1940年12月30日午前9時
大英帝国首都、ロンドン―
小雪の舞うこの都市は、歓喜に沸いていた。
金融街として知られるシティでは、キオスクに多くのビジネスマンが殺到していた。
「デイリー・テレグラフ」紙の見出しには、「ハーク・ロウリア拘束! ロウリア降伏」と載っていた。
人々はそれを見るや否や、歓声を上げたのだった。
その頃
ロンドン、
イギリス首相のウィンストン・チャーチルは、ロデニウス戦争の戦勝会見を行うべく、会見室へ向かっていた。
会見室に入ると、
チャーチルはマイクの前に座ると、演説を始めた。
「イギリス国民の皆さん、首相のウィンストン・チャーチルです。各報道で取り上げられている通り、12月29日午後11時に、ロウリア王国が降伏しました。
この2ヶ月の間、我が国とフランスは、隣人をロウリアの魔の手から助けるべく、戦ってきました。この戦争では、多くの方の命が失われました。我々は、亡くなった兵や市民にも、思いを馳せなければなりません。
そして我々は、平和な大西洋地域を築かねばなりません!今後もイギリスは、自由の為に邁進していくでしょう!」
チャーチルの演説が終わると、会場からは拍手が起きた。
続いて、質疑応答が始まった。
先ず最初に質問したのは、「ガーディアン」紙の記者だった。
「ガーディアンのアルヴィン・バーンズです。チャーチル首相、ロウリアの戦後処理は如何される予定ですか?」
「ロウリア王国の戦後処理については、来月中に講和会議を開き、そこでフランス、クワトイネ、クイラの3ヵ国と協議をする予定です。」
チャーチルが答弁をする。
その後も質疑応答は続き、1時間後には会見が終了したのだった。
1941年1月20日(中央暦1639年11月11日)午前10時
イギリス、ウィンザー城―
朝から霧が立ち込めていたここウィンザーでは、ロデニウス戦争の講和会議が開かれようとしていた。
「チャーチル殿、ロデニウス戦争もようやく終結しそうですな。」
フランス大統領のペタンがチャーチルに言う。
「そうですな。ロウリアには戦争責任を取って貰わねばなりません。」
チャーチルが言う。
チャーチルとペタンが話していると、会議室へと案内された。
30分後には、各政府の代表が到着し、会議が始まった。
「では、先ずイギリスの要求を発表します。」
イギリスのイーデン外務大臣が壇上に立つ。
イギリスの要求は、以下の様な物だった。
1. ロウリア王国は、2年間、イギリス・フランス・クワトイネ・クイラの分割統治とする。
2. ロウリア王国は、絶対王制を廃止し、立憲君主制の国家とする。なお、現国王ハーク・ロウリア34世は退位する。
3. ロウリア王国は、クワ・トイネ公国とクイラ王国に2億ポンドを支払う。イギリスとフランスに対しては、それぞれ5000万ポンドを支払う。
4. ロデニウス戦争における、ロウリア王国の戦争犯罪は、裁判を開き、求刑を行う。
5. ロウリア王国は、軍備を陸上兵力10000人、海軍兵力5隻、ワイバーン30騎まで削減する。
イギリスの要求が終わると、フランスの要求が出された。
フランスの要求は、2.を除きイギリスと同じであった。
2. ロウリア王国は、絶対王制を廃止し、共和制への移行を行う。現国王ハーク・ロウリア34世は退位し、王族は政界から追放する。
フランスの要求が終わると、続いてクワ・トイネ公国、クイラ王国と要求が続いた。
この2ヵ国の要求は、イギリスのそれと同じ物であった。
各国がそれぞれの要求を出すと、2.についての話し合いが始まった。
話し合いは1時間続き、最終的にフランスがイギリスの案に折れる形で合意に至った。その他にも、幾らかの修正が行われ、要求案が纏まったのだった。
最終的な要求は、以下の様な物である。
1. ロウリア王国は、2年間、イギリス・フランス・クワトイネ・クイラの分割統治とする。
2. ロウリア王国は、絶対王制を廃止し、立憲君主制の国家とする。なお、現国王ハーク・ロウリア34世は退位し、イギリスから王族を招く。
3. ロウリア王国は、クワ・トイネ公国とクイラ王国に2億5000万ポンドを支払う。イギリスとフランスに対しては、それぞれ5000万ポンドを支払う。
4. ロデニウス戦争における、ロウリア王国の戦争犯罪は、裁判を開き、戦犯に対し求刑を行う。但し、ハーク・ロウリア34世の戦犯指定は行わない。
5. ロウリア王国は、軍備を陸上兵力10000人、海軍兵力5隻、ワイバーン30騎まで削減する。
6. ロウリア王国のギーウナー港は、自由港とする。
1時間後、ロウリア王国の代表はこの条件に合意。文書には5ヵ国それぞれの代表のサインがされ、「ウィンザー講和条約」が締結された。
こうして、正式にロデニウス戦争は終わりを告げたのだった―
1941年2月1日(11月23日)
フランス首都、パリ・
ここパリ司法宮では、ロウリア王国の戦争犯罪人の裁判が開かれようとしていた。
被告人席には、首相だったヤミレイや国家元帥だったパタジン、そしてパーパルディア皇国への逃亡を企て逮捕された元ハーク親衛隊長アデムなど、戦犯達が座っていた。
裁判では、「ギム大虐殺の指示は誰の物であったのか」が焦点となった。
その場に居たアデムは「上からの指示であった」としたが、陸軍総司令官兼国軍大臣パタジンは「その様な命令は上層部からは下していない」とし、意見の食い違いが生じた。
そこで、当時ハーク親衛隊員でアデムの副官であったクナレが証言台に立った。
「ギムを親衛隊が攻めた時、アデム大佐は市街において略奪や暴行、更に市民の処刑を行う様に兵達に命令しました。私は上層部からの指示が来ていない事を理由に反論したのですが、大佐はその指令を取り消しはしませんでした。更に、クワ・トイネ公国軍のモイジ准将以下ギム守備隊を、その場で魔獣によって処刑していました。」
クナレがそう証言すると、傍聴席の一般人からは非難の声が上がった。
更に当時の伝令記録も証拠として出され、アデムの言い分は虚偽の物であった事が判明した。
裁判は約1ヶ月に亘って続き、3月2日(12月22日)には、判決が出た。
被告人の該当した罪状と判決は以下の様な物だった。
ヤミレイ/ロウリア王国首相
平和に対する罪により禁錮15年
パタジン/陸軍総司令官兼国軍大臣
平和に対する罪、戦争に対する罪により禁錮20年
アデム/ハーク親衛隊長
戦争に対する罪、人道に対する罪により終身刑
パンドール/ロウリア第1軍司令官
平和に対する罪、戦争に対する罪により禁錮5年
ミミネル/ロウリア第2軍司令官
平和に対する罪、戦争に対する罪により禁錮5年
スマーク/ロウリア本土防衛隊長兼ギーウナー守備隊長
平和に対する罪、戦争に対する罪により禁錮5年
シャークン/「無敵艦隊」総司令官
平和に対する罪、戦争に対する罪により禁錮5年
被告人達は特に控訴もせず、「パリ軍事裁判」は幕を閉じたのだった―
第2章は今回で完結です!
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次回は英仏が「ある国」と接触を果たします!