そしていつしか見る夢は   作:黒川 卓

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第三幕 覚悟は決めた

 それは何処からやってくるのか。

 深い深い海の底から光を目指して突き進んでくると誰かは言った。

 

 それは何処を目指しているのか。

 恨み、妬み、痛みを人間に与える為に陸を目指すと誰かは言った。

 

 されど、真実は誰もわかっていない。

 深海棲艦という存在について、何も。

 

 

――――

 

 

 矢矧が観測室を出ていってからどれ程の時間が経ったか。佐久間は未だにレーダーの前で呆然と立ち尽くしていた。

 立ち尽くす彼の頭で何度も再生されているのは彼女の言葉。

 

『戦う以外に選択肢はないでしょ?』

 

 果たしてそうだろうか。戦う以外にも選択肢はあるはずだ。

 そう考えながらも、理解していた。

 

 今は戦う以外に選択肢はないのだと。

 

 現状ではそれが最善策。それ以外に道などない。

 先の事を考える暇など、佐久間には無かった。

 

「分かってるよ、分かってるんだ。それでも――」

 

――恐い。そう口に出してしまえば、戻れない気がした。だから佐久間は寸での所で口を閉じた。

 戦う事が恐い。失う事が恐い。命を懸ける事が恐い。

 国を護る鎮守府の提督として責務を全うするという使命感よりも、そういった恐怖心が前に出てしまう。

 

 佐久間は軍帽を目深に被り直し、目元を隠した。

 

「くそっ、どうして俺ばっかりこんな目に……俺が何をしたっていうんだよ……」

 

 崩れるように、レーダーに項垂れる。

 

「あの日から、俺の人生は狂ってる――」

 

 そう言って、両拳が強く握りしめられる。

 

「いや、それよりも前からかもな……」

 

 頭の中に浮かぶのは、幼き記憶。

 四方を壁で囲まれた広めの空間に集まる大勢の子供達。規則正しく並べられた大きな円筒の水槽。その中に浮かぶ不思議な物体。

 毎日毎日大人たちに連れ回されて血を抜かれたり放置されたり。 

 そして最後には、崩壊した場所に立ちこちらに笑みを見せる少年。

 

 この記憶は、いつまで経っても忘れることはない幼き記憶。

 佐久間が人間であることを――人間としての権限を奪われた忌まわしき記憶だ。

 

 これ以上は思い出さまいと、佐久間はふとレーダーを見る。

 そこには、深海棲艦の反応が二つと矢矧の反応が映し出されていた。

 

(深海棲艦の反応が二つ……?)

 

 まさか、と口に出す。

 

「あいつ本当に一人でやるつもりなのか!?」

 

 先程までの反応は三つ。既に一つの反応がロストしているという事は、矢矧が一隻撃沈させたという事になる。

 短時間での戦果を見せられ、佐久間は圧倒させられる。それと同時に自分自身が情けなく思えてきてしまった。

 

 その時、頭に一瞬の情景が浮かぶ。

 

『今度こそは全て護りきるって誓ったの』

 

 先程彼女はそう言い、戦地に向かって行った。

 その時、彼女は何を想っていたのだろう。何を考えて戦地へ赴いて行ったのだろう。

 佐久間は、矢矧に何も言葉を掛けられなかった。その理由は単純だ。

 

 真っ直ぐだった。彼女の瞳が、言葉が。

 心の底から発せられた本心だったから何も言えなかった。

 

 本当は嘘をついていたかもしれない。でも、佐久間にはそう見えた。

 ただ必死に、全てを護りたいと。

 

「……なんでそんなに真っ直ぐなんだ」

 

 拳に込められる力が強くなる。

 

「そんな姿見せられたら、やらないわけにはいかないだろ――」

 

 軍帽を正しく被り直し、スッと姿勢を起こす。

 踵を翻し、観測室を飛び出した。

 

「彼女だけには背負わせない……! 今俺が出来ることを――『舞鶴鎮守府』の提督として為すべきことをやるんだ!」

 

 彼の表情に、もう迷いはなかった。

 曇りなき真っ直ぐな――戦場に赴いた彼女と同じ、迷いのない綺麗な瞳だった。 

 

 

 

 

「くっ! 位置調整、射角合わせ! てーっ!」

 

 先程から、海は荒れてしまっていた。

 

 茜空も分厚い雲に覆われ、風による影響で波が立ち満足に狙い撃つこともできない。

 雨も降ってしまい、視界は不良。コンディションは最悪だ。

 

 レーダーの反応によると、敵深海棲艦との距離は二マイル。およそ四キロメートルほど。

 しかし、先程よりもいくら近いとはいえ四キロ先ともなるとぼんやりとしか見えない。さらに、雨による視界不良も追加されると余計に見えなくなる。

 

 雨音や風音により、音による探知すらままならない。

 

 これで砲撃を当てるとなると、悪天候でも視認できる距離での超至近距離射撃しかない。

 

「――それなら!」

 

 矢矧は速力を上げ、敵深海棲艦を回り込むように近づいていく。

 

 風は身を切り裂くように寒く、大粒の雨は彼女の体温を奪う。

 それでも彼女は進むのを止めはしない。

 

「見つけたわ――!」

 

 敵深海棲艦の背後に位置付けた矢矧は、全速で距離を詰めていく。

 腰に備えた15.2㎝連装砲を構え、

 

「今度はよく引き付けるんだ……」

 

 そう呟き、呼吸を整える。

 同時に、敵駆逐艦が矢矧の接近に気づいた。

 

 それが不快感を感じるノイズ混じりの音を発すると、敵軽巡までもが矢矧の存在に気づいてしまった。

 

 だが、気付くのが遅すぎた。

 

「よし、てーっ!」

 

 その差は僅か数秒。しかし、戦場において数秒の差はとても大きい。

 深海棲艦が砲撃を始めようとしたタイミングで、既に矢矧の連装砲は火を吹いていた。

 

 全速のまま、すれ違いざまに砲撃を当て、走り抜けるように深海棲艦と距離をとる。

 手応えは充分すぎるほど感じていた。今も尚、断末魔のような叫びが矢矧の耳に届いている。

 

「やったの……?」

 

 速力を落として左旋回。先程まで深海棲艦がいた場所には爆炎が轟々と燃え上がっていた。

 恐らく誘爆でもしたのだろう。その場所に生命体は確認できないほどの爆炎だ。

 

 矢矧は緊張が解け、ほっと胸を撫でおろす。

 しかし、勝利に浸る――とは反対の表情を浮かべて悲しそうに空を見上げた。

 

「いつまで、続くの」

 

 その呟きは、雨音に掻き消される程小さかった。

 いや、雨音が大きかったの間違いだろう。

 

 だからこそ、背後から近づく四隻目に気が付いていなかった。

 

「え――?」

 

 瞬間、矢矧は体中が焼ける様な痛みを感じた。

 気付いた時にはもう遅かった。既に背後で砲塔を向けていたのだから。

 

 背後からまともに砲撃を受けた矢矧の艤装はボロボロになり、彼女自身も大きな損傷を負う。

 

「四隻目なんてレーダーには……!」

 

 表情を引きつらせ、全速でその場から離れる。

 しかし、速力を上げれば上げるほど体が軋む。全速の半分ほどしか速度を上げることは不可能なまでだ。

 

 敵の四隻目――軽巡ホ級は嘲笑うかのようにゆっくりと距離を詰めてくる。

 手負いの獣を狩る事を楽しんでいるかのように。ゆっくりと。

 

 その行動に、矢矧は心を荒ぶらせる。

 

「この程度で勝った気でいるって事? 数発の被弾で私が沈むわけないじゃない……!」

 

 錨を急速で下ろすと、その反動で前に進もうとしていた体が強い力で後ろに引っ張られる。

 だが、矢矧はこれを見越していたかのように体を海面接触寸前まで傾ける。

 

 そうすることで速度を落とすことなく急旋回する事が出来るのだ。

 

「侮らないで!」

 

 そう言い放ち、連装砲を構えようとする。

 しかし、矢矧の膝ががくりと海面に崩れた。

 

「うそ――」

 

 急速旋回は速度を落とさずに小回りする事が可能だが、体にかかる負担は大きい。

 ゆえに、ボロボロの体が悲鳴を上げて耐えられなくなってしまった。

 

「う、動いてっ!」

 

 矢矧は立ち上がろうと足に力を込めるが、思うように動かない。

 その間にも、軽巡ホ級はゆっくりと近づいてくる。

 

「な、なんでっ! どうして!」

 

 自身の足を叩き、叫ぶ。彼女の表情には焦りしかなかった。

 動かずともその場で砲撃すれば突破口は開けるかもしれないといった考えも、彼女の頭にはなかった。

 

「こんな……! こんなところでっ……! 私はまだ沈めない、沈めないの!」

 

 だが、そう叫んだところで体の限界を超えることはできなかった。

 大破している状態では、立っている事すらままならないはず。その状態で急旋回をすればこうなる事は必然だろう。

 

 軽巡ホ級が砲塔を矢矧に向ける。それを見た矢矧は咄嗟に目を瞑り、祈るように名を呼んだ。

 

「阿賀野姉っ……!」

 

 その時だった。

 

『――矢矧さん!』

 

 どこからか無線外部スピーカーで彼女を呼ぶ声が発せられた。

 その声に、矢矧も軽巡ホ級もピタリと動きを止める。

 

 軽巡ホ級は突然の出来事に驚いたのか、周りを落ち着きなく見まわし始める。だが、一方で矢矧はピクリともしなかった。

 聞き覚えがあったのだ。その声に。

 

 出会った当初は、まるで頼りない。覇気がない。一鎮守府を纏める者としてどうなのかと矢矧は思っていた。

 本当にこの人間で大丈夫なのかと。この人間が『()()()()』なのかと。

 

「どう、して……?」

 

 胸の内から込み上げてくるものを何とか抑えながら、声のするほうへ顔を向ける。

 

『助けに来た! 絶対に君を失う訳にはいかないから!』

 

 矢矧の声は彼には届いていない。でも、彼はその声に答えるかのようにそう言葉を発した。

 

 矢矧の視線の先には、小さな光。悪天候の中でただ一つの光。

 小型艇の姿がそこにあった。

 

「ていとくっ……!」

 

 もう抑える事などできなかった。

 今まで、こうまでして自分の為に何かをしてくれる人間などいなかった。以前の鎮守府でも、上の者から不遇な扱いを受けることしかなかった。

 人間とはそういうものだと決めつけていた。艦娘を兵器として扱い、使い捨てる。それが人間。

 

 それなのに、彼は矢矧を助けに来た。兵器である彼女を。

 それなのに、彼は矢矧を失う訳にいかないと言った。使い捨てるはずの兵器(矢矧)を。

 

 それだけで、矢矧が感情を抑えられない理由には充分過ぎた。

 

『今から深海棲艦をこっちに引き付ける! 矢矧さんはそいつを狙い撃ってくれ!』

 

 人間である彼が引き付けるとは正気の沙汰じゃない。

 そう思った矢矧が声を出そうとするが、嗚咽を堪えられずに上手く言葉を発せられない。ましてや、四マイルはあろう距離を悪天候の中無線も使わずに伝えるなど不可能に等しい。

 さらに、無線を使わずにわざわざ外部スピーカーを使用しているという事は、自分自身に無線が繋がらないのだろう。

 最悪だと矢矧は思った。これではその危険すぎる作戦を止めることが出来ない。

 

 だが、そんな矢矧の不安をよそに、スピーカーから力強く言葉が発せられる。

 

『大丈夫、俺を信じてくれ!』

 

 着任して二日。ろくに話してもいないためお互いの事なんて何も知らない。

 矢矧はふと、提督の名前すら知らなかった事を思い出した。

 

 相手の素性も、考え方も、人間性も。何も知らない。

 ましてや、大本営の監視対象である者を信頼しろなど到底無理な話だ。そんな人物に信じろと言われたところで簡単に信じられるわけがない。

 

 しかし、矢矧は彼を――提督を信じたくなった。

 前の提督とは、人間とは違う。こんな死地に助けに来てしまう大馬鹿な人間を――信じようと思ったのだ。

 

「――任せて。全力でやってみせるわ!」

 

 その声は彼には届かない。されど、想いは確かに届いていた。

 

『作戦開始だ!』

 

 酷かった雨はもう、止んでいた。

 

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