「ちょっと八代、あんたいつまでそんなボケーっとした顔してんの?」
大井さん襲来の翌日、工廠場で砲塔を磨いていた俺の頭上にそんな容赦ない言葉を浴びせる人物が一人。
声の主は振り返らずとも分かる。このゴリラがバナナ片手にはしゃいだ時のようなハスキーボイスの持ち主は俺の知る限り一人しかいない。
というかここ、第六海軍整備場でそもそも俺に話しかけて来る奴が一人しかいない。
「かざり、残念なように見えるかもしれないがこの顔は俺のデフォルトだ」
見上げると、予想通りやつが立っていた。
名を小金井かざり。短髪童顔の癖に出るところは出ている性格ゴリラな所謂幼馴染。中学卒業後、国の方針で整備士の適正がある事がお互いに分かって以来、ずるずると腐れ縁が続いている。
階級は二等整備兵。俺とは同時期に入隊した同期のはずなのに気が付いたら上司になっていた。仕事してるとこ見た事ないけど。
まあ口は悪いけど、こんな根暗でぼっちな俺にも話しかけてくれる良いゴリラだ。
生物学上は一応女性らしいが、分類上はきっとゴリラだ。そして何故かいつも棒付きの飴を舐めている。ちょっとエロい。
「その残念で不細工で汚物な顔が輪を掛けてピカソみたいになってるって言ってんの」
「前半は概ね同意だが後半は聞き捨てならないな! 俺の顔にピカソほどの芸術性は全くない! 謝れ! ピカソに!」
「ごめん、モザイクが必要って加えるの忘れてた」
本当に息を吸うように罵声を吐くなぁ、かざりは。
別に事実だからいいんだけど。
「っていうか、俺そんなに上の空だった?」
「今朝八代の部屋行ったとき、目の前で勝手に冷蔵庫のアイス食べても気付かないくらいには」
「なんてこった」
二重に驚きだ。自分でも気が付かないほどに昨日の出来事は俺の心に衝撃を与えていたらしい。そしてなんで勝手に食ってんだこいつは。
「それで、何があった?」
俺の隣にどかっと腰を下ろすかざり。
もしかしたら俺の話を聞くためにわざわざ来てくれたのか。
やはり持つべきものは友達か、なんだかんだ言ってかざりも俺の事を心配してくれてるんだな!
「……話せば長くなるんだけど」
「じゃあ帰るわ」
「何しに来たんだお前は」
「長ったらしいのはいいから要点だけ、ほれさっさと」
何処か釈然としないながらも、俺は昨日の出来事をかいつまんでかざりに説明した。
途中『はあ?』とか『はんッ』とか正気を疑われたり鼻で笑われたりしたけど、いつもの事なので軽く流しておいた。
「なるほどねえ……」
「分かってくれたか?」
「……一応聞くけど、全部あんたのキモイ妄想ってオチは無い?」
「ない……とは思う、たぶん、うんきっと、50%くらいの確率で断言しよう」
「本当にアンタはバカだねえ」
かざりが心底残念そうな表情で俺を見る。なんだかその視線にゾクゾクする自分がいるが、それは今はおいといて。
仕方がないのだ。なんせ昨日の出来事は未だに当の本人である俺でさえ理解できていない代物。むしろアレは夢で、お前の汚らわしい妄想による悲しい産物なんだと言われた方がまだ納得できるぐらいである。
だが、携帯のアドレス帳に入った大井さんの名前が妄想で終わらせることを許さない。
「そっか……大井さん、ついに八代に伝えたのか」
「ん? どういう事だ?」
「いーや、こっちの話。それで、アンタは何て答えたの?」
ひらひらと手を振って飴を転がすかざり。
まるでその先の答えは分かっているとでも言いたげに。
だから俺も当たり前のように答えた。ごく自然にそうすることが世の理であるかの如く、昨日の大井さんに向けて伝えた意思と同じ意味の言葉を。
「それは勿論『ごめんなさい』って断ったさ。当たり前だろ?」
だというのにおかしい。
俺が答え終わるや否や、かざりの瞳からすんっと光が消えた。まるでゴミムシを見る目から汚物を見る様な目に変わるかの如く……アレ? あんま変わってないな。
とにかくかざりから放たれるプレッシャーがヤバい。
わからない。なぜかざりがこれほどまでに怒っているのかが。しかしそんな俺でもこれだけはわかる。
命の危機だ、至急すみやかに正座しておこう。
「……一応聞いとくけど、理由は?」
「いや、だってアレだろ? どう考えても釣り合ってないって。美少女とフナムシなんて共通点が一つも見当たらない。俺と一緒にいても大井さんに迷惑が掛かるだけだ」
「まあ、あんたがフナムシだって事には全面的に同意する」
同意しちゃうのか。
自分で言っていてなんだけど、そこはフォローするところではないですかね? たまには優しくしてくれてもいいのよかざりさん?
「でも、迷惑云々の話は別でしょ。それはアンタが決める事じゃない。それとも大井さんがそんな周囲の目を気にしてアンタを突き放すような子に見えた?」
「大井さんを馬鹿にするな。大井さんはこんなフナムシにも人語で接してくれる菩薩のようなお方なんだぞ!」
「じゃあこうしてアンタの相談にのってやってるアタシは天使? それとも女神?」
「かざりはゴリラだからノーカン」
「妖精さんこの前メンテした機銃持ってきて。試し打ちしてみるから」
その試し打ちの的はいったい何なのか、恐ろしすぎて聞くことはできなかった。
かざりは大きく溜息を吐いた後、がりがりと頭を掻いた。禿げるぞ。
「結局さ、アンタ大井さんの事好きなの? 嫌いなの?」
「あんな優しくてちょっぴりエッチな小悪魔な人、嫌いなわけないだろ」
ただ、それとこれとは話が別ってだけだ。
なにより、遠い別々の場所に居る大井さんと俺にこれから先、新たな接点ができる事なんてほぼないのだ。
だからこの話はもうこれでお終いだ。
この甘酸っぱくもほろ苦い記憶はこのまま墓の下まで持っていく事で完全に無かった事になる。
――そう、思っていたのだけど。
「ま、あんたにその気が少しでもある事がわかっただけでも今はいいか。それにあの子がこのまま諦めるとは思えないし」
「? 何の話だ」
「はいこれ」
「なんだこれ? 書類?」
かざりから無造作にぽいっと手渡された茶封筒。
それを開ける前に、かざりはすたすたと出口の方へと歩いて行ってしまう。
今思えば、初めに気が付くべきだったのかもしれない。
あのかざりが、十回電話して一回も出る気配のないあのかざりが、何の用事も無く俺の相談事のために出向いてくれる筈がないということに。
ふと出口の手前で止まったかざりは、わざとらしく『あ、そうそう』と付け加えた後、悪戯を思いついた子供の様な横顔でにやりと笑って言った。
「あんた明日から呉鎮守府に異動になったから、今日中に荷物まとめときなさいよね」
「……ええぇ」
翌日、俺は大井さんと再会することになった。
ちなみに彼女の申し出を断ってから、二日の出来事である。