他の三人にもした。好評だった)帰宅が遅くなったリィンはトワへの言い訳を考えていたが、その必要はなくなった。
というのも、どうやらクロウの機嫌が悪いようで彼が醸し出す空気が険悪でそれどころではないからだ。
「クロウ先輩、何があったんですか?」
「別になんでもねぇさ」
「嘘をつくのはよくないな、クロウ。まるで一年前の君を見ているようだ」
不幸中の幸いなのは、今はトワの自室に全員揃っていることか。
ハーシェル夫妻は空気を読んでくれるかもしれないが、カイが今のクロウを見ればちょっかいをかけて怒りを表面化させて怯えさせかねない。
(会長、一体どうしたんです?)
(わからない。昨日、夜中に電話がかかってきたって少し席を外した後はこうなってたの)
一見すればクロウはいつも通りだ。
リィンから見ても低血圧なのか、と流したが親友のトワ達からみればかなり機嫌がよろしくないとのことだ。
まるで焦燥感に包まれているとのことだが、詳細がわからない以上は事の成り行きを眺めるしかない。
「そんな時は体を動かそう。ほら、今日の要請だよ」
ジョルジュは空気を和ませるように封筒から要請の紙を取り出す。
それを見たクロウも自分の機嫌を隠しきれないと理解したのか、空気の悪さを払拭するようにおどけていく。
「アンちゃん、クロウ君は……」
「今は落ち着いているな。だが、何らかのきっかけでまた
まったく、出席日数の埋め合わせる補習だというのに、問題を起こして留年でもするのかと気が気じゃないよ」
「うん、みんな一緒に卒業したいもんね! それでジョルジュ君、要請の内容は?」
「午前中の必須要請は一つだね。帝都地下道の落し物の捜索……おや、写真が同封されてる」
「珍しいですね。普通、こういうのは依頼人に直接尋ねて色々聞くものなんですが……受け渡し先も、鉄道憲兵隊になってるし」
過去の特別実習で似たような要請をこなしたリィンは、珍しいケースだなと思いながらジョルジュから渡された同封された写真を見やる。
それは、一冊の書物だった。
「リィン君、なんて本なの?」
トワから何の気なしに尋ねられた質問に、リィンは同じく何の気なしに答えた。
「著者名はちょっと見えませんが、ディストピアへの
「ふうん。聞いたことないものだね。タイトル的に政治学のものかな?」
「…………………………」
「…………………………」
「クロウ、また顔をしかめてどうし……トワ?」
「あ。うん……なんか、その本どこかで聞いた覚えがあったような……」
「読んだことがあるんですか?」
「本を見たわけじゃなくて、確かお父さんの知り合いだっていうカートン教授から話を聞いたことがあったような……」
うーん、とトワは悩ましげに目を伏せて考え込む。
「クロウ先輩も覚えが?」
「ああいや、この帝国でディストピア、なんてなかなか言うなって思っただけさ」
そうつぶやくクロウの顔が、リィンには努めて感情を殺しているように見えた。
クレアさんの私服は、Ⅱのやつから上着を脱いでセーターとかが半袖かつ薄手になったような感じです。
立場的に誰かに見られたらピンチなのはクレアさんという…