大井さんがパジャマ姿で俺の部屋にやってきた。
「えと、こんな時間にどうしたの大井さん」
「あ、いえ、その……折角なので都築さんと少しお話できたらなーと思いまして」
お風呂上りなのか少し大井さんの表情に赤みがさしているように見える。
もしかしたら、俺が着任初日のプレッシャーに圧し潰されて引き籠りになってないか様子を見に来てくれたのかもしれない。
「お部屋……お邪魔しても良いですか?」
大井さん必殺の上目遣いからのお願いコンボ。
萌え袖とかいうやつだろうか、指をちょこっとだけ出して口元を隠す様に上目遣いとかもうね、正直たまりません。
今なら世界の全てを許せそうだ。
わかったよ大井さん。
「好きなだけくつろいでくれ。その間俺は部屋の前でボディーガードを務めとくから」
「それじゃ都築さんとお話できません」
「あ、ちょ」
大井さんに腕を組まれ、二人揃って部屋へ入る事に。
腕に伝わる幸せな感触が眠気を完全に吹き飛ばしてくれる。思わずイケナイ妄想が捗りそうだったので、空いた方の手で太ももを思いっきりつねっておいた。
本人は物足りないと落ち込んでいたけれど、俺からしてみれば十分すぎるほどに十分だ。
「とりあえずこの座布団使って。すぐに何か飲み物用意するから」
「ありがとうございます。この座布団って以前から都築さんが使っていたんですか?」
手渡した座布団を、なにやら大井さんは真剣な表情で見つめている。
「そうだけど……あ! いや、安心して! ちゃんと洗濯して持ってきたやつだから!」
「そうですか、残念です」
「残念?」
「なんでもないです」
意味深に笑って、大井さんは座布団の上にちょこんと座った。
良かった。大井さんに臭いので使いたくないとか言われたら、軽く一週間は寝込むところだった。いや、大井さんは優しいからそんなこと言わないだろうけど。
とりあえず俺は大井さんの視界の邪魔にならないよう部屋の隅にひっそりと座った。
「どうして都築さんは当然の如くそんなところに座るんですか?」
「? 大井さんだってゴミを視界に入れたくないだろ?」
「……都築さんのばかっ」
ありがとうございます!
なんて言っている場合でもない。
大井さんの視線温度が急転直下で下がってしまっている。
「都築さんがそんな事言うのなら、私にだって考えがあります」
「いやでも、そもそも俺みたいな量産型底辺整備士がみんなの憧れである大井さんと話をするなんて百年早いというか、一生ありえないというか――」
「今から都築さんのベッドで私が思う存分ゴロゴロします」
「――なんてのは冗談で、話をしようか大井さん」
止めて。
そんな事されたら大井さんの匂いで俺が夜眠れなくなっちゃう。
仕方がないので俺も座布団を敷いて座る事にする。
「霞と北上さんには会いました?」
「ああ、うん。二人共俺なんかにも親切にしてくれて凄く助かった。大井さんにも色々と気を遣って貰ったみたいで、ほんとありがとう」
「お礼なんてそんな、都築さんのお役に立てて私も嬉しいです」
なんだ、天使か。
ああ、いや大井さんだった。しかし何をどう育ったらこんな慈愛に満ち溢れた人物になれるのだろうか。
しかして、はにかむように笑っていた大井さんの綺麗な眉尻が少しだけ下がっていく。
「本当は今日、都築さんに謝らないといけないなと思って来たんです」
謝罪。それは自らの非を認め、相手に許しを請う行為。
だが俺と大井さんの場合、考えるまでも無くこちらに非がある事は確定的に明らか。謝らなければいけない理由を俺が作っているという事になる。
つまり、
「……俺もついにクビか。短い間だったけど夢を見させてくれてありがとう」
「しみじみと言ってますけど、まだ着任して12時間くらいしか経ってないですからね?」
「軍を辞めたら俺、田舎に帰ってカブトムシを育てるんだ」
「夏休み前の小学五年生みたいな事言ってないで、話を聞いてください」
そうではなくてですね、と大井さん。
「都築さんは、迷惑だったんじゃないかなって」
「えっと、詳しく聞かせて貰ってもいいかな」
大井さんが何を言っているのかわからない。
わからないけど、なんとなく何か大きな勘違いをしているようなそんな気がして仕方がない。
「都築さんに専属整備士になる事を断られた日、鎮守府に戻った私はそれはもう死ぬほど落ち込みました」
「うん、なんかごめん」
「いえ、都築さんは何も悪くないですし、鎮守府に来てくれるって聞かされてすぐに元気になりました。でも同時に冷静になって、自分がしていた事が凄く強引だった事に気が付いて」
「と、言いますと?」
ここまで言われて察することができない自分の頭が恨めしい。
「整備士の事も鎮守府着任の事も私は自分の事ばかりで、都築さんの気持ちを何も考えていなかったなって」
「それはつまり俺が大井さんの事や此処に呼ばれた事を迷惑だと思っていると、そういう事?」
俺の問いに大井さんは小さく頷いた。
なるほど、とんだ勘違いだ。しかし大井さんの中では身の程知らずにも俺が内心で迷惑していると、そう心を痛めてしまっている。
もしこれが漫画やドラマなら、ここで大井さんを優しく抱きとめるイケメンが登場するんだろう。が、残念ながらこれは現実で相手は俺だ、ぼっちに無理を言うんじゃない。
それでも、大井さんのためにも勘違いは正さなければいけないだろう。
「話はわかったし、大井さんがここに来た理由も理解できた。その上で言わせてもらいたいんだけど――大井さん、君は大きな勘違いをしている」
「勘違い……ですか?」
伏目がちだった大井さんの表情が上を向く。
「大井さん、君はまず美少女だ、それはわかるね?」
「わかりません」
「その言葉肯定として受け取ろう。そして更に優しくて、さりげなく気も遣えてちょっと小悪魔なところもある非の打ちどころのない美少女なのが君だ」
「都築さんの目つきがちょっとヤラシイです……」
「ありがとうございます。それに対するのがちょっと女子とお話しただけで幸せを感じてしまう浅はか系底辺男子、そう俺だ」
むっとしたり不思議そうだったり恥ずかしそうだったり、大井さんの表情が可愛らしくころころ変わって癒される。
「都築さんはかっこいいです。私の中では一等賞です」
「大井さんは女の園にでも住んでるの?」
残念な子ランキングでもあれば上位に食い込む自信は多いにある。
いや、何の話だ。そろそろ何が言いたいのかわからなくなってきた。
「つまり何が言いたいのかと言うと、大井さんみたいな美少女に話しかけられて嬉しい事はあっても、迷惑だなんて思う事は絶対にないから」
「そう、なんでしょうか」
「少なくとも俺はあの日、まだ誰とも話してなかったから大井さんに話しかけて貰えてめちゃくちゃ嬉しかったよ」
「でも専属整備士の件は断られました」
「それはほら俺がゴミだから」
客観的かつ冷静に答えたはずなのに大井さんに怒られた。
我ながらひねくれているとは思うけど、答えは変わらない。
「どうしても駄目、ですか?」
「大井さんの事は好きだけど、俺も底辺とは言え整備士のはしくれとしてそれだけは簡単に頷けないんだ」
「……すいません急に耳の調子が、もう一度最初から言って貰っていいですか?」
「大井さんの事はすっ……信頼してるけど、俺も底辺とは言え――」
「好きが抜けてますっ!」
「聞こえてるじゃん! しっかりと!」
なんて策士だ。おかげで火が出そうなほど顔が熱い。
恥ずかしくて見れないが、大井さんが膨れている姿が容易に想像できる。
「理由、聞いてもいいですか」
「聞いても、たぶん納得は出来ないと思う」
結局は酷い独りよがりで自分勝手な事だから。
それでも良いと大井さんは言う。
ならば話さない訳にはいかないだろう。
「大井さんがこんな俺を、そのっ、慕ってくれている事は良くわかった。最初は悪戯かと思ったし、未だに理由はわからないけど、だからこそ俺は俺の整備士としての力が信じられないんだ」
「はい」
大井さんは頷くだけで、静かに聞いてくれる
「専属契約を結んだ整備士と艦娘は文字通りパートナーだ。艦娘は自分の命綱でもある整備関係を、身体メンテナンスも含めて整備士に預け、整備士は自分の全ての力でもってそれを一任する」
専属契約は整備士にとって一番の誉れ。
同時に艦娘にとってそれは心の拠り所になる。
だからこそ、俺は勘違いをしない。
「俺は俺の力を過信しない。技術は努力で身に着けられるけど、俺に整備士の素質は無い。妖精さんは二人しか付いてないし、未だに三等整備士なのが何よりの証拠だ」
ちなみに平均では妖精さんは五人程度は付くそうだ。
「大井さんが優秀だから、表向きにはそこそこ上手く行くかもしれない。けど周囲はそうじゃない、釣り合ってないと声を上げる人間は絶対にいる」
俺の事は別にいい。事実だから受け止めよう。
だけど俺と一緒に居る事で、大井さんが不快な目に合うのならばそれはもう無しだ。
「周りの目なんて、私は気にしません」
「大井さんは強いね。でも、ダメなんだ、俺が」
情けないけどこれが俺だ。
慕ってくれる人が俺の所為で嫌な思いをするのが、俺は耐えられない。
「……そうですか」
「わかってくれたか」
静かに大井さんは頷いた。
幻滅されたかもしれないが、仕方がない。変に期待を持たせて後で傷つかせるよりは早々に現実を知ってもらった方がよっぽど良い。
なあに、もともとズレていた立ち位置がもとに戻っただけだ。
美女と野獣ならぬ、美少女と海に浮かぶワカメ。俺たちは多分そんな関係だったはずだ。
「だったら何も問題はありませんね!」
だというのに大井さんは満面の笑みでそんな事を言った。
あれれー? 何かおかしいぞ? 俺の思っていた反応と全然違うじゃないですかやだー。
「えと、大井さん? 俺の話聞いてた?」
「はい。でも、大丈夫です。例え妖精さんが少なくても、三等整備士でも、都築さんは整備士として、私たち艦娘にとって一番大切なものを既に持っていますから。後は私が頑張るだけです」
どうしよう、大井さんが何を言っているのか全くわからない。
それでも自信に満ち溢れた大井さんの瞳に見つめられると何も言えなくなってしまうのは、俺がヘタレなんだからでしょうか?
「ええっと、結局諦めてもらったって事でいいのかな?」
「? 都築さんは何を言っているんですか?」
ああ、懐かしいぞこの残念なものを見る視線の感覚。
かざりは元気にやっているだろうか。
「一応確認したいんですけど、都築さんは私の事嫌いってわけじゃないんですよね……?」
少し自信なさげに口元に手を添えて、ちらちらと視線を投げて来る大井さん。
なんだこれは試されているのだろうか、俺は。
「大井さんは美少女でその事を歯牙にもかけない優しい人でとても俺の小さな脳みそでは言い表せないくらい素敵な人だと思います」
「……そんなに私をムラムラさせて都築さんは私をどうするつもりですか?」
大井さんが壊れた。
猫が獲物を狙うような前のめりなポーズでじりじりとにじり寄ってきている。
これはマズい、非常に、マズい。
「……隣、行ってもいいですか?」
「駄目です」
「なんでですかっ!?」
「お願いだから察して! 俺みたいな底辺ボッチはこの状況にもういっぱいいっぱいなのですよ!」
ぷくーッと膨れる大井さんに土下座で懇願する。
プライドなんてない。なによりこのまま近寄られたら理性を保てる気がしないのだから仕方がないだろう?
俺のプロフェッショナルな土下座の甲斐あってか、大井さんは溜め息を付きながらも元の場所に座ってくれた。
同時に壁掛けの時計から、日付が変わる知らせが届く。
「もうこんな時間か」
「すいません、何か長居してしまって」
「いや、でもなんて言うか、話せてよかった」
「はい。それは私も」
何を言っているのか、気恥ずかしくて誤魔化す様にお互い笑ってしまった。
「都築さん」
「ん?」
帰り際大井さんがくるりとこちらに振り向く。
「私、もっと頑張りますから」
何を、とは大井さんは言わなかった。それでもなんとなく何を言われているのかぐらいは察することができた。
むしろこれから頑張らないといけないのは俺の方なのは間違いない。
おやすみなさい、と最後に告げて、大井さんは部屋を出て行った。
こうして長い長い初日の夜が終わった。
拾い上げた座布団からほのかに香る大井さんの匂いに、悶々とした俺はそこから更に二時間ほど眠る事が出来なかったけどね!
とりあえずプロローグ的な話はここまで。
次からは鎮守府編になりますん。