そうだ卓球、しよう   作:難民180301

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一年目8

 カヤが休部してから一週間が過ぎた。

 

 雀が原卓球部はカヤの抜けた穴を埋めるように、一人一人が気持ちをこめて練習にのぞみ、万全ではないものの引き締まった雰囲気は維持された。団体戦のエントリー締め切りも過ぎ、一月末の大会へ向け部員全員で邁進している。ただ、カヤとよく打っていたあがり、クマミ、ハナビ、ほくとの一年生四人組はどこか物足りない様子だった。

 

 そんなある日の昼休み、ハナビとほくとが連れ立ってカヤのいる教室へ向かっている。

 

「カヤのやつ元気にしてるかなー!」

 

「先週は普通に元気だった。一週間でそう変わらないよ」

 

「そんなこと言ってー、毎日部室でカヤのロッカーチラ見しながらそわそわしてるの知ってるんだぞ!」

 

「……」

 

「照れるなよほくとー!」

 

 髪飾りをもふもふするハナビを振り切るようにほくとが足を速める。ハナビは笑いながらそのあとを追った。

 

 カヤが朝練で休部を申し入れ、部室を去っていったその後ろ姿に、ハナビたち同級生は寂しげな雰囲気を読み取っていた。卓球大好き娘のカヤが部活を休むのが不本意であることは元より明白であったし、それならせめて部活の話をして寂しさをなくそうと思い立ち、部員たちは昼休みにちょくちょくカヤのもとへ話をしに行くようになった。

 

「……ハナビはお見舞い行ったんだよね。おじいさん、どんな様子だった?」

 

「結構元気そうだった! 前陣速攻の話してたら実演始めそうになったんで、看護師さんに取り押さえられてたな。別れ際に「年寄りを見舞う暇に一球でも多く打て!」って言われたぞ」

 

「すごいおじいさんだね」

 

 同じ戦型の縁でカヤの祖父に特訓をつけてもらったハナビはすでにお見舞いに行っていた。思ったより元気そうなエピソードに対しほくとは呆れとともに安堵する。これならカヤもすぐ復帰できるだろう。

 

 話しているうちにカヤのいる教室に着いた。

 

 他クラスの生徒が入ってきたことでクラスメイトが目を向けるが、ああ卓球部ねと一瞬で興味を失う。卓球部員がカヤのところへ来るのはすっかり見慣れた光景なのだ。

 

「おーい、今日も来たぞーカヤ!」

 

「来た……よ?」

 

 が、件のカヤの様子がいつもとは違っている。

 

 カバンを枕にして机に突っ伏し、ブレザーを掛け布団のように頭にかけている。耳を澄ますと安らかな寝息が聞こえた。

 

「お、おいカヤ」

 

「待って。あの、ちょっといい?」

 

 起こそうとするハナビを制止し、ほくとは前の席に座る、カヤの友人の女子に声をかける。

 

「え、カヤちゃん? さあ。最近朝からふらふらでろくに話も聞けないもの。寝不足とは言ってたけど。死ぬほど疲れてるみたいだし、起こさないであげてね」

 

「そう……わかった、ありがとう。ハナビ、今日は帰ろうか」

 

「う、うん」

 

 教室を出た二人は不安げな顔を見合わせる。

 

「入院生活のお世話って、そんなに大変なのかな?」

 

「そうでもないと思うぞ。最初だけ頑張れば忙しくないってカヤが言ってた」

 

 身内が入院する場合ほとんどの負担は初期段階、入院生活の準備に集中する。着替え、歯ブラシ、タオルなどの生活必需品、暇つぶし用の娯楽品などを用意し運ぶ。今回のケースではややこしい手続きなどは祖父自身が済ませたし、後の世話は病院の役割だ。ハナビの言う通り、カヤは最初だけ頑張れば負担はさほどではないはずだった。

 

 表情に影を落とし視線を伏せていた二人だが、その空気を振り払うようにハナビが明るく笑う。

 

「放課後に聞きに行こう! 帰る時なら起きてるよ!」

 

「うん、そうしよっか」

 

「なんてったってあの体力オバケのカヤだ。ぐっすり昼寝したらもうケロっとしてるさ」

 

「たしかに、練習の後におじいさんと試合してるんだもんね」

 

 練習中も練習後も常に眠たげな表情を崩さない抜群のスタミナを持つカヤなんだから、今疲れててもきっと大丈夫。そう考えることで不安をごまかすハナビとほくとだったが――

 

 午後の授業の最中、体調不良でカヤが早退したことを日本一先生から知らされ絶句することになる。

 

 カヤは翌日も翌々日も学校に来なかった。

 

---

 

 カヤの欠席の報は、団体戦を控え緊張感を高める雀が原卓球部にさざ波を立てた。筋力トレーニングや走り込み、過酷なフットワーク練習を涼しい顔でこなしていたスタミナ自慢のカヤが体を壊すなど、ほとんどの部員にとって慮外のことだった。

 

 それでも、部員たちの心配はさして深刻ではなかった。冷え込む時期だから風邪で欠席する生徒は少なくない。きっとカヤも少し熱が出ただけで、数日もすれば平気な顔で登校しているだろうと考えた。

 

 そういった大多数の意見に異を唱えたのはハナビとほくとだった。カヤが欠席しだして二日後、部長と副部長、顧問に頭を下げ、練習を休んでお見舞いに行かせてくれと頼み込んだ。

 

 部長と副部長は時期の都合もあって多少渋ったものの、この状態の二人を練習に参加させても得にならないと判断し、許しを出した。カヤと親しいあがりとクマミも同行を申し出たが、二人は団体戦のメンバー入りが確定した主力であるため、このタイミングで休むと部全体の士気に影響するとして却下された。

 

 そうしてハナビとほくとは放課後、カヤの自宅へ向かっている。

 

 学校を出る二人の歩調は駆け足で、表情は大切な何かをふいに思い出したように切羽詰まっている。

 

「は、ハナビ、さっき言ってたの本当?」

 

「はっ、はっ、本当だよ! カヤは今一人ぼっちなんだ!」

 

 ハナビはカヤの自宅に通い特訓を受けていたとき、ふと気になって尋ねてみたことがある。カヤの両親を一度も見かけたことがないけど、何をしてる人たちなのかと。カヤの祖父が困ったように口を濁す横で、カヤはあっけらかんと答えた。

 

『卓球のメーカーで営業マンと事務やってたらしいよ。今はいないけど』

 

 なぜカヤが両親のことを一切話さないのか、広い家に祖父と二人で暮らしているのか。そういった疑問への答えをハナビは察した。

 

 細かな事情はともかく、今のカヤは体を壊したまま大きな家に一人残されているわけだ。体調を崩せば両親が当たり前のように看病してくれるハナビだからこそ、カヤの状況に思い至るまで時間がかかった。気づいたからにはじっとしてられない。

 

 ほどなく自宅前にたどり着き、呼び鈴を鳴らす。返答はない。民家はしんと静まり返っている。

 

 ダメ元で戸に手をかけると抵抗なく開いた。不用心に呆れるほくとの横で、ハナビが声をあげる。

 

「お邪魔しまーす! カヤー、いるかー!?」

 

 やはり返答はなく、中に人の気配はみじんも感じられなかった。

 

「卓球場の方を見よう」

 

 ほくとが素早く踵を返し、玄関横の庭を通り過ぎ小屋のような卓球場へ入る。ハナビもほくとの後からそこへ入ると、二人そろって息をのんだ。

 

「か、カヤ……?」

 

 卓球台の前で、カヤがラケットを握ったまま倒れている。なぜか女の子座りをしながら上体をぺたんと前へ倒すという珍妙な姿勢だった。あまりに珍妙過ぎて「倒れている」事実に気づくのに数秒の時間がかかる。

 

「か、カヤーっ!? 死ぬな、傷は浅いぞ! ほくと、こんなときはどうすればいいんだ!?」

 

「え、ええとまずは救急車? あとAED。AEDを探そう!」

 

「……人を急病人みたいに言わないで。それとAEDなんてうちにないから」

 

「生きてた!?」

 

「ちょっと寝てただけ。ふわあ」

 

 ぬるっと上体を起こしあくびをこぼすカヤ。

 

 卒倒したわけではないらしい、と安堵したのもつかの間、カヤの表情を見た二人は再び言葉を失う。

 

 どれだけ寝てないのか、眠たげな眼の下に濃いクマが刻まれている。さらに長時間涙を流したようにまぶたがはれ、実際涙の痕も見える。数日前に見た時と比べ明らかに衰弱していた。

 

「よいしょ、っと」

 

 ふらふらと立ち上がったカヤは、ボールが山積みされたかごから一球取り出し、流れるようにサーブ練習を始める。ハナビとほくとのことは目に入ってないかのようだ。

 

 その様子を見て我に返ったハナビがあわててカヤの腕をつかむ。

 

「な、なにしてるんだよ! 具合が悪いなら寝なきゃダメだろ!」

 

「……あれ、ハナビ? なんでここに……まあいいや、レシーブして。新しいサーブ練習中なんだ」

 

「完全に寝ぼけてる。ハナビ、カヤの部屋の場所知ってる?」

 

「知ってる!」

 

 ハナビとほくとはお互い目くばせすると、ハナビがカヤの脇に手を入れ、ほくとが足を持って持ち上げる。夢見心地なカヤを無人の母屋まで運び、布団をしいて寝かせた。

 

 相当疲れていたらしく、横になったとたん寝息を立て始める。ハナビとほくとはその様子を一息ついて見守りながら、この後の動きに頭を悩ませるのだった。

 

---

 

 足元がぐらついている。

 

 今まで依って立っていた地面に亀裂が入り、砕けていく。立つ場所を失った自分の体は木の葉のように宙をさまよい、次第に消えてなくなっていく。右手に握ったラケットも、ポケットに入れていたピン球も溶けて消えてしまった。後に残ったものは真っ暗な空間だけだ。

 

「……!」

 

 声にならない悲鳴をあげ、カヤは飛び起きた。

 

 祖父が入院してから何度も見た悪夢だ。一人ぼっちの暗い場所に取り残され自分を失っていく悪夢。この悪夢を見たくないから、どれだけ睡眠不足がつらくても浅い眠りで我慢してきたのに。

 

 状況を確認すると、居間の隣にある自室で眠っていたようだ。時刻は六時半。

 

 隣の家から夕ご飯のいい匂いが漂ってくるが、食欲はてんでわかない。といっても何かおなかに入れないともっと体調が悪くなってしまう。重い体を引きずって、居間への扉を開ける。

 

「あれ?」

 

「カヤ、もう起きたのか?」

 

「もっと寝てていい。というか寝るべき」

 

 すると、なぜか居間でくつろいでいる友達、ハナビとほくとがカヤを迎えた。

 

「そうだ、私たち今日ここに泊まるから」

 

「よろしく」

 

「あ、うんよろしく……ええ?」

 

 当たり前のようによろしくされたカヤは首をかしげる。制服姿のハナビとほくとの横には大きなボストンバッグが用意されており、泊まる準備は万端のように見える。

 

「あの、二人がどうしてここにいるのか聞いてもいい?」

 

「カヤが心配でなー! 一人ぼっちは寂しいだろ?」

 

「そういうこと」

 

「そうなんだ、ありがとう。でもただの睡眠不足だから、そんなに心配しなくて大丈夫」

 

「その顔見て大丈夫だと思えるやつはいないぞ!」

 

「一人が寂しくて眠れないなら、私たちが寝かしつける」

 

 まっすぐな二対の瞳に射抜かれたカヤは、気恥ずかし気に目をそらす。

 

「寂しいというか、不安」

 

 そうしてぽつぽつと語りだす。気の抜けたようにその場にへたり込み、ため込んだ不安をほぐしながら、ゆっくりと吐き出していった。

 

 カヤは祖父を倒すために卓球を始めた。大人げなく本気で勝ちにくる祖父をいつか倒すために実家の卓球道場で腕を磨き、しだいに卓球が大好きになっていった。

 

 両親の顔を知らないカヤにとって祖父は一番大切な家族であり、ライバルだった。いかなる時でも強くひょうひょうとしている祖父は絶対無敵のおじいちゃんなんだと思い込んでいた。

 

 しかし祖父も人間だった。年老いた身で無理をすれば今回のようにあっさり体を壊す。そのことを自覚したとたん、カヤは言いようのない不安に襲われた。

 

 もし祖父が病院から帰ってこなければどうしよう。もし卓球できなくなったらどうしよう。目標を失った喪失感を抱えたまま、この家にずっと一人ぼっちで暮らすことになるのだろうか。もしそうなれば、大好きな卓球を好きなままでいられるのか。打つたびに寂しい気持ちに襲われ、好きでなくなってしまうのでは。

 

 ひとたびそう考えだすと、カヤは不安のあまり眠れなくなった。自分を構成する大きな基盤、祖父と卓球の二つを同時に失うかもしれない不安感は、無視するにはあまりにも大きかった。

 

 部活を休部する一番の理由はこの不安感だ。心のぐらつきを抱えたまま練習に参加してもみんなの足を引っ張ってしまうと考えた。

 

「分かってたんだ。おじいちゃん年寄りだし、いつ体を悪くしてもおかしくないって。でも気づかないふりして、ずっと私の目標であり続けてくれるって思ってた」

 

 目を伏せて自嘲する。わかりきった現実から目をそらすように。

 

「今もそのこと、忘れようとしてる。走り込みして、サーブ練習して、壁打ちして。じっとしてるといやでも考えるから」

 

 夜が明けるまで走り込み、フラフラになりながら汗を流して瀕死の体で登校する。当然そんな生活リズムで体がもつはずなく、学校は休んだ。

 

「だから……だから私は……ごめん、わかんない」

 

 これからどうするのか、言おうとしたはずだった。しかしそれはカヤの中で答えの出ていない問題で、しりすぼみになって謝るしかなかった。

 

 結局、現時点でカヤにできることは祖父が無事回復すること、そして長く卓球ができることを祈るしかない。現実を見てしまった不安と苦しみは現実に生きる以上、抱えるしかないのだ。

 

 どうしようもない心中の不安は、重い沈黙となって居間を圧迫する。

 

 こんなこと友達に話しても迷惑なのかも、と後ろ向きに考えたカヤは謝罪の言葉とともに顔をあげ――がっしりと正面から両肩をつかまれた。

 

 目前には涙ぐんだハナビの瞳。真一文字に結ばれた口が開かれる。

 

「一人ぼっちになんかさせないぞ! 私たちがついてる!」

 

「え?」

 

「寂しくなったらいつでも呼べ。苦しくなったら迷わず頼れ。そんで一緒に卓球やろう!」

 

「目標があってもなくても、カヤは絶対卓球をやめないし、嫌いにならないよ。もしそうなったって、私たちが引き止める。だから」

 

 安心しろ、安心して。

 

 声をそろえて断言されたカヤは大きく目を見開く。ただただまっすぐで感情的な言葉が心にしみる。自分の弱音を聞いて、自分の代わりに涙ぐんでくれている。その事実を認識したとき、カヤは亀裂の入った薄氷の地面の下に、分厚いもう一枚の地盤を見つけた。

 

 そこにはハナビがいて、ほくとがいて、あがり、クマミ、部長、副部長、紫藤先輩、クラスメイトたちがいる。地盤は強固で、カヤが歩く力を失わない限り、前に進み続けることができるだろう。

 

(そっか、こういうの友達っていうんだ)

 

 ここにきてカヤは、なぜ祖父が地元を離れカヤを遠い地の中学に進学させたのか理解した。

 

 カヤに対等な友達はいなかった。実家の卓球教室メンバーはほとんどが大学生以上で、先生として助言してくれることはあっても隣で支えてくれることはなかった。

 

 地元にいればまじめな性格のカヤはいつまでも教室を手伝い続け、友達を得ることはない。祖父はその事態を恐れ、亡き息子夫婦が暮らした東京の家へ越したのだろう。カヤが依って立つものを失わないように、歩みを止めないように。

 

 自分は一人じゃない。心の底から納得したカヤは、張りつめていた体からふっと力が抜けるのを感じた。

 

 戸惑うハナビに寄りかかりながら、抵抗なく瞼を閉じる。失い消えていく悪夢への恐怖はなく、押しとどめていた数日分の睡魔に身を任せるのだった。

 

---

 

「おおーいカヤ、今寝るのか!? もうすぐ晩御飯だぞ!」

 

「ハナビ、静かに」

 

 突然糸が切れたようにぐったりしたカヤに肝を増やした二人だが、安心しきった寝顔を見て気が抜けた。起こさないようゆっくりと布団へ運ぶ。

 

 二人は疲れ切ったカヤを心配するあまり、一度家へ帰ってお泊まりセットを持ってきていた。ハナビは特訓を受けていた時期に何度か泊まったことがあるのでもう慣れっこだ。

 

 穏やかな寝顔を眺めながら、ハナビがぽつりとつぶやく。

 

「難しいことで悩むんだな、カヤって」

 

「そうかな。変わってほしくないことも、変わってしまうってだけだと思うよ」

 

「うーん、私にはチンプンカンプンだ! 楽しく打ってたらどうにかなるだろ!」

 

「そうだといいね。さ、晩御飯作ろう。冷蔵庫の中身は……うわ」

 

「魚肉ソーセージしかないぞ!」

 

「しかも賞味期限切れてる」

 

 カヤは卓球以外のことを省エネで済ます主義だった。料理をふるまう相手がいないなら買い出しにもいかない。食生活の健康なんてまったく知ったことではない。

 

 起きたらお説教するのを心に誓いつつ、ほくとはハナビを留守番に残し、急いで買い出しに出る。

 

 こうしてカヤは友達を知り、ハナビとほくとはカヤの新しい一面を知ったのだった。

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