春。市立雀が原中学校の卓球場では、練習着姿の部員たちが勢ぞろいしていた。その視線は今年入ってきたばかりの新入部員たちに注目している。
「xx小学校出身、天下ハナビ! 卓球は小5からやってます! よろしくお願いします!」
「同じく、出雲ほくとです。よろしくお願いします」
横一列に並んだ新入部員たちが自己紹介していく。上矢あがりは隣の同級生が紹介を終えると、一歩前に出て堂々と口を開く。
「上矢あがりです。よろしくお願いします」
以上だった。卓球で一番になる熱意は人一倍強いものの、この場でそれを伝えて先輩方に宣戦布告するほど向こう見ずではないし、卓球人なら口先よりプレーでやる気を示すべきだろう。
次の同級生が「月ノ輪紅真深です」と言うと、最後の一人に出番が回る。あがりもちらと横目で見やる。
「橘カヤです。関西から引っ越してきました。よろしくお願いします」
橘のゆったりした口調から伝わるのはのんびり屋の気性だった。眠そうな半眼と二重まぶた、目元にかかる前髪と人形のようなおかっぱ頭がその印象を後押ししている。
ともあれ、これで自己紹介は終わった。入部して最初にまず何をするのだろうか、と上矢が部長に目をやると、二年の先輩、後手キルカが「はいちゅうもーく」と声をあげる。
「初心者の人手をあげてー。その人たちは私たち二年で面倒見るから、こっちに集まってねー」
キルカの誘導に従い新入部員の多くがはけていく。残ったのはあがりと天下、出雲、月ノ輪、橘、の五人だった。五人そろって部長の紫藤に注目し、その視線に答えるように紫藤が口を開く。
「経験者の子は総当たり戦で実力を見るわ! そっちの台も使っていいから各自10分でアップを済ませなさい!」
「うおー、いきなり試合か! 腕が鳴るな、ほくと!」
「そうだね」
「試合……!」
あがりの目の色が変わった。卓球で一番になるなら、当然同級生の中でも一番でなければならない。この総当たり戦でそれを証明するいい機会だろう。
まずはストレッチを始めようと床に座ると、やけに隣の月ノ輪から視線を感じる。こっそり覗き見るとあさっての方向を向いていたので、気にせずアップに取り掛かった。
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「どっちもがんばれー!」
あがりの初戦は橘カヤだった。試合前の練習ラリーをしていると、人懐っこく元気いっぱいなハナビが声援を飛ばす。むろん、あがりはがんばって勝つこと以外考えていない。
試合は時間の都合上一セットマッチで行われる。先輩方や初心者の同級生たちも注目しており、実力をアピールするにはもってこいだ。
ラリーが終わって審判の前でラケット交換。使っているラケット、ラバーからある程度相手の戦い方を予測することができる。あがりはのラケットはシェーク裏裏、戦型はドライブ主戦型。ボールに強い回転をかけてガンガン攻める攻撃タイプだ。対する相手のラケットは、
(シェークの裏と粒高。ふふん、楽勝ね)
表面が平らな裏ソフトラバー、粒粒で覆われている粒高ラバーのシェークハンドラケットだった。あがりは勝利を確信する。この手のラケットを使う相手には負けたことがないのだ。
ジャンケンでサービスを勝ち取り、あがりのサーブから試合が始まる。
(フォアに短く出して相手のバックに深く三球目。まずはこれで相手の出方を見る)
さすがにラケットを見ただけで相手の実力を見切ったとは思わない。最初の一手は堅実に。あがりは下回転のサービスを打ち出す。
相手のレシーブはツッツキか、ストップか。このコースなら粒高は使わないはず――が、橘はあがりの想定を大きく外れた行動に出る。
「なっ!?」
「わ、ワンラブ」
あがりのフォアサイドに鋭くレシーブが突き抜け、橘に得点が入る。一瞬静まり返ったギャラリーは、ざわざわと騒ぎ出す。
「すっごいレシーブだな! あれなんて言うんだっけほくと?」
「フリック、払いだね」
フリックとは、三バウンド目が台上におさまる短いサービスに対する攻撃的なレシーブである。払いの別名の通りラケット角度を合わせて払うように振るう。ボールの回転量に対し的確にラケット角度を調節するので、習得難易度はそれなりに高い。
「上矢さんのサービスは回転量、高さ、コース、どれも良かった。あれを払うには相当の技術がいるね」
ほくとの解説を聞きながらもあがりは気を引き締めなおしていた。相手が粒高ラバーを使っているからといって慢心していたのだ。
粒高ラバーは軽く当てるだけで初心者には対応の難しいナックルボールを打ち出せる特殊な性質を持つ。この性質のおかげで初級者の間では天下無双に近いが、ナックルへの対応に慣れた中級者以上を相手にするととたんに厳しくなる。多くの選手はこの厳しさを実感すると粒高ラバーを引っぺがし裏ソフトや表ソフトに変える。
そういった印象と経験から、あがりは粒高ラバーイコール初級者だと思い込んでいた。
橘は眠そうな目、表情をぴくりとも動かさずレシーブの構えをとっている。その冷たい戦意に負けないよう、あがりは頭を振るって気持ちを切り替え、次のサービスモーションに入った。
(台上の技術力は高い。じゃあここは!?)
狙いは橘のバックサイド。ロングの上回転サービスだ。ここなら粒高ラバーでレシーブし、弱い下回転になって返ってきたボールをループドライブで――というあがりの戦術は砕け散ることとなる。
(えっ!?)
橘は待ってましたと言わんばかり、回り込んでドライブを打ち抜いた。後のことは一切考えていない、身体全体を使った大きなモーションによるパワードライブ。
あがりのフリーハンドの真横をノータッチで駆け抜けたボールは、防球フェンスに当たって高く跳ね上がる。
「審判さん、得点」
あまりの威力に目を丸くしている審判に橘が告げる。カウンターの札がめくられ2-0。
(粒高、使いなさいよ……)
レシーブエースを二回連続で決められたあがりは、呆然としながら弱弱しくそう悪態をつくしかなかった。
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試合は11-9であがりの勝利に終わった。
初心者の同級生に周りを囲まれ、すごいすごいと持ち上げられるあがりの大好きな感覚。勝利するといつも注目され、ほめられるこの感覚はあがりの生きがいの一つだった。
しかし、今回ばかりはまったく気持ちよくない。なぜ自分が勝てたのか分からないからだ。
まるで狐につままれたような感覚。知らずのうちに試合が終わっていて、勝手に勝ちが転がり込んでいたような得体のしれない不安感。
「惜しかったなー橘さん!」
「お疲れ。ラバーとラケットがあってない。どっちももっと弾むのに変えた方がいいと思う。あと粒高いらない」
「ありがとう天下さん、出雲さん。ラケットとラバーはしばらくこのまま。粒高は絶対いる、むしろこれの扱いが課題だし」
ハナビとほくとに労われている橘を睨みながら、あがりはその名前を倒すべき敵として心に刻んだ。勝つではなく倒す。心の底から勝ったと確信できるような勝利を勝ち取ることを誓う。
「あ、あの、お疲れ様。それと久しぶり、上矢さん」
すると、次の対戦相手である月ノ輪があがりに声をかける。
久しぶりと言われても顔と名前に覚えはなかった。どうやら昔大会で戦ったことがあるようだが思い出せない。
あがりがそういうと、月ノ輪は気にしないでと言いながら台につく。練習ラリーの後に試合が始まり――あがりは敗北した。
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それから一時間半後、部内新人戦は上から月ノ輪、あがり、橘、出雲、天下という結果に終わった。
台を片付け、モップをかけ、クールダウンを終えた部員たちは更衣室で制服に着替えている。先輩後輩入り混じって新人戦の感想を明るく交わしているが、目元に涙の痕が残るあがりは暗い表情で黙り込んでいた。
必ず一番になるはずが終わってみれば二位。なぜ勝てたのか分からない不気味な白星が一つと、圧倒的な実力差を見せつけられた完敗の黒星が一つ、普通の白星が三つ。
といっても、勝負の結果に駄々をこねるほどあがりの経験は浅くない。月ノ輪に完敗した後思い切り泣いたことで心の整理はついている。あがりの気分を落ち込ませているのは初戦の相手――橘カヤの順位だった。
橘はあがりが負けた月ノ輪に圧勝し、天下を下した後、出雲に負けて二敗、三位の順位におさまった。
(月ノ輪さん相手にあの試合内容で圧倒した。なのにどうして出雲さんに負けたの? 本当に私は勝ったの?)
出雲はサービスから三球目で得点するパターンが多く、戦術的な卓球をする。しかし三球目攻撃を読まれたりレシーブから攻撃されると立て直す力に乏しく、あがりの印象ではそこまでの実力ではなかった。
なのに橘は出雲に負けた。
「上矢さん、ちょっといい?」
「もしかして私の試合で手を抜いた? そんな――」
「あの、上矢さん?」
「ひゃあ!? な、何よいきなり!?」
不意に疑問の中心人物、橘に声をかけられあがりは小さく悲鳴をあげた。
今まで一人で思考に没頭していたあがりに声をかけたことで、更衣室内の注意があがりと橘に向く。その気配を感じ取ってか、橘は更衣室の外へ目を向け「外で話さない?」と口にした。
あがりとしても橘に聞きたいことはいくつかある。いそいそと荷物をまとめ更衣室の外へ向かう。
二人きりで向かい合うあがりと橘。先に口火を切ったのは橘だ。
「月ノ輪さんに対する必勝法があるんだけど、聞きたい?」
「え……!?」
月ノ輪との試合は散々だった。横回転のかかった独特のカットに翻弄され得意な得点パターンをほとんど使えないままセットを落とした。もし必勝法なんてあるなら是非とも知りたいのがあがりの本音だ。橘と月ノ輪との試合内容を考えると、信憑性はそれなりにある。
「本当はこういうの、自分で気づいた方がいいんだけど。気づいても一人じゃ実践できないだろうから、声をかけた。どう?」
「……なんでそんなこと、わざわざ教えてくれるの?」
「自分に勝った人が簡単な壁でくじけてほしくないから」
相変わらず眠そうな目で、表情を変えず答える橘の声に揺らぎはまったくない。
「橘さんは、私の試合で手を抜いたんじゃないの?」
「本気だったよ。今の私にできる最高の試合をした。手を抜くなんて失礼なことしない」
「そう。そう、よね。変なこと聞いてごめん。必勝法、教えてくれない?」
「うん。まず――」
更衣室から出てきた同級生たちは、熱心に話し込むあがりと橘を遠目から見つめていた。その中でも月ノ輪の視線はひときわ熱く、羨望のまなざしを橘に送っていたのだった。
※注意
当ssはコミック六巻までの情報に基づきます。
話の都合により独自に情報を補完することがあります。
・申し訳程度の用語解説
ラバー:ラケットに貼っ付いてる赤いやつと黒いやつ。以下の四種がある。
裏:裏ソフトラバー。表面が平らでボールに回転をかけやすい。もっとも一般的。
表:表ソフトラバー。表面が低い粒に覆われていて、速球を打ちやすい。割と一般的
粒高:粒高ラバー。表面が高い粒に覆われていて、奇抜なプレーに向いている。そこそこ一般的。
アンチ:アンチトップスピンラバー。一見裏ソフトだが表面がツルツルで回転がかけられない。非常に珍しい。