全国中学校卓球大会。
夏大会、全中とも呼ばれるその大会で雀が原はシングルス、ダブルスともに躍進を見せた。実力者ぞろいの二年、三年はもちろん、少ない出場枠をもぎとってシングルスに参加した一年のあがりとクマミも注目を集めた。
あがりは入部初日に完敗して以来クマミをライバル視しており、大会決勝の場で決着をつける腹積もりだった。クマミの方もあがりの最高の泣き顔と勝利を手にするための舞台として決勝戦を目指し死力を尽くす。結果としては二人とも都ベストエイトの戦績におさまったものの、二人の名は都下有数の実力者として知れ渡ることとなった。
部内一位の紫藤は地区予選を一位で突破、勢いに乗って全国大会に出場し一回戦負け。団体戦では部内ランク上位から選び抜かれた精鋭が奮戦し関東大会に出場した。
なお、あがりは強力なループドライブの印象からドライブ四天王の一角、北のドライブマンなる異名を獲得した。四天王といっても他に三名いるかどうかは定かではない。
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「とまあ、そんな感じだったなー」
「へー」
夏休み明けの九月初頭、夕暮れに照らされる通学路をカヤとハナビが歩いている。話題は夏の大会だ。カヤは実家の卓球教室に夏中ずっとヘルプで入っていたので、大会前の合宿にも大会にもまったく関われなかった。結果は休み明け初日の練習で聞いていたけれど、同じ部活の仲間が活躍したことを聞くのは何度聞いてもいいものだ。
「特にクマミがすごくてなー! 私とあーちゃんの邪魔をする奴はぶっ壊すって感じで、まさに鬼気迫る感じだったぞ!」
「それでも負けたんでしょ。相手がよっぽど強かった?」
「そんなにだったなー。たぶん張り切りすぎて体力が切れたんだと思う」
「大会の難しいところだね」
雑談を交わしながら歩いているとカヤの実家についた。玄関を素通りし庭を通って卓球場へ。ハナビはその場でさっと練習着に着替えストレッチを始めた。その表情は心なしかいつもより強張っている。
さて、どうしてカヤとハナビが二人きりで卓球場にやってきたのか。
今日は平日だが顧問の日本一先生の都合が悪く、急遽練習が中止となった。卓球のことしか頭にないカヤはさて自宅でサーブ練習するか祖父に相手を頼むか、卓球場へ行くかと考えていたところ、休み時間にハナビがやってくる。
『ちょっと相談したいことがあるんだ。放課後付き合ってくれないか?』
これに対しカヤは二つ返事で承諾、どうせ話すならうちに来て一緒に打とうと誘った結果、現在に至る。
誰かの相談に乗ったことなんてないけれど、同じ卓球人なら卓球をやってればうまくいくだろう。言い換えれば『よく分かんないけど卓球やってればどうにかなるさ』というのがカヤの考えだった。
その考えを実践しようと台の前に立つ。ハナビもすでに準備を終えいつでも打てるようだ。まずは基本のラリーから初めて後は流れで――というカヤの段取りに待ったがかけられる。
「カヤ。私と勝負してくれ!」
「……別にいいけど。何かあった?」
だしぬけに言い出したハナビの声音は硬い。いつもの天真爛漫な笑顔はなりを潜め、口を真一文字に結んで瞳には強い決意が見える。
試合はいつでも誰とでも歓迎だけれど、ハナビの様子が変なことだけは気にかかる。
「何でもない! 三セット先取で頼む! いくぞ!」
「うわっ、と、はいはい」
強引に試合前の練習ラリーを始めるハナビ。カヤは不意打ち気味のボールを慌てて打ち返しながら了承を返した。
ハナビの異変の理由はともかく、ボールには強い戦意と気合が乗っている。であれば同じ卓球人として同等の気合でもってお返しするのが礼儀だろう。
瞬時に試合モードへ思考を切り替えたカヤは、打倒ハナビのための戦術を数十パターン脳裏に展開した。ある事情からハナビの戦型――ペンホルダー前陣速攻型の攻略法は無数に完成しているのだ。その完成度たるや、粒高ラバーの扱いに慣れていない入部初日ですら一方的に勝利できるほどである。
かといって卓球に絶対はない。ラリーの一球ごとにカヤの心から慢心が薄れ、サーブ権をかけたジャンケンをするころには冷徹な卓球マシンがごとき鋼のメンタルに至っていた。その威圧感におされたハナビが一歩後ずさるものの、強い視線で睨み返す。
こうして試合は始まった。
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スコア10-2、第3セット。すでにカヤが2セット先取し、今はマッチポイントである。
ハナビが緊張した面持ちでサーブの構えに入る。低いトスから放たれたのはスピード重視のロングサーブ、コースはカヤのフォアサイド。攻撃されてもいいからとにかく長いレシーブをさせて強引にでもスマッシュを打つ。
しかしカヤは戦術にない動きで花火の読みをかき乱す。ラケットを反転させフォア面を粒高ラバーに。フォアに来たサーブを粒高で下回転にしてネット際へ返球する。
(反転!? 間に合え!)
強打を想定していたハナビは慌ててネット際のボールを拾う。コースを考える余裕もなく、ボールは再びカヤのフォアへ。
ラケットをもう一度反転させたカヤは、全身の力をラケットに集約させたパワードライブを放つ。ハナビのフォアサイドライン上へ鋭く着弾したそのボールはあっけなく後ろへ抜けていき、カウントは11-2。試合はカヤの勝利で終わった。
「ふう。ありがとうございました」
「ありがとうございました……くっそー! やっぱりカヤには敵わないか!」
どこか晴れ晴れとした調子で言いながら大の字に倒れ込むハナビ。
「みんなで合宿で考えたカヤ対策も全然効かないんだもんなー!」
「え、なにそれ。私対策?」
上体を起こしたハナビがバツの悪そうな苦笑を浮かべる。
「いやー、私がカヤの弱点って何だろうって言い出したら結構白熱してさ。結論はたしか――」
あがりとクマミ曰く『フォアに甘い球を送ると止めようがないのでバックに球を集める。けど狙いに気づかれたら結局オールフォアでドライブしだすから実質どこを攻めても厳しい。向こうが勝手に粒高でミスするのを祈るしかない』
ほくと曰く『下手に短くサービスしてもフリックやプッシュで攻撃される。回り込めないスピードのロングサービスをバックへ集中させて、向こうが攻撃する前に一撃で決めるしかない』
「で、ほくとの言うことをやってみたんだ!」
「そっか。たしかにあのスピードだと回り込めないし、短く返すしかないからやりにくかった。もうちょっとフォアにもコースを散らせばもっとやりにくかった」
「それができればなー……」
ハナビの返答にカヤが首をかしげる。実際ハナビとしてももっとミドルやフォアへコースを散らしたかった。しかし一度でもカヤのドライブで打ち抜かれてしまうと、その攻撃力が脳裏にちらついてサーブをフォアへ送れないのだ。
「なあ、カヤ」
ハナビは床へ視線を落とす。
「みんなはすごく強くなってる。あがりとクマミは都ベストエイトだし、ほくとも元々得意だったサーブがもっと上手くなってる。後手先輩もムネムネ先輩もダブルスで団体戦のメンバー入りした。だから私も」
跳ねるように立ち上がり、カヤの目を射抜くように見つめる。
「私も強くなりたいんだ! みんなみたいに、カヤみたいに! 教えてくれ、カヤはどうやってそんなに強くなったんだ!?」
ハナビは焦っていた。お互いをライバル視しどんどん強くなっていくあがりとクマミ、地道な努力で長所を伸ばそうと奮戦している親友のほくとの姿を見て、焦燥感でいっぱいなのだ。自分も強くなるために何かをしたい。でも方法が分からない。だからカヤを倒そうと試みた。先輩たちにも一目置かれ同級生の中でも抜きんでた実力を持つカヤに、合宿の成果をぶつけるつもりで挑んだ。
ただ、一度の猛練習で実力差が覆るほど卓球は甘くなかった。残された手段は直接聞くことだけ。強くなるための手掛かりをカヤから聞き出すことだけが今できることだとハナビは考えた。
対するカヤの反応はというと、
「強い? 私が……? ええ?」
「カヤ?」
心底不思議そうに首を捻っていた。
「卓球を初めて11年と少し……強いなんて初めて言われた」
「そこに食いつくのか!? ってかそれホントか!?」
「ホント。ひよっこ、雑魚、へたくそなら毎日言われてるけど」
「嘘つけ! カヤにそんなこと言えるなんてどんな化け物なんだ!?」
「私のおじいちゃん」
「マジか!」
言われてみれば、とハナビは考える。上手いとか強いとか、誰かが面と向かってカヤに言っているのを聞いたことはない。部内ではカヤイコール強くて上手いと認識されているため、わざわざ口に出して伝えることは誰もしないのだ。
「カヤのおじいちゃんはカヤより強いのか?」
「めちゃくちゃ強い。部活終わった後毎日ここで試合するけど、一セットもとれない」
「へー、すごいなー!」
紫藤先輩によるとカヤは余裕で全国に出場できるらしい。そんなカヤをへたくそと言うばかりか、一セットもとらせず勝ってしまうなんてどんなおじいさんなんだろう、とハナビの頭の中で妖怪じみた老人が形成されていく。
「あっ、そうだ。強くなる方法思いついた」
「ホントに!?」
ポン、と手を打つカヤにハナビが食いつく。
「私は実家の卓球教室とかここで、強い人に負け続けた。その人たちに勝つために卓球を続けた。だから、自分より強い人と打ちまくってたら自然と強くなれる……と思う」
「自分より強い人と……」
「うん。でも、ハナビは私よりおじいちゃんと打った方がいい。戦型が同じだから、学ぶことがあると思う」
「おお! めちゃくちゃ打ちたいぞ!」
「今度おじいちゃんにハナビのこと話しとく」
全国レベルのカヤよりもはるかに強い妖怪じみたオバケ老人(ハナビの想像による)と、打てるならぜひ打ってみたい。同じ前陣速攻なら話も合うだろう。
ちなみにカヤが前陣速攻に対し異様に強いのは物心ついたころには祖父と毎日戦っていたからである。
「とりあえず今日は、さっきの試合のおさらいしてから課題練習しよう。多球もできるよ」
「よーしやるぞー! バックにロングサーブ出すから、それを粒高でショートして――」
こうしてハナビとカヤの秘密の特訓が始まる。後にカヤの祖父も加わり前陣速攻強化研究会と化すのだが、それがハナビに及ぼす影響は、三か月後にはっきりと表れることとなる。
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12月、新人卓球大会。三年生が夏大会で引退し、新チームとなって初めて挑む大会である。
もちろん雀が原中学校もこれに参加し、部内ランキング上位から規定の人数がシングルスで出場する。その中にはカヤの姿もあった。
「て、10-2」
カヤが相手のサーブをフルスイングのドライブで打ち抜くと、審判が点数をコールする。飛んでいったボールを取りに行く相手はほとんど涙目だった。強豪校二年のエースである。
無数の卓球台が整然と並びいくつもの試合が同時進行していく中、圧倒的実力を発揮するカヤの台に注目が集まっている。都下の強豪、無名校問わずカヤに鋭い視線を送りつつ言葉を交わす。
「雀が原の橘? データはある?」
「またレシーブでノータッチ。もう卓球じゃないわね」
「ラリーが続かないから戦型もよく分かんないよー」
「ねえくるり、あれって……」
「ああいう化け物は気にしたって仕方ないデス。今は目の前の試合に集中するデス」
「台上処理、フットワーク、コース配分、選球眼、すべてがけた違い……素晴らしいですわ。さすが私の橘さん」
二階の客席からカヤの試合を見守る雀が原の部員たち――特にカヤの力をよく知るハナビとほくとは、周囲のつぶやきを聞きながら苦笑を漏らした。
「これで本来の戦型じゃないって言ったらみんな何て言うんだろうね」
「たぶん信じないんじゃないかー!」
カヤは今回シェークハンド裏ソフト粒高のラケットで参加している。最近になってようやくやりたい卓球が見えてきたとは言っていたが、まだはっきりとした答えは見つかってないらしい。
手すりに寄りかかるほくとがカヤを見つめつつ「それにしても」と続ける。
「カヤ、今日は一段と動きがいい。練習の入れ込みようもすごかったし、どうしたんだろう」
「夏大会に出られなかった分暴れるって言ってたぞ。私たちにいいとこ見せたいんだって!」
「……よく知ってるね」
いつ誰が相手でも全力で自分の卓球をするのがカヤのやり方だが、それにしたって今回は気合の乗り方が段違いだ。その原因は夏大会にあった。夏休みに入ってすぐの強化合宿にも参加できず、先輩たちの最後の試合も見られなかったことをカヤはかなり気に病んでいる。雀が原の部員として恥ずかしくない姿を今日こそ見せてやる、と意気込んでいるのだ。
「でも、張り切ってるのはカヤだけじゃないぞ! 私だってお師匠との特訓で強くなったんだからな!」
「お師匠、カヤのおじいさんだっけ。結局私は会えなかったな」
ハナビは九月頭から今まで、カヤの自宅で秘密の特訓に励んだ。毎日の練習の後、カヤの祖父の都合のいい日にのみ行われるその特訓でハナビは目に見えて実力を伸ばした。具体的には部内ランク現在一位の後手が「一度流れに乗られると一気に持っていかれる」と評するほどである。なお、カヤは試合よりも試合後の反省会と課題練習に時間を割くため試合数が少なく、部内ランクはさほど高くない。
「もちろん、あがりもクマミも、ムネムネ先輩も部長も、ほくとだってみんな強くなった。ほら、あそこ!」
ハナビの指差した先の台ではあがりが戦っている。得意のループドライブは春よりも回転量が増した上コース取りの自由度があがった。まともに返すのは難しく、返ってきたチャンスボールをバックハンドスマッシュで決める。
その二つ隣の台にはクマミがいた。曲がるカットを捨て前陣からのスピードドライブを主武器とするクマミの攻撃力は、相手の抵抗を許さずみるみる得点を奪っていく。
二人とも春の頃には考えられないほど成長していた。
「私たちは強くなってる! 新生雀が原卓球部の力を、みんなで見せつけてやろうぜ!」
「う、うん」
「なんだよー、照れてるのかー!?」
「もふもふしないで」
別に目立つことに照れているわけではない。ハナビのまっすぐで勇ましい笑顔になぜか胸を高鳴らせている自分自身に照れているんだ、とほくとは心中で抗議するものの、ほくとの髪飾りをもふもふするので忙しいハナビにそんな心境は分かるはずもなかった。
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大会は滞りなく進行し、女子シングルスは午後五時ごろに決勝戦を迎えた。使わない台は倉庫へしまわれ、残った一台を防球フェンスで囲う。すでにアップを済ませた選手はいつでも打てる状態で台についており、二階の客席からは参加校の生徒の多くが視線を送っている。
選手の一人は橘カヤ。今年雀が原中学校に入学した一年生だ。
対するは燕女学園の二年のエース、神楽坂狐姫。自信にあふれた不敵な微笑を浮かべている。
二人は練習ラリーを淡々と終わらせ、ラケット交換に入る。
「ふふ。あなたとこうして会えること、心待ちにしておりましたわ、橘さん」
「ありがとうございます」
カヤのラケットに視線を落としながら狐姫は続ける。
「シェークの裏粒ですか。たとえ貴女がどちらの戦型で来ようとも、私にはもう通じません。あの時の雪辱、果たさせていただきます!」
「えっと……私も、やっと見つけた私の卓球をがんばってやります。よろしくお願いします」
「……よろしくお願いしますわ」
こうして始まった決勝戦は熾烈を極めた。
狐姫は生まれて初めてラブゲームされたあの日から対ドライブマンの練習を徹底しており、本気のカヤと再戦しても必ず食らいつけるし、またカヤ以外の誰にも負けないと誓いをたてて卓球に打ち込んできた。その努力と思いが結実したプレーをもって鬼気迫る勢いでカヤに肉薄した。
だが、成長していたのはカヤも同じだった。祖父や年上とばかり試合をして負け続けだったカヤは、自分が弱いと思い込み、迷走の末別の戦型に手を出した。しかし同年代の部員たちと打つことで少しずつ自信を取り戻し、本来の戦型と別の戦型を組み合わせた新しい「自分の卓球」に到達していた。
両者の思いがぶつかりあい、デュースの連続、フルセットにもつれこんだ灼熱の試合の行方は――