「駒川の者として」読んでくださりありがとうございます。
大変長らくお待たせして申し訳ありませんでした。
第二十七話になります。
それではどうぞ。
——ああ、これは夢だ。
俺は妙に冷めきった頭で思考する。夢の中で思考するなんておかしな話だが、現状を言い表すのに適した言葉だ。
俺はよく夢を見る方だと自覚しているが、夢の中で“自分は今夢を見ている”と実感することは滅多にない。
しかし、目の前で膝を抱えて泣いている少年を見たとき、俺は思ったのだ。これは夢だと。
だってそうだろう?
そう。あの少年は俺だ。茉子と芳乃様を見捨てて逃げ帰ってきた、ただただ弱虫で不甲斐ない、あの頃の俺。……まぁ、今の俺が言えたことでもないけどな。
——おい、人間。貴様こんなところで何をしている——
何処かで聞いたことのある声に、俺は思わず振り返る。
——あの娘たちはお前の大切な存在なのであろう?
それなのにいつまでこんなところで蹲っているつもりだ——
その声はどうやら俺ではなく、そこにいる
……思い出した。
俺はあの日、忘れもしないあの事件の日、この声を聞いた。
悔しさと後悔で押しつぶされて、いっそ消えてしまいたいと塞ぎ込んでいた俺は、確かにこの声を聞いたんだ。俺はこの後、声の主を探して森へ入り、結果的に茉子たちを助けることになった。
……いや、少し違うな。
あの時俺は、その声の主と思われる姿を
そこまで考えたところで、目の前の景色がグニャりと歪む。気付くと今度は診療所の中にいた。部屋はぐしゃぐしゃ。薬品棚のガラスは割れて薬品が床に転がっている。
「——あぐッ!?」
「茉子!!」
目の前がはっきりしたところで鈍い音と共に茉子が壁に叩きつけられ、俺が叫ぶ。
これは診療所に祟り神が発生した日の記憶か?また嫌な光景を思い出させてくれる。夢とわかっていながらも頭に血が上っていくのがわかった。
——何をぼさっとしている。貴様の大切な娘なのだろう?
ならば恐れるな。力を使え。貴様の力で守ってみせろ。
飲み込まれずに受け入れろ。まずはそこからだ——
またもや聞こえてくる声。
そう。 あの時も、俺は確かにこの声を聞いた。
あの時は怒りで頭がいっぱいで気が付かなかったが、10年前の事件で聞いた声と、この間の診療所で聞いた声は同一のもののように思えた。
だとすると俺は、知らず知らずのうちにこの声に二度も助けられていたことになる。
そして俺は、この声の主を既に知っている。
だが、だとするとますますわからなくなる。
俺の知っているそいつは、人一倍俺たちを恨んでいてもおかしくない。実際、俺が散々会話を求めたって拒絶されてばかりだ。
それなのに、なぜ?——
夢はそこで終わり、俺は自宅の作業机で目を覚ます。
どうやらいつの間にか眠ってしまったらしい。外は薄っらと明るくなっていた。
寝起きにしては妙に覚めた頭で俺は夢の内容を思い返す。
「君は一体、何を望んでいるんだ」
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神職の朝は早い。
日の出より前に起床してから神社の清掃を行うのが、僕の日課だ。綺麗にすれば気持ちが良いだけでなく、場を清めることにもつながる。特にこの穂織は穢れが集中しやすいようで、日々の
それが僕のライフスタイルだったのだが、今日はいつもより早く起きて、日の出前には神社の清掃を終えていた。
今日はもう一つ、やっておきたいことがあったから。
清掃や祝詞を済ませて神社を出ると、幸彦くんと彼の式神である猫丸の姿があった。
「おはよう、幸彦くん。待たせちゃったかな?」
「おはようございます、安春様。自分も今来たところです」
「忙しいのにこんな朝早くに呼び出してすまない。穂織の結界だけど、念のため今一度確認しておきたくって。僕も一応は専門家だけど、幸彦くんほど神力は使えないから」
今日の夜行われる大事な作戦を遂行するにあたって、穂織の街を覆っている結界の起点を点検してほしいと、幸彦くんにはあらかじめお願いしていた。
祟り神の恐ろしさは、僕もこの身をもって体験している。
もう何年も前の話だ。
秋穂がいなくなり、半ば自暴自棄になって自ら森へと入っていったことがある。
祟り神を一目見ただけでわかった。
これは僕がどうにかできる存在ではないと。
力のない僕はなすすべもなく大怪我を負った。あの時はいろんな人に迷惑をかけたし、芳乃も泣かせてしまった。
命を落とさなかったのが奇跡だと今でも思う。
忘れてはならない。対抗する
あんなものが街に入ってくればどうなるか。考えるだけで恐ろしい。
そんな自分にできる精一杯の行動がこれだ。
僕の我儘に付き合ってくれる幸彦くんに頭をさげる。
「お気になさらないでください。俺も確認したいと思ってましたし、何より神職の安春様がいれば心強いです」
「そう言ってくれると僕としてもありがたいよ。それじゃあ行こうか」
いつもは
助手席に座る幸彦くんは何も語らない。ただ黙って膝の上に乗っている猫丸を優しく撫でている。
「幸彦くんはこの後どうするつもりだい?」
何とは無しに僕は幸彦くんへ語りかけた。
「この後ですか?」
僕の質問に幸彦くんは少し考え、普段と変わらず毅然と答える。
「いつも通り、俺にできることをできるだけやるだけです。あとは玄十郎さんや師匠たちに夜の見回りを強化してもらうようお願いに行くぐらいですかね。念には念を入れて」
彼にとっての『できることをできるだけ』がどれほどのものか。幼い頃から彼を知っている身としては少し心配になった。
「見回りの件については僕が皆さんにお願いしにいくよ」
「い、いえ!安春様にそのようなことをさせるわけにはっ」
「あはは、そうかしこまらないでよ。むしろ、それぐらい僕にやらせて欲しい。ダメかな?」
「……わかりました。それでは、街の見回りの件に関しては安春様にお任せします」
不本意だと表情に出ている幸彦くん。少し強引だったかな。
幸彦くんの仕事を譲ってもらったのは彼に対しての気遣いか、それともこれも僕の我儘か。どちらでもいい。これ以上彼に任せっぱなしというわけにはいかないという思いは本心だった。
昨日もずっと部屋に閉じこもっていたとみづはくんから聞いたし、子供達に全て任せてしまうなんてことはしたくない。
「作戦に賛成した僕が言うのもおこがましいけど、あまり無理はしないでくれよ。幸彦くんはもっと僕たち大人を頼っていいんだ」
「……ありがとうございます。でも、本当に無理はしていませんから。ちゃんと休憩も食事もとりましたし、睡眠も、熟睡はできませんでしたがちゃんととりました」
幸彦くんは少し照れたような、それでいて悔しがるように言葉を続ける。
「これ以上、
幸彦くんの言う『あいつ』が誰なのか。彼と少しでも過ごしたことがある人なら、それが誰のことを指し示すかは明白だった。
守りたい。でも悲しませたくない。
そんな感情の間で揺れる彼の気持ちが、僕には痛いくらいわかってしまった。
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作戦は日が落ちてからということになった。
それまでは各自自由行動になる。いつも通りの生活を送るも良し、作戦に向けての準備に使っても良し。
ムラサメちゃんは今朝から姿が見えないし、常陸さんも朝食を作り終えてから用事があると言ってどこかに出かけてしまった。
そして幸彦も、昨日の朝から姿を見ていない。
朝武さんは舞の奉納をしていた。いつにも増して集中しているその姿からは、彼女の今回の作戦にかける想いが伝わってきた。呪いが解けるかもしれない。それは朝武さんにとって……いや、朝武家にとって数百年にわたる悲願だ。俺なんかじゃ想像もできないぐらいの大きな想いが彼女の肩にのしかかっているんだ。
俺は、彼女の笑顔をちゃんと守れるだろうか。
漠然とした不安が湧く。
どうにも落ち着かなかった俺は、いつも祖父ちゃんに稽古をつけてもらっている公民館を訪れていた。この時間に公民館を使う人はいない。貸切だ。
俺は正座し目を閉じる。意識を呼吸だけに集中すると、だんだん頭がすっきりしてきた。
もしかしたら今回が祟り神との最後の戦いになるかもしれない。俺は今まで祖父ちゃんに教えてもらったことを思い返す。
体の動かし方や心構え。そして実戦を意識した稽古。
稽古中に祖父ちゃんが言っていた「生き物は何かをするときに何かしらの“起こり”がある」という助言も、最近になってようやくわかるようになってきた。少しは俺も成長してるんだろう。それでも祖父ちゃんや幸彦には一本も取れてないんだけどね。
しかし、まさか俺がこんなに努力するなんて、少し前には考えもしなかった。穂織に来てから、俺の周りは努力家ばかりで。そんなみんなに感化されたんだろう。
俺が瞑想に耽っていると公民館の入り口から声をかけられる。
「やっぱりここにいらしたんですね」
「朝武さん。どうしてここに?」
「姿が見えなかったので探してたんです。玄十郎さんに聞いたらおそらくここだろうって」
今朝舞の奉納をしていた時とは違い、私服姿の朝武さん。その頭にはまだ獣の耳がピョコンと生えていた。幸彦の護符が憑代の力を抑えているにもかかわらず消えないその耳は、祟り神が出現している証拠でもあった。おそらく、今日の作戦で戦闘は避けられないだろう。
朝武さんは遠慮がちではあるが俺の隣へと腰をかける。
「俺を探してたの?」
「はい。ちゃんと謝りたくって。私のせいで有地さんにはたくさんご迷惑をかけているのに、そんなあなたを、私はまた危険な目に合わせようとしている」
ごめんなさい。と、彼女はまっすぐ俺を見ていった。そのためだけに俺を探し回っていたなんて、相変わらず真面目過ぎるというか。そこが朝武さんのいいところではあるんだけどね。
「そのことなら気にしないでよ。俺は俺の意思で君を守るって決めたんだから」
「ですがそれでは有地さんに助けて貰いっぱなしになってしまいます」
「友達なんだから当然じゃない?」
「友達だからこそです!何かお返しできればいいんですが……」
「そんなに難しく考えなくてもいいのに」
ここまでくると朝武さんが引かないのは、今までの経験でわかっている。何か適当にお返しを考えればいいのだが……。と、ちょっとした冗談を思いつく。
「だったら、今度俺とデートしない?それで今までのことはチャラってことでどう?」
「デートですか?」
朝武さんがキョトンとする。まぁ当然だろう。突然こんなこと言われたら戸惑うに決まってる。後は『もう!からかわないでください!』という反応にごめんごめんと笑って見せればこの話はうやむやにできるはず。
「……いいですよ」
「あはは!そうだよね!ごめんごめ……え?」
「ですから、その……デートしてもいいですよ。有地さんとなら……」
顔を真っ赤にして俯く朝武さん。え?なにこの可愛い反応。いや待て。今、いいって言った!?
「え?ええっ!?ほ、本当にいいの?」
「な、何度も確認しないでください。一応私たちは婚約者なんですから、デートぐらいしたって問題ありません」
「……うおぉぉぉぉぉっしゃぁぁぁぁっ!!!」
俺のやる気ゲージが限界を突破した。今なら祖父ちゃんの稽古を徹夜でこなせる自信がある。
「あ、でもいやらしいことは禁止ですよ」
「しないよ!いきなりそんな冷ややかな目線を送らないで!」
「本当ですか?ムラサメ様が言ってましたけど、有地さん、ムラサメ様の胸を触ったって」
「あ、あれは不慮の事故というかなんというか」
ムラサメちゃん!よりによって朝武さんにばらすことなだろ!
俺は心の中で毒づいた。
「ふふ、冗談です。有地さんはそんなことしないって信じてますから」
「ひ、ひどいよ、朝武さん」
どうやらからかわれていたのは俺のほうだったようだ。それにしてもあの朝武さんが冗談なんて。それだけ心を開いてくれたのか。初対面の時を考えると目紛しい進歩だと思う。いや、これが彼女本来の姿なんだろう。
「デートの約束。絶対だからね」
「はい。楽しみにしてますね」
朝武さんが小指を前にだす。これは、いわゆる指切りというやつか?恐る恐る自分の小指を朝武さんの小指に絡ませる。
「どうしてでしょう。茉子や幸彦とはよくしてたのに、恥ずかしいですね」
照れたように笑う朝武さん。そんな彼女を見ていたら、漠然とした不安なんてなくなっていた。彼女の笑顔を俺は必ず守るんだと、改めて誓うのだった。
「まぁ……大胆」
「ご主人もやるときはやるではないか」
「二人とも、出歯亀はよくないぞ」
「それなら幸彦だって同罪でしょ?」
「そうだそうだ!」
「俺は芳乃様の護衛として仕方なく見ているだけです」
「それならワタシも護衛だから大丈夫だね♪」
「吾輩もご主人の保護者みたいなものだ。安心せい」
「……いいかい二人とも。こういうのはもっと大人になってからだな……」
「失礼な!吾輩はもう立派なれでぃーなのだ!」
「あは、つまり幸彦はもう大人の階段を上っていたんですねぇ。一体誰とその階段を登ったんですか?」
「ちょ、茉子?クナイは物騒だからしまおうな?」
聞き覚えのある声が三つ。武道館の入り口から聞こえてきた。
朝武さんは顔を赤くしながら慌てて声のする扉の方へ駆けていき、勢いよく扉を開く。
そこには聞き耳をたてる幸彦たちがいた。
「あ、あはぁ……こんにちは、芳乃様……怒ってます?」
「〜〜〜〜〜もうっ!!今日という今日は許さないんだから〜っ!!!」
「まずい!逃げるぞっ」
「こらー!待ちなさーい!」
幸彦たちなら俺らに気づかれないように盗み聞きするのなんて簡単だろうに。そうしなかったのは、朝武さんの緊張をほぐすためか。はたまた、仕える主人の意外な一面につい気配を殺し忘れたか。……あの三人なら両方あり得るな。
元気に走り回る朝武さんたちを見ていたら、自分の肩の力が抜けていくのがわかった。
◆◆◆
夜。とうとう作戦実行の時間が来る。
俺たちは朝武さんの部屋に集まり、そして——
「寝たか?」
「……まだです」
「寝ましたか?」
「……だからまだ」
「寝た?」
「……もう!なんなんですか!?嫌がらせですか!?こんなに大勢の人に見られながらすぐに寝れるわけないじゃないですか!!」
追い出されてしまった。
◆◆◆
「作戦前に何をやっているんだ、君たちは……」
「いやぁ、つい」
幸彦が呆れたようにため息をつく。
いや、悪気はなかったんだよ?俺も作戦前で緊張してたし。決して朝武さんの寝顔を拝めるチャンスとか思ってませんから」
「ご主人、声に出てるぞ」
「はぁ。本当なら小一時間説教したいところだが、まぁいい。芳乃様のことは茉子と姉さんに任せて、俺たちは作戦概要のおさらいをしておくぞ。と言っても、ほとんど予想のつかない、運頼みの行動だけどな」
幸彦の纏う雰囲気が変わる。所謂仕事モードだ。自然と居間の中の空気が引き締まる。
今夜、朝武さんの体を一時的に憑代に明け渡す。そして憑代同士が惹かれ合う性質を利用して穂織の山に散らばっている憑代の欠片へと道案内させる。
文面だけ見れば簡単のように思われるが、当然、問題はある。
まず、今回の作戦にはタイムリミットがあるということ。
憑代に体を明け渡すのは決して安全とは言えないらしい。朝武さんの体のことを考えるなら最長でも1時間以内に欠片を見つける必要がある。それ以上時間をかけると魂が憑代に侵食されかねない。幸彦はそう言った。
そして、不確定要素が多すぎることも問題だ。
本来祟り神が出現することで現れる朝武さんのケモノの耳。それが昨日から出ずっぱりになっている。しかし憑代の力が予想以上に高く、ムラサメちゃんでも祟り神の気配を辿れないらしい。
つまり今、穂織の山の中にどれだけの祟り神が発生しているのかがわからない状態なのだ。いつも以上に警戒しながら山を歩かなければならないだろう。
こちらが欠片に惹かれるのではなく、欠片がこちらに惹かれる可能性だってある。その場合、多数の祟り神と戦うことになるかもしれない。
「今まで以上に危険な戦いになる。覚悟は出来てるな、有地」
「おう」
俺の返事に幸彦は満足気に、しかし真剣な顔で頷いた。
「万が一の為に姉さんはここで待機している。本堂では結界が弱まらないように安春様が
「怪我だけはするな、だろ?」
「おお、ご主人もよくわかるようになってきたな」
俺たちの反応に幸彦は少し大きめに咳払いをする。常陸さん曰く、幸彦の照れ隠しの一種らしい。
「そこまでわかっているなら、俺から言うことはもうない。それに、どうやらそろそろのようだ」
幸彦がそう言うと、朝武さんの部屋の方から慌てたように駆け寄る足音が聞こえて来る。そして勢いよく襖が開かれ常陸さんが顔を出した。
「みなさん!すぐにいらして下さいっ!」
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「呼吸も正常、脈拍も問題はないね」
みづはさんが目を醒ました芳乃様の様子を診る。芳乃様は誰の言葉にも反応はせず、ただ焦点の合わない目を開いたまま微動だに動かない。
「一種の催眠状態に似ているかな。まさか本当に憑代に体を明け渡してしまうとは」
「朝武さんは大丈夫なんですか?」
いつもとは明らかに様子の違う芳乃様を見て、有地さんが心配そうに問いかける。
「今のところはね。でもここからは幸彦の言う通り、何が起きるかわからない。申し訳ないけど、私にできることはここまでだね」
申し訳なさそうに俯くみづはさん。ワタシたちは落ち込む必要はないと声をかける。
「あとはワタシ達のお勤めです。みづはさんがいてくれるだけで心強いんですから」
「ありがとう常陸さん。怪我はしてほしくないけど、何かあれば私も全力を尽くすよ。駒川の名にかけて」
「姉さんの言う通りだ。茉子、有地、ムラサメ様。あとはよろしくお願いします」
と、そこで芳乃様がワタシ達のことは目に入らない様子のまま、ゆったりと動き始めた。
「後を追うぞ」
ムラサメ様の一言で、有地さんとムラサメ様はそのまま芳乃様を追いかけていった。ワタシも続こうと部屋を出そうとすると後ろから声がかけられる。
「茉子」
「幸彦?どうしたの?」
「いや……気をつけてな」
今にも泣きそうなその姿は、昔と変わらぬ幼馴染の姿だった。
ワタシは努めていつも通りに返事をする。
「あは、心配してくれてありがと。行ってきます」
「ああ、行ってらっしゃい」
ワタシは振り返らずにムラサメ様達を追いかけた。
◆◆◆
いつもお勤めで夜の山にはよく入っている。でも、今日の穂織の山はいつもよりも不気味な暗闇に包まれていた。
芳乃様はその中を迷いのない足取りで進み続ける。
「どこまでいくんだろう」
「気を抜くでないぞ、どこに祟り神がいるかもわからん状態だ」
「わかってる」
ワタシ達は周囲を警戒しながら芳乃様を追いかける。
山の中腹あたりまで来た頃だろうか。少し開けた場所で芳乃様は立ち止まり憑代を掲げる。憑代はその赤い輝きをどんどん強め、ついにはその光が爆発した。
「……ッ!?今のは?」
「憑代から一段と強い気配の波が広がったぞ」
「つまり、これから何かが起きるというわけですね」
緊張が走る。ワタシはクナイを構え、有地さんは叢雨丸にムラサメ様を宿らせる。同時に藪の中をガサガサと動き回る気配が近づく。
「俺が前に出る。常陸さんは朝武さんを」
「わかりました」
芳乃様を庇うように前に出る有地さん。再び叢雨丸を構えなおしたその時、奥から祟り神が姿を表す。
「せぁっ!!」
油断ない動きで有地さんが先制攻撃を仕掛ける。この数週間でさらに磨きのかかった有地さんの動きは、どこか幸彦の動きに似たものがあった。
祟り神から慌てたように繰り出される触手を冷静に去なす有地さん。すぐさま懐に入り込むと容赦ない一振りを祟り神に浴びせる。祟り神は霧のように霧散する。後には欠片だけが残っていた。
「これで終わりかな?」
『決めつけるのは早計だ。今のは憑代の信号に引き寄せられたものの一つだろう』
「芳乃様に変化は見られませんし、そう考えたほうがいいですね」
そこまで言ったとき、再び藪をかき分ける音とともに近付く黒い気配。
『ご主人!』
「わかってる!」
藪からは
目の前には5体の祟り神がジリジリと迫ってきていた。
「これは……想定していた最悪の状況じゃないか?」
「あ、有地さん。残念ですが想定以上かもしれませんよ」
「なっ!?」
背後から迫る黒い気配。ワタシはその気配を見逃さなかった。5……いや最低でも7体以上の気配が迫ってきている。
「じょ、冗談だって言ってくれないかな?」
「ワタシ、冗談は好きですが、この状況でそんな悪趣味な冗談なんて言いませんよ」
『い、いかんぞ。気配がどんどん濃くなってきておるっ。ご主人!』
「このままじゃ囲まれますっ」
「「「………」」」
選択肢はもう、一つしかなかった。
「逃げようっ!!」
ワタシ達が踵を返して走り出すのと同時に、多方面から触手が降り注いだ。先ほどまでワタシ達がいたところは土煙で見えなくなる。
ワタシは叢雨丸を有地さんから預かり、有地さんは芳乃様を抱えて脱兎のごとく走り去る。
「ムラサメ様、有地さん!こっちへ!」
ワタシは二人を先導して
「ふぇ……あ、あれ?私さっきまでお布団で寝ていたはず……って、あ、あ、有地さん!?なんで私有地さんに抱かれているんですか!?ち、近いです。もう少し離れてください」
「朝武さん!今緊急事態だから!あと、そんなにしゃべってると舌噛んじゃうよ!」
どうやら目を覚ました芳乃様が慌てふためいている。こんな状況でなければ非常に微笑ましいのですが、そんな余裕はなかった。
「説明はあとで!今はこの状況はどうにかします!」
「この状況?……って何ですか!?祟り神の波がすぐそこまで!」
「わかっておる!茉子、まだ着かないか?」
霊体に戻ったムラサメ様がワタシに問いかける。
「ムラサメ様っ。もうすぐ例のポイントです!合図と共に神力を!」
「承知した!」
あと数十メートル。あと数メートル。
そして背後から数多の触手が襲いかかる。
「今ですっ!」
ワタシの声に合わせムラサメ様が手を叩く。触手がワタシ達を捉える瞬間。光の柱が現れ追いかけていた数体の祟り神を囲む。
祟り神は苦しむような声をあげてその場から動かなくなる。
「い、今のは!?」
「幸彦の仕掛けた罠だ。吾輩の神力に反応して術式を起動させ結界を発生させた。これで数分間は足止めできる」
「いつの間にそんなものを……って、昼間見かけなかったのはこれをしかけてたから?」
「ご名答。幸彦がどうしてもと言って聞かなくてな。だがおかげで助かった」
有地さんはまだ信じられないといった顔で間の前の光を見ている。かくいうワタシもここまで大きな術を見るのは初めてだった。一体いつこんなものを覚えたのだろう。ここにはいない幼馴染に半ば呆れ、その倍感謝をしながらワタシは行動を促す。
「とりあえず、距離をとりましょう。ここにいる祟り神が全てとは限りません」
◆◆◆
その後何回も祟り神の群れに遭遇しては、幸彦が作った罠を利用し逃げることに成功した。
「ぜぇーはぁー……ぜぇーはぁー……すぅぅ、はぁぁ」
「ご主人、大丈夫か?」
「はぁ、はぁ……な、なんとか。体力作りして、おいてよかったよ」
「あ、有地さん、もう大丈夫ですから、その……そろそろ下ろしてもらえますか?」
「あ、ゴメン」
有地さんはゆっくりと芳乃様を下ろす。
いまだ戸惑う芳乃様にワタシはこれまでの状況を説明した。
「それで、あの数の祟り神が……」
「最悪のケースになってしまった。すまない。吾輩がこんな作戦を立てたばかりに」
「ムラサメ様のせいではありません。私たちだって賛成したんですから、私たちだって同罪です」
「そうですよ、ムラサメ様。むしろ今は、この状況をなんとかするのが先決です」
おそらく山の中の欠片全てが祟り神になってしまったであろう今、この窮地を逃れるにはどうすればいいのか。ワタシ達は頭をフル回転させ考える。
こうしている間も、祟り神はこちらに迫ってきているのだ。
「幸彦の罠は使えないかな?あれで祟り神を倒すのは——」
「難しいであろうな。確かに高度な術だが、祟り神を祓うほどの力はないと幸彦本人が言っておった。吾輩の神力が込められているから多少は弱体化できるだろうが、ここは穂織の山。悲しいことに穢れはすぐに回復するだろう」
「そんな……」
「でも、時間稼ぎには最適ですよね」
ワタシの発言にみなさんの顔がこちらに向く。
「祟り神の動きを封じているうちにできるだけ数を減らす。それしか方法はありません」
他に良案は思いつかなかった。持久戦になるが、幸彦が仕掛けてくれた罠はまだまだ残っている。有地さんたちはまだ悩んでいるようだが、どうやら敵は待ってくれないらしい。
気がつくと目の前にはワタシ達を追ってきた祟り神の群れがいた。ここまでで数十体にその数を増やしている。
すぐに襲い掛かることはなく、今までの罠を警戒しているようだった。
その時だった。
一体の祟り神が耳をつんざくような不快な高音を発する。同時に憑代が赤く妖艶に輝く。それを合図に周辺の祟り神が泥のように溶け出し、一つ、また一つと合わさっていく。
「え……?」
声をあげたのは誰だったか。おそらくその場にいる全員が目の前の祟り神の行動に目を見張る。
泥は一つになり、姿形を大きく変えた。
そこにいるのは、黒い、一体の大きな山犬だった。
「診療所で見たのと同じ!?いや、それにしてはでかすぎるような」
「まさか、合体までできるとは……」
祟り神は動かない。こちらの出方を伺っているようだ。まるで生きて意思を持っているように。
「みなさん落ち着いてください。これはむしろチャンスです」
「チャンス?」
「1対多数より1対1の方がやりようはあります。それに、ワタシ達はあの状態の祟り神の攻撃パターンもすでに知っている」
「確かに、今はみんな武器もある。あの時みたいに一方的にやられることはない?」
「そういうことです」
もちろん、だからと言って安心できる相手ではない。大きさも診療所の時より大きくなっているし、手数も増えている可能性もある。しかし、ここで心が折れてしまえば、勝てるものも勝てなくなってしまう。
きっと幸彦ならこう言ってワタシ達を鼓舞するだろう。
でもここに幸彦はいない。なら、一番戦闘経験があるワタシが、みなさんを引っ張らないといけない。
ワタシ達が武器を構え直すと、祟り神はゆっくりと姿勢を落とし、狙いを定める。
「危ない!」
「下がって!」
「きゃっ」
芳乃様をかばいながら後ろに下がる。直後祟り神の尻尾が地面に叩きつけられ大きなクレーターを作った。確実に診療所で見た祟り神より威力が高い。
あれを真正面から受けたらひとたまりもない。
「ワタシが時間を稼ぎます。隙ができたら、芳乃様は矛鈴で援護を。有地さんはそのうちに祟り神へ攻撃をお願いします」
「時間を稼ぐって……茉子!一体何をするつもり!?」
ワタシが答えるより早く、祟り神が二度目の攻撃を仕掛けてくる。有地さんはその攻撃に気づき芳乃様を下がらせる。しかし、ワタシは引くわけにはいかない。冷静にクナイを構え、最小限の動きで尻尾の攻撃をいなす。
「芳乃様、尻尾が止まったら矛鈴を!」
勢い余って叩きつけられる尻尾。
おかげでわずかに隙ができる。
その隙に祟り神へと距離を詰める。
「茉子っ!やめて!お願い!!」
「常陸さんっ!」
『茉子っ!』
芳乃様達の悲鳴にも似た声が聞こえる。だが、ここで止まるわけにはいかない。
ふと、小さい頃の出来事を思い出す。
『すごいよ、茉子!!全然わからなかった!』
『お、大袈裟だよ。こんなの覚えたって全然役に立たないもん……』
『そんなことないよ!茉子が必死に修行して覚えたものなんでしょ?ならその努力は絶対に裏切らない。僕が保証する!それでも茉子のお父さんがひどいこと言ったら、僕が茉子のお父さんを怒ってやるんだから』
『……あ、あはぁ。い、言ったね幸彦!破ったらまた女装して街中散歩してもらうから♪』
まだ忍者として未熟だったワタシに幸彦が言ってくれた言葉。とても嬉しかったのを今でも覚えてる。だからなのか。ワタシはこの技だけは誰にも負けない自信がある。祟り神にだって、通用すると確信してる。
祟り神が体をひねり、再び尻尾をワタシめがけて振り払う。
瞬間、ドゴッっと鈍い音と共にワタシの体が叩きつけられる……ように見える。
ワタシが最も得意とする「変わり身の術」
無事に祟り神を騙してさらなる隙を作ることに成功した。
遥か上空からクナイを振り下ろし祟り神の尻尾を突き刺し地面に固定する。
「芳乃様!今です!」
ワタシの声にハッとした芳乃様は、慌てて矛鈴を尻尾に突き立てる。
これで尻尾の攻撃は使えない。
「有地さん!」
「わかった!」
すでに祟り神へと駆けていた有地さん。彼の動きも見事なものだった。初めの頃とはまるで別人だ。しっかりと祟り神の動きを見極めている。
「でっかくなった分、動作の“起こり”が解りやすいんだよ!」
そう言って祟り神の攻撃を避けていく有地さん。
いける!
誰もがそう思った。
だからこそ、近づいてくる
「グルルルァァァァ!」
鋭い爪が芳乃様を狙う。
気がついた時には、ワタシは芳乃様をかばうことで精一杯だった。
ワタシと芳乃様は大きく吹き飛ばされる。
抑えていた尻尾が自由になり、有地さんも叩きつけられた。
形勢逆転。まさか巨大化した祟り神がもう一体いるなんて、誰が想像できるだろうか。
「ぐっ……ガハッ」
体が動かない。このままでは……。
ワタシは背後から襲ってきた祟り神に目を向けた。
そこには、普段よりも数倍どす黒い祟り神がいた。視界に入れただけで全身の毛が逆立つ感覚。いつもの祟り神が復讐や怒りの化身だとするならば、この祟り神はまさに悪意の塊だ。
何より、その祟り神は笑っていたのだ。口角を引き上げ不気味に、笑っていたのだ。
ゆっくりと尻尾を振り上げる祟り神。まるでこの状況を楽しんでいるように見えた。
無慈悲にも尻尾を振り下ろされ、そして……。
「させるかぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
突如として現れた幼馴染によって祟り神は殴り飛ばされたのだった。
改めまして、「駒川の者として」第二十七話を読んでくださりありがとうございます。
更新が遅くなり大変申し訳ございません。
なかなか筆が進まず、書いて消して書いて消しての繰り返し。
仕事の忙しさも相まってこんなことに。
なんとかエタらずに先に進めましたが、今回で共通ルートを終えられない失態。
コロナで大変なご時世ですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
これからも、幸彦たちの物語をお楽しみください。