新年を迎え、冬休みも終わった一月中旬。雀が原卓球部の練習場には外の寒さをものともしない熱気に満ちていた。
「ハハッ、全部チャンスボールに見えるぞ! 正月太りで鈍ったかあがりー!」
「んなっ、だ、誰が太ったですって!?」
「ムネムネ、気合入れるのはいいけどボールが入らないんじゃ意味ないよ。落ち着いて」
「まだまだ! 先輩として負けてられないの!」
基本練習後の課題練習の最中、去年の秋頃から集中的な特訓をこなし力をつけたハナビがあがりを挑発する。頭にきたあがりは額に青筋を浮かべつつギアを一段階上げた。
そんな後輩たちのラリーに触発され、二年のムネムネは得意のフォアハンドスマッシュを全力で打つ。力を込めすぎてオーバーミスが多いことを指摘されても聞こえていない様子だ。
部内ランキング上位の彼女たちだけでなく、他の部員の多くも同じように意気込んで練習に臨んでいる。ミスを減らし、たとえミスをしても次のラリーにつなげるという意志が一球ごとにこめられ、そうした気持ちが卓球場に伝播して締まった雰囲気を作り出している。
その原因は上位陣の気迫にあてられたこともあったが、去年の暮れに行われた大会がもっとも大きい。新人卓球大会と呼ばれる大会に雀が原の部員たちの多くが出場し、優秀な成績をおさめたのだ。ランキング上位陣は全員がトップ16に入り、いまいち注目度の低い雀が原の名は広く知れ渡ることとなる。
さらに、上位陣のうち一人が優勝したともなれば練習の雰囲気が引き締まるのも当然だ。決勝戦の試合が熱かったこともあるし、強い選手がすぐ近くに居る緊張感もある。
さて、激戦を制しトップの座についた当の強い選手――橘カヤはどうしているかというと、
「え、課題? え、えーと……サーブ二本交代のオールで」
「……分かった」
どこかうろんげな瞳で練習をこなしていた。
相手を務めているクマミは、カヤの心ここにあらずな様子に眉をひそめるも、気のせいだと決めつけ練習を始める。何よりも卓球が好きなカヤが、練習をおざなりにするなどあり得ないと考えたのだ。たとえ調子が悪くとも打っていればいつもの調子になると。
が、カヤは幾度ボールを打ってもぼんやりしたままだった。体が覚えている通りに手くせで打っているだけで、まるで重みがない。それでも部内ランキング三位のクマミと互角に打てているのは長年の経験のなせる業だろう。
しかしなまじ打てているだけにクマミ以外の部員はカヤの不調に気付いていないらしい。クマミが気付けたのは、試合形式のメニューによりクマミの意気込みが一段階上がったことによるものだ。
今のカヤはひどい。サーブに意図が見えない。レシーブはなんとなく強打しているだけ。しのぎのツッツキはコースが甘い。フットワークは生きているが機械的にボールを追っているだけだ。一球打つごとに、クマミの目から光が消えていく。
「五分きゅーけー」
「はーい!」
部長の後手が課題練習の終了を告げる。
その瞬間、クマミはカヤに詰め寄り手を取った。
「え、なに」
「ちょっとついてきて」
強引に卓球場の裏手まで連れて行き、壁際に追い込む。カヤの顔の横に両手をついて問い詰めた。
「カヤちゃん、どうしちゃったの? あんな卓球する子じゃないでしょ?」
「……」
「病気? 怪我? それとも去年優勝して気が抜けた?」
「ち、ちが、違う」
ケガ、という単語を発したとたんカヤは露骨に目をそらし、どもる。キラン、と獲物を見つけたクマのように目を光らせたクマミはカヤの視線の先に先回りする。
『オラ、とっとと吐いちまいな。悪いようにはしねえからよ』
「クマさんの言うとおり。悩みがあるなら相談してほしいな」
「うう……」
「……さっき打ってるとき、なんだか相手にされてないみたいだった。カヤちゃん別のこと考えてたでしょ。私のこと、見てなかったでしょ?」
腹話術のクマさんを使っても口を割らないカヤにしびれを切らし、クマミは責めるような口調になってしまった。カヤの眠たげな眼が驚きとショックで丸くなる。傷ついたような表情を見てクマミは我に返った。
練習に集中してなかったことを詰りたいわけでは決してない。クマミはただ――
「はいそこまで。少し落ち着こうか」
横から声。見ると、部長と副部長――後手とムネムネの二人がいる。
「クマミ、こんな尋問みたいな聞き方は駄目だよ」
「まあカヤちゃんは去年の腱しょう炎の件があるから、心配になる気持ちは分かるけどね」
「はい、すみません……」
しょぼん、と頭を下げる。
クマミは心配だった。カヤがまた去年のように一人で無理をしているのではないか、その無理のせいでプレーに集中できないのではないかと。
「あの、クマミ。心配かけてごめん。ありがとう」
「ううん、こっちこそ、いやな言い方してごめんね」
お互い気まずげに謝るカヤとクマミ。
その様子を見ていた後手は、「で、私たちも聞きたいことがあるんだ」と真剣な声音で問いかける。
「カヤ、今日はプレーが少し雑だね。相手が見えてない。一体どうしたの?」
「……」
「言いたくないならいいんだ。でも、目の前の相手に集中できない子に、チームを背負わせることはできないよ」
後手は部長を引き継いでから、部員達に出来る限り目を配るようにしていた。中でも紫藤からはカヤのことを要注意と言われていたため、どうにか違和感に気付くことができていた。
今のカヤは相手が見えない。飛んできたボールを経験則と勘で機械的に打ち返しているだけ。それでもある程度は強いが、チームを背負うこと、すなわち団体戦メンバーに加えるには不足だ。
一月末の中学新人卓球大会、団体戦。雀が原はこれにエントリーする予定で、シングルスで優勝したカヤはその功績を考慮しメンバー入り確実と言われていた。しかしおざなりな気持ちでメンバー入りしても他のメンバーの士気が落ちるし、何より先輩たちから受け継いだチームをいい加減な気持ちで背負ってほしくない。
こういった部長と副部長の思いを受けたカヤは、口を開いては閉じるのを数度繰り返す。そしてためらいがちに視線を泳がせてようやく口を開いた。
「今日中に答えを出します。明日朝一で伝えるので、今日は早退させてもらえませんか」
「ずいぶん急だね。エントリー締め切りまでは時間あるし、もうちょい考えてもいいよ?」
「いえ、考えてどうにかなることでもないですから」
「そう。分かった。でもこれだけは覚えておいてね。私たちは君の味方だ。頼りたいときはいつでも頼りなよ」
「……はい、ありがとうございます。失礼します」
カヤはペコリと頭を下げると駆け足で更衣室へと去って行った。ムネムネは心配げに顔を曇らせる。
「大丈夫かしら、カヤちゃん」
「見たところケガじゃないみたいだから、精神的な問題だと思うけど。うーん、部長がこんなにもどかしいなんて知らなかったなぁ……あれ?」
二人が話しているわずかなスキに、クマミは忽然と姿を消していた。
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急ぎ足で学校から遠ざかっていくカヤ。クマミはその後ろから忍者よろしく、こそこそと物陰に隠れながら後をつける。
訳あって早退した部の仲間を、無断で練習を抜け出して後を付ける。心中で何度も「クマミはいけない子です」と自戒するが、クマミの動きにためらいはない。直接聞いても答えてくれないならこっちから探りにいけばいいのだ。
クマミにとってカヤは目標だった。部の誰よりも熱心に卓球と向き合い、部の誰よりも強い。去年全国大会に出場した紫藤とは結局直接対決の機会がなかったが、クマミの見立てではカヤの優勢だった。
それだけの力を手にすることができれば、その力を使ってあーちゃんをぶっ壊せれば、どんなに気持ちいいんだろう。どんなにいい泣き顔を見せてくれるのだろう。クマミの卓球はいつでもあがりを倒すことを優先しており、そのための目標がカヤである。最強の力をもってあがりを倒し泣き顔を見て悦に浸りたいのだ。
だからこそ、カヤには常に最強であってほしい。いいかげんな卓球はしないでほしい。目指す高みに悠々と立っていてほしい。それができないなら、できるように力を貸したい。
強い気持ちに導かれ、クマミは気付けば練習をぶっちぎってカヤの後をつけていた。
「あれ? カヤちゃんの家ってこっちだっけ?」
『ちげーよ。さっきの角をまっすぐでアイツの家だ』
腹話術で状況を整理しながら尾行を続行。どうやらカヤは帰っているわけではないらしい。
住宅街を抜け商店街へ。クマの髪飾りと会話しながら物陰に隠れるクマミに通行人が生温かい視線を向ける。
商店街を抜けると幹線道路に出て、カヤはしばらく歩いた。
そうしてカヤが入って行った施設の前で、クマミは呆然と立ち尽くすこととなる。
「病院……」
そこは病院だった。新しい情報をきっかけに関連する過去の情報が引っ張り出され、脳裏に閃く。去年のカヤの健しょう炎、ケガについて聞いたときのカヤの反応、いまいち身の入ってないプレー。
「……」
連想ゲームじみた推理を終えたクマミは腹話術をする余裕もなく、おぼつかない足取りで帰路につくのだった。
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カヤはある事情から、自分のやりたい卓球ができなくなっていた。しかしたとえ心身が万全でなくとも、団体戦を控えるこの時期に言い出しては部の迷惑になるかもしれない。だから今の自分に出来る限りの力で練習に参加していた。
が、クマミや部長、副部長に指摘されたことや、自分の心の問題もかんがみ、考えを改める。
「休部させてください」
「……きゅ、ええっ!?」
「結論から入るねー」
「ふうーっ!」
言葉通り翌日の朝一にカヤは答えを伝えた。部長の後手、副部長のムネムネ、顧問の日本一先生と更衣室で対面している。他の部員はすでに卓球場で朝練に励んでいる。
そのはずだったが、
「そんなのってないよ、カヤちゃん!」
「クマミ、おはよう」
扉を開けて練習着姿のクマミが割り込んできた。
普通にあいさつを返すカヤに構わず、クマミはカヤに迫る。
「やっぱりどこか悪いの? 昨日病院に行ってたの知ってるんだよ!」
「え、なんで知ってるの怖い」
「話は聞かせてもらったわ! どういうことなのカヤ!?」
「どーゆーことだー!?」
「気になる」
さらにクマミの後ろからあがり、ハナビ、ほくとまで現れカヤを囲んだ。更衣室の外には他の部員たちも心配げな顔をのぞかせている。
あの卓球大好き人間のカヤが昨日練習を早退したことを受け、部員たちには不安と動揺が広がった。さらにカヤが病院に行ったことをクマミが全員に相談したことで心配がピークに。部長たちとの話を盗み聞きしようと外に集まり今に至る。
しばし目をパチクリさせて驚いていたカヤだが、どのみち部員のみんなには説明するつもりだった。一拍置いて口を開く。
「ぎっくり腰。私じゃなくて、うちのじいちゃんが」
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新人戦でのカヤの優勝を誰よりも喜んだのは、カヤの祖父だった。
幼いころから実家の卓球教室にこもって大学生や社会人、または祖父と打っていたカヤに目立つ戦績はなく、初めての結果が今回の優勝である。祖父は喜びのあまり大晦日から正月三が日まで連日連夜カヤと試合を行い、腰を痛めた。普段から講演会や卓球教室の講師として奔走しているところに連続の試合である。齢超七十えの老体には荷が重かった。
しかも試合の途中で痛くなったのを無視して続行したので症状が悪化。現在は入院生活を送っている。
祖父の自業自得ではあるが、カヤは初めて見る祖父の弱った姿に胸がしめつけられ、心配が過ぎて卓球にさえ集中できなくなったのである。
「病院に行ったのは――」
「お見舞い。ていうかなんで知ってるの?」
「カヤちゃんはケガしてないんだよね?」
「してない。だからなんで――」
「よかったぁ」
「えぇ……」
ペタンとへたりこんで安堵するクマミ。意地でも質問には答えないその姿にカヤは困惑しつつも、気を取り直して部長たちに向き合う。
「そういうことなので、身の回りのお世話とか色々ありますし、休部させてください」
「うん、分かった、お大事にね。ちなみに退院はいつごろになりそう?」
「大人しくしていれば二月頭には」
そっか、と言って後手は視線を伏せた。新人戦は一月末。カヤが団体戦に出られなくなることを察し、部員たちの表情に影がさす。部内のメンバー争いから強敵がいなくなることを喜ぶより、嘆く者のほうが多いのがこの卓球部だった。
といってもカヤの事情に文句をつけるつもりは毛頭ない。部員たちは口々にカヤへ励ましの言葉をかけ、徐々に空気が明るくなる。
それを締めるように、後手は「さて」と注目を集める。
「みんな集まってるしもう一つ話をしておこうか。クマミ」
「は、はい?」
「昨日、無断で練習を抜け出したのはどうしてかな?」
「あっ……」
カヤが早退した直後、クマミもなぜか姿を消したのは全員が知っていた。さすがにこれを御咎めなしにするのは部長として看過できないため、部員たちの前で軽いお説教をしておく。
こうしてカヤはしばらく休部することになったのだった。