「ウィリアムさん、起きてください」
「……ん………?」
聞きなれない女性の声でそう語りかけられ、目を覚ます。
誰かに呼びかけられた?
寝起きの良く働かない頭で声の主の心当たりを考える。が、何も思いつかない。そもそも、泊まったホテルは個室なので、他人が入ってこれるはずがない。
――なんで、他人の声がする?
ドキリとして目を開ける。窓から差し込む朝の日差しが眩しくてたまらない。
ベッドの上に飛び起き、眩しさをこらえて声の主を探すと、ベッドの横に見慣れない女が座っていた。
長い髪を腰のあたりでまとめた、翠眼が特徴的な美女。容姿とは裏腹に少し悪戯っぽい笑みが彼女の年齢を若く見せていて、正確な年齢が読み取れない。成熟した美女のような、あどけない美少女のような。
ただ、気付かないうちに懐まで侵入されたとあっては、そんなミステリアスな容姿に恐ろしさすら感じる。
すぐに防御用魔術を起動し、応戦の準備を整える。
害意があれば寝ている間に攻撃されていたはずだが、女の目的が分からない以上油断はできない。
――いったい何のつもりで…!
女の正体は分からないが、”テリトリー”の内側であれば早々遅れをとることはないはず。
魔術師の支配領域である”テリトリー”は、その内側において支配者の魔術師に万能と言えるほどの力をもたらす。この部屋の四方には昨日の夜に魔道具を配置し、部屋全体がテリトリーになるよう構築してある。ゆえに、この部屋の中であればどんな相手でも負けるつもりはない。
防御魔術に続いて、読心魔術を起動する。普段なら他人に直接干渉するような魔術は使えないが、テリトリーの中であれば話は別。
依然として正体も目的も分からないその女に対して、読心魔術の矛先を向けるが…
「……あれ?」
起動した魔術により読み取れたその見知らぬ美女の心は、しかし思ってもみないものだった。
「エリザ、何してるの」
「あら、気付かれちゃいましたか」
美女の姿がぐにゃりと歪み、瞬く間にその場にエリザの姿が現れる。
エリザは、先ほどの美女と同じような悪戯っぽい笑みを浮かべ、クスクスと楽しそうに笑っている。
「いや本当、何してたの?」
「実は、ちょっとおにいさんを驚かせてみようと思って」
「…うん」
「こっそり忍び込んで、別の姿に化けて寝起きドッキリをば…!」
「……」
この娘は……
とても楽しそうなエリザの様子に、思わず深いため息が出る。エリザはそんな俺を見ながら「でも失敗しちゃいましたね~」なんてにこやかに言っている。
こっちとしてはにこやかに流せる状況じゃないんだが…
「そもそも、この部屋にどうやって入ったの?結界を張っておいたから、入られれば気づくはずなんだけど…」
「ああ、それですか。ほら、魔術師の結界って、小さな虫には反応しないじゃないですか」
「…まあ確かに、何でもかんでも感知してたらキリがないからねえ」
「なので、ちょっと羽虫に化けてこそこそっと」
「………」
…頭が痛い。
エリザは、「宝石の森」と呼ばれる秘境の里の出身だ。そして、その里の一族にはある身体的な特徴とそれにまつわる固有の能力がある。
宝石の森の人間は、生まれつきどちらかの手の甲に、「血晶」と呼ばれる宝石を埋め込んだような外見の魔術器官が存在するのだ。その宝石の種類はその人の性質を表したものになるといわれ、生涯でその種類が変わることはない。
そして、彼らはその魔術器官を用いることで「血晶術」と呼ばれる固有の魔術を使用することができる。血晶術は彼らが生まれつき使うことができる力であるため、本人の魔術の実力に関係なく力を発揮する。実際、エリザは魔術師としては素人であるが、血晶術を用いることで熟練の魔術師も顔負けの強力な魔術を使うことができるのだ。
エリザの血晶は「アレキサンドライト」。見る場所によってその姿を変える不思議な宝石だ。そして、その宝石がもたらす血晶術は対象とした物質の変化。初めて聞いたときには思わず文句を言ってしまったほどの強力な魔術だ。もっとも、実際に形まで変わるのはエリザ本人を対象とした場合であり、自分以外を対象とした場合は外見を偽装するだけのようだが。
さて、そんなわけでエリザが「変身」できることは前から聞いていたが。エリザは俺が思っていたよりもその能力を使いこなしているようだ。使いこなすというか、結界のすり抜けは正直「悪用」の範疇だと思うけど。
「何というか、君といると魔術師としての自信がなくなるよ、エリザ…」
「あら、お褒め頂き光栄ですわ」
「…褒めてない」
おどけた様子で優雅に一礼をするエリザ。こっちとしては朝っぱらから色々ありすぎてもう食傷気味だよ。
とりあえず、エリザも部屋に来たことなのでパンと干し肉を取り出して朝食にする。一緒に取り出した皿を並べ、ナイフでパンを切り分け、ついでに紅茶を入れ…
「…毎回思うんですけど、そんな沢山の道具が良くそのかばんに入りますね。何かコツでも?」
「いや、普通はどんなに頑張っても入らないよ?ただ、魔術でちょっと中を広げたりしてるから」
「え、なにそれ。魔術ってそんなことできるんですか?」
エリザが心底驚いたという感じで目を見開く。そう言えば、エリザはこういう魔道具には詳しくないんだったか。
「まあ、人によっては。そういうのは魔道具系の魔術師の特権だけどね」
「えぇ~、ずるいです……おにいさん、エリザのかばんにもその魔術を…」
「媚びてもダメ。っていうか、無理」
「…けちんぼ」
「いや、これけっこう高度な魔術だから。見た目ほど扱いは簡単じゃないんだって」
「……ぶぅ」
エリザがむくれる。
とはいっても、俺も別に意地悪で断ったわけではない。空間拡張などの魔術は「使用者」がその制御をおこなう必要があるので、魔術師として素人のエリザでは上手く使うことができないのだ。
「エリザこそ、血晶術を使って持ち物を小さく変身させたりはできないの?」
「…残念ながら。あれは、自分以外は見た目をごまかしているだけなので」
「中身は変わらないと」
この辺は、以前聞いた通りだ。
ただ、一つ気になっていることがある。
「でも、エリザ自身が変身したとき、服が脱げたりはしないよね?」
「……おにいさんのえっち」
「えぇ…」
エリザが自分の体をかき抱いてこちらを睨みつける。
いや、確かに言い方は悪かったけど…違うから。
「そうじゃなくって、エリザが身に着けてるものは一緒に変身してるよねってこと」
「…まあ、言われてみれば」
「だったら、持ち物を身に着けているものとみなして、一緒に変身とかできないかな?」
「…むむむ」
俺の提案に、エリザは考え込む。
血晶術がどういった技術なのかはいまいち分からないが、条件付きの変身魔術の一種であると考えるならば、その条件の範囲を上手く拡張してやれば持ち物でも変身できそうだ。いや、もっとうまくやればなんでも対象にとれるように…?
「…今ちょっと試してみましたけど、無理みたいですね」
「ダメだったか~」
ダメらしい。
「多分、自分の一部だと思えな物はダメですね」
「なるほどね」
分類上は魔術の一種とはいえ、思ったよりは融通が利かない能力みたいだ。やっぱり、どこかで一度調べてみたい気がする。
「それができれば色々この街で買えたのにね」
「…うぐ、それを言われるとさらに悔しいぃぃ」
そう言って、エリザは大げさに頭を抱える。昨日の様子から言って、半分くらい本音かもしれないけど。
「まあ、できないものは仕方ない。とりあえず、朝食にしよう」
「…おにいさんに言われるのは釈然としませんけど」
そんな風に言い合いつつも、俺たちは朝食を食べ始めた。
「そう言えば、さっきはなんで私の変身をすぐに見破れたんですか?」
「んぐ?」
朝食の後、食後の紅茶を楽しんでいた時に、エリザがそう問いかけてきた。
俺としては紅茶は熱いうちに飲みたいのだが、白い湯気の向こうに見えるエリザの目が質問に対する答えを急かしてくる。仕方なしに、立ち上る香りを堪能するだけにとどめ、カップをテーブルにおいてエリザの質問に答えることにした。
「何でと言うと簡単な話で、見た目は変わっても中身がエリザのままだったからね」
「中身…?」
「そ。読心魔術で心を読んだら一発」
「…心を読むって、そんなことまでできるんですか?」
「できるんです」
「はぇ~~」
エリザが感心したような呆れたような視線を向けてくる。
「前もちょっと説明したけど、魔導学院では精神系と魔道具系を勉強してたからね」
「…魔術師って、皆そんなインチキな感じなんですか?」
「インチキって……」
インチキとか言い出したら生まれつき血晶術を使えるエリザの方がよっぽどなんだけど。
「…流石に皆じゃないよ。俺はこれでも魔導学院の元主席だし」
「主席……ってかなり凄い?」
「そりゃね。自分で言うのもなんだけど」
しかも、代々魔術に長けた人間の血を受け継いできた貴族たちも含めた、国中の魔術師の卵が集まるアンディエール魔導学院の主席だ。そんじょそこらの魔術師とは比べ物にならない。
「まあ普通の魔術師は、人の心を読むような魔術は使えないよ。俺の場合も、あらかじめ部屋をテリトリーとして準備してあったから読めただけだし」
「…テリトリー?」
「テリトリーってのは、魔術師が構築した陣地のこと。魔術師は、自分のテリトリーの中だとより強い魔術を使えるわけ」
「…なるほど」
ふむふむとエリザがかわいらしく考え込む。しばらく俺が答えた内容を吟味していたらしいエリザであったが、しばらくしてハッと気づいたような顔になり、
「ってことは、今も私の心を読めるってことですか?!」
あ、それに気づいたか。もちろん今もこの部屋全体がテリトリーであるので、読心魔術を含めた色々な魔術が使える。魔術師のいる場所は、一種の要塞なのだ。
「まあ一応」
「…えっち!!」
「えぇ…」
エリザが再び自分の体をかき抱いて、顔を真っ赤にしてこちらを睨みつける。
まあ、心を読まれて良い気がしないのは分かるけど、その反応はどうなんだろうか…
そもそも、読めるだけで読まないから。
「…精神系の魔術は悪用するとシャレにならないのも多いから規制も厳しいし。さっきみたいな非常時じゃなきゃ使わないよ」
「さっきは使ったんじゃないですか…」
「いや、自分の部屋に知らない人がいるって相当な危機だからね?」
エリザからしたら単なるいたずらでも、こっちは真剣に命の危機を感じたわけだし。
「むぅ……」
そんな俺の心情はつゆ知らず、エリザはまだまだ不満げだ。
「…そんなに気になるなら、精神防御魔術を身に着けてみたら?比較的初歩の魔術だから、ちょっと勉強すれば使えるはずだし」
「…それがあれば、読心魔術は防げるんですか?」
「まあ、大体は」
そもそも、他人に直接干渉する魔術は効果が不安定なのだ。抵抗されずともテリトリーで強化しなくては使い物にならないくらいに。
「…ちなみに、どれくらい勉強すれば使えるようになりますか?」
「う~ん、経験からすると……半年くらい?」
「うわ、なが……」
エリザがうんざりとした表情になる。
いや、これ位なら全然短い範疇だけど。魔術を勉強する場合、基本的には年単位を覚悟する必要があるのだ。
「…まあ、結局はエリザの好きにすればいいけど。それくらいは学んでおいて損はないよ?」
「はぁい、考えときます……」
気のない返事。エリザは勉強がお好きでないようだ。
まあ、そんな気はしてた。
「…そんな事より!」
露骨な話題転換。
バシリとテーブルを叩いたエリザは、窓を指さして、
「今日はこんなに天気がいいんですよ!」
そう言った。
エリザの指さした先、窓の外を見ると、なるほど今日は実に気持ちのいい晴れの日だ。空は雲一つないくらいに青く澄み渡っているし、窓から差し込む太陽の光がポカポカと温かい。この辺はカラッとした気候だから、吹き寄せる風もさぞかし気持ち良いことだろう。
「確かに、今日はいい天気だ。気持ちが晴れやかになるね」
「そうでしょう、そうでしょう!」
そんなうららかな天気にあてられたのか、エリザもいつもよりちょっぴり元気な感じだ。よく見ると、髪を留めるリボンの色がいつもよりちょっと明るい。
「こんな気持ちいい天気の日なんですから、やることと言ったら一つですよね!」
「やることねえ…」
まあ、そう言われると思いつくことはあるけど。
「街に遊びに出かけましょう!」
「読書だな」
エリザと俺の声が重なった。
…言っていることは真逆だったけど。
エリザ、何こいつみたいな顔しても主張は変えないよ。