『作戦開始だ!』
先程まで激しく振っていた雨は止み、風も穏やかになっていた。
佐久間は無線機を手に取ると、自らの喉に手を当てる。
そして、一度深呼吸をするとそのまま、
『***――』
自分が発しているとは到底思えない声。そんな声がスピーカーから発せられる。
それは矢矧も聞いた事が無いような言葉。
そんな言葉は、軽巡ホ級に届いていた。
軽巡ホ級は小型艇の方を向くと、ノイズがかった声を発しながらそれに近づいていく。
それはまるで味方を見つけたような動きで、殺意は一切ないようだった。
矢矧はその光景をただ呆然と見つめ、何が起きているのか理解が追い付かなかった。
軽巡ホ級は佐久間の乗る小型艇に向けてどんどんと距離を縮めていく。
最早探照灯が無くとも視認できる距離に達していた。
(まだだ――)
近づいてくる恐怖に耐えながら、じっと時を待つ。
無線機を持つ右手が震えているが、それすら気が付かない程に集中していた。
小型艇と軽巡ホ級の距離が五百メートルを切る。だが、佐久間は動かない。
(もう少し――)
距離が目測三百メートルに達したその時、突然何かに気づいた軽巡ホ級の動きがピタリと止まった。
その隙を矢矧は見逃さなかった。
『――今だ! 矢矧さん!』
佐久間がスピーカーに叫ぶよりも前に、矢矧の連装砲が火を吹く。
放たれた砲弾は寸分の狂いなく真っ直ぐに軽巡ホ級へと届き、爆発を生んだ。
爆風により時化た海に襲われ、佐久間の乗る小型艇は激しく揺れる。押し寄せる波は舷縁を超えて佐久間自身も襲い、引きずり込まれそうになる体を必死に支える。
一時的な荒れに耐え抜いた佐久間が辺りを見渡す。だが、炎と黒煙が立ち上る以外何も確認できなかった。
「やった……やったんだな……」
佐久間は安堵の表情を浮かべ、ほっと一息吐いた。
『矢矧さん、勝ったんだよ俺たち!』
スピーカーで、矢矧に向かって言葉を発する。
しかし、何の反応もない。
慌ててレーダーも確認するも、先程の爆発による影響か壊れて何も映らない。
思わず拳を握って壊れたレーダーを叩き、無線機を手に取って口を開く。
『矢矧さん! 頼む、何でもいい! 返事してくれ!』
その言葉に返って来たのは波音とパチパチと燃える炎の音だけ。
矢矧の返答は、何もない。
『――さっきはごめん、取り乱したりして! 本来は君を鼓舞する立場なのにあんな事言って! あんな事君に言わせて!』
気付けば、そんな言葉を口にしていた。
深海棲艦の反応をレーダーで確認した際、佐久間が取り乱して弱音を吐いてしまった謝罪を。
戦うこと以外道はないのに、それを彼女に言わせてしまった謝罪を。
『だけどもう覚悟を決めた! 俺、頑張るから! 君にふさわしい提督になるから! だから、だから――』
何故こんなことを言っているのか、佐久間自身もわからなかった。
それでも、言わなければいけない気がしていた。これを言わないと先に進めないと思った。
なにより、それは矢矧に伝えたい本心からの言葉だった。
『傍で、ずっと支えてほしいんだ!』
それは、何ら特別なものでもなく、ただ自然に口から出た言葉。
言葉通り、民間上がりで何もわからない自分自身を支えてほしいという本心からの言葉だった。
聞く人によっては少し誤解を招いてしまうかもしれない。だが、幸か不幸かこの場に誤解してしまうような者は一人もいない。
例えば、佐久間の背後に立つ女性などは誤解しないだろう。
「ねえ」
つんっと何かに肩をつつかれる。
「へぁ?」
変な声が出た。
佐久間は素早く後ろを振り返ると、そこには体中がボロボロでびしょ濡れの矢矧が立っていた。
「や、矢矧さん……?」
「それ以外何に見えるって言うの?」
やれやれと言いたげに溜息を吐いた矢矧。それを見た佐久間は、安堵の表情を浮かべ、その場に崩れ落ちた。
「ちょ、ちょっと! 大丈夫?」
「大丈夫、安心して力が抜けただけだから。そんなことより矢矧さん、体は大丈夫?」
「え、私? ――驚いた、艦娘にそんなこと言う人がいるなんて」
矢矧の身を案じる言葉に、彼女は目を丸くして驚いた。
「え、なんで?」
「私たち艦娘はどんな傷でも修復できるの。例え腕を失ってもね」
「……マジ?」
「ええ。勿論、修復するには特別な道具が必要になるんだけど」
確かに、腕が無くなっても修復できるのなら、擦り傷はあっても五体満足で残っている今の状態は充分マシなのかもしれない。
だが、だからと言って心配しないのは何か違うだろう。
「それだとしても、こんなに傷付いてる人を放っておけるわけないだろ」
別に何か特別なことを言ったわけではない。いや、他の提督からしたら大分異端な発言だったかもしれない。
それでも、佐久間にとってはこれが普通なのだ。
艦娘だとか、人間だとか。そんなの関係なかった。
「……貴方って本当に、変な人」
そう言って、矢矧が小さく笑った。
初めて見る矢矧の笑顔に、佐久間は思わず見惚れてしまう。
その姿はまるで女神だと錯覚するほど眩しく、誰かが言い始めた「艦娘とは海に舞い降りた女神である」という言葉もあながち間違いではないと感じていた。
「そ、そろそろ戻るか」
我に返り、恥ずかしさから逃げるように佐久間が小型艇を動かし始める。
そんな後ろ姿を優しく見つめる視線には、彼は気付かなかった。
「……そうね、帰りましょう。私たちの鎮守府に――」
二人の間にはもう、初日のような壁は無くなっていた。
「それと提督? 矢矧『さん』じゃなくて矢矧でいいわ」
「えっ? いや確かにそっちの方が呼びやすいけど、いいのか?」
「傍で支えて欲しいんでしょう? なら呼びやすい名前で呼んでもらった方がいいじゃない?」
なるほど、と相槌を打った佐久間は早速、
「よし、矢矧」
「はい、提督」
「これから、頼むな」
「ええ、頼まれたわ」
これが、初期艦との初めての挨拶となった。
鎮守府に戻った二人は今回の報告書作成にあたり、四苦八苦しながら大本営に提出した。
報告書が完成したのは、襲撃から三日経ってからの事だった。
何故か。矢矧は意外と書類仕事が苦手だったからだ。佐久間もこれは予想外だった。
□
そして現在。
思い出話に華を咲かせる二人は、ゆっくりと少しづつ珈琲を飲む。少しでもこの思い出話を続けていられるように。
「なんでも完ぺきにこなせそうに見えたのに、書類仕事だけは苦手だったとは思わなかったよ」
「自分の艤装についての書類なら何とかなるけど、それ以外はもう苦手ね……」
暴れる方が性に合うと言う矢矧に対し、佐久間も苦笑しながら相槌を打つ。
「今じゃもう、そのイメージで定着しちゃったよ」
「何も言い返せない自分が憎いわ……」
「まあ、何というか。今の矢矧の方が接しやすいよ。初日は近づかないで話しかけないでオーラが凄かったしな」
矢矧はバツが悪そうに明後日の方向に顔を背ける。
これでも一応、悪い事をしたという自覚はあるらしい。
「それは、その……ごめんなさい。でも、大本営の監視対象って言われたら誰だって身構えるわよ……」
「深海棲艦の力を持った人間が提督やってるんだ。大本営だって慎重になるでしょ」
佐久間は気にも留めないような微笑みを見せ、窓の外を見る。
初めて襲撃を受けた日、軽巡ホ級に佐久間が発していたのは深海棲艦の言葉。
深海棲艦独特の周波数と言語を用い、軽巡ホ級に向けて味方であると発していた。
だからこそ、軽巡ホ級は佐久間を味方と勘違いして近づいた。
だからこそ、軽巡ホ級は佐久間を視認して敵だと気が付き止まった。
その結果、深海棲艦を撃退できたわけだが、そんな力を持つ人間が提督を務めているなど大本営からしたら気が気でないはず。
それでも佐久間に舞鶴を任せている理由は、提督としての素質が高いからだと矢矧は言っていた。
リスクを負ってでも使役する価値があると大本営は思っているのだ。そのリスクを減らすために監視を付けるのは至極当然の事だろう。
「深海棲艦の力って言っても、微々たるものだけどな……。せいぜい駆逐イ級と同程度かそれ以下だよ」
それでも充分強いという言葉をコーヒーと共に飲み込むと、矢矧はスッと立ち上がり自分の席に戻っていく。
「さ、仕事よ。まだまだ書類は残っているから頑張りましょ」
「はあ、もう少し休んでいたかったんだけどなぁ」
「秘書艦はこんなに頑張っているのに……」
「よっしゃ仕事やるかぁ!」
化け物まがいの提督と、監視役の艦娘。
二人の出会いは偶然なもの。偶然が巡り巡って二人を引き合わせた。
そしてまた、二人が巡り合った事で新たな偶然が生まれる。
それぞれが過去に何かを抱えていて、まだその過去を知る事はない。
過去を打ち明けることが出来たその時、彼らは本当の意味で絆を得ることが出来るかもしれない。
でも、それはまだ――まだ先の話。
これは、化け物まがいの提督と艦娘たちが深海棲艦と戦う話。
数々の艦娘と出会い、学び、成長しながら生きていく。
軍の為でなく、国の為でもなく。ただ自分と、艦娘たちの為に戦う。
そんな、単純な物語。