「駒川の者として」読んでくださりありがとうございます。
第二十一話になります。
それではどうぞ。
◇◇◇
夢を見ていた。
以前にも話したと思うが、人の夢とは自分の記憶情報を整理するものだ。
だからだろう。目の前の光景には見覚えがある。
ここは芳乃様の家だ。襖の奥から秋穂様や安春様、ムラサメ様に茉子の両親、そして俺の父さんと母さんの声が聞こえる。
ここまでくれば、この記憶がいつのものかわかる。誘拐事件の後、俺が祟り神との二度目の対峙を経験した日の記憶。……また嫌な記憶を引っ張り出してきたものだ。
12年前のあの事件を、実行犯の死亡という形で終結させた原因。俺の霊力の暴走。その時俺が見た光景が正しければ、泥のような黒い塊が湧き、男たちに襲い掛かった。少し記憶が曖昧ではあるものの、あの泥のような黒い塊は祟り神で間違い無いだろう。
秋穂様たちの話によると、事件後実行犯が亡くなっていた場所には祟り神の姿こそなかったものの穢れに満ち、その穢れを祓うのに三日はかかったという。その三日間秋穂様の頭には、祟り神出現時と同様獣の耳が生え続けていたらしい。
なぜ祟り神が現れ、実行犯を殺したのか。原因はわからない。手がかりは俺の曖昧な証言のみだった。
ただ一つ確かなのは、俺が式神である“狛”を呼び出していたことと、狛を呼び出すために使った霊符が穢れを溜め込んでいたこと。
薬と同じだ。病気に対してどれだけ強い効き目を持っていたって、その副作用で体を傷つけては元も子もない。俺たちはなにが原因なのか確かめる必要があった。
俺の陰陽師としての霊力で祟り神に異常が生じているのなら、その力は巫女姫にとっての脅威に他ならない。
俺の体が回復するのを待ち、秋穂様と当時秋穂様の護衛を行っていた茉子の両親と共に森へ入った。
そしてその日、俺の霊力によって祟り神の力が増幅する事実が証明された。
「誠に申し訳有りません。
「いえ、いいんです。彼の力が祟り神に影響を及ぼすのか、確かめたいと言い出したのは私たちなんですから。こちらこそ申し訳ありません。まだ子供の幸彦君を危険に巻き込んでしまいました」
「いえ、幸彦も望んで同行しました。あの子自身、自分の力についてはっきりさせたかったんだと思います」
大人たちの間に重苦しい空気が流れる。襖越しに聞こえて来る大人達の会話。俺はただ無表情に彼らの会話に耳を傾けていた。
俺の処遇をどうするのか、大人達の議論は続いた。みんな言葉には出さないが、俺という危険性の高さ、厄介さは理解しているようだった。何より自分が一番理解していた。自分の力の恐ろしさに。
結局その日結論は出なかったが、次の日俺から祟り神に関わらないことを申し出た。
役に立てないことが悔しくて涙が止まらなかったのを覚えている。父さんも母さんも、泣きそうになりながら俺を優しく抱きしめてくれた。
思えば、涙を流したのはそれが最後だったように思う。
いきなり視界がぐにゃりと歪むと、場面が森の中に移っていた。
最悪なことにまたしても俺はこの場所を知っている。12年前、誘拐犯と直接対峙したあの場所だ。
ただ少しだけ違和感を感じる。なんというか、古い映像を見せられているような感じだ。
これは本当に俺の記憶なのだろうか。湧いた疑念が俺を混乱させる。もし違うなら、これは一体誰の記憶だというのか。
『おおおっ、おおおおおッ!!?』
悲しいみ、怒り、憎しみ。その全てがグチャグチャに混ざったような唸り声。驚くことに、その声は確かに自分の口から発せられていた。いや、正確には自分ではない。
気がつけば俺の意識は大きな白い山犬と同化していたのだ。
目線を上に向けると、刀をもった武士の男が山犬を踏みつけていた。男の顔はよく見えないが、その手には綺麗な水晶のような宝玉が握られている。
誰かの感情が俺の中に流れ込んでくる。
この感情や記憶はこの山犬のものなのか?
山犬は必死にもがきながらも射殺すような視線を男に向ける。
『たかが数百年で姉君から受けた大恩を忘れ果てて……姉君がどれほどの思いでお前らを……それなのに我らにこのような仕打ちをするとはッ。許せん!許せん!決して許してなるものかッ!!!』
「たかが犬ころが。我が一族に伝わる道具を俺が使って何が悪い!所詮貴様も道具にすぎん。せいぜい俺の復讐の糧になるがいいッ!」
男は躊躇うこともなく
『止めてくれ!姉君だけは……姉君にだけは手を出さないでくれッ……』
声にならない叫びをあげる。だがそれは叶わない。
男は
◇◇◇
「やめろぉぉぉッ!」
今まで出したことのないような叫び声。その声は先ほどとは違い、間違いなく俺の口から発せられていた。
勢いよく起き上がった俺の体は悲鳴をあげていた。どうやらまともに動ける状態ではないらしい。
意識がまだはっきりしない。夢の中だというのに俺じゃない誰か、いや、この場合はあの山犬だろう。あいつの感情が俺の意識と混ざり合ってぐちゃぐちゃになる感覚。
幻なんかじゃない。あれはあの山犬が実際に感じていた感情だ。うまく言えないが確信があった。
落ち着きを取り戻そうと深く深呼吸をするが、霞がかった意識は晴れることなく視界もボヤけている。
まずは自分の状況を確認しなければ。ここがどこで俺は一体なにをしていたのか。たしか診療所で祟り神に遭遇して、それから……。
俺が記憶をたどり始めたその時だった。
—— オォーン
どこかから聞こえてきた遠吠えに、俺の思考が妨げられる。
なぜだろうか。俺にはその遠吠えがどこか悲しい叫びのように聞こえた。
「今のは……」
『お願い。あの子に会いに行って』
「っ!?」
女性の声が頭に響く。知らない声のはずなのにどこか懐かしさを感じる自分に困惑する。
辺りを見回すが、この部屋には俺の姿しかない。その間も女性の声が途絶えることはなかった。
綺麗な声だ。まるで鈴の音のように凛としている。
『あの子が呼んでいる。お願い。どうか……』
「あの遠吠えが聞こえるところに行けばいいのか?」
返事は返ってこない。だというのに不思議と向かわなければならないような使命感に駆り立てられる。
「行かなきゃ……」
俺はベッドから起き上がる。なぜか体の痛みは無くなってた。
部屋を飛び出した俺は遠吠えが聞こえた山の方へ向かい駆ける。外はとても静かだった。真夜中らしく人の姿はない。
どこから聞こえてきたかなんて曖昧なはずなのに、俺の足が止まることはない。誰かに導かれるように山に入り獣道を突き進んでいった。
たどり着いたのは、12年前のあの場所。
夢で
そこには月明かりに照らされ町を見下ろす大きな山犬の姿があった。
『誰かと思えば貴様か。何の用だ、人間』
「はぁ、はぁ……やっぱり君だったのか。“狛” 」
12年前のあの日から一度も召喚してこなかったが、その姿を見た瞬間目の前の山犬が俺の式神 “狛” であると理解した。あの頃と比べると大きさが倍以上になっている。
狛と呼ばれるのが気に食わなかったのか、不愉快そうな鋭い視線で俺を一瞥する。
『気安く呼ぶな人間。自分の式神もうまく扱えん未熟者が』
「君が俺を呼んだんじゃないのか?」
『貴様を呼んだ?……まぁいい。用がないなら立ち去れ。久しぶりに現界したんだ。人間なんぞが側にいたら気分が悪くなる』
ずいぶんな言い草だが、狛はその場を立ち去ろうとはしなかった。狛から送られる視線は鬱陶しいコバエを睨みつけるようだ。この場合コバエは俺か。
だが、ここまで来て“はい、そうですか”と帰るわけにはいかない。俺が導かれるようにこの場へ来たのは、なにかしらの意味があると思った。
「用ならある。聞きたいことがあるんだ。あれは……狛の記憶なのか?」
『……さあな。その質問に対する答えは持ち合わせていない』
質問の体を成していないような俺の抽象的な問いに狛が答える。俺が何を見ていたのかわかっているようだった。
つまりはあの夢で見た記憶はやはり……。
「なら聞き方を変える。君は、あの犬神なのか?」
夢で見ていた時からなんとなく思っていた。俺が見たあの光景は祟り神が、呪詛が発生する原因になった出来事ではなかったのではないかと。つまりそれは、あの山犬が伝承の中の犬神だったということ。
そして目の前にいる狛。
その容姿は夢で見た犬神そのものだった。
『残念だが、私は犬神であって犬神でない』
「どういうことだ」
『未熟者め。私を召喚したのはどこの誰だ』
「それは……俺だけど」
『そう、私は貴様が生み出した式神。確かに以前は犬神だったのかもしれないが、今の私にその記憶はほとんどない。ただ漠然と、犬神であった事実だけを記憶しているのだ。だからこそ私は犬神であり、全く別の存在だともといえる』
簡単に言えば、狛はもう大昔存在していた犬神ではないということだ。理屈は理解できる。でも納得はできなかった。なにも覚えてないなんて、そんな奴があんなに悲しそうな遠吠えをするとは思えなかった。
「なら何故君は、君が消滅させられたこの場所でそんなに苦しそうな顔をしてるんだ?」
『何故、か。先ほどから質問ばかりだな』
「答えてくれ」
『……探しているのかもしれん。私が失ってしまったものを。私がなくした感情を。私にとって、姉君がどういう存在だったのかを』
祟り神になるほどの憎しみを抱いた犬神。でもそれは結果でしかなかった。あの夢で犬神は、死を目の前にしても最後まで姉君という存在を想っていた。
大切な人を忘れる。
そんな残酷なことがあっていいわけがない。
俺はいつの間にか、狛を救ってやりたいと思うようになっていた。
「なあ、俺にできることはないのか?」
『身の程を知れ人間。自分の力さえも使いこなせぬ貴様になにができる』
「だからってこのまま君を放っておくことは——」
『くどいッ!』
狛の大きな尻尾がドゴンッと鈍い音を立てながら俺の目の前に叩きつけられる。明確な拒絶の意思を感じる。
『貴様ら人間の綺麗事など聞き飽きた!自己満足でしかない偽善を押し付けるな』
「違う!俺はっ!」
狛に向かい一歩踏み出した時だった。突然体の力が抜け膝から崩れ落ちてしまう。同時に狛の体も消えかかっている。
『ふん、限界か。人間、今日のことは忘れろ』
「くっ……逃げるな!話はまだ、終わってない!」
『馬鹿め。誰が逃げるか。貴様の私を限界させる霊力が底を尽きただけだ』
言われてみれば、この脱力感は式神を動かしすぎた後の感覚に似ている。つまり狛は猫丸のように勝手に現界したわけではなく、俺が無意識のうちに召喚していたのか。
薄れていく意識の中で、狛が歪んだ嘲笑を俺に向ける。
『私に力を貸したいと言ったな人間。もし私に力を貸すことでお前の大事な娘たちを危険にさらすことになったらどうする?』
「なにを、言って……」
『私が探している感情や記憶を持っている存在に一つだけ心当たりがある。貴様らが祟り神と呼ぶ存在だ。あれを喰らえば私は私を取り戻せるかもしれない。それがなにを意味するかは貴様が一番よく知っているだろう』
祟り神を取り込むということは、祟り神が持つ穢れも一緒に取り込むということだ。あれだけ濃い穢れを取り込めばその者の魂まで穢れてしまうだろう。
穢れと共に犬神の持つ朝武家への強い憎しみまでも取り戻した場合、狛が芳乃様に牙を向けるかもしれない。そのことへの忠告なのだろう。
『それでも構わないというのならばまた私を呼び出せ。私は貴様のすぐそばにいる』
「……くそっ」
狛の姿が消えると同時に俺の意識も深い闇の底へと落ちていった。
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「これでよし。もう服を着ていいよ」
「はい、ありがとうございます」
時刻は朝の7時半。ワタシは今、駒川診療所でみづはさんに怪我の経過を診てもらっていた。といっても少し強く背中を打ち付けてしまっただけで大した怪我じゃない。
「ところで常陸さん、最近少し働きすぎじゃないかい?芳乃様から報告を受けてるよ」
「む、無理なんてしていませんよ。ただちょっと、ほんのちょ〜と芳乃様が心配なので毎日お手伝いしているだけです」
「はぁ。布団から出るなとは言わないけど、なるべく安静にしておくこと。でないと治るものも治らなくなるからね」
みづはさんはお医者様なので私の体を気にかけてくれる。でも心配しすぎです。私自身無理しているとは思っていないし、辛いこともない。ここは一つみづはさんに安心してもらうために自分の胸をドンと叩く。
「ワタシは大丈夫ですから。芳乃様のことはワタシにドンと——ッッ!?……うぅ……くうぅ……。を、をまかへくらはぃ……」
少し強く叩きすぎてしまった。これじゃあ逆効果じゃないですか。ワタシのバカ……。
「言わんこっちゃない。痛みがなくなるまで無理に動いたり、衝撃を与えないように」
「い、痛くなんかありましぇん……」
「涙目じゃないか」
みづはさんが優しく背中をさすってくれる。うう、優しい。それに比べてワタシの情けないこと。こんな姿を幸彦には見せられない。
……その幸彦はまだ目を覚ましていない。
祟り神との戦いから五日が経とうとしていた。芳乃様もレナさんも怪我はなく、みづはさんもかすり傷程度で済んでいた。あの場でひどい怪我をしたのは幸彦と有地さん。有地さんは二日前に目を覚まして順調に回復している。
幸彦は私たちが駆けつける前のダメージや私を庇った時の怪我で隣町の病院へ搬送された。五日経った今もまだ目を覚ましていない。
「みづはさん。幸彦の容体は……」
「安心していいよ。意識こそ戻らないけど怪我の方は回復に向かっている。何よりあのタフな幸彦だ。すぐに良くなるさ。私もあの子にはちゃんとお礼を言わなきゃいけないからね」
ワタシを安心させようと優しく頭を撫でてくれる。彼女の言葉は私に向けられたものだが、自分に言い聞かせているようにも聞こえた。姉弟ですから、みづはさんも心配しているのだ。
そんな時、みづはさんの携帯が着信を伝える。
「少し失礼するよ。……はい駒川です。はい。いえ大丈夫です」
誰からだろうか?みづはさんはワタシに断りを入れると電話をしながら診療所の奥へ向かった。
「お医者様は大変ですね。そうだ!幸彦が起きるまでみづはさんのお手伝いを……ってこういうのがダメなんだよね」
先ほどみづはさんから注意されていたのに。どれだけ家事が好きなんだと自分を問い詰めたくなる。
ふと、カリカリと何かを引っ掻くような音が聞こえてくる。なんの音だろうか。あたりを見回すと原因はすぐ見つかった。
「猫丸?」
「にゃー」
診療所の窓を開けて欲しそうに引っ掻いている猫丸を見つけた。こんなところで何をしているのだろう。とりあえず窓に近づき開けてあげる。
「猫丸、どうしたの?……あれ?そういえば、幸彦の目が覚めてないのに猫丸だけで行動できるんだっけ?」
いろいろイレギュラーなやつだと幸彦は話していたけど、術者がいないのにどうやって動いているのだろうか。
ワタシの疑問をよそに猫丸はこちらに駆け寄ってくる。数回ワタシの周りをぐるぐる回ると靴紐を咥えてクイクイっと引っ張る。
「一緒に来て欲しいの?」
「にゃ〜」
「あ、猫丸!どこに行くんですか!?」
猫丸は開けた窓からまた外へ飛び出してしまった。逃げたわけではないみたいで、外でワタシが来るのを待っているのか、こちらをじっと見つめている。
これは付いて行った方がいいのでしょうか?
ワタシが窓の外を覗きながら悩んでいると、電話を終えたみづはさんがどこか焦った様子で戻ってきた。
「みづはさん、どうしたんですか?」
「あ、ああ。なんでもない。少し急用ができてね。申し訳ないが今から隣町に行くことになったんだ」
「隣町って……幸彦に何かあったんですか!?」
「いや……そうだね。常陸さんには話しておこう。実は、幸彦が病室からいなくなったらしいんだ」
「なんですって!?」
「五日も眠っていたんだ。そうでなくても怪我をしていた体で遠くへは行っていないと思う。私はこれから幸彦を探してくる」
幸彦が居なくなったという話はワタシをひどく恐怖させた。もし幸彦に何かあったとしたら、ワタシは……。
「猫丸……」
「え?」
「猫丸がいたんです!ワタシに一緒に来て欲しそうに靴紐を引っ張って、もしかしたら——ッ!」
ワタシは急いで猫丸の元へ駆け出す。
もしかしたら猫丸は、幸彦の居場所を知っているのかもしれない。
「あ、ちょっと常陸さん!」
「ワタシは猫丸を追いかけます!何かわかったら携帯に連絡を入れますので!」
「あ、ああ。ありがとう。じゃなくて!安静にしているように言ったばかりじゃないか!」
「お叱りは後で必ず受けます!それでは!」
みづはさんの制止を押しのけ猫丸の元へ向かう。ワタシが来るのを確認すると、猫丸はまた走り出す。
忍者として俊敏性には自信があったが、猫の早さには追いつけない。ワタシが遅れるたびに猫丸は立ち止まり、近づくと走り出す。やっぱりワタシを何処かへ導いているようだった。
商店街に差し掛かったところで猫丸を見失ってしまう。息を整えながら猫丸を探す。きっとまだ近くにいるはずだ。
「はぁ……はぁ……猫丸、どこにいったの?」
「こぉらぁぁ!商品の魚を盗むんじゃねぇ!」
聞き覚えのある低くて渋い声。その声はワタシも幸彦もよく知るお店から聞こえてきた。間違いない、「魚政」からだ。
視線を声のした方へ向けると猫丸がお魚を咥えながらお店を飛び出していた。猫丸の後をこのお店の主人である魚海さんが追いかける。
「待ちやがれ!この泥棒猫!」
すごい形相だった。あの巨体で猫丸に負けない速さで走っている。幸彦の師匠だけあってあの人の底が知れない。
(……って、ボーッとしてたら見失っちゃいます!)
幸いなことに、猫丸よりはるかに大きい魚海さんがいい目印になってくれたおかげで見失うことはなさそうだ。
やはり猫丸は連れて行く人を考えている。ワタシに魚海さん。どちらも幸彦と関わりが強い二人だ。でも連れて行くなら榎本さんの方が良かったのでは?なんて魚海さんに失礼か。
走り続けること数分。ワタシと魚海さんは鵜茅学院の裏山を進んでいた。
先ほどから見覚えのある道を走っている。なるべく近づきたくない場所。ワタシ達にトラウマを植え付けたあの場所へ続く道だった。もしかして幸彦がいる場所って——。
「よぉし!捕まえたぞこの野郎!」
「にゃー!にゃー!」
あの場所に着く前に魚海さんが猫丸を捕まえた。
捕まえられるような速さで逃げていなかった気がしますが、そこは魚海さんだからということで納得しましょう。それよりここで猫丸を捕まえてしまったら道案内がいなくなってしまう。
ワタシは慌てて魚海さんに声をかけた。
「魚海さん!ちょっと待ってください!」
「お?茉子ちゃんじゃねぇか。こんなところで何してんだ?」
「猫丸をずっと追ってきたんです。魚海さんの後ろにずっといたんですよ?それより猫丸を放してやってください。猫丸が盗んだお魚の代金はお支払いしますので」
「あ〜?猫丸〜?そういやお前幸彦の……」
猫丸の首根っこを持ちながらジロジロと猫丸を観察する魚海さん。その隙を付いて猫丸は必死にもがき、魚海さんの手から逃れた。
「あ、猫丸!待ってください!」
「なんだか訳ありみたいだな……」
猫丸はさらに山の奥へと駆けていく。ワタシはその後を追い、ワタシの必死さをみた魚海さんも付いてきてくれた。
どんどん昔の記憶が蘇ってくる。最早ここまできたらどこに向かっているのか確信する。この先は12年前の事件があった場所だ。
と、目の前に倒れている人影を発見する。
間違いない。幸彦だった。
「幸彦っ!!」
「おいおい、どうなってんだ!?」
ワタシと魚海さんの驚きの声が山に響き渡る。幸彦はぐったりとしてその顔は白く生気が感じられない。嫌な想像が頭を駆け巡る。
「幸彦っ!しっかりして幸彦っ!!」
大きな声で呼びかけても返事はない。
「ユキ……嫌です……そんな……」
「茉子ちゃん、落ち着いて。幸彦はまだ死んじゃいない」
魚海さんが正気を失いかけたワタシの肩に優しく手を乗せる。ワタシが落ち着くのを確認すると、手慣れたように幸彦の体に異常がないか調べていく。とてもじゃないが魚屋さんの手さばきには見えなかった。
「大丈夫だ。弱々しいがちゃんと息もしてるし、脈も問題ない。ただ衰弱がひどい。急いで運ばねぇと。手伝ってくれるよな」
魚海さんはニカっと笑った。ワタシを落ち着かせようとしてくれたのだろう。ワタシは自分の胸に手を当てて深く深呼吸をする。
「……はい!お任せください」
「うしっ!それでこそ商店街の天使だぜ!」
そういえば、幸彦がよく言っていた。魚海のおやじさんはここぞというときに頼りになると。まさに今がそのときだった。
「魚海さんって頼りになりますね」
「がっはっは。当然だろ!」
「初めは榎本さんが一緒の方が良かったかもなんて思ってしまいました」
「あいたた!そこを突かれると痛いぜ。だけど、その猫はおそらく狙って俺だけ連れてきたみたいだぜ?」
「狙ってですか?」
どういうことだろうか?ワタシが考えている間に魚海さんは携帯を取り出す。
「茉子ちゃんは携帯持ってるか?」
「あ、はい」
「なら茉子ちゃんはみづはちゃんに連絡入れてくれ」
「わかりました。えっと、魚海さんは誰に?」
「決まってんだろ」
慣れた手つきで着信をかける。相手はすぐに電話に出た。
『もしもし』
「おう、榎本。俺だ」
『まったく貴方は。店番を放り出して何してるんですか?
「げっ」
花恵さんとは魚海さんの奥さんのことだ。昔から魚海さんは花恵さんに頭が上がらないことで有名だった。
「いろいろあったんだよ。それより車をまわしてくれるか?大至急だ」
『……なにかあったんですか?』
「緊急事態だ。お前はみづはちゃんを回収して鵜茅学院の前で待機してくれ」
『はぁ……了解。みづはさんは診療所に?』
「今茉子ちゃんに連絡を入れてもらう。悪いないきなりで」
『いつものことです。私的にはその方が面白いので一向に構いません』
「へっ言ってくれるじゃねぇか。そんじゃ頼んだぜ」
なんというか、信頼し合っている。そんな会話だった。幸彦が慕っている理由がわかった気がする。
そして猫丸が魚海さんだけ連れてきた理由がこれなのだろう。離れていても状況を察して対応してくれる榎本さんは街の方で待機していた方が動きやすい。
「そういうわけだ。みづはちゃんには診療所で待ってるように伝えてくれ」
「は、はい」
ワタシは急いでみづはさんに連絡を入れた。少しの小言を言われたが「弟を見つけてくれてありがとう」とお礼も言われてしまった。みづはさんにお礼を言われるのはなんだかむず痒い。
「よし、そんじゃあ幸彦担いで学院まで戻るか。しかしとんでもない猫だよな、お前」
「にゃ?」
「へっ。とぼけやがって。まぁ、お前のおかげで幸彦が見つかったわけだ。その魚は幸彦につけとくぜ」
「にゃ!」
猫に話しかける大男の図。はたから見れば滑稽だが、ワタシも猫丸に心からありがとうと言いたい。もしあのまま幸彦を見つけられなかったら……考えるだけでも恐ろしい。
「えーと、おい猫、帰り道ってどっちだ?」
「……にゃ」
「あ、お前今バカにしただろ?」
最後の最後で締まらない。それが魚海のおやじさん。
幸彦の言う通りだった。
「ワタシがご案内します。飛ばしますのでついてきてくださいね」
「おう!頼んだぜ茉子ちゃん」
なぜ幸彦がここにいたのか。それはまだわからない。でも幸彦を助けるために頼りになる大人達がいることはわかった。
幸彦は無事だった。ちゃんと生きている。ホッとして涙が出そうだったけど、なんとか堪えながらワタシ達は山を駆け下りる。
目を覚ましたらガツンと文句を言ってやりますから。覚悟していてくださいね、幸彦。
改めまして「駒川の者として」第二十一話を読んでくださりありがとうございます。
一ヶ月経つ前になんとか投稿できました。
狛は白山狛男神の生まれ変わりのような存在という設定でした。今後幸彦と狛のやり取りにも注目してみてください。
次回はお見舞い関係の話になると思います。
ゴールデンウイークには投稿……頑張ります。