「駒川の者として」読んでくださりありがとうございます。
第八話になります。
それではそうぞ。
この街も随分と変わったものだ。
こんなにも人にあふれ、男も女も、異国の者さえ互いに笑い合いながら暮らしている。外から人が来ることなど、生きていくのが精一杯だったあの頃には考えられなかった。
「ねぇねぇ、お父さん!お母さん!これ、あげる!」
「うん?おお、綺麗な花だね。」
「うふふ、ありがとう」
仲睦まじい親子のやり取りが目に入る。
『父上!母上!畑の草刈が終わりました!』
『ありがとう。■■はいい子だな』
『当たり前じゃないですか。私とあなたの娘ですよ』
ふと、昔のことを思い出してしまう。
「人に撫でられるのは、あの頃以来になるのか……」
くすぐったくて、暖かくて、気持ちよくて、なんだか恥ずかしい。
本当はもっと撫でてもらいたかったが、そこまでわがままを言うわけにはいかない。それでも…
自分の頭に手を伸ばす。
「吾輩は、浮かれていたのだな」
この体になって初めて触れられた男。
無礼者で、お調子者で、頑固で、一本芯が通っていて、努力家で、なんだか憎めない、そんな男。
「ご主人のせいだぞ。吾輩が今更、あの頃を思い出すなんて」
目の前の家族が遠くなるのを、吾輩はずっと見守っていた。
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「幸彦、本の整理が終わったら店先を掃いてくださいね」
「わかりました」
今日は榎本さんが経営している古本屋のバイトの日。
「あ痛たた。本当におやじさんは加減を知らないんだから」
本を運ぼうと持ち上げた瞬間、体が悲鳴をあげる。
昨日の魚海のおやじさんとの手合わせのせいで、体のあちこちが痛んで仕方がない。ここの温泉がなかったらこんな無理はできないと思う。
「あのおバカさんに手加減なんてできませんよ。幸彦もそれを理解したうえで手合わせをお願いしたんですから、文句を言う資格はありません。ほら、てきぱき働きなさい」
女性に対してはものすごく紳士的で、普段も優しい人なのだが、結構人使いが荒い榎本さん。稽古でも笑いながら容赦なく放り投げられる。要はドSなのだ。
「榎本さん。この巻物って」
「ああ、それは奥の棚にお願いします。あと、その右に置いてあるツボや石碑はこちらに持ってきてください」
この古本屋、ただの古本屋ではない。古い巻物や書物、骨董品に至るまでいろいろ取り揃えている。そのためマニアックな客が多い。
まぁ、俺もそのマニアックの一人で、図書館にない歴史書や古文書の類、巻物など、呪詛の研究に役立つものをここで仕入れている。
なぜこのような商品をわざわざ手に入れ販売しているのか。それは榎本さんの趣味だからとしか言いようがない。
店内の整理を終え店先を掃いていると、見知った、けれども珍しい顔を見かける。
「ムラサメ様?こんなところでどうなされたのですか?」
ぼんやりしていたのか、ムラサメ様は俺に話しかけられると、ハッとした様子でこちらを向く。
「ぬ?おお、幸彦か。なに、気分転換に街をぶらぶらしていただけだ。気にするでない」
「そうでしたか。有地はどうしたんです?姿が見えませんが」
「ご主人なら、玄十郎に新しく入る従業員の案内を任されてな。一緒にいても話しかけられんから、気を利かせて別行動をしておるのだ」
「へぇ、志那都荘に新しい従業員ですか。確かに、有地なら無意識にムラサメ様に語りかけちゃいそうですね」
ムラサメ様が見える人間は少なく、現状、芳乃様と茉子と有地と俺の四人しかいない。ほとんどの人間がその存在を認識できないのだ。
もし従業員の案内中にムラサメ様に話しかけてしまえば、独り言を言う男に見えてしまうだろう。
「そうなのだ。ご主人は抜けたところがあるからな」
「それだけムラサメ様を大切に思っているんですよ」
有地はなぜかムラサメ様に触れることができる。今まで前例がないことなのでその理由はわかっていない。
叢雨丸に選ばれた人間だからなのか、それとももっと別の原因があるのか、こっそり調べてはいるんだが、はっきりとした答えは出ていない。
ムラサメ様に触れることができる有地には、ムラサメ様の重さや温かさなども感じることができるらしい。
そのせいか、彼の中ではムラサメ様という存在が守護者という特別な存在ではなく、ただただ親しい普通の女の子に見えるのだろう。
「吾輩を、大切に……」
ムラサメ様はそう呟くと、意を決したようにこちらを向く。
「幸彦、少しだけ吾輩の話を聞いてくれないか?」
「話ですか?」
「聞くだけでいいのだ、頼む」
ムラサメ様からそんなことを言うのは初めてだったので驚いてしまった。だが、俺も今までいろんなことをムラサメ様に相談してきたので断る理由はない。
「わかりました。掃除が終われば昼休憩に入りますので、少し待っていてください。すぐに終わらせます」
◆◆◆
掃除を終え休憩をもらった俺は、少し場所を移動して、坂道の上にある広場のベンチに腰掛ける。
ムラサメ様も隣に腰掛ける。
土曜日ということで、広場には多くの家族連れの姿がみえた。
お父さんに肩車をしてもらっている女の子。その光景を見ながら、ムラサメ様はポツリポツリと語り出した。
「最近な、昔のことを思い出すのだ」
「昔のこと、ですか?」
「うむ。ずーと昔、吾輩がまだ生身の人間であった頃のことだ」
それはつまり、ムラサメ様が人柱になる前の話なのだろう。
「今までこんなことはなかったのだ。思い出さないようにしておった。それなのにご主人といると、ふとした瞬間に記憶が蘇ってくるのだ」
「それは、有地がムラサメ様に触れることができることと関係があるんでしょうか?」
「かもしれん。この数百年間、吾輩の姿を見れるものでさえ限られておった。触れられる人間などご主人が初めて。人の温もりが感じられるだけで嬉しくなってしまう、その気持ちが……少しだけ怖いのだ。」
ムラサメ様は何百年もの長きにわたって、叢雨丸の管理者として見守ってくださった。その数百年間の間に多くの別れも経験している。
親しくなればなるほど、別れというのは辛くなる。
だからこそ、普段は達観して行動するようにしてきたのだろう。
ムラサメ様の苦しみを、俺は考えることしかできない。だけど——
「その気持ちは、怖がるものではありませんよ」
「だが、いつかは別れなければならないのだぞ?その時を考えると吾輩は……」
ムラサメ様はそのままうなだれてしまった。
「ムラサメ様は言っていましたよね。有地が叢雨丸に選ばれたのには理由があるはずだと」
「あ、ああ」
「なら、その有地と触れ合うことで得た気持ちだって、なにか意味があることだって考えることはできませんか?それに、過去を懐かしむ気持ちも、親しい人と過ごして嬉しい気持ちになるのも人間としてごく当たり前の感情です」
「だが吾輩は人間では——」
「有地はきっと人間としてムラサメ様を見ていますよ。もちろん俺も芳乃様も茉子も。俺の計画では、ムラサメ様も守る対象なんですからね」
気休めに聞こえるかもしれないが、それが本心だ。呪詛を解くことができれば、叢雨丸の守護者であるムラサメ様を解放する手段だって見つかるはず。いや、見つけてみせる。
事実、一応の仮説は出ている。
有地がムラサメ様に触れ、温もりや重みを感じていると知ることができたからこそ、導き出された一つの考えが。
「……おぬしの性格を忘れておった。幸彦はそういう奴だったな」
半ば呆れ顔のムラサメ様は、立ち上がって俺の目の前にくる。
「感謝するぞ、幸彦。まだ切り替えることは難しいが、それでも幾分か楽になった」
「いえ、話を聞くぐらいしか俺にはできませんから」
「まったく、自分のことになるとどうしてそこまで悲観的になるのだ。吾輩が感謝の言葉を言っているのだから、そこは素直に喜ぶべきだと思うぞ」
「あはは……善処します」
いろんな人にそう言われて、反省はしているのだが、この性格はなかなか治らない。
「あのー、少しよろしいでありますか?」
いきなり話しかけられドキッとする。
大きな声ではないものの、はたから見れば独り言でしかない。
動揺を隠しながら声のした方へ顔を向けると、そこには女の子がいた。
髪は金髪で、大きなキャリーケースを引いている。
外国人観光客だろうか?その割には日本語がうまい。
「えーと……どうしましたか?」
「申し訳ありません。少し道を教えていただきたいのですが」
どうやら観光途中で道に迷ったらしい。
「むむむ。なんというでかさっ!異国のものはどうしてあそこまで胸が育つのだっ!」
後ろでムラサメ様が胸に手を当てながら、静かに、だが激しく憤っている。
確かに……大きい……。いや、いかん。女性にそんな視線を受けては失礼だ。
頭を振り、雑念を取り払う。
「?」
「よし。それで、どこに行きたいんですか?」
「ここなのですが、自分が今どこにいるのかも検討がつかない状況でありまして……」
「ああ、ここならそこの坂道を下ってすぐつきますよ」
「本当でありますか!ありがとうございます!勇気を出して話しかけて良かったです!穂織に住む人はやっぱり優しいですね」
お礼とともに頭を下げた彼女は、俺から目線を外すとにっこりと微笑み、教えた道を駆けて行った。
気のせいだろうか。彼女の目線の先にいたのは——
「いま、ムラサメ様に笑いかけましたか?」
「いや、偶然であろう。少し驚きはしたが、我輩が見えるものはお前たちしかいないはずだ。ただ……」
「ただ?」
「あの者から妙な気配を感じた気がしたのだ。例えて言うなら、そう。ご主人に似た気配と言うのかのう」
ムラサメ様に送ったように見える目線。有地と似た気配。もしかしたら、彼女は本当に見えていたのではないか…
俺が考えに集中しようとしたその時、
「きゃああああああ!!!」
「うわああああああ!!!」
彼女が駆けて行った坂道の下から、彼女の声と聞き覚えのある声が聞こえてきた。
ムラサメ様と目が合う。お互いやれやれという顔をする。
「それでは、行ってきます」
「うむ。ご主人をよろしく頼むぞ」
簡単な言葉をかわして、俺は坂道を下るのだった。
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柔らかい。
衝撃の後暗転したので、てっきり気絶のパターンだと思っていたが、どうやら俺の顔がなにか柔らかいものに包まれているだけらしい。
暖かくて、柔らかくて、ふにふにして気持ちよくて、いい匂いがして、心臓の鼓動のようなものが聞こえる。
ん?心臓の鼓動?
ハッとして顔を上げると、目の前には金髪の可愛らしい女の子がいた。俺はその女の子の上に押し倒すような形で倒れているようだ。
暖かくて、柔らかくて、気持ちよくて、いい匂いがして、俺を衝撃から守ってくれたものは、なんと、おっぱいだった。
おっ!おおおお、おっぱい!!!
俺は慌てて立ち上がる。
「ご、ごめん!!!大丈夫!?」
「あいたたた、はい。なんとか」
差し伸べた俺の手を掴み女の子は立ち上がる。
……やはりでかい。ワールドクラスと言っても過言ではないだろう。
「わたしの方こそすみません!怪我してませんか?」
「大丈夫、なんともないよ」
そう言って彼女を安心させるため手首や体を動かしてみせる。
「むしろありがとうございました」
「?こんな時にもありがとうを使うのですか?
「ああ、いや、今のは変則的な使い方だから」
怪我の功名。すごく柔らかかったです……。
「でも怪我がなくて本当によかった……」
女の子は心底案した表情をした。
「お二人とも、大丈夫みたいですね。よかった」
常陸さんが駆け寄ってくる。どうやらぶつかったのは俺だけのようだ。
「それにしても、いったいどうしたの?ものすごい勢いだったけど」
「申し訳ありません。待ち合わせの時間に遅れてしまいそうだったので急いでいたのですが、坂道に入ったところで荷物の勢いが止まらなくなってしまいまして……」
よく見ると、大きなキャリーケースを引いていた。
「観光か何かですか?」
「いえ、住み込みで働きながら留学させていただくのですよ。待ち合わせも、これからお世話になる旅館の方に案内をしてもらうためだったのです」
金髪で、大きなキャリーケース、旅館に住み込みで働きながら留学、それって——
「もしかして、レナ・リヒテナウアーさん?」
「?なにゆえ、わたしの名前をご存知で?もしや……人さらい!?神隠しですか!?」
神隠しは誘拐じゃないと思う。
「違うって。俺は有地将臣っていいます。志那都荘までリヒテナウアーさんを案内するように頼まれて迎えに行くところだったんだ」
「ワタシは常陸茉子といいます。案内のお手伝いできました」
「そうなのですか?そうとは知らず、失礼なことを!は、ハラキリですか!?」
「いや、そんなことでハラキリはしないよ!?」
ハラキリって、いつの時代の話だよ?
「少々混乱してしまいました。改めまして、ありがとうございます。レナ・リヒテナウアーであります。以後お見知りおきを」
丁寧に頭をさげるリヒテナウアーさん。日本語もだいぶ流暢で外国人とは思えない。いや、体つきは外人のそれだが……。
「ヤラシイ顔してるぞ、有地」
「へっ!まじ!?って幸彦!」
坂道の上から幸彦が降りてきた。ほんと、神出鬼没だな。
「上の広場にいたら、聞き覚えのある悲鳴を聞いたからな、それに——」
幸彦はリヒテナウアーさんの方を向く。
「彼女の悲鳴も聞こえたからな」
「oh!先ほどのお優しい方ではありませんか!」
どうやら、迷子のリヒテナウアーさんに道を教えてあげたらしい。そのすぐ後に悲鳴が聞こえたため駆けつけたのだそうだ。
「ほほう。随分と手が早いんですねぇ?」
「俺を廉太郎と一緒にしないでくれないか?」
常陸さんが黒いオーラを出している。俺の周りって怒ると怖い人多いような……。というか、幸彦の中でも廉太郎って女たらしなんだな。
「とにかく無事みたいでよかったよ。俺は駒川幸彦。この二人の知り合いだ」
「レナ・リヒテナウアーです。先ほどはありがとうございました」
そうして二人が握手をしようとした瞬間だった。
「「っ!」」
お互いに手を引っ込める。
「どうしたんだ?」
「いえ、少しだけビリっときてびっくりしてしまいまして」
「………」
えへへと笑うリヒテナウアーさんとは違い、じっと自分の手を見つめる幸彦。
「どうしたの?」
「いや、後で話す」
小声で常陸さんと短い言葉を交わす。だが次の瞬間にはいつもの幸彦に戻っていた。
「申し訳ない。静電気なんて久しぶりだったから驚いてしまった。リヒテナウアーさんの方こそ平気かい?」
「ヘーキでありますよ。あ、わたしのことは気軽にレナとお呼びください。では、改めて」
今度は普通に握手をすることができた。幸彦の反応が気になったが、その前にじいちゃんから頼まれてた仕事をやらないとな。
「自己紹介も済んだところで、街の案内に移りたいんだけど……どこか行きたいところとかってあるかな?」
「希望を言ってもよろしいのなら、実はわたし、ここに来るまで迷子で走り回っていて…昼食がまだでありまして……大変お腹が空きましたぁ〜」
レナさんがお腹を抱えると、キュ〜とかわいらしい音が鳴る。
「でしたら、食事に行きましょうか。なにか食べたいものはありますか?」
「スシ!テンプラ!焼き鳥♪」
最後だけ妙にテンションがちがうな。
「幸彦、今言った料理が美味しいオススメのお店ってどこかな?」
「そうだな〜……いや待て、もしかして俺も付いて行くのか?」
「あはっ、だって幸彦、美味しいお店たくさん知ってるでしょ。レナさんがより穂織の良さを知ってもらうにはちょうどいいかな〜って」
「確かに、幸彦がいれば俺も心強いかも」
さっき食べた鮎も美味しかったし、きっといい店を教えてくれるんじゃないかと期待してしまう。
「まぁ、別にいいけどさ。レナさんもそれでいいかな?」
「もちろんですよ!ユキヒコがどんなお店を紹介してくれるのか楽しみです!」
「ははは、期待に応えられるように頑張るよ」
◆◆◆
幸彦に連れられて寿司屋に入る。
「ここならスシも天ぷらも安くて美味しい。好きなのを注文するといいよ」
「にぎりのセット。ワサビアリアリでお願いします!」
「あいよ!」
「おっすし、おっすし〜♪」
レナさんのテンションが高い。それだけお寿司が食べたかったのだろう。
俺と常陸さんはお腹がいっぱいなので飲み物だけもらう。店に対して非常に申し訳ない気持ちになったが、観光地では無茶な注文店も多いそうなので、店主は気にするなと言ってくれた。
本当に穂織にはいい人がたくさんいるんだな。
「大将、同じのでワサビ抜きも一つ」
「まかせときな」
幸彦がレナさんに気付かれないように注文している。ワサビが苦手なことを知られたくなかったのだろうか?
「憧れの日本でお寿司が食べられるなんて……感謝感激雛霰です!」
「あはは、惜しい感じで間違えてるんだよなぁ」
「レナさんは本当に日本がお好きなんですね」
「はい!わたしの家は一族郎党日本が好きなんですよ」
話を聞くに、レナさんの高祖父が穂織を訪れたことがあり、その話が息子へ、そのまた息子へと語り継がれてきたらしい。レナさんもその話を聞いていたから東京ではなく穂織に留学をすることにしたらしい。
「穂織には留学制度が整っておらず、旅館の見習いで頼み込んで、ようやく留学ができました」
「働きながら留学か……大変なんじゃない?」
「かもしれませんが、わたしの家は裕福ではありませんので、むしろありがたい話であります」
「しっかり者だな」
「しっかり者ですね」
「二人して俺を見ないでくれないか!?」
レナさんには負けるかもしれないが、俺だってしっかり者なんだぞ?洗濯だって自分でしてるし、あとは……ほ、本当にしっかり者だぞ、俺は!
「と、とにかく!何かあったらいつでも言って。力を貸すから」
幸彦も常陸さんもレナさんを見ながら頷く。
「はい!ありがとうございます」
なんだかいいな。こういうの。俺もこの街にきたばかりの時は不安だらけだったけど、朝武さんも常陸さんも幸彦も安春さんも、みんな親切にしてくれた。今度は俺がレナさんにこの街の良さを伝えていきたい。そう思った。
「へい!にぎりお待ち!」
話がひと段落ついたところでお待ちかねの寿司が運ばれてくる。
「わお!おっすし、おっすし〜♪」
目がキラキラと輝くレナさん。なんだか見ている俺らまでウキウキしてしまう。きっとこれが彼女の良さなのだろうな。無意識に周りに幸福を撒き散らすような存在。出会ってまだ数時間しか経ってないがそう感じた。
お箸の持ち方も完璧なレナさん。彼女の実家でも日本食がたまに出てくるらしく、小さいときからお箸の扱いには慣れていたそうだ。
そんな彼女が最初に口にしたのはたまごだった。
「ん〜!ほんのり甘くて美味しいです!」
「ほう。なかなか分かっているじゃないか。たまごはシンプルに見えて作るのが難しく、たまごの味を見れば店の味がわかるとさえ言われている。それを最初に食べるとは……」
「へ、ヘェ〜……そうなのか。……幸彦なんかキャラおかしくなってない?」
「いつものことです。お気になさらないでください」
にっこり笑う常陸さん。
気にしないことにした。
しかし、レナさんは本当に美味しそうに食べるな。お腹いっぱいだけど俺も食べたくなってきた。そう思った時だった。
「————ンンッ!!」
固まるレナさん。だんだんと顔が赤くなり、涙が溢れる。
「お、おいひいれす!」
『『『ワサビだめだったんだ』』』とこの場のみんなの心が一つになった。
「レナさん、大丈夫?」
「大丈夫れす。おいひいれす」
「日本人だってワサビが苦手な人がいるんだ。無理はしないでいいんだよ」
「でも、日本の情緒を理解するためにはこのぐらい」
「あのー……一応言っておきますけど、『侘び寂び』と『ワサビ』は全く別のものですよ?」
「なんですと!?」
なんという勘違い。なんというか、レナさんらしい間違いだよな。
「な、なんと……そのような事実が……ワサビを抜いて良かっただなんて……ファッキンワサビ」
声を震わせるほど悔しがるレナさん。
「ほら、こっちはワサビ抜きだから。交換しよう」
「うぅ。ありがとうございます」
涙を流しながら幸彦のサビ抜きのお寿司と交換する。
もしかして幸彦のやつ、こうなることを予想していたのか?
俺が目を向けると、幸彦もこちらに気づく。
「一応サビ抜きも頼んでおいたんだ。もしワサビがダメでもすぐにサビ抜きを食べられるようにね。ワサビが平気そうならそのまま食べてもらえばいい。そう考えたんだ」
小声で教えてくれる幸彦。いつもの心配性というやつだった。
「本当に食に対しては手を抜かないんだな」
「娯楽が少ないからね。バイト代なんか研究資料か食べ物でしか消費できないんだよ」
「ユキヒコはバイト戦士でありますか?」
こんどは美味しそうにマグロを食べているレナさん。心の汗も引っ込んだみたいだ。よかったよかった。
「戦士ではないけど、バイトはしてるよ」
「たしか、魚屋と古本屋だっけ?」
頭の中に魚海さんと榎本さんの姿を思い浮かべる。あの人たちと一緒に仕事するのって大変なんだろうなぁ……。
「あとは、診療所の手伝いとか、神社の手伝いとか、商店街の店の手伝いもたまに」
「清掃業のアルバイトもしてたよね」
「あー、魚海のおやじさんに紹介してもらったやつだな」
「そんなにたくさん!ユキヒコは働き者ですね」
「幸彦は働いてないと死んじゃう病ですから」
「なんと?!死んでしまうでありますか?」
本当に働き者だなと思う。きっと体も鍛えてるし、呪詛の研究だってしている。休んでいるのか心配になるぐらいだ。
本人は平気そうな顔をしているが、顔に出さないタイプだしな……。
「そういえば、今日って古本屋さんのバイトの日じゃなかった?」
「あ」
静寂がその場を支配する。
幸彦は真っ青になりながら、冷や汗をかいている。
顔に出さないタイプって言ったそばからガッツリ顔に焦りが見えちゃってるよ。ていうか、古本屋さんってそんなに怖いの?
「茉子……」
「いいよ。一緒に行こ」
「助かる!ごめんレナさん、有地。急用ができた。会計は済ませてあるから。それじゃ!」
あっという間に店を飛び出す幸彦。幸彦にも怖いものがあるんだなとしみじみ思う。
さりげなく会計まで済ませてあるのが幸彦らしい。
「うちの幸彦がご迷惑おかけしました。申し訳ありませんが失礼します。レナさん。また学校で会いましょう」
「お、オタッシャデー!」
常陸さんも幸彦を追いかけて行ってしまった。
「お二人ともすごい速さでしたね。まるで忍者みたいでした!」
「あははは」
約1名本物の忍者なんだよな〜。
「ごめんねレナさん。二人きりになっちゃったけど」
「ヘーキでありますよマサオミ。マコもユキヒコもいい人でした。皆さんとこれから同じ学校に通うことになると思うと楽しみで仕方ありません!」
キラキラの笑顔でそう言ってくれるレナさん。
なんていい子なんだ。
「それじゃあ、そろそろ行こっか」
「はい!エスコートお願いしますね、マサオミ♪」
幸彦の無事を祈りながら、レナさんを連れて志那都荘へ向かう。
彼女の高祖父がそうだったように、彼女にとっても、この穂織が第二の故郷と思えるようになりますように。
そう思わずにはいられなかった。
改めまして、「駒川の者として」第八話を読んでくださりありがとうございます。
今回はちょっとした日常回になりました。
冒頭からムラサメちゃん視点に挑戦しました。
ムラサメちゃんの気持ちを想像しながら書かせていただきました。
後半は難産でした。レナさんの人となりを紹介するシーンだったので原作の良さをどこまで残しながら、オリジナルの話を混ぜようかと、結構悩みました。レナさんの口調も難しかったです。
気がつけば9,000字越え。反省です。
次回は有地の特訓がとうとうばれます。