「駒川の者として」読んでくださりありがとうございます。
第二十話になります。
それではどうぞ。
「なんでこいつがここにいるんだ!?」
俺はじっと目の前の存在に目を向ける。見間違えるはずがない。俺は今まで
あまりの出来事に止まりかけた思考を叩き起こす。これは現実だ。夢じゃない。祟り神は今も部屋の中をまるで怒りを爆発させたように暴れまわっている。
(急いで有地達を呼びいくか?いや、それだと祟り神が街に逃げだす可能性もある。街に被害を出さないためにもここで食い止めるしか……っ!)
そのとき、部屋に横たわる人影が目に入った。
「姉さんっ!!」
考えるより早く俺は部屋の中に飛び込み、祟り神の体から伸びる触手のようなものを避けながら姉さんのもとまで駆け寄る。ぐったりとして意識はないが呼吸は安定している。
ホッと胸をなでおろすが、現状は変わらない。どうにかして打開策を考えなければならないのだが——。
(この距離だと式神を呼び出すだけでも祟り神に影響を与えかねない。かといって姉さんを抱えながらこの部屋を出るのは不可能だ。なら、俺にできることは……)
どうやら覚悟を決めるしかないようだ。
俺は姉さんの前に庇うように立ちながら、自身の集中力を高めるため深く息を
(朝までこいつを食い止める。それしかない)
祟り神が逃げないよう、何かあった時のために用意していた結界を起動させる。
そう。祟り神が存在できるのは夜の間のみ。であれば朝まで祟り神をこの場に抑えることができればいいだけのこと。
たとえ祟り神を祓う力が使えなくても、こういうときのために俺は修行を続けてきたのだから。
「悪いが、朝まで付き合ってもらうぞっ」
祟り神と向き合い、構える。
こうして俺の長い夜が幕を開けた。
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俺はなんとなく、朝武さんの行う舞の奉納を静かに眺めていた。というのも、みづはさんからの報告が気になって何をするにしてもいまいち集中できないのだ。一刻も早くみづはさんの報告を聞きたいのだが、診療所や往診があるため訪ねるのは午後からということになっている。
朝武さんの舞は相変わらず綺麗だった。その一挙手一投足から彼女の努力が伝わって来る。ゆっくりとした動きは体力を使う。それを彼女は最後まで綺麗に舞うのだ。子供の頃からやってきたことだから当然と彼女は言うが、誰でもできることではないだろう。
「お疲れ様」
舞の奉納を終えて一息吐く朝武さんにタオルを差し出す。
「ありがとうございます」
「本当に綺麗な舞だよね」
「そう言ってもらえると私も嬉しいです。でもどうしたんですか?舞の奉納なんて見ていて面白いものでもないでしょう?」
「いやぁ、みづはさんの報告が気になって落ち着かなくて。神社の境内をウロウロしてたら朝武さんが舞の奉納しているのが見えたからつい見惚れちゃったんだよね」
「み、見惚れて……!その、あ、ありがとうございます」
朝武さんの顔が赤くなる。うん。かわいい。
恥ずかしくなったのか朝武さんは話題を変える。
「有地さんは、もう用事は済ませたんですか?」
「うん。といっても、さっき言った通りいまいち集中できなくて祖父ちゃんに叱られたりしたけどね」
「ふふふ、その気持ちはわかります」
どうやら朝武さんもみづはさんがどんな報告をしてくるのか気になっていたらしい。だが俺とは違って舞の奉納をきちんとこなすのだから、見習いたいものである。
「それでは、そろそろ診療所に——あっ」
「ん?どうかしたの?」
「いえ、そ、その……ん、んんんっ!」
突然朝武さんが艶っぽい声とともに身をよじる。以前にも同じようなことがあった。この反応はまさか……。
「やっ、あっんんっ、あああぁぁっ!」
必死に耐えようとするが、彼女の体が大きく震えるとともに我慢の限界といった声が零れる。そして次の瞬間には……。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
彼女の頭に獣の耳が生えていた。
◆◆◆
獣の耳が生えたということは、今晩また祟り神退治に出かけなければならない。だがそれは夕食の後で大丈夫だ。その前に俺たちは朝からの予定通り駒川診療所に向かうことにした。しかし。
「……だめだ。全然でない」
先ほどからみづはさんに電話をかけているのだが、何回かけても留守番電話に切り替わってしまう。
「常陸さん、幸彦にはつながった?」
「それが、先ほどから何度も電話をかけているのですが……」
どうやら幸彦も電話にでないらしい。
「まだ往診が終わってないのでしょうか?」
「かもしれませんが、幸彦はこの時間バイトを終えてるはずなんですよね。それなのに電話に出ないなんて、また研究に熱中してるのでしょうか?」
常陸さんがなにやら思案顔になる。幸彦ってそういうことに対してはしっかりしてそうだし、連絡がつかないことなんてなかなかないのだろう。まぁ何かに集中している時を除いてだろうけど。
「おや?ヨシノではありませんか!」
診療所に向かう途中で、仲居姿のレナさんと遭遇する。俺たちを見つけると嬉しそうにこちらへ駆け寄ってきてくれた。
「マサオミもマコも、ムラサメちゃんまで一緒とは。どこかにお出かけですか?」
「うん。ちょっとね」
「レナさんはどうしたんですか?」
「女将にお願いされた届け物を終わらせまして、今から志那都荘に帰るところなのでありますよ」
「相変わらずレナは仕事熱心だな。吾輩が褒めてやろう」
「ふふ、ありがとうございます、ムラサメちゃん」
あれから何度か顔を合わせているうちに、レナさんとムラサメちゃんは仲が良くなった。というより、ムラサメちゃんがレナさんに懐いたというべきか。
今も当たり前のようにレナさんがしゃがんで、その頭をムラサメちゃんが撫でている。年の離れた姉妹がじゃれあっているようだ。
「ところでヨシノ……わたしからも質問よろしいでしょうか?」
ムラサメちゃんに撫でられながら、レナさんは朝武さんの頭に目を向ける。
「どうして、ケモミミを頭につけているんですか?」
「…………え?」
「その耳です。どうしてそのような物を付けて出歩いているんでしょうか?おお!もしやこれから仮装パーティーですか?」
「——な、なんでッ!?!?!?」
慌てて頭の耳を隠そうとする朝武さん。俺が初めて見た時も隠そうとしてたけど、その大きな耳は手からはみ出している。あれじゃ隠しているとは言えないよな。
いや、問題はそういうことではない。
「もしかしてレナさん……見えてるの?」
「?? ヨシノが付けているケモミミのことでありますか?もちろん見えておりますよ。ヨシノはケモミミ姿も可愛いでありますね♪」
心から褒めているのだろう。レナさんはニコニコしながら朝武さんのケモミミ姿を観察している。
どうやらレナさんは獣の耳を仮装か何かだと勘違いしているようだ。
「まさか、もう誰でも見えるほど呪いが強力に?」
「そんなっ、それじゃあ私は……ここまで他の人に見える状態で街を歩き回って……?」
「いや、いくらなんでも早すぎる。耳が生えたのは夕方だろう?」
「それにここまで何人かすれ違ったけど、誰も変な視線は向けてこなかった」
周辺の街から“イヌツキ”と呼ばれ
「レナは吾輩を見ることができるだけでなく、触れることもできる。おそらく芳乃の耳が見えるのも何か関係があるのかもしれん。つまり——」
「他の人には見えていない……」
「そう考えていいだろう」
ムラサメちゃんの言葉に安堵の表情を浮かべる朝武さん。
「問題は、レナさんが芳乃様の耳を見てしまったことですね。本人は仮装パーティーと思い込んでいるようですが、他言されるといらぬ誤解を生みかねません。……芳乃様、ここはレナさんも一緒にみづはさんと幸彦のところに連れて行って説明するべきだと思います」
「でも、レナさんを巻き込むのは……」
常陸さんの言う通り、ここは一度幸彦たちにしっかり説明する方がいいのかもしれない。朝武さんもそのことは理解しているけど、それでも巻き込みたくないと思っているのだろう。
「……わかりました。レナさんも一緒に来てもらいましょう」
しばらく考え込む朝武さんだったが、他に答えが出なかったようだ。しぶしぶといった様子でレナさんに目を向ける。
「な、なんでしょうか?そんなに見つめられると照れてしまいますよ」
「レナさん。誠に恐縮ですが、このままワタシたちと一緒に来てください」
「申し訳ありませんが、お付き合いください」
常陸さんに左腕を、朝武さんに右腕を拘束されるレナさん。
「キョウシュク?え?な、なんですか?神隠しでありますか?わたし、仕事に戻らねばならないのでありますが——」
「祖父ちゃんには俺が連絡しておくから」
「すまんな、レナ。悪いようにはせんから安心しろ」
「ちょ、ちょっとお待ちを〜〜〜」
半ば強引ではあるが、レナさんも一緒に診療所に向かうことになった。
◆◆◆
初めはいきなりの出来事で混乱していたレナさんも、幸彦の自宅兼診療所の前に着く頃には落ち着きを取り戻していた。
「ここは?」
「幸彦のお家ですよ。この街の診療所も兼ねているんです」
「オオ!ユキヒコの家はお医者様だったのですか……それで、なぜユキヒコのお家に?」
困惑した表情を浮かべるレナさん。いきなり連れてこられたのだから不審に思って当然だろう。
そんなレナさんを安心させるために早速常陸さんが説明にはいる。
「幸彦のお姉さんであるみづはさんに相談があるのですが、レナさんにも一緒にいて欲しいんです」
「……それは、以前ムラサメちゃんが言っていた秘密と何か関係があるのですか?」
「うむ、関係がある話だ。仕事中だったのに申し訳ないが、大事な話になる。玄十郎にはご主人が連絡を入れて許可をもらっている」
「ムラサメちゃんのご主人ですか?」
「ええっと、その話も色々ややこしいからあとで詳しく話すよ。だから、お願いします」
それぞれがレナさんに頭をさげる。レナさんは俺たちの必死さに少し驚いた様子だったが、小さく息を吐くと困ったように笑った。
「わかりました。みなさん面白半分ではなさそうですので」
「ありがとうございます」
レナさんの優しさに感謝しつつ、改めて駒川診療所へ顔を向ける。未だにみづはさんや幸彦に連絡が繋がらないことに多少の疑問はあるが、ここまで来てしまったのでお邪魔することにした。
家の扉に手をかけると、鍵がかかっていなかった。
「あれ?開いてる」
どうやら出かけているわけではなさそうだ。しかし、それはそれで違和感がある。辺りは日も落ちて暗くなっているのに明かりがついていないのだ。それどころか人の気配も感じられない。
扉を開けて呼びかけようと診療所に一歩足を踏み入れる。瞬間、開いた扉からまるで冷気が漏れ出たように背筋が凍りつく。
「な、なんなんですか、これ」
「芳乃様、どうかしたんですか?」
「扉を開けた瞬間、耳が……頭の耳が、ピリピリして……」
「……んっ……」
「レナさんまで。大丈夫ですか?」
「はい。ただ……いきなり頭痛が……」
俺だけでなく、朝武さんやレナさんも何かを感じ取っていた。
「これは……幸彦の結界か?おそらくご主人が扉を開けた瞬間、この家に張られていた結界が壊れたのだ」
「結界って、どうしてそんなものがここに張られてたんだ?」
「わからぬが、幸彦が意味もなく結界を張るはずがない。それにこの嫌な気配……」
「まさか……。——ッ!」
ムラサメちゃんの言葉を聞いた常陸さんが弾けるように飛び出し、土足のまま診療所の奥に向かう。
「あ、常陸さん!一人じゃ危ないって!」
「こらっ!二人とも不用意に中に入るでないっ!!」
後ろから聞こえるムラサメちゃんの緊迫した声。嫌な予感がする。
「幸彦ッ!!」
その予感が正しいものだと、一足先に入った常陸さんの様子で確信する。
常陸さんの目線の先には——。
「ぐッ……あぁッ……!」
黒い塊から伸びた触手に首を持ち上げられた幸彦の姿があった。幸彦はそのまま壁に思いっきり投げられる。
「がはッ!」
「幸彦!」
思わず幸彦のもとへ駆けつけようとした時、彼の叫ぶような声が聞こえてきた。
「上だ!」
「——っ!?」
気がつけば頭のすぐ真上に触手が迫っていた。恐怖で硬直する体。もうダメかと目を閉じるが、俺に触手が当たる前に幸彦の声に反応した常陸さんがクナイで攻撃を受け流す。
「ワタシが引きつけますから、有地さんは幸彦をっ!」
「わかった!」
急いで幸彦のもとへ駆け寄る。近くで見るとよくわかるが、身体中怪我だらけだった。
「幸彦、大丈夫か!?」
「ああ。俺より姉さんを頼んでいいか?」
「それはいいけど……幸彦は?」
「姉さんを運ぶ時間を稼ぐ。なるべく早く頼むぞ」
「ちょ、その怪我で無理するなって」
俺が言い終わるより早く、幸彦は祟り神のもとへ走り出した。
「あーもう!人の話は最後まで聞けよ!」
仕方なく、文句を言いながらも今度はみづはさんのもとへ駆け寄る。彼女の体の周りには緑色のバリアのようなものが張られていた。恐らく幸彦の術の何かだろう。これでみづはさんを庇いながら祟り神と対峙していたらしい。ほんと無茶をしやがる。
急いでみづはさんを担ぎ上げる。気を失った人間はこれほどまでに重く感じるのか。
そのまま部屋を見回すと、幸彦と常陸さんがうまく祟り神を部屋の端に追いやっていた。俺は全速力で部屋を離脱した。
ちょうどそこに朝武さんたちが遅れてやってくる。
「なっ、なんでありますか、アレは……生き物?」
「あれは、祟り神!?」
「バカな!?山から下りてきたというのか!?」
ムラサメちゃんがここまで驚いているということは、それだけありえないことなのだろう。それに、いつもの祟り神よりもひと回り大きく見える。
この場に全員揃ったところで、幸彦と常陸さんが祟り神から一旦距離をとる。
「幸彦、これは一体?」
「わからない、俺が帰ってきたときにはすでに祟り神が発生していた。それと……すまない、まさか結界でも祟り神が反応するとは思わなかった」
幸彦が顔をしかめる。
前にみづはさんから聞いた話を思い出した。何故かはわからないが、幸彦が霊力を使うと祟り神の力が増してしまうという話。そのせいで幸彦は祟り神を祓うことを諦めたということだった。
祟り神がひと回り大きくなっているのもそれが理由なのだろう。
俺たちが来るまで、力の増したあの祟り神と一対一でやり合っていたなんて。改めて幸彦の身体能力の高さを実感する。
「ここは一旦退くのだ!叢雨丸か神具を取りに戻るしかない」
「でも祟り神をこのままにしておくわけには」
「俺が祟り神を引きつけます。芳乃様と有地はレナさんを連れて一旦戻ってください。茉子は芳乃様たちの護衛を」
いつ襲ってきても対応できるように祟り神を見据えながら幸彦が言う。すごい集中力だ。だけど幸彦一人をここに残すなんて……。
「ワタシも残ります」
「茉子!」
「万が一幸彦が倒れたらどうするんですか!引き付ける役が多いほうが、街への被害のリスクを軽減できます」
「……わかった。無茶はするなよ」
「どの口が言ってるんですか」
幸彦と常陸さんが再び祟り神へと向かっていく。退くなら今しかない。
「行こう朝武さん。早く神具を取りに行ってまたここに戻って来るんだ」
「……そうですね。行きましょう!」
急いで玄関まで戻ろうとしたとき、祟り神がありえない速さで幸彦たちを躱し、出口へ向かう廊下方面の壁を打ち砕いた。
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「しまった!」
祟り神が先ほどとは比べものにならないぐらいの速さで芳乃様たちのもとへ突っ込んでいく。まるで引き寄せられているようにも見えた。もしかしたら俺たちの会話を理解しているのかもしれない。
芳乃様たちに怪我はなかったものの、玄関までの道をふさがれてしまった。
「茉子!」
「わかってます!」
すぐさまカバーに回り芳乃様たちを下がらせる。俺はそのまま祟り神に体当たりし、力の限り押し戻す。
「おおおおらっ!!」
火事場の馬鹿力を無理やり引き起こす、魚海のおやじさん直伝の脳筋技だ。これで明日は筋肉痛間違い無しである。
しかしおかげでまた距離をあけることができた。今のうちに次の一手を考えねばならない。俺たちはその案が出るまでまた時間稼ぎだ。
すぐさま祟り神は触手を伸ばして攻撃してくる。狭い部屋の中だと弾き飛ばすのも受け流すのも一苦労だ。俺は次第に茉子と分断されてしまう。
「ッ!視界が——ッ!?」
「茉子!危ない!」
祟り神が暴れまわることによって巻き上げられた塵によって視界が急激に悪くなる。その隙をついて祟り神が茉子に向けて触手を伸ばす。
茉子は間一髪直撃を防いだものの、そのまま勢い良く壁まで弾き飛ばされる。
「——あぐッ!?」
「茉子!!」
受身も取れずに崩れ落ちる茉子に祟り神はとどめを刺そうと勢い良く触手を横に振り抜く。
(また、俺は救えないのか?手の届く距離にいるのに、俺は、また……!)
手を伸ばすが届かない。全てがスローモーションのように見えた。心の底から黒い感情がドロドロと湧き上がる。
(ちくしょう!……ちくしょう!!俺の大切な人を傷つけさせるものか!)
心が黒で染め上げられる。
全てが黒い感情に飲み込まれそうになったその時、ふと声が聞こえてきた。
『なにをぼさっとしている。貴様の大切な娘なのだろう?ならば恐れるな。力を使え。貴様の力で守ってみせろ。飲み込まれずに受け入れろ。まずはそこからだ』
声が聞こえなくなると同時に、体を冷たい何かが巡る。冷たすぎて逆に熱く感じる。ドライアイスを身体中に流し込んでいるかのようだ。全身が謎の感覚で満たされるとぼんやりとしていた意識が戻ってくる。
(茉子に怪我をさせるぐらいなら、俺が茉子の壁になる!)
駆け出した足は驚くほど軽く、間に合わないと思った距離を一瞬で移動する。そのまま茉子の前に出て祟り神の触手を受け止める。瞬間メキッっと嫌な音が聞こえたが関係無い。俺の体なんてどうなったっていい。
「俺の大切な人を傷つけるな」
俺はそのまま思いっきり祟り神を投げ飛ばす。
「ゆ、幸彦……?」
茉子の消え入りそうなか細い声が聞こえる。先ほどの攻撃でしばらく動けそうにないが、ちゃんと生きている。ならそれでいい。
まずは祟り神だ。こいつは姉さんを傷つけた。こいつは茉子を傷つけた。茉子を傷つけようとするやつは殺す。こいつを殺す。俺の大切な人を傷つけたこいつを。殺す。殺す。殺す。殺す。
「にゃー!」
「わぷっ!」
突然猫丸が顔に飛びつき俺の顔を思いっきり引っ掻いた。
「痛って。猫丸!いきなり出てきて引っ掻くな!」
「にゃー」
なんとなく「目は覚めたか」と言われている気がした。
そこではたと気づく。猫丸に引っかかれる前、俺はなにを考えていた?祟り神への憎しみ、殺意で頭がいっぱいになってしまっていた。この感覚は12年前のあの時と似ている。思わず背筋が凍りつく。
あのままだと、祟り神以外の人間にまで殺意を向けていたかもしれない。
「ありがとう猫丸、助かった」
「にゃ!」
先ほどの感覚はもう無い。あれは恐らく、無意識のうちに大量の霊力を体に巡らせたのだろう。おかげで茉子は助かったが、祟り神にも変化が起きていた。
穢れを溜め込んだその姿はいつもの黒い塊ではなく、一匹の狼のようだった。
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「あれは本当に祟り神なのか!?」
まるで溶けかけているような黒い塊だった祟り神の体が、黒い獣のようになっていた。そこまで大きくは無いが四肢・口・牙がある。触手と思っていたソレもどうやら尻尾だったようだ。
『ニ……クイ。カエセ』
「喋った!?」
「幸彦の霊力に反応して強力になったらしい。たった一瞬力を使っただけでこれとは……」
ムラサメちゃんも目を見開きながら驚いている。とはいえあそこで力を使わなければ常陸さんが危なかった。誰も幸彦を責めはしない。むしろグッジョブだ。
「ムラサメちゃん!なにかいい方法はないの?」
「ないわけではないが……しかし……」
「迷っている時間はないよ!常陸さんもしばらく動けそうにないし、あの祟り神相手じゃ幸彦もいつまで持つか——」
「わかっておる!だがそれをするには吾輩と繋がりがあるものでなくてはならんのだ!」
「だったら俺は!?」
俺のとっさの判断にムラサメちゃんは目を見開く。どうやら可能らしい。
「ぐッ!有地!ムラサメ様!申し訳ないがあまり持ちそうにない!」
振り回される大きな尻尾を避けつつも、果敢に祟り神と渡り合う幸彦。それでも俺たちが来る前から受けていたダメージは刻一刻と増えていっている。
「わ、私たちだって少しぐらいだったら!やあああ!」
朝武さんが落ちていた木材を祟り神に投げつける。
「え?え?よ、よくわかりませんが、えぇぇいっ!」
わけがわからぬままのレナさんも、朝武さんを真似するように一緒になって木材を投げつける。
「ムラサメちゃん!」
「えぇい、痛むからな!覚悟しろ、ご主人!」
幸彦たちが作ってくれた隙を無駄にすることなく、ムラサメちゃんが俺の顔を引っ掴んだ。そして——。
柔らかで温かい感触。ムラサメちゃんとキスしていると気付くまでに少し時間がかかった。女の子の唇はこんなに柔らかいのか……。
瞬間、触れ合う唇から熱が流れ込んできた。熱湯でも流し込まれたみたいに、体の奥が熱くなる。半端じゃない激痛が俺を襲う。まるで全身大やけどを負ったようだ。
「きゃっ!」
「ヨシノ!?」
「芳乃様!?」
祟り神の攻撃を避ける際に朝武さんが尻餅をつく。当然祟り神がその隙を逃すはずがない。
「させるか!」
幸彦が朝武さんのもとへ駆けつけるが、祟り神の本当の狙いはレナさんだった。
「——ひっ!?」
「待てこのっ!」
勢い良く振りかぶった俺の拳が祟り神を床に叩きつける。
(体が軽い。これなら!)
そのまま抑え込むが、思った以上に祟り神の力が強い。
「くっ!祟り神の穢れが予想以上に大きすぎる!ご主人一度退けっ!」
「いいや、このチャンスを逃したらまずい!このまま押し切る!」
神力のおかげで多少力が強くなったとはいえ、これ以上長引かせるのは得策じゃないように思えた。こうなれば意地の勝負だ。
「穢れをどうにかすればいいんですね。なら……」
幸彦がすかさず近づき、俺が押さえ込んでいる祟り神に両腕を突き立てた。すると祟り神は苦しむように大きな尻尾を幸彦へ叩きつけた。
「ぐッ!……まだまだッ!」
まるで幸彦に吸い込まれていくかのように、祟り神がどんどん小さくなっていく。
「まさか……!幸彦やめるのだ!それは危険すぎる!」
「やらなきゃ、やられるだけです……。俺のせいでここまで大きくなったんですから、俺がなんとかしない……と……」
幸彦の腕が黒く染まっていく。それでも決して祟り神を離そうとはしなかった。
「いけぇぇッ!有地!」
「大人しくしろぉッ!」
幸彦が作ってくれたチャンスを無駄にはしない。俺は無理やり抑え込むように右腕を奥まで押し込む。
先ほどのように声は出ないが、大きく震え上がるその姿はまるで断末魔をあげているようだった。
そしてついに泥の塊は、黒い霧のように四散していった。
「はぁ……はぁ……はぁ……やったのか?」
「みたいだな……」
肩で息をしながら辺りを見回す。部屋の中は荒れているものの黒い泥の塊はない。静寂がこの場を支配している。
二人揃ってボロボロだった。よくぞ無事だったと自分を褒めてやりたい。
「ご主人!急いで神力を剥がさなければ!」
慌てて飛んできたムラサメちゃんに再び口づけをされる。初めと違い今度は身体中に広がっていた熱を吸収されるようだ。だが痛みは引かず、むしろひどくなっていった。
唇が離れると同時に、右腕に激痛が走る。見ると幸彦と同じように腕が黒く染まっていた。まるで部屋の電気を誰かが点滅させているように、目の前がチカチカしてきた。
俺の隣にいた幸彦も限界らしく、顔から倒れこむ。
(だめだ……俺も、意識が……)
幸彦に続いて俺も地面へ倒れる。その感覚すらどこか遠い感じがした。
「ご主人!幸彦!気をしっかり持て!」
「二人とも!しっかりしてください!」
「はわわわ!?衛生兵!衛生兵はどこですかー!?」
三人の声が遠くから聞こえる。だが返事さえできず、そのまま俺の意識は泥の中へと引き込まれていった。
改めまして「駒川の者として」第二十話を読んでくださりありがとうございます。
二十話は祟り神との戦闘メインでした。
幸彦に将臣。男たちが頑張ってくれました。相変わらず戦闘描写は難しいですね。
次回の更新ですが、四月に入るということでバタバタしそうなので更新が遅れると思われます。なるべく早めに更新できるよう頑張りますが、気長にお待ちください。