それは、何の変哲もない日常。
普段と変わらない、いつもと同じ日々。
それでも、毎日何かしらの発見はある。
例えば、
「矢矧ー、珈琲に少し砂糖入れてくれないか」
そう、彼は苦いものが得意ではない。
少しと言っているが、強がっているだけという事も知っている。
以前は我慢していたのか、最近になってこういう要求をしてくるようになった。
昨日も同じことを言われたから、言われた通り砂糖を少しだけ入れた。しかし、彼はそれを飲んで苦虫でも潰したような表情を見せた。
その時、この人は苦い物が好きじゃないんだなと思った。
だから今日は砂糖を多めに入れてあげようと思う。昨日の三倍……いやそれ以上は入れておこう。どうせならミルクを少し足しておいてもいいかもしれない。
「――はい、提督。ご注文通りの珈琲よ」
「悪いな、ありがとう――」
一口飲んだ彼の表情は、何とも言えないものに変わっていた。
「どうかしら?」
「お、おおう。これはまた甘いな」
「苦いの得意じゃなさそうだったから、砂糖を多めに入れてみたの」
「ちなみにどのくらい?」
「そうね……昨日は小さじ半分だったけど、今日のは大さじ五杯くらいは入れたかな……」
彼の顔が引きつる。
どうやら甘すぎたらしい。何でも手加減が大事みたい。
「次は大さじ一杯と半分くらいにしてくれると助かるな!」
彼は笑みを浮かべながら、甘い珈琲を勢いよく飲み干す。
その姿に、私はまた驚いてしまう。
「ご馳走様」
飲み終えたマグカップを受け取り、私は給湯室に向かう。
給湯室でマグカップを洗いながら、提督とのやり取りを思い出す。
あんな風に、頼みごとをしてくるのは彼が初めてだ。いや、始めても何もまだ二人しか提督を知らないのだから何とも言えない。
ここ舞鶴に異動する前、私は別の鎮守府に居た。
その鎮守府では、艦娘は兵器として扱われていた。それ自体は別に間違ってはいない。だって私たちは兵器なのだから。
ただ、その扱いは酷いものだった。
補給を受けられるのは提督に気に入られた秘書艦と第一艦隊のみ。それ以外の皆はろくに補給すら受けることも許されなかった。
そのうえ、大破進撃なんて当たり前。これで沈んだ艦が一人もいないのは奇跡といってもいい。
「洗ってもらってるところ悪いんだけど……終わったらこの書類見てくれないか?」
給湯室の外から彼の声が聴こえる。
まったく、艦娘使いの荒い人だ。
でも、別に嫌じゃない。
寧ろ少しだけ。ほんの少しだけ喜んでいる自分がいる。
「わかったわ。もう少しで終わるから待ってて」
前の鎮守府では、こういった仕事は一度もしたことが無かった。ましてや、頼まれごとだって受けた事はない。
いつも提督から告げられるのは任務だけ。こうしろ、ああしろ、使えない、兵器風情。こんな言葉を発せられるのは日常茶飯事。
失敗した艦娘は激しく叱責され、立ち直れなくなる駆逐艦もいた。怒る事が悪いわけではない。怒り方の問題だと思う。
だから、彼と会ってからは驚いてばかりだった。
あんな風に頼まれごとをされたことが無いから。
あんな風に頼りにしてもらった覚えが無いから。
あんな風に自らを危険に晒してまで前線に出てくる人間を見た事が無いから。
心配をしてくれる。気遣ってくれる。失敗しても頭ごなしに怒鳴る事はせず、アドバイスをくれる。
それだけで彼を信じてみたいと思うなんて、我ながら軽い女だなと思う。
――そう、女。前の鎮守府では思いもしなかったこと。
彼は私を――艦娘という存在を兵器ではなく、人間として扱ってくれる。
それが何より、嬉しいのかもしれない。
「終わったわよ。それで? どの書類を見てほしいのかしら?」
得意気に提督のもとへ向かう。
「これなんだけど、って随分得意気だな」
「当り前よ、それで……この書類は――」
出会ってまだ一週間ちょっと。
彼の監視はまだまだ続く。だけど、もう彼を監視対象としては見ていない。
私の――舞鶴の提督として、これからも見ていくつもりだ。
彼なら、彼とならきっと。
この戦争を終わらせられるかもしれない。
――まだ貴方の事は何も知らない。知らない事の方が圧倒的に多いけど、信じるわ。
貴方が深海棲艦の力を持っていても、化け物と呼ばれていたとしても、貴方は貴方。
過去に何があったのか知りたいけど、きっと貴方は教えてくれないでしょうね。
だから、私がもし。もしも過去の事を――隠していることを話したら、貴方も話してくれるかしら。なんて。
そんな思いを胸に秘め、私は今日も執務に励んでいる。
これからも、彼と。
『佐久間市郎』という、提督と共に。
「これは……こう、かな?」
「――ん? 待って違うそこ実印!」
「えっ」
この書類は、何とかその日の内に終えることが出来た。
これで序章は終わりとなります。
今はまだ矢矧一人だけですが、これから艦娘は増えていきます。
章ごとに一人か二人は増やしていく予定です。
ゆっくりな更新になると思いますが、よろしくお願いします。
次章 三忍は夜に舞う
☆章ごとに一人か二人と言ったな、あれは嘘だ――。