「駒川の者として」読んでくださりありがとうございます。
第二十二話になります。
それではどうぞ。
「………」
病院の待合室は痛いほどの静けさに包まれていた。時計の針はもうすぐ15時を迎えようとしている。
ワタシたちが病院に来てかれこれ四時間が経とうとしていた。
魚海さんや榎本さんのおかげで幸彦を隣町の病院に連れて行くことができた。衰弱がひどかった幸彦はみづはさん立ち会いのもと体に異常がないか詳しく検査をしてもらっている。今はその結果待ちだ。
大丈夫だと自分に言い聞かせていても、血の気の失せた幸彦の顔が頭から離れてくれない。待合室で待つ時間が長くなるほど不安で胸が潰されそうになる。
「にゃー」
「……ありがとう、猫丸」
猫丸が心配そうな目でワタシの顔を見つめ鳴く。大丈夫だと励ましてくれているようだった。お礼にワタシも猫丸を優しく撫でてあげる。
待合室に来てから猫丸はずっと私の膝の上で丸くなっている。どこか安心する暖かさだった。手触りといい体温といい式神だなんて到底思えないほどだ。
「ほれ、茉子ちゃん」
「あ、ありがとうございます。魚海さん」
魚海さんから投げられたペットボトルをキャッチする。待合室の外にある自動販売機で買ったのだろう。ホットココアだった。
「ま、心配すんなって。幸彦ならきっと大丈夫だ」
そう言うと自分用に買った缶コーヒーのプルタブを開け一気に
「っぷは。幸彦は決して強い奴じゃあねえが、あいつのタフさは折り紙付きだ。俺が保証する。だからそんな顔しなくていいんだ」
「……ワタシそんなに酷い顔してますか?」
「俺がココアを奢りたくなるぐらいにはな」
「魚屋さんの基準はどうあれ、確かに今の茉子さんは少し元気がないですね。状況が状況なので仕方ないことですが、貴女には悲しむ顔より笑顔の方が似合っていますよ」
どうやら相当酷い顔をしていたのだろう。魚海さんたちが励ましてくれる。幸彦はたまに自分のことのように彼らを自慢することがあったが、その気持ちが今ならわかる気がする。幸彦の師匠がこの人たちでよかった。
「おい、お前が茉子ちゃん口説いてどうすんだ」
「口説く?私は事実を伝えただけですよ?」
「かー、気障ったらしいや奴。様になってるからさらにむかつくぜ」
「なにを今更。貴方だって、花恵さんを口説くときに私に泣きついてきたじゃありませんか」
「ば、バカ!茉子ちゃんの前でその話は無しだろ!恥ずかしいじゃねぇか」
真っ赤になった顔を手で隠す魚海さんとしてやったり顏の榎本さん。二人のいつも通りの掛け合いを見ていると自然と心が落ち着いてくる。
「あはっ、お二人ともありがとうございます。魚海さんのお話は後日花恵さんとのお茶会に使わせてもらいますね♪」
「そ、そりゃないぜ茉子ちゃん……」
魚海さんの様子に笑いを耐え切れず榎本さんが吹き出す。自然とワタシも笑みがこぼれ、魚海さんも最後は一緒になって笑っていた。
魚海さんからもらったココアが半分ほど減った頃、猫丸の耳が何かに反応してピクンと動き待合室の入り口に顔を向ける。
数秒後入り口が開きみづはさんが顔を出した。
ワタシは思わず立ち上がり、猫丸を抱えながらみづはさんに駆け寄った。
「みづはさん!あの、ユキ……幸彦は……!?」
「大丈夫、安心していいよ。体に異常は見られなかった。弟が心配をかけてごめんね」
みづはさんの手がワタシの頭を優しく撫でる。
心の底から安心したようなみづはさんの顔。長い付き合いの中で初めて見る表情だった。
そっか、幸彦、大丈夫なんだ……。
不意に体の力が抜けて床にぺたんと腰を下ろす。とっさにみづはさんが支えてくれたのでどこかをぶつけることはなかった。
どうやら思っていた以上に気を揉んでいたらしい。みづはさんの口から幸彦が無事だと聞けて、張っていた緊張の糸が一気に緩んでしまったようだ。
「大丈夫かい?」
「平気です。少し気が抜けてしまって。ありがとうございます」
「いいや、お礼を言うのはむしろ私の方だ」
みづはさんは改めてワタシたちを見渡し深々と頭を下げた。
「常陸さん。それに魚海さん、榎本さん。本当にありがとうございました。あなた達のおかげで弟は助かりました。幸彦の姉として心から感謝します」
「にゃー」
「猫丸も本当にありがとう。君には今度とっておきのご馳走を用意するよ」
「にゃー♪」
嬉しそうな猫丸と、どこかホッとした様子の魚海さんと榎本さん。重苦しい空気も霧散し、待合室はようやく安堵に包まれた。
「幸彦は病室ですか?」
「ああ。衰弱がひどかったから点滴をして眠っているよ。今回の失踪に関してまだ謎はあるし、ムラサメ様の助言もいただきたいところだけど……。医者の目線から言わせて貰えば明日にでも目を覚ますかもしれない。あとは様子を見て三日ぐらいで退院できるだろう」
「三日で退院?祟り神の怪我で最低でも一ヶ月は入院する必要があるって言っていませんでしたか?」
診療所に現れた祟り神を撃退するために幸彦もワタシも有地さんも少なからず怪我を負った。中でもワタシ達が駆けつける前からみづはさんをかばいながら祟り神と対峙していた幸彦は打ち身や裂傷、ひどいものでは肋骨や左腕の骨折など重傷だったはず。
「そこが不思議なんだよ。先程も言った通り幸彦の体に異常は見当たらなかった。つまり、祟り神との戦闘で負った怪我が全部治っていたんだ。両腕の穢れを残してね。幸彦が姿を消し、あの山の中で見つかったことと何か関係があるかもしれないが、本人から話を聞かないとなんとも言えないね」
顎に手を当てて思案顔になるみづはさん。
確かに不思議だ。誰かが幸彦の怪我を治してくれたのだろうか。治癒に特化したアストラル能力があると聞いたこともあるが、それでも一日であれだけの怪我を完治させるのは難しいと思う。そもそも何のために怪我の治療を?
(……難しく考えても仕方ないですね。幸彦の怪我が治ったんだから、今はそれで十分です)
むしろ治してくれた人がいるならお礼を言いたいぐらいだ。
「ほーん。不思議なことね……。おい不思議猫。お前なんか知ってるんじゃねぇか?」
「はぁ。魚屋さん、貴方って人は……」
「かわいそうな人をみる目を向けんな。今回の件、鍵を握るのはこの不思議猫だ。俺のカンがそう言ってんだよ」
「今回猫丸が活躍したのは認めますが……さすがにそれは過信しすぎだと思いますよ。ほら、猫丸をご覧なさいな」
榎本さんが指差す先では猫丸が大きなあくびをしている。随分とリラックスしているようだった。今回近くで猫丸の活躍を目にしたワタシにはこのリラックスも計算のうちのように見えなくもないですが……どうなのだろう?
猫丸はみんなの視線が集まっていることに気づくと、体をよじってワタシの腕から抜け出し待合室を出て行く。
「あ、猫丸!どこ行くんですか!?」
さすが猫というべきだろう。あっという間にいなくなってしまった。
「行ってしまいましたね。魚屋さんが変なこと言うから」
「俺のせいにすんな古本屋。あー、でもどうすっか。病院に猫だけ残していくのはマズイか」
「あっちには幸彦の病室があるけど……一応様子を見に行った方が良さそうだね。せっかくだから常陸さんたちも幸彦の顔を見てから帰ったらどうだい?」
「よろしいんですか?」
「少しぐらいなら構わないよ。ここの医院長先生は父さんの知り合いでね。穂織の事情も知っていて気を利かせて個室を用意してくれたんだ。他の患者に迷惑がかかることはない」
いまだ周辺の街にイヌツキと言われ忌み嫌われている穂織。その穂織出身の幸彦が隣町の病院にすんなり入院できたのは医院長先生のおかげだったようだ。
何はともあれ魅力的な提案だし、ワタシたちはみづはさんの案内で幸彦のお見舞いをすることにした。
みづはさんに案内されたのは病院の端にある病室。この中に幸彦がいるらしい。少し深呼吸をしてドアに手をかける。そのときだった。
「猫丸重い……どいてくれないか……」
「にゃー♪」
「いや、にゃーじゃなくて……はぁ、まぁいいか」
病室の中から声が聞こえて来る。この声は……。
ワタシは思わず勢いよくドアを開ける。すると驚いた表情の幸彦と目が合った。そう、
「ゆき、ひこ……?」
「茉子……。良かった……無事だったんだな」
ワタシの顔を見た途端ホッとした表情になる幸彦。そんな幸彦をみて、ワタシは内心冷静ではいられなくなった。
(目が覚めたばかりなのに、ワタシを見た後の第一声が無事で良かったなんて。ワタシがどれだけ心配したと思ってるんですか!大体いっつも人の心配ばかりして自分犠牲ばっかりで!なんでもっと自分を大切にしてくれないんですか!今日という今日はガツンと文句を言ってやるんですから!)
ワタシは無言で幸彦に近づく。幸彦が怪訝な目線を送ってくるが関係ない。
ベッドの側まで来たところで思いっきりほっぺたをつねってやる。
「痛っひゃ!!あの、まほひゃん。いひゃいんだけど!」
(言ってやるんですから。文句を、言って……)
一旦手を離し一歩下がると、また幸彦と目が合ってしまう。
もう限界だった。
ダムが決壊したように涙が溢れ出す。同時に安堵と苛立ちの気持ちがぐしゃぐしゃになって押し寄せる。気がつけばワタシは幸彦の胸に顔を埋めていた。
「ぅえ!?ま、茉子?」
「本当に心配したんですから!ほんと……本当に……うぇぇんゆきひこぉ」
「茉子!?な、泣かないでくれって!」
ワタシも泣くつもりなんてなかったのに。
止まらないものは仕方ない。
「女性を泣かせるなんて最低ですね」
「あーあ、商店街の天使を泣かせたなんてあいつらが知ったら大変だぞ〜」
「我が弟ながら情けないね」
「にゃ」
「お、俺が悪かったから勘弁してくれー!!」
元気な声で騒ぐ幸彦。
その声を聞くたびにしばらく涙は止まらなかった。
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『さぁ、起きてください』
暗く深い意識の底で鈴の音のように美しい声が聞こえて来る。この声は確か、俺に狛を探しに行くようお願いしてきた女性の声だ。
『貴方の大切な人が待っていますよ』
俺の大切な人?
真っ先に思い浮かぶのは幼馴染の顔だった。世話好きで人をからかうのが好きで少し抜けたとこのある優しい幼馴染。そういえば、彼女は大丈夫だったのだろうか。俺は彼女を守れたのだろうか。
そう思った瞬間、ふわりと体が浮く感覚とともに、どこか安心する暖かさを胸に感じた。
鈴の音のような美しい声の持ち主は俺に言った。俺の大切な人が待っていると。もしかしたらそこに彼女がいるのだろうか。だったら早く起きないとな。
意識がどんどん鮮明になっていく。
そして目を開けたそこには——。
「にゃー」
猫丸が俺の上で丸くなっていた。
何だろう……安心したような、残念だったような。ていうか猫丸?ご主人様の上で丸くなるのはいただけないぞ?
「猫丸重い……どいてくれないか……」
「にゃー♪」
「いや、にゃーじゃなくて……はぁ、まぁいいか」
猫丸の自由気ままさは今に始まったことじゃないしな。どかそうと思っても腕がうまく動かない。仕方ないので腹筋を使って起き上がりベッドの縁に寄りかかる。
辺りを見渡して気づいたが、どうやら俺はどこかの病院にいるようだ。点滴までしているということはだいぶ眠っていたのだろう。つまり祟り神の戦闘で怪我をして……そういえば狛のあれは夢だったのだろうか?
俺がいろいろ考えていた時だ。病室のドアが勢いよく開けられ見知った女の子と目が合う。
他でもない茉子だった。
「ゆき、ひこ……?」
「茉子……。良かった……無事だったんだな」
心から安心した声が漏れ出る。見た所大きな怪我をしているようには見えない。少しは体を張った甲斐があったようだ。
俺の言葉を聞いた茉子は一瞬大きく目を見開くと俯きながら近づいてくる。どうしたのだろう?俯いているせいで表情が読み取れない。
ベッドの側まで来たところで思いっきり頬をつままれる。
「痛っひゃ!!あの、まほひゃん。いひゃいんだけど!」
今まで何度か頬をつねられ叱られたことはあったが、今回のは加減がない。要するにとても痛かった。いや、そもそもなんでつねられてるんだ!?
茉子は数秒ほど俺の頬をつねるとやっと手を離し一歩後ろに下がる。そこでもう一度彼女と目が合う。すると……。
「……ぶわっ!?」
「——ッ!?」
茉子の目から滝のように涙が溢れ出した。しかもそのまま抱きつくように俺の胸に顔を埋めてきた。腕が動かないのでなされるがままだ。
「ぅえ!?ま、茉子?」
「本当に心配したんですから!ほんと……本当に……うぇぇんゆきひこぉ」
「茉子!?な、泣かないでくれって!」
男は得てして女の子の涙に弱いものだ。当然俺も例外ではない。いつまでも泣き止まない茉子にあたふたしてしまう。ど、どうすればいいんだ。
「女性を泣かせるなんて最低ですね」
「あーあ、商店街の天使を泣かせたなんてあいつらが知ったら大変だぞ〜」
「我が弟ながら情けないね」
「にゃ」
そんな俺をからかうように師匠たちや姉さんの声が聞こえてくる。この人たち絶対楽しんでる!にやにやしてるし!猫丸まで笑っているように見えるんだけど?
「お、俺が悪かったから勘弁してくれー!!」
こうして俺は茉子が泣き止むまで必死に謝り続けるのであった。
◆◆◆
「落ち着いたかい?」
「うぅ、見苦しいところをお見せしました……」
数分後、茉子の顔は真っ赤になっていた。
……正直、思春期男子には刺激が強かった。そういえば有地を助けるために山に入った時にも同じようなことがあったっけ。でも今回は数分間ずっと密着していたわけであって……。
いや、それだけ心配させてしまったんだよな。よく見たらまだ目が真っ赤じゃないか。罪悪感が俺を襲う。
「まぁなんだ。そんなに恥ずかしがることはないよ。俺も今のは忘れるようにするからさ」
「……だめ。忘れないで。恥ずかしいけど、みんなにどれだけ心配かけたか分かってもらわないといけませんから」
「……わかった。反省する」
「わかればいいんです。わかれば」
拗ねたように頬を膨らませそっぽを向く茉子。可愛らしい仕草だが、これは本当に怒っている証拠でもある。当分は口答えしないようにしないとな。
と、ここでようやく茉子も周りの大人たちがにやにやしていることに気づく。慌てたように立ち上がり早口でまくりたてる。
「幸彦の元気な顔も見れたので今日は失礼しますね!そ、それでは!」
次の瞬間にはそこに茉子の姿はなく丸太が一本転がっているだけだった。変わり身の術で逃げるなんて相当恥ずかしかったんだな……。
「若いっていいねぇ。俺まで若返っちまうよ」
「そのセリフ自体ジジくさいですよ」
「うるせー魚屋」
「あの、師匠たちはなんでここに?」
目が覚めてからずっと疑問に思っていたがようやく聞けた。俺のお見舞いに来るにしても、この時間はお店も忙しいはずだ。何か特別な事情でもあるのだろうか。
「説明すると長くなるんだが……俺たちも茉子ちゃんを送る大事な使命があるからな。みづはちゃん、あとは任せるぜ」
「ええ。元々幸彦には話さなければいけないことがたくさんあるので構いませんよ。常陸さんを宜しくお願いします」
「わかりました。幸彦、あなたはもっと自分の体を大事にしなさい。あなたを大切に思う人のためにも。それでは」
榎本さんが先に病室を出る。去り際に残した言葉は短いが、俺の心に刺さるものだった。厳しくも優しい榎本さんらしい言葉だ。
榎本さんに続いて退室しようとした魚海のおやじさんだったが、思い出したように手を叩くとこちらを振り向く。
「おっとそうだ。退院したらちょっと報告がある。急ぎじゃねぇんだが、まぁ早く知りたいなら大人しくしてるんだな。じゃあな幸彦」
気になることを言って去っていく魚海のおやじさん。報告というと例の傀儡使いのことだろうか?今すぐ問いただしたいところだが退院するまで絶対話してくれないだろう。
大人しくおやじさんを見送ると姉さんと二人だけになる。傀儡使いのことも気になるが、今はもっと大事なことがある。
「それで姉さん。聞かせてくれるかな。あの後、祟り神を退治して俺が眠っている間に何がどうなったか」
「もちろんそのつもりさ。だけどその前に幸彦が目覚めたことを報告に行かないと。ちょっとだけ待っててもらえる?」
◆◆◆
主治医の先生と姉さんから軽い問診を受けた後、再び姉さんと向かい合う。そこで俺は師匠たちや茉子がここにいた理由を聞いた。
「山の中で倒れていた、か……」
それはつまり、狛に会って話をしたのは夢じゃないということになる。
「そうゆうこと。何があったか覚えてる?」
「覚えてるけど、何処から話せばいいか……。先に姉さんの話を聞いてからでいいかな?」
夢の中で俺が知ったこと。狛に会ったこと。そこに姉さんの話を合わせれば祟り神や呪詛の真相に近づけると思った。
「わかった。先に謝っておくけど、幸彦が眠っている間に他のみんなで一応の答えを出させてもらった。有地くんが見つけた欠片と彼が見た夢が鍵になった」
「そうか……」
また有地に助けられたな。本当なら俺が……いや、今は素直に喜ばないとな。
「幸彦?」
「なんでもない、続けて」
「……わかった」
姉さんは一瞬怪訝な表情を浮かべたもののすぐに説明に戻ってくれた。
「まずは何故診療所に祟り神が現れたかについてだが、あれは診療所で発生したものだ。原因は私が例の欠片を削ったことにある。あの欠片自体が祟り神の核だったんだ」
「祟り神の核、か。つまりあの欠片自体が祟り神を作り出した憑代ということか。そして姉さんが憑代を削ったことによって祟り神が現れた。……憑代は一つに戻りたがっている?」
「あはは、さすが専門家だね。私たちも同じ結論に至ったよ。その証拠に、欠片同士を近づけたら一回り大きな一つの欠片になった。」
欠片が一つになんて非科学的だが、あの欠片が憑代の一部ならうなずける。
あの日診療所に現れた祟り神に違和感を感じていたが、ようやく納得できた。
診療所に現れたこと。芳乃様の元に真っ先に向かわず診療所内で暴れるだけだったこと。芳乃様が体勢を崩したとき芳乃様ではなくレナさんを狙ったこと。
朝武の者の命を狙う存在の行動とは思えなかったが、その発生の仕方自体イレギュラーだったんだ。
あの日発生した祟り神は憑代を傷つけたことに対する怒りの表れ。
大切なものを傷つけられたんだから怒って当然だ。夢の中であいつの感情を知ってしまった俺には痛いほど理解できた。
「有地くんが見たという夢では犬神の声が聞こえてきたらしい。ぼんやりだが、“返せ” という言葉とともに明確な怒りを感じたとか。私たちは勘違いしていたかもしれない。呪詛は朝武家の長男ではなく、呪詛のために利用され殺された犬神の怒りから生まれたものだった。もし憑代の欠片をすべて集めて犬神の怒りを慰撫することができれば呪いが解けるかもしれない。これが私たちが導き出した答えだ」
幸彦はどう思う?と姉さんは俺に目を向ける。
話を聞いている分には納得出来る答えだった。それなのに俺の中でなにかモヤモヤしたものが引っかかる。
自分の考えを整理するためにも今度は俺が話す必要があった。
「有地が夢を見たように、俺も夢を見たんだ。その中で俺は明確に犬神の記憶と感情を知ることができた」
「どういうことだい?」
「順を追って話すよ。最初はそうだな……」
俺は自身に起きた出来事を一つ一つ説明していった。
夢の中で見た出来事から山で狛に会ったことまですべてを話す。普通なら到底信じられないことだったが、姉さんは最後まで真剣に耳を傾けてくれた。
「とても興味深い話だね……。幸彦の見た夢と有地くんが見た夢の差はなんだろうか?聞いている限りほとんど同じ場面を見ているが、情報量に明確な差がある」
「きっと祟り神の穢れにどれだけ触れたかじゃないかな。狛が言っていたんだ。祟り神を食らえば元に戻るかもしれないって。あの穢れが犬神の恨みや怒りの感情が祟り神になって形になったものだと考えれば、取り込んだ穢れが多い俺の方がより犬神の記憶にも干渉しやすかったんじゃないか」
もちろんそれは魂まで干渉するということで、一歩間違えれば祟り神に心を乗っ取られる可能性もあったわけだ。改めて危ない橋を渡っていたのだと知り冷や汗が流れる。
「だとしたら、幸彦が見たというその水晶のような宝玉が憑代だろうね。そしてその宝玉が犬神の姉と何かしらの関係があると」
「前に榎本さんからもらった書物によれば、山の神が産み出した二柱の神がいたって。たしか宝玉から生まれし神と獣から生まれし神だったはず。獣のほうが犬神だとするなら宝玉の神が犬神の姉的存在だったんだろう」
「宝玉の神か……。つまり朝武の長男は犬神だけでなく宝玉の神に関する神物をも自分の復讐のために使ったわけだ。なんて罰当たりなことを……」
なまじ神々や呪いについて研究している分、それがどれだけ恐ろしく愚かな行為であるかがわかってしまう。言いようもない憤りから言葉が出ない。
「やはり憑代を集めて犬神の怒りを鎮めることが呪詛を解く鍵だと思うが……まだなにか言いたそうな顔だね」
姉さんの言う通り、なぜだかそれだけで終わらない気がしてならない。姉さんとの意見交換でだいぶ思考も考察もまとまってきたが、どうしても腑に落ちないのだ。
「なんだかモヤモヤするんだ。うまく言葉にできないけど、祟り神はやっぱり犬神だけの問題じゃない、と思う。……そう思いたい」
もしかしたらこのモヤモヤは俺の認めたくないという気持ちなの表れなのかもしれない。
夢で犬神と意識が一つになって、それから狛と話してみて俺は思った。なんでこいつが祟り神なんかにならなければいけなかったのだと。確かに最後には怒りに呑み込まれたかもしれないけど、その怒りだって犬神のお姉さんを大切に思う気持ちから派生したものだ。
大切な人を思う気持ちが祟り神を生んだなんて、俺は認めたくなかったんだ。
(いや、これは俺のわがままだ。芳乃様を救うことができる可能性があるなら、その可能性に全力を注ぐのが主に仕える者としての使命だ)
俺はかぶりを振り姉さんに向き直る。
「ごめん姉さん。あんまり気にしないでくれ。どのみち欠片を集めてみないと先に進めそうもないや」
「そう……、じゃあこの話はここまでだね。幸彦の見解を含めた説明は私から芳乃様たちに報告するよ。それから遅くなったけど——」
姉さんはベッドの座る俺に目線を合わせると、そのまま頭を優しく撫でた。驚きのあまり固まってしまう。
「幸彦が無事で本当に安心したよ。それから、ありがとう。私を守ってくれて。君は私の自慢の弟だ」
姉さんにこんなに優しく撫でられたのはいつぶりだろう。この歳になって撫でられるのは恥ずかしいしくすぐったい。
「幸彦は賢い子だからいろんなことを抱えているのかもしれない。でも我慢はしなくていいんだ。もしも、少しでも辛かったり大変だと感じたりしたら私に言いなさい。私たちは家族なんだから。いいね」
優しく諭すとはこのことだろう。俺の悩みなんてお見通しらしい。
姉さんはいつまでたっても俺の姉さんだ。賢くて綺麗で、怒るとちょっと怖いけど俺の自慢の姉さんだ。
『……探しているのかもしれん。私が失ってしまったものを。私が無くした感情を。私にとって、姉君がどういう存在だったかを』
あいつのお姉さんも優しい人だったのかな……。
今となっては知るすべのないことかもしれない。それでも足掻くことができるのなら、狛ともっと話をしてみよう。いつかお互いの姉自慢が出来るように。
改めまして「駒川の者として」第二十二話を読んでくださりありがとうございます。
ゴールデンウイークに間に合わず……
今回で退院まで書きたかったのですが、おさまりませんでした。
話が進まず申し訳ないです。
レナの件に触れてないのは仕様なので今後の展開をお待ち下さい。
次回は少し明るめの話(お見舞い編)になる予定です。
【お知らせ】
共通ルートが終わったら、一話から少しずつタイトルをつけていこうと考えております。
作者自身が何話にどんな話をしたかわからなくなってきたという恥ずかしい理由です。
内容は変わらないので、タイトルがついたら「あ、ふーん、そんな感じ?」とサラッと流してください。
これからも幸彦たちの物語を見守ってくださると幸いです。