「私の専属整備士になってください」
そう言って、綺麗な栗色の長髪をさらさらと靡かせながら目の前の美少女――大井さんは頭を下げた。
今この場所が寂れた僻地の工廠場の片隅で、俺の姿が油と炭にまみれた姿でなければもう少し雰囲気は出たかもしれない。
だが相手は俺で、周囲はすすけた塵が舞う灰色の空間。期待する方が間違いってものだ。
そんな場所に何故か彼女は訪れた。周囲は人っ子一人いない。そんな場所で俺一人、寂れた艦娘用の砲塔を磨いていた矢先の出来事だ。
しかし綺麗な所作だ。
普段見慣れた俺の潰れたカエルのような土下座とはまるで違う、美しい佇まい。ちらりと見えるうなじがまた魅惑的で、耐性の無い不出来な俺の脳内は既に思考を諦めた。
だからだろうか、俺は彼女の言っている言葉の意味が理解できなかった。
「……それはつまり、穏便にすませてやるから金だけ置いてとっとと失せやがれゴミクズ野郎って事だな?」
「全然違います。なんでそうなっちゃうんですかっ!」
それでも残念なオツムを働かせて、意図するところを汲み取ろうとしてみたがどうやら違ったようだ。
頬を膨らませながら両腕をぶんぶんと振る大井さんがとても可愛らしい。できればずっと眺めていたいけど、俺みたいのに見られても不快なだけだろうからここはぐっと我慢。
「えっと、大井さん、だよね? 呉鎮守府の」
「はい、あなたの大井です」
「いや、俺のではないよね?」
「そうなる予定ということです」
満面の笑みで何を言っているんだろうこの人は。
片や海軍一大防衛拠点、呉鎮守府のエースオブエース、片や僻地勤めの更に最底辺である量産型三等整備士。もはや比べる事自体が罪に問われそうな格差がある以上、流石の俺も勘違いする事はない。
大井さんが俺を? いやいやないない。
きっとからかわれているのだろう。そうでなければ一時的なストレス発散か。どちらにせよ本来ならば会話をする事すら無かったであろう関係だ。例え彼女の一時的な気まぐれだったとしても、俺は喜んで道化になろう。というかこんな美少女との会話なんてご褒美以外の何物でもない。
「ありがとう大井さん。今日の大井さんとの会話で俺は明日からも強く生きていける」
「今の会話の流れでどう帰結したらそんな感想になるんですか」
不思議そうな表情の大井さん。しかし彼女は何も分かっていない。
「いいかい大井さん、君は美少女だ。そしてこんな俺にも話しかけてくれる聖母でもある。そんな美少女でもあり聖母でもある大井さんとの会話が明日を生きる糧にならないわけがないだろう?」
「わっ、分かりましたからっ……もうっ! 都築さんはもうっ!」
俺の言葉に何を思ったのか大井さんは、片手で顔を覆い、もう一方の手でパタパタと扇ぎ始める。心なしか頬も赤みを帯びているような。そしてとても良い匂いがしそうだった。
――って、あれ?
そこでふと、小さな違和感に気付く。
「俺、名前言ったっけ?」
ポンコツすぎて正常に機能していない我が頭なので自信はないが、記憶している範囲では言った覚えがない。
大井さん程の有名人なら初対面でも相手が名前を知っている事はあるだろうが、自己紹介をしても翌日には存在を忘れられている俺に限ってそれはない。
例にももれず、大井さんとは俺が一方的に知っていただけで面識は無かった筈だし、ここに来る途中誰かに名前を聞いたのかもしれない――
と、そこまで考えて、しかし大井さんの表情は予想外のものだった。
「やっぱり……覚えてないですよね」
「……え?」
それは大切な何かを隠すような、それでいて何処か寂しそうな。
「大井、さん?」
「いえ、大丈夫です。なんでもないんです」
しかし次の瞬間には大井さんの表情は元に戻っていて、俺もそれ以上何かを追及するのは止めておいた。ただ、さっきの大井さんの表情が少しだけ気になった。まるで既視感のような、以前何処かで見たような……?
「……そんなに胸ばっかり見られると困るんですけど」
「うわあ!? す、すいませんごめんなさい!」
どうやら無意識の内に俺は大井さんの胸を直視してしまっていたようで、気が付くと大井さんがジト目でこちらを見ていた。そんな蔑むような視線も悪くない……なんて言ってる場合でもない。
ここは誠心誠意、謝罪の心を見せなければなるまい。
「ほんっとすいませんこんなゴミクズが大井様の御身に視線を向けようだなんてかくなる上は自ら腹を切り自害する所存で……って、え?」
「…………」
大井さん? 無言で俺の手を胸の前に持ってきて何を?
「……気になるなら、触ってみますか?」
「ン゛ン゛ン゛ッ!?」
未だかつて出したことない声が出た。
ちょっと上目遣いで恥じらいと共にその台詞はまるで小悪魔。
絶対小悪魔だこの人!!
慌てて手を引き抜き、すぐさま指の無事を確認する。俺みたいな邪気の塊が大井さんのような美少女に触れたらその場で浄化されそうだからな!
「お、大井さんいきなり何を!? っていうかこういうことは軽々しくやっちゃだめだ! 見ず知らずの男にこんな――」
「私は都築さんの事、たくさん知ってますよ」
「うぇ?」
たくさん? たくさんとはいったいどういうことなのか。
「ずっと、ずーっと都築さんを見てきました。優しいところも努力家なところも、少しだけ人付き合いが苦手なところも――」
大井さんの可愛らしい口から零れる数々の言葉に、しかし俺の脳は正しく反応してくれない。
優しい? 努力家? 彼女は一体誰の話をしているのだろう。
「――ちょっとエッチなところも、自室のベッドの下の漫画本をダミーとしてその下に女子大生モノのイヤらしい本を隠している事も全部知ってます」
否、俺の話だった。
そしてとんでもない事まで漏れていた。
「な、なんで知って……!?」
「かざりさんに教えてもらいました」
「うごごごごご!」
かざりとは俺の整備士仲間と言えばいいのか、まあ昔からの腐れ縁的な奴なのだが、大井さんと連絡を取り合う仲だったとは知らなかった。
というか何を教えてくれてんだあの能天気ゴリラは。
「都築さん――都築八代さん」
大井さんの凛とした声音で、俺の名が呼ばれる。
誰かの瞳にここまで引き寄せられたのはいつぶりだっただろうか。
そんな事をぼんやりと思う俺の前で大井さんは胸元で両手を握ったまま――
――真っ直ぐに爆弾を放りなげてきた。
「私は都築さんの事が好きです。だから私の専属整備士になってください」