雀が原中学校卓球部では部内戦がさかんだ。部員全員で基礎メニューをこなした後、試合形式のワンセットマッチが行われ、その結果が部内ランキングに反映される。ランキングはよく見える場所にでかでかと掲げられるため、部員のモチベーションは高い。
あがりたちが入部してから一週間目の今日も、激しい部内戦が繰り広げられている。
「よしっ!」
先取点を決めたあがりはガッツポーズ。月ノ輪は信じられないものを見るように大きく目を見開いている。
もっとも注目を集めているのは月ノ輪とあがりの試合だ。試合は双方の合意のもと行われるが、入部したあの日からあがりが「あともうちょっとだから」と月ノ輪の誘いを断り続けてきた。そんなあがりが試合をしているということは、リベンジの準備が整ったことを意味する。特に二年、三年からの視線が熱い。
そして、あがりのリベンジを手伝った橘も試合を遠目で見守っていた。
「これなら大丈夫、かな?」
「橘さん?」
「ああ、うん、ごめん」
不安げに首をかしげる橘だったが、すぐそばで名を呼ばれ我に返る。目の前には同級生の出雲ほくと。橘は彼女に誘われ試合をする直前だった。
練習ラリーを終えラケットを交換する。一週間前に試合したばかりなので交換の必要はないが、形式的なものだ。
「やっぱり……」
「え?」
が、ほくとは橘のラケットを矯めつ眇めつしながら意味深なつぶやきを発した。表情は険しく、その視線はラケット表面のラバーから橘の下腹部へ向かった。
訳も分からず疑問符を頭上に浮かべる橘だったが、ほくとは構わずラケットを返し、橘もつられてほくとのラケットを返した。
ジャンケンでサーブ権を決め、試合はほくとのサーブから始まる。橘は視界の隅で進行するあがりの試合を気にしながらも、今の自分にできる精一杯の卓球を始めた。
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あがりのバックハンドスマッシュが月ノ輪コートのサイドラインに鋭く突き刺さる。バックからフォアへ必死で飛びつく月ノ輪だったが、ボールはラケットヘッドからわずか数センチの箇所を突き抜けていった。
「11-7! マッチウォンバイ上矢さん!」
「やったぁー!」
ギャラリーから盛大な拍手が送られ、「ナイスゲーム!」「上矢さんすっごーい!」「月ノ輪さんもナイスファイト!」など歓声の雨あられが降り注ぐ。やるからには何ごとも一番。そんな意味のこめられた自分の名前通りのすがすがしい勝利に、あがりは達成感に満ちた最高の笑顔を咲かせた。
「これで一年の最強は上矢さんだ!」
「すごいスマッシュだったね! あの曲がるカットをあんなにバシバシ打っちゃうなんて!」
「いやいや、一年生たち? カットを打ってたのはドライブね。ドライブとスマッシュの違いは――」
一年の歓声に二年が細かな修正を入れている間、あがりは座り込んで動かない月ノ輪に近づいていく。もしかすると飛びついたときどこかケガでもしかのかもしれない。そう心配して声をかけようとすると、
「ちょっと、お手洗いに行ってくるね!」
「あっ、月ノ輪さん……」
月ノ輪はいそいそと卓球場を出て行ってしまった。あがりの伸ばした手が所在なさげに揺れる。あがりと同じく心配げな顔を見せる一年生に対し、二年、三年は仕方ないとでも言いたげに顔を見合わせ頷いていた。
つい一週間前11-3の圧倒的スコアで勝利した相手に見事リベンジされたのだ。悔しさやショックのほどは想像に余りある。
気まずげなあがりの肩に、二年の後手キルカがポンと手を置く。
「まあ、そっとしといてあげなよ。ゆっくり落ち込む時間も必要だ」
「後手先輩……はい、そうですね」
「うん。ところで、いいカット打ちだったね。月ノ輪さんの曲がるカットをあんなに安定して打つなんて、同じカットマンの私から見てもびっくりだよ」
カットとは台から離れた場所でボールに下回転をかける打法を言う。月ノ輪はこのカットに下ではなく横回転をかけ、通常より大きく曲がるカットを得手としており、相手を左右に振り回しつつ特殊な軌道で打点をずらしミスを誘う戦い方だった。
この特殊な戦い方に対し一週間で対策をたて、実践するのは並大抵のことではない。後手は緩い口調でほめながらも実は心の底から感心していた。
「はい。でも私一人の力じゃないんです」
「うん?」
「彼女、橘さんに手伝ってもらいました」
あがりの見ている方へ後手も視線を向けると、橘が出雲と試合しているのが目に入る。審判の持つカウンターによると9-7で出雲優勢のようだ。
「実は――」
二人の試合を眺めながら、あがりは語りだす。
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入部した翌日は土曜日で、練習は午後からだった。雀が原中学校には卓球場があるため他の部と練習場所を取り合うことはないが、部活動の名目上顧問の日本一先生が都合のつかない時間は活動ができないのだ。
その日の午前7時、あがりは制服姿で校門の前で待ち合わせしていた。橘の自宅に卓球台があるらしく、そこで必勝法を教えてもらう手はずだった。
「おはよう上矢さん……」
「おはよう。寝不足? ちゃんと寝ないと大きくなれないわよ」
「寝不足じゃない。朝弱いだけ……じゃ、移動しながら説明するね」
待ち合わせ時間ぴったりにジャージ姿で現れた橘は、眠そうな目をこすりつつ、あがりを案内しながら必勝法を説明する。
「卓球の初心者はよく空振りする。これは四センチのセルロイド球の軌道に慣れてないから。でも数をこなしていけば空振りの頻度は下がり、最終的には何百回でもスイートスポットで打てるようになる。ここまではいい?」
「ええ」
「月ノ輪さんの曲がるカットの強みは、特殊な軌道で打点をずらされること。だから卓球初心者と同じように、曲がるカットも数をこなして軌道に慣れれば大丈夫。つまり、必勝法とは曲がるカットを打ちまくって慣れること」
ふむふむ、と大人しく聞いていたあがりだったが、内容を呑み込んだその瞬間猛然と橘に詰め寄った。
「それができれば苦労しないわよ! あのレベルで曲がるカットを打てる選手がそうホイホイいるわけないでしょ!」
「ホイホイはいないけど、心当たりはある」
「本当でしょうね?」
「騙されたと思ってついてきて。後悔はしない……と思う」
不安になるフレーズを付け足す橘だったが、月ノ輪を攻略する方法は現実それくらいしかない。あがりは不安な気持ちを押し殺し橘についていく。
到着した橘の実家は平屋の一軒家だった。玄関には入らず縁側のある庭を回り、裏手に回るとベニヤ板やトタン板で雑に作られた小屋が見える。
吹けば飛びそうな粗末な造りだったが、木の扉を開けて中へ入ると意外にもこぎれいな卓球場となっていた。中央には上等な卓球台が鎮座し、コンクリートの床には膝への負荷を和らげるマットが敷かれている。照明の明るさも申し分ない。天井は高く、ロビングやハイトスサービスの練習もできるだろう。ただ、横には狭いので後陣からドライブの引き合いをするには向かない。
「いいところね」
「でしょ。じいちゃんの手作り」
眠たげな表情に微笑を浮かべる橘。思わずほめ言葉を声に出したあがりは赤面して顔をそらし、そそくさとストレッチに入った。
お互い十分なアップを済ませたのち、台を挟んで向かい合う。なんとはなしに基本のフォアラリーから始める。卓球人が二人台についたら、試合をするかラリーをするかしかない。そしてラリーの始まりはまずフォアラリー。言葉は不要だった。
パン、パンと小気味いい音をリズムよく響かせながら、あがりは橘の腕前に舌を巻く。
(やっぱり上手い……! 無駄な動きがまったくない)
ボールの強弱は常に一定、コースも数ミリ程度の誤差で安定している。試しにわざと橘ののフォアのサイドラインへボールを送ってみると、最小限の身体の動きでボールに追いつき、同じコースへ返してきた。
すさまじい安定感を見せる橘に、あがりはかつての試合相手を重ねていた。年齢問わず誰でも参加できるオープン大会。その三回戦で当たった名前も知らない大学生は、橘と同じような安定感を有していた。後に大学卓球界で全国レベルの強豪だったと知った。
(じゃあ、これは!?)
あがりは不意打ちでドライブを放った。得意のループドライブではない、標準的な回転量と速度に留まるそれは、低い弧を描いて橘のコートへ飛んでいく。
それに対し橘は素早く台から離れる。そしてボールを十分に身体に引きつけ、バックカット。
「くっ!?」
橘のバックカットは月ノ輪のそれとうり二つだった。あがりにとっては試合中に散々してやられた曲がるカットだ。打ち損じないよう、軌道を予測して足を動かすが――
「うそ……」
ボールの軌道は想定よりもはるかに急なカーブを描いた。あがりのラケットにかすることもなくノータッチで後ろへ抜ける。
「昔、カットマン目指してた時期がある。曲がるカットも覚えた。どう?」
「……最ッ高よ! もう一本!」
「はいよー」
あがりの特訓はこうして始まった。フォアカット、バックカットともに月ノ輪のカットの回転量を上回っており、軌道に慣れるにはうってつけだった。その上、曲がるカットの戦術的な強み、使い方を解説した上で得点パターンを構築するシステム練習にも重点を置いた。
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その結果を今日示すことができた、とあがりは締めくくる。
「本当は左右に振られた時対策にフットワークと持久力のトレーニングもしたかった、って橘さんは言ってたんですけど」
「まあ、その二つは一週間でどうにかなるもんじゃないからねえ。しっかし、ふうーん、そっか」
後手は細い目を見開き、試合中の橘を興味深げに見やる。
「面白い子ですね、部長」
「そうね!」
「うわっ、紫藤先輩!?」
後手の隣にはいつの間にか部内ランキング一位、部長の紫藤が仁王立ちしていた。
「一セット見ただけで月ノ輪さんの戦術を分析し、対策を考え人に教え込む。相当の実力がなきゃできないことよ」
「ですね。だからこそ、どうしてわざわざ――」
「11-8! ほくとの勝ちー!」
後手の言葉は審判をしていた天下の声にさえぎられた。橘と出雲の試合は一週間前と同じく、出雲の勝利で終わったようだ。
うっすら汗をにじませた橘と、ホクホクと息を切らしている出雲が試合後の握手を交わす。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました。……出雲さん?」
あいさつを終えても握手が終わらない。どうやら出雲の方が手を離さないようで、橘が首をかしげている。
すると出雲は若干赤面しつつ口を開く。
「女の子としてそれはどうかと思う」
「んん?」
「ノーパン」
「んんっ!?」
出雲が空いた左手で指差すのは橘の下半身。周囲が一瞬凍り付いたかと思うと、口々に「ノーパン!?」「マジで!?}などとざわめき出す。
「な、なんで分かったの? 試合中に中身見えた?」
「ほくとの実家は卓球ショップだからなー! 使ってるラバーから選手の情報を読み取るくらい簡単だぞ!」
「そう、戦型、得意技、使用頻度、使用期間、パンツの柄さえも。でも、ノーパンはパンツの柄が見えなかった。つまりノーパン」
「そうなんだ。面白い特技」
「だろー!」
「もふもふしないで」
出雲の髪飾りをもふもふし出す天下。じゃれあう二人を微笑まし気に見つめる橘。まさかのノーパン暴露にざわめく周囲は置いてけぼりだ。
が、黙っていられないあがりはずんずんとその三人に近づいていく。
「なんでのんきに話してんのよ!? 橘さんはほんとにノーパンなの!?」
「うん。なんなら見る?」
「見るかっ!」
「そういえばノーパン、なんで?」
出雲が口をはさむ。ノーパン呼ばわりには誰もつっこまない。
「男子トップのM選手って、卓球やってるときパンツはいてないって聞いたから。強い人の真似は強くなる第一歩。みんなもやろう」
「やりません!」
周囲の部員たちの声がきれいに重なった。
結局この日から橘は部活動中のパンツ着用を義務付けられ、着替えの際あがりが監視につけられるようになり、出雲からは「ノーパン」ではなく「水玉パンツ」と呼ばれるようになったのだった。