『これは、ゲームであっても遊びでない』
これは、茅場晶彦が何かの雑誌のインタビュー記事に載せたコメントだ。
これについて、殆どの人は深くは考えることはなかっただろうが、俺は心のどこかにずっと引っかかっていた。
まあ、それが今、こういった形で解消されるとは思ってもみなかったわけだが。
いやほんとにまったくうれしくない。
しかしそのおかげで、今は至って冷静に、現状の把握に努めることが出来ている。
未だ現実味がない、というのが一番の理由であるとは思うが。
茅場晶彦曰く、このゲームのルールは、
一つ、自発的ログアウトの不可。
二つ、外的要因によるログアウトは死を意味する。
三つ、この世界での死は、そのまま現実世界での死を意味する。
四つ、ログアウトするには、第百層の最終ボスを倒して、このゲームをクリアするしかない。
といった所だろうか。
まあ、何とも現実的ではない。
街の外に出たら死ぬ危険がある。
それが分かっていながら、勇敢にもゲームクリアを目指せるプレイヤーが果たして何人いるだろうか?
そもそもこういったゲームはゾンビアタック、つまり何度も死にながら攻略することが通例だ。
それなのに、ゲームなのに、一度死んだら終わりだなんてまるで、
ーーー現実世界のようじゃないか。
そんな俺の思考を肯定するように、赤ローブの話は続いた。
『それでは、最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君のアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれ給え』
右の白手袋を翻しながら、淡々とそう告げる。
プレイヤーは殆ど自動的にウインドウを開き、アイテムを確認する。
アイテム名、《手鏡》。
オブジェクト化し、手に取る。
何の変哲もないただの手鏡だ。
面倒くさがって特に作り込まなかった、自分のアバターの顔が写っている。
同じく自分の手鏡を見ていたキリトとクラインだが、本当に何の変哲もないことに、互いの顔を見合わせる。
すると突然、俺を含めた周りのアバターを白い光が包み、視界が一瞬ホワイトアウトした。
二、三秒で光は消え、またどこかに転移しているということもなかった。
キリトとクラインにも、何ともなかったかと尋ねようと、二人がいた場所を見やると。
全く知らない二人がそこにいた。
否、身に付けているものから、何とか二人だと判断はつくが、見た目が、全くと言っていいほど変わっている。
涼やかな若侍然とした顔立ちだった悪趣味なバンダナの男は、無精髭を生やし、今はむしろ野武士のようだ。
そしてその正面にいるのは、勇者然とした逞しい青年ではなく、一見、女の子にも見間違われそうな線の細い顔の少年だった。
二人は同時に、
「お前……誰?」
「おい……誰だよおめぇ」
と言い合い、二人同時に、自らが手にしている手鏡に目を向ける。
何やら悲痛そうな顔をしているキリト(仮)の横で、「うおっ…………オレじゃん……」と驚くクライン(仮)。
そしてもう一度互いの顔を見合わせ、同時に、
「お前がクラインか!?」
「お前がキリトか!?」
と叫んだ。
そして二人同時に、バッとこっちに目を向ける。
やっぱり仲いいなーっと現実逃避気味に考えながら、予想は出来るが一応、念の為に、万に一つの可能性にかけ、自分の手鏡をのぞき込む。
そして、はぁ、と溜め息一つ。
そこにはやはりと言うべきか、毎朝鏡で見る、現実世界の自分の顔が映り込んでいた。
「お前、ソウか!?」
「おめぇが、ソウか!?」
二人に同時に問われ、ソウです、と頭の中でつまらない返しをしながら、肩を竦め、両手を上げることで応じる。
声も変わってるなーっと、もはや投げ遣り気味に思いながら、顔や体格の再現方法についてのキリトとクラインの考察に耳を傾けつつ、メンタルの回復に努める。
「……現実」
ぽつりと、キリトは言った。
「あいつはさっきそう言った。これは現実だと。このポリゴンのアバターと……数値化されたヒットポイントは、両方本物の体であり、命なんだと。それを強制的に認識させるために、茅場は俺たちの現実そのままの顔と体を再現したんだ……」
「でも……でもよぉ、キリト。なんでだ!? そもそも、なんでこんなことを…………!?」
キリトはそれには答えず、指先で真上を、赤ローブを示した。
「もう少し待てよ。どうせ、すぐにそれも答えてくれる」
そしてキリトの予想通り、茅場晶彦はすぐにそれに対して答えを提示した。
『諸君は今、なぜ、と思っているだろう。なぜ私はーーーSAO及びナーヴギア開発者の茅場晶彦はこんなことをしたのか? これは大規模なテロなのか?あるいは身代金目的の誘拐事件なのか? と』
その答えを半ば予想出来てきる俺は、そうであったなら、この
『私の目的は、そのどちらでもない。それどころか、今の私は、すでに一切の目的も、理由も持たない。なぜなら……この状況こそが、私にとっての最終目的だからだ。この世界を創り出し、観賞するためにのみ私はナーヴギアを、SAOを造った。そして今、全ては達成せしめられた』
その声は今までとは違い、どことなく熱を帯びてるようでもあった。
『……以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する、プレイヤー諸君のーーー健闘を祈る』
無機質さを取り戻した声が、最後の一言が、人々にどうしようもない現実を理解させ、染み込ませるようにわずかに残響を引き、消えた。
赤ローブは逆再生のように、フードの先端から空を埋めるシステムメッセージに溶け込むように同化し、やがて最後に一つ、血の色の水面に波紋を残して消えた。
直後、天空一面に並ぶメッセージもまた、現れた時と同じように唐突に消滅する。
三度、訪れる静寂。
徐々に、何事も無かったかのように、市街地のBGMが以前と同じように聞こえてくる。
全てが以前と同じならどれだけ良かっただろうか。
そこで、何とか保っていたプレイヤー達の心の堤防は決壊した。
あちこちから聞こえてくる、阿鼻叫喚の地獄。
しかしこれだけ周りが取り乱せば、逆に俺としては落ち着くというもの。
さて、これからどうしようかと、とりあえず暫定のパーティーメンバーに目をやる。
クラインは未だ呆然としているが、キリトはどこか覚悟を決めた者の表情をしていた。
ゆっくり息を吸い、吐いて、キリトは口を開く。
「クライン、ソウ、ちょっと来い」
キリトがクラインの腕を引き、俺も黙ってそれに着いて行く。
集団の外側にいたのか、すぐに人の輪を抜け、広場から放射状に広がる幾つもの街路の一本に入った。
キリトは俺とクラインの顔を交互に見て、真剣な声音で言った。
「……クライン、ソウ。よく聞け。俺はすぐにこの街を出て、次の村に向かう。お前たちも一緒に来い」
クラインの目がしっかりとキリトを捉える。
キリトは周りに漏れないように低く、しかし俺たちにはしっかり聞こえるように続ける。
「あいつの言葉が全部本当なら、これからこの世界で生き残っていくためには、ひたすら自分を強化しなきゃならない。お前らも重々承知だろうけど、MMORPGってのはプレイヤー間のリソースの奪い合いなんだ。システムが供給する限られた金とアイテムと経験値を、より多く獲得した奴だけが強くなれる。……この《はじまりの街》周辺のフィールドは、同じことを考える連中に狩りつくされて、すぐに枯渇するだろう。モンスターのリポップをひたすら探し回るはめになる。今のうちに次の村を拠点にしたほうがいい。俺は、道も危険なポイントも全部知ってるから、レベル1の今でも安全に辿り着ける」
キリトがこんなにも長ったらしい台詞を言ったのにも驚いたが、何よりその内容に驚いた。
この明らかに見た目俺より歳下であろう少年は、この極限状態の中、あの短時間で、おおよそ最適解と思われる行動に辿り着いたのか、と。
確かに少々、リスクを軽視している気もするが、十分に冷静な判断と言えるだろう。
俺はおおよそ同意だが、クラインはどうだろうかと思い、クラインを見ると、わずかにその顔を歪めていた。
「でも……でもよ。前にも言ったろ。おりゃ、他ゲームでダチだった奴らと一緒に徹夜で並んでソフト買ったんだ。そいつらももうログインして、さっきの広場にいるはずだ。置いて……いけねえ」
「…………」
クラインの張り詰めた視線を受け、キリトは息を詰め、唇を噛んだ。
クラインは友達全員を連れていくことを望んでいるのだろう。
この根っからのお人好しは、自分だけなら助かるかもしれないこの状況でも、友達を見捨てることを許せない。
しかし、キリトも一杯一杯なのだろう。
さっきから言葉に余裕がない。
軽くレクチャーを受けたとはいえ、初心者二人。
いくらキリトでもレベル1の現状、守りながら戦うのにはここが本当に限界のラインなのだろう。
守られる側でしかない俺は、彼らにかける言葉を持ち合わせてはいない。
そんなキリトの刹那の逡巡を、クラインもまた明確に読み取ったようだった。
強張りながらも、無精ひげの浮く頬に、太い笑みを刻み、ゆっくりと首を左右に振ってみせた。
「いや……、おめぇにこれ以上世話んなるわきゃいかねぇよな。オレだって、前のゲームじゃギルドのアタマ張ってたんだしよ。大丈夫、今まで教わったテクで何とかしてみせら。それに……これが全部悪趣味なイベントの演出で、すぐにログアウトできるっつう可能性だってまだあるしな。だから、おめぇは気にしねぇで、次の村に行ってくれ」
「…………」
黙り込んだキリトは、葛藤に見舞われているのだろう。
クラインの言う可能性は、残念ながら有り得ない、それはキリトも分かっている。
だからこその葛藤だ。
そしてついに、決定的となる次の言葉を発した。
「……そっか」
頷き、一歩後ろに下がると、掠れた声で言った。
「なら、ここで別れよう。何かあったらメッセージ飛ばしてくれ。……じゃあ、またな、クライン」
眼を伏せ、振り向こうとしたキリトに、クラインが短く叫んだ。
「キリト!」
「…………」
キリトは視線で問いかけるが、クラインは頬骨のあたりが軽く震えただけで、続く言葉はない。
キリトはひらりと手を振り、体を次の拠点となる村があるであろう方向へと向けた。
そして数歩歩いたところで、もう一度、その背中に声が投げ掛けられた。
「おい、キリトよ! おめぇ、本物は案外カワイイ顔してやがんな! 結構好みだせオレ!!」
キリトは振り返ることなく、肩越しに叫んだ。
「お前もその野武士ヅラのほうが十倍似合ってるよ!」
キリトはそのまま、まっすぐ、ひたすらに歩き続けた。
……さてと、完全に空気だったが、大丈夫だろうか? 忘れられてないだろうか?
キリトは、ちゃんと待ってくれているのだろうか? かなり怪しいところである。(フラグ)
「……ソウよぉ」
良かった! クラインは俺のこと、忘れてなかったみたいだ。
さすが、クライン!
「おめぇ、キリトのこと、頼んだからな」
……ここに至っても、まだ他人の心配をするのだから、こいつは本当に根っからのお人好しで、
「ああ、お前好みの顔らしいからな。任せとけ。変な虫が寄ってこないよう、せいぜい見張っといてやるよ」
「お、おう? ……いや、いやいや! そういう意味じゃねぇよ!?」
「分かってる、分かってる」
「いやそれ、分かってる奴が言う台詞じゃねぇ!!」
ーーー本当にいい奴だ。
「……まぁなんだ。だから、死ぬなよ」
一瞬ぽかんとしたクラインだが、すぐに前みたいに、いや、前よりも顔に似合っている笑みを浮かべて言った。
「おう! おめぇもな!」
俺はそれには返事をせず、クラインに背を向けて、キリトが歩いて行った方向へと歩き出す。
そして振り返ることなく軽く右手を上げて、
「またな」
と、再会を約束した。
あの時、夕日の草原で離したこの手を、また三人で握り合うために。
そのためにも俺は、頼もしくも危なっかしい、あの小さな背中を、支え、守っていくとしよう。
〜〜〜
なお、キリトはほんとに俺のことを忘れていて、途中で気づいて急いで戻って来てくれたらしい。
その後、それはそれは謝られた。
いや、戻ってきてくれたから別にいいんだけどね……。
フラグ回収お疲れ様です。
……小説って書くのすごく疲れますね。
皆さん凄いです。
ここまでお読み頂きありがとうございました。
次話からはオリ主、もっと頑張るので……