八月に入り、オズボーンに息子と認知してもらうための行動を一旦止めたリィンは、本格的にマクバーンの記憶を取り戻すための行動を開始することにした。
言ってしまえば緊急度の違いである。
オズボーンのことは、極論すれば一言引きずり出せばいいことに対し、マクバーンは今も記憶がない不安と戦っている。
テロリストに関しても、トールズ士官学院に潜むスパイはミリアムが探しているし、正規軍や遊撃士も動いている。
(それに、マクバーンさんは結社の一員。友達になれば、《帝国解放戦線》について詳しいことも教えてもらえるかもしれない)
まさに一石二鳥。
リィンからすれば、行き着く先が同じなら、どちらを優先すべきかと問われれば、友達候補を助けることに力を割いてしまうのもやむなしと言えよう。
彼は《外の理》、つまり異世界からの迷い子であり、もう五十年近く己の記憶を求めて彷徨っているとローゼリアは言っていた。
友達候補がそんな状態になっていると聞いてしまえば、リィンがやることは一つしかない。
今まではなんとしても自分だけでマクバーンに勝つことを目標にしていたが、それはサブクエストとする。
メインクエストは、マクバーンの記憶を取り戻すこと――つまり、ローゼリアとバルクホルンのタッグを前にしてもなお押された彼の強さを、どうにかして引き出すことだ。
ローゼリア曰く、彼が戦いを求める理由は真の姿を引き出すためであるが、その姿を取ってしまうと世界を破壊するほどの力――それこそ、ノーザンブリアを破壊した塩の杭と同等のものを使ってしまう。
もちろん良識ある彼なら手加減してくれるだろうが、塩の杭という力は余波だけでも強大なものだ。
そのための根回しをするべく、リィンはミュゼやローゼリア、トマスといった相手を尋ねていた。
そして全員が集まることが出来る時間帯に合わせ、Ⅶ組が使う第三学生寮の一室に三人は集められる。
本来、ミュゼはこの場に居ることはなかったのだが、どうしても同席したいということでヘイムダルに迎えに行って連れ出した。
一応女学院には置き手紙をして夜には戻ると言っているが、殿方と二人で列車に乗るのは新鮮な体験だったらしい。
ミュゼなら立場上男に困ることもないだろうが、先日Ⅶ組と上級生で尋ねた時といい、やはり聖アストライア女学院がうたう貞淑の項目は、異性との外出をしたことがない少女が多いのだろう。
エリゼのことを思えば、リィンも満足である。
「それじゃあシャロンさん。申し訳ありませんが……」
「はい、皆様には内緒にしておけば良いのですね?」
リィンは寮の管理人であるシャロンに頷く。
ローゼリアはシュミット教室の関係者、トマスは学院の教官なので寮に誘っても問題ないが、聖アストライア女学院の生徒であるミュゼが居たら騒ぎは免れない。
一応制服から着替えてもらったが、リィンは事前にミュゼがここへ来ることを告げてシャロンと共謀し、内緒にしてもらっているというわけだ。
トマスがいるのだから、《匣》による隔離空間を作ってもらったほうが楽と言えば楽なのだが、流石にただの話し合いにそこまでのことはしませんよ、と断られてしまった。
「しかし、リィン様も隅に置けませんわね。妹様の繋がり、といったところでしょうか? 加えて日曜学校にまで通っていそうな子まで。
愛深き、そして愛多き方なのですね」
「いえ、ミュゼとは特別実習を通じて出会ったんですよ。ロ……ゼちゃんはシュミット博士の方面ですし」
危うくさん付けしそうになったが、対外的には十歳前後なので子供への口調へ切り替える。
口に出してから、普通にローゼリアさんと言っても良かったかもしれないと思い直した。
「ですが繋がりがいまいち見えない方々ですわね。一体何を話されるのやら」
「ああ、劫炎のマクバーンって人への対策です。ちょっとあの人と本気で戦うことにしたので」
特に隠す理由もないリィンはそう告げる。
あくまでミュゼのことを問題にしているだけで、もし彼女がここに居て騒がれない立場であれば、おそらくロビーで話し合いをしていたことだろう。
「……………………へ?」
「じゃあシャロンさん、終わったら連絡するのでまた」
シャロンお手製のお菓子や紅茶を乗せたトレイを受け取ったリィンは、そのまま部屋へ入って鍵をかける。
その背後では、アリサが居れば初めて見たと言ったであろう呆けた表情のシャロンだけが残されていた。
「さて、皆さんおまたせしました。こちらはうちの管理人さんの差し入れです」
「まあ、話には伺っておりましたが、優秀なメイドさんなのですね。ルグィン伯のメイドとしては気になるところです」
「ほう、ほう、ほむ。なかなか美味ではないか。やるものじゃ」
「私まで一緒にいただいちゃってすみませんね」
全員に行き渡ったことを確認し、リィンは改めて頭を下げた。
「では、改めてこの場に集まっていただきありがとうございます」
「その前に一ついいかの?」
「なんでしょう?」
「トマスはわかる。お主もわかる。じゃがこの娘は一体どうしてここにいる?」
「それは……」
リィンが説明しようとするが、ミュゼは人差し指を唇に立てる。
自分で言うのだろう、と察したリィンの予想通り、ミュゼはスカートをつまんで一礼した。
「皆様初めまして、私はミルディーヌ・ユーゼリス・ド・カイエンと申します」
「カイエン……」
「はい、お察しの通り現カイエン公、クロワール・ド・カイエンの姪です」
「先ほどルグィン伯のメイドと仰ってましたが……」
「偽りの身分というものですね。リィンさんと接触するさいは、ミュゼ・イーグレットとしての名を使わせていただきましたので」
「貴族というものは面倒じゃのう」
同意です、とリィンは思う。
(フフフ、息子よ。仮にテロリストを支援する貴族がカイエン公と明かされた後に、ミュゼ嬢がカイエンを名乗って近づいていたら、お前も警戒したのではないか?)
(うーん、言われてみると)
(使い分けというのは、社交界に限らず色々と大事ということだ。お前がリィン・シュバルツァーとリィン・オズボーンの名を持つようにな)
「……………」
「シュバルツァー。なぜこの娘を呼んだのじゃ? これからの話し合い、帝国の貴族といえ……いや、貴族だからこそ秘密にする必要があるのではないか?」
「ブリオニア島の管轄が、ラマール州のカイエン公だからですよ」
「妾の力を使えば、呼びたい相手以外を近づけさせることはないぞ?」
「保険も含めて、ですよ。ひょっとしたら、地図からブリオニア島が消える可能性だってあるんですし」
「彼との決戦場に孤島を選ぶのは確かに保険ではありますが……」
リィンはマクバーンとの戦いの場を、彼と初めて出会ったブリオニア島へと定めていた。
トマスが語ったように、万一の被害を考えて遠く離れた場所であることが適しており、世界を壊す力が漏れた時のためだ。
後は単純明快な理屈。
「他人の土地で戦うわけですから、許可は出してもらわないと」
「お主がそんな常識を語るとなんか言いたくなる気分になるぞ」
おかしなことではないんですけどね、と苦笑するトマス。
ミュゼも困ったような目尻を下げているが、今はそんなことが問題ではない。
「理屈はわかった。だとしても、それは後で別に話せば良い。こやつが居る理由の説明にはならん」
「まあ、私は何かしてしまいましたか?」
「ああいや、そういうわけではない。ないのじゃが……」
「ローゼリアさんはミュゼを心配しているんだよ。これから話すことは、言ってしまえば知らなくていいことだからな。
改めて聞くけど、本当に良いのか? これは俺のワガママだし、ミュゼが抱え込む理由にはならないけど」
「まあ、ひどいお方。あんな言い方されては、気にするなというほうが無理です」
「あんな言い方?」
ええ、とミュゼはリィンが連絡してきた時のことを語る。
「対価を前言撤回して、追加報酬を求めたい。……お友達を助けるために、内戦を止めると言い切ったリィンさんが前言撤回するなんて、よほどのことかと思いまして」
「確かに、ロジーヌ君のことは頭が上がらないことですが、リィン君が貴女を心配する理由は別にあります。
この話題に入れば、貴女はただの貴族でも、生徒でもなくなるのですよ?」
塩の杭の残留物のことは、ロジーヌ救出の協力を求めた時に明かしている。
見方を変えればそれは巻き込まれてしまっただけであり、残留物も力を失っている。
彼女の身分も考えればトマスとしては情状酌量の余地はある。
しかし、本格的な外の理、つまり異世界についての言及を自ら知るというのであれば事情は変わる。
仮に再び外の理関連の災厄があれば、彼女の能力を考えれば強引にでも協力を要請させられる可能性が高い。
ミュゼは頭脳明晰、なんて言葉では片付けられない、千里眼と称して良いような知恵による未来予測を可能とする。
だが、それを扱うには彼女はあまりにも普通の女の子だ。
オルディスで出会い、機甲兵の情報を漏らした結果リィンが大怪我を負ったことに対しても深く悲しみ、悩んでいたのがその証拠だろう。
だからリィンも自らアドバイスを求めたのは一度きりで、あとはエリゼの後輩として接していた。
カイエン公の姪ということで、現状でも飛び火しそうな立場以上の鉄火場に自ら入る必要などない。
トマスの心配は、当然リィンもミュゼにブリオニア島のことを告げた時にも言っている。
「ご心配ありがとうございます。ですが、私の指した『手』からすり抜けた相手であるのなら、それを知らなければならないのです」
だが、その上で彼女は選んだ。
結社という存在なのか、それとも外の理についてなのか。
彼女が予測しきれない存在を知ろうとした。
目的を、意志を持って決断したのなら、リィンに止める理由はない。
それがこの場にミュゼを呼んだ理由である。
「問題があるとすれば、ローゼリアさんやトマス教官がミュゼに事情を話しても良いか、ってことなんですが……」
リィンは気軽に話しているが、魔女の長に星杯騎士団の副団長という偉い立場の相手なのだ。
特に星杯騎士には良い印象を持っていないリィンだが、ロジーヌとトマス、バルクホルンの三人だけは別である。
故に彼の立場を考え、気遣うのは当然の配慮と言えた。
その気遣いをエマにも見せて欲しいんじゃが、という言葉に対しては、
「友達なので遠慮なく頼りますよ。エマも俺にもっと頼って欲しいんですけどねえ」
「あやつはどこか遠慮するところがあるからの。ま、事情に関しては妾は問題ない」
「私はあまり賛成出来ることではありませんが……事が事ですし、貴女の意志はわかりました。私は異論ありません」
「ありがとうございます、皆様」
「じゃあ改めて。ブリオニア島を問題なく使えることを前提として話しますが――」
そう言ってリィンは、己が考えた作戦を三人に話す。
絶句、渋面、思案と表情こそ違えど、三者に共通するのは驚愕の一言だ。
「ブリオニア島そのものを改造、ですか……」
「ああ。以前の帝都の特異点みたいに、トマス教官にはブリオニア島そのものを《匣》に包んでもらって、その上でシュミット博士が考案した精霊窟の指向性の操作……それを焔の封印に特化してもらいます。
確か、ブリオニア島にも精霊窟があるんですよね?」
「うむ、陽霊窟と呼ばれる場所じゃな。確かにそこに集まる霊脈のエネルギーを、あの黒焔の封印に使うことが出来ればかなりの助けになろう」
「だとしても、僕と大先輩の聖痕を合わせた《匣》を軽々と燃やされましたからね……塩の杭と同等、と思えば不思議ではありませんが」
「ちょっといいですか?」
「はい、ミュゼ君」
手を上げたミュゼに、教官のように指示するリィン。
その細かな動きにくすりと笑いつつ、ミュゼはトマスに質問を投げる。
「《匣》の操作は、独自の時空間を作ること……その空間内であれば、転移も可能なのでしょうか?」
「出来なくはないと思いますが、劫炎を前に余分な力を割くことは出来ないでしょうね。
その綻びから、一気に《匣》を破壊される恐れがあります」
「ならローゼリアさん。私に《転移術》を教えていただけませんか?」
「なぬ?」
「ミュゼ?」
「簡単なことです。私がチェスのように指し手として皆さんの補助をさせていただこうと思いまして。
不意打ち・避けられない攻撃に対して転移術で逃がすことが出来れば、手助けを出来ます」
「確かに《匣》の空間内なら転移は可能ですが……ローゼリアさん、彼女に素養はあるのですか?」
「…………うむ、アルノールの血があるせいか高い魔力を感じる。アーツでも強力なものを使いこなすであろうな。確かにヌシなら、一端の魔法を扱うことも出来よう」
「では、ご教授お願いします。あまりリィンさんを待たせずに習得してみせますわ」
「なんか弟子入り決まっとる……」
「転移術だけでいいので、お願い出来ませんか?」
「お主、そう言ってこれだけでも、あれだけでもって教えるものを増やしていくヴィータタイプじゃろ。妾は騙されんぞ!」
ヴィータにそういった目にあったのか、びしっとミュゼに指を突きつけるローゼリア。
ミュゼは笑みを浮かべるだけで、特に何も言わなかった。
「あとはガンドルフさんや博士にヴァリマールの耐火性能上げてもらったり、何より――」
「あ、結局妾がこやつに転移術教えるの決定なんじゃな」
ローゼリアは自然とリィンに流されてしまう己に、威厳が……と唸る。
その後にも様々な案を出し、その都度三人の修正が入ることでマクバーン対策は進んでいく。
やがてミュゼが寮への帰宅時間となり、リィンがヘイムダルへ送り届けることとなった。
ミュゼと連絡先を交換したローゼリアがエリンへ戻る中、リィンはトマスを引き止める。
「そうだトマス教官、約束の品を先に渡しておきますね」
そう言って、リィンはギデオンから取り上げた降魔の笛をトマスに渡した。
魔獣を操る能力を持ったこの品物はアーティファクトであり、その回収が星杯騎士団の主な任務である。
ロジーヌに預けようと思っていたが、オズぼんからの提案で今回の協力に対する報酬として渡すことにしたのだ。
「ありがとうございます。しかし、事が事だけに他にも頼りたい同僚はいるのですが……いえ、君の前で言うのはいけませんね」
露骨に嫌な顔をするリィン。
星杯騎士団がロジーヌにした仕打ちを思えば、とても頼れるものではない。
それでもマクバーンの記憶を取り戻すために本当に必要なら、自分の感情は無視して協力を要請したい、と努めたいとは思っている。
そうしないために、自分の伝手などの範囲で叶えたいところではあるが……
「現状、相手の底が見えないのがなんとも言えませんからね」
「本気でバトルジャンキーってわけでなく、記憶を取り戻したいだけなら真の姿でも力の行使は最低限……そう信じてます。
ブリオニア島でも俺は死ななかったし、特異点でも、本気でローゼリアさんやバルクホルンさんを燃やすつもりはなかったようですしね」
ブリオニア島や帝都での特異点の遭遇。
そのどちらも強大な力を見せながら、マクバーンは終始こちらを気遣う態度を見せていた。
力を行使するのも、切実な理由あってこそ。
改めてリィンは、オズぼんが見えなかったとしても、マクバーンとは友好を結びたいと思っていた。
「確かに、意外なまでの穏健派でしたからね。
結社にいるのがおかしいくらいに……どちらにせよ、抱える力を思えば放置は出来ません。私も全力で協力を尽くさせていただきますよ」
「頼りにしてます」
ぺこりと頭を下げ、トマスも退室していく。
リィンもシャロンに連絡を入れて周辺を確認してもらってからミュゼを伴い、誰にも見つからないように寮を出ていった。
ただ、部屋を出たさいにシャロンがリィンをガン見していたことが気になった。
言いたいことがあったのかもしれないので、帰ったら聞いてみようと思うリィンだった。
夕闇を超え、夜の帳が下りてくる。
ヘイムダルに到着したリィンは、話し合いの後に何も喋らなくなってしまったミュゼを女学院まで送り届け、今日の礼を言ってから帰ろうとする。
「……リィンさん」
その背を、少女の小さなつぶやきが引き止める。
「ごめんなさい……ずっと、それを謝りたかった」
「何のことだ?」
「ブリオニア島の一件です。そのマクバーンという人を相手にして、大火傷を負ったんですよね?」
「ああ、確かにそうだけど気にすることないぞ? 手紙にも書いたけど、おかげで良い出会いがあった」
ブリオニア島での大火傷による瀕死の重症はリィンの中ではなかったことになっているが、ミュゼは沈痛な表情でうつむいてしまう。
彼女の中では、己の手によりリィンが死んでしまうかもしれなかったからだ。
あの時はオーレリアに慰められ、リィンの破天荒な行動に振り回されてそのことから意識を逸らすことが出来た。
けれど、こうして話題に出てしまえば、そう簡単に切り替えられるものではない。
「それに、こうして助けてくれるんだ。今後は遠慮せず頼るんだから、ミュゼも何かあったら言えよ?」
「…………ええ、その時はよろしくおねがいします」
今のミュゼには、そう返すことしか出来ない。
(オーレリアさんの言う通り、この人は問題を問題と思っていない。確固たる意志がそれを為せるのでしょうか。
ああでも、やっぱり――この人の気持ちはまるでわかりません)
リィンの困る顔は見たが、ロジーヌの危機を前にした、真に迫るああいったものでなく、先日の女学院での会食でミュゼとの関係を訝しむエリゼに見せていた、あの困り顔。
もっと日常的な、砕けた部分でのリィンの顔が見てみたいと、ミュゼは漠然と思った。
(そうすれば、きっとこの人もちゃんと
何故かそう思うたびに痛む胸を無視しながら、ミュゼは夜闇に消えていくリィンの背中を見送る。
《帝国解放戦線》に予期せぬ戦力、結社の存在。
自分の打った手は確かに内戦への備えを封じる形となったが、別の問題もまた生んでいる。
少なくとも、先日の帝都での騒動はミュゼの予測――テロリストの一斉拿捕、怪しい人物への監視が行われながらも《帝国解放戦線》はその名を轟かせた。
漠然と、ローゼリアなりの言い方をするならば、リィンの因果が関わったためだとミュゼは考えていた。
それに対処する方法を模索するミュゼは、リィンのことをもっと深く知ろうと今回の件にも関わっている。
(だってそうしなければ――また、私の手の届かないところで、今度は本当にあの人が死んでしまうかもしれない)
それが内戦を憂うためのものなのか、別の感情が生み出すものなのか。
今のミュゼにはそれがわからず、ただ懸命に己の打てる手を打っていた。
他のキャラも出したいのに、気づけばエセふわミントさんが出張ってくる…
元の構想ではこの場にミュゼはいないので、キャラが勝手に動いてますね。
デュバリィちゃんといい、リィンと相性が良いかつ書きやすいキャラなのかもしれません。