「待っていたよ都築くん」
広島県呉市にあるJR呉駅。そこで俺を待っていたのは、そんなニヒルなお姉さんのハスキーボイスだった。
かざりとはまた違う、腹の底に落ちる様な低音ボイス。車窓から腕を出して、親指で『おら乗れよ、見たことない景色を見せてやるよ』と言わんばかりに乗車を促してくる。
駅までは自分で、そこからは鎮守府から迎えを出してくれるとの事で、彼女がきっとそうなのだろう。
「えと、呉鎮守府の方ですよね」
「いかにも。私の事は気軽にお姉ちゃんとでも呼んでくれて良い」
あ、やっぱ違うかもしれない。
カッコいい顔して何を言ってんだこの人。
「すいませんやっぱ人違いだったみたいです」
「まあまあ待ってくれ。そう警戒しなくてもいい。キミは私の事を知らないかもしれないが、私はキミの事をよく知っているぞ」
警戒心から引き気味だった俺の腕をにゅっと伸びてきたお姉さんの腕がぐわしっと掴む。
あ、ちょ、なにこれ力つっよ!? 引きはがせない!?
「……脅迫ですか?」
「キミは私を誘拐犯かストーカーの類の何かと勘違いしているね?」
「今のところ否定の余地はありませんが」
俺に人質としての価値があるとは全く思えないけど。
「まあそれも面白そうだけどね。キミをネタにかざり君辺りを揺すれば昼食ぐらいは奢ってくれそうだ」
「俺の見立てでは金を払って引き取ってもらうのはお姉さんですけどね」
「キミは粗大ゴミか」
「最終的に昼食代諸々も俺の懐から出るでしょう」
「強くっ……生きろっ!」
お姉さんの瞳が哀れな何かを見るものに変わる。
まあそんな事はどうでもいい。いい加減話を進めないと、駅前の往来のど真ん中で揉め事を起こしているなんて話になっても困る。
幸い(?)にもかざりの事を知っているようだし、このお姉さんは呉鎮守府の人で間違いない事も分かった。
それだけでも十分だったが、お姉さんの次の行動と言葉によって納得は確信に変わる。
「ま、冗談はほどほどに。さっきから彼女が後ろから騒がしいしね」
そう言って、お姉さんは意味深に後部座席のスモーク式の窓を開けるよう何やら操作し始めた。
彼女? 後ろに誰か乗っていたのか?
徐々に下がっていく後部座席の窓。そこに座る人物を見て、ぎょっとした。
「お、大井さん!?」
「こんにちは、都築さん」
まさかまさかの大井さんご登場。
控えめに振ってくれる手が、煤けた心の陰鬱さを吹き飛ばしてくれる。
「わざわざ迎えに来てくれたんですか?」
「待ちきれなくて、来ちゃいました」
満面の笑みに、恥じらい成分をひとつまみ。
二日ぶりに会った大井さんは、相変わらず可愛らしい人だった。
「先ほどは、提督が色々とすみません……」
走り出した車内の後部座席で、隣に座る大井さんが深々と頭を下げて来る。
「いや、そんなに謝らないで。別に大井さんが悪いわけじゃないし」
「そうだぞ大井君。キミは悪くない、もっと堂々とするべきだ」
「提督はもっと反省してください」
「はい」
大井さんの叱責にお姉さんの背筋が伸びる。何処か二人の力関係が透けて見えるようだ。
まるで俺とかざりの関係性を思い出させるな。主に主人と下僕みたいな感じで。
ってか、
「お姉さん、提督だったんですね」
「ふふーん、実はそうなのだよ。そう言えば名前を言ってなかったね、遅くなったけど改めて自己紹介をしようか。私の名前は雨宮いつき、年は26、階級は大佐。親しみを込めてお姉ちゃんと呼んでくれても良い」
「提督」
「はい」
驚いた。
提督が女性だったっていうのも勿論だけど、26歳でその地位に立つのは並大抵の事ではない。
人としての中身は俺と同じで残念そうな人だけど、軍人としての能力は際立っているのかもしれないな。
「まあ、整備士としてのキミは直接的な私の部下って訳ではないから、呼び方はお姉ちゃんでも姉さんでもあねさんでもお姉たまでも好きに呼んでくれ」
「じゃあ雨宮さんで」
「んもう、いけずぅ!」
雨宮さんはハンドルを握ったまま、上半身をぐりんぐりんと揺さぶっている。
言葉選びが微妙に古いなあこの人。
「提督、あまり私の都築さんにおかしな事を言って困らせないでください」
「いや、おかしなことを言っているのは大井さん、キミもだ」
俺が大井さんの隣に立つなんて実におこがましい。下僕なら喜んでなるけど。
「略奪愛ほど燃える恋路もないだろう?」
「略奪できるほどの隙は誰にも与えません。丸々全部私が貰いますからっ!」
「ちょ、ちょっと大井さん!?」
急激に身体を寄せてきた大井さんがあろう事か俺の腕を包むように両腕を絡ませてきた。
ふよんふよんと柔らかい何かが腕に当たる感覚と、花の様な甘い良い匂いが理性の壁をがりがりと削り取っていく。
これは、マズい。
「大井さん、その、ですね」
「あ、すいません! ……つい」
ちらり、と目が合った大井さんは慌てたように離れて、ぱたぱたと両手を振った。そのまま冷静になったのかぽしょぽしょと何かを呟いて耳まで真っ赤にしてしまう。
あれが無意識とはとんだ小悪魔じゃないか。
とりあえずあの柔らかさと匂いは脳内の一番大事なところに記憶しておこう。
「うんうん、やっぱりキミたちは見ていて面白い。やっぱり都築くん、キミを選んで正解だったよ」
「俺を呉鎮守府に呼んだのは雨宮さんなんですか?」
「そうだよ。もっとも、大井君の強い推薦があっての事だけど」
横を見ると大井さんが、てへっと小さく舌を出していた。
くそう可愛いな。
「でもなんで俺なんかを」
「キミは整備士だったね?」
「靴を磨く事なら任せて下さい」
「いや、靴は磨かなくてもいいかな」
「だとしたら俺にできることはもう無いかもしれませんね」
「少なっ!? もっと自分がやってきた事に自信を持って!」
正直に話したら励まされた。
とは言っても、三等整備士に出来る事なんてたかがしれてるしなあ。
「都築さん、呉鎮守府は今、人手不足なんですよ」
「人手不足?」
俺の惨状におよよとむせび泣く雨宮さんの代わりに大井さんが小声で捕捉を入れてくれる。
ふわりと耳元に掛かる息がくすぐったくて少し興奮してしまった。
「キミはウチが少数精鋭部隊なのは知っているかい?」
「詳しくは知りませんが、噂程度には」
なんでも、呉鎮守府は他の鎮守府に比べ配属されている艦娘の人数が少ないのは有名な話だ。
理由は分からない。が、それでも戦果において横須賀や佐世保、舞鶴など他の一線級鎮守府に引けを取らないのは個々の練度がずば抜けて高いからとは専らの噂。
――通称、鬼神揃いの呉
いつだったか、かざりが『もし呉が無かったら今頃海軍の拠点は半分になってたかもねー』などと言っていたのをうっすらとだが覚えている。
「戦力はね、別に問題ないんだよ。そこに座ってる大井君だけでも並の敵艦隊なら余裕をもって壊滅できる」
「大井さんやっぱり凄いんですね」
「都築さんが専属整備士になってくれたらもっと頑張れちゃいます」
「それは無理」
「むー」
膨れる大井さんも可愛い。
「ただね、メンテナンス部隊の方が流石に限界にきちゃって」
「メンテナンスってことは整備士って事ですよね? 今まで何人でやってこられたんですか?」
「……一人」
「一人!?」
なんてこった完全にブラックじゃないか!?
いくら妖精さんがフォローしてくれるって言ったって一つの鎮守府を一人の整備士で回すなんて正気の沙汰じゃない!
「いやー、その子があまりに優秀だからつい、さ」
「明石さん泣いて懇願してましたからね。一人で良いから補佐を付けて下さいって」
「ずっと入らなかったズボンがここ一か月で簡単に入る様になっちゃいましたって遠い目で言われた時は流石になんとかしないとって思ったね」
恐ろしい。何が恐ろしいって今の話もだけど、これからド底辺の俺がそんな修羅の国に混ざって身を粉にして働くという事実が実に恐ろしい。文字通り白骨化しないだろうか。
ん? 明石? 明石ってまさか?
「明石さんって、あの艦娘の明石さん?」
「都築さん知ってるんですか?」
「うん。というか整備士の間ではたぶん知らない人いないんじゃないかな? 艦娘の中でも特に整備技術に長けた人だってもっぱら憧れの的になってるんだ」
「……ふーん」
あれ? なんだか大井さんの機嫌が悪くなっていらっしゃる?
「お、大井さん、これは別に一般論的話であって、別にやましい話とかそういうんじゃ」
「大丈夫です、わかってます。男の人って大きい胸が好きですもんね。明石さんああ見えて着やせするタイプですし私はどうせ手の平サイズですし」
おわあああ! 意図せぬうちに話がマズい方向に行っている気がする! 何が悪いかはわからないが!
とりあえず現状を打破する方法を早急に考えなければっ!
かくなる上はっ!
「雨宮さん!」
「う、うむ、残りの話は鎮守府に着いてからでいいだろう。ひいては後の時間は若い者同志でゆっくり過ごしてくれたまえ。それじゃあ私は運転に集中するから」
「ちょ!」
ちくしょう! 完全に丸投げしやがった! ここぞという時に役に立たない年長者だなあ!? もう一生お姉ちゃんと呼んでやらないからな!
「都築さん! 私の話ちゃんと聞いてますかっ!」
「イエスマム!」
結局、大井さんの機嫌は鎮守府に着くまで元に戻ることは無かった。
……くそー。
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