ソードアート・オンライン〜青〜   作:月島 コウ

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ビーター 2

あの後迷宮区を出て、森の安全地帯まで戻った俺は、気持ち良さそうに眠る目の前の少女が目を覚ますのを待っていた。

 

七時間も。

 

敢えてもう一度言おう、七時間である。

彼女の顔を見た時の胸の高鳴りなんて、とうの昔に収まってしまった。

 

彼女はよっぽど疲労が溜まっていたのか、移動中も全く起きる気配さえなかった。

俺も最初は戦利品の整理などをしていたのだが、それも直ぐに終わってしまい。

ここに着いた際、目が覚めた時に怪しまれないようにと彼女にはフードを被せ直してしまったため、美少女の寝顔を見ていたら時間なんて忘れていた、的な現象も、勿論起きなかった。

 

本当に暇だった、七時間。

 

いつの間にか夜は明け、周囲には朝独特の、少し肌寒い空気が流れている。

 

念の為、彼女にはストレージに入っていた適当な上着を掛けておく。

ゲームの中で風邪を引くことなどないだろうが、まあ、気分の問題である。

 

迷宮区に比べればふかふかの地面に、気持ちの良い朝の木漏れ日。

そして目の前には、すやすやと気持ち良さそうに眠る少女。

まあ、何が言いたいかと言うと、

 

ーーー俺も眠いのである。

 

いや、よく考えてみてほしい。

そもそも俺は、朝に弱いから、わざわざ夜に迷宮区に入っているのだ。

それにいつもなら、今頃はもう、街に帰って、風呂に入って、ふかふかのベッドで眠っているところだ。

一応言っておくが、この世界では、体が汚れる、なんてことはないので、お風呂に入る意味も、もちろんないのだが、染み付いた日本人の習慣がそれをよしとしないだけである。

 

実を言うと、かれこれ数時間前から、この状態(超眠い)が続いている。

 

一応、彼女を勝手に迷宮区から連れ出した手前、放置するなんてことは出来ず。

かと言って町まで運ぼうものなら、俺は間違いなく、他のプレイヤーから忌避の眼差しで見られるだろう。

 

絵面が、犯罪者待ったなしである。

 

なぜあの時放置しなかったのか、眠い、七時間前の自分を殴りたい、超眠い、などと、どうでもいいことが永遠、頭の中をぐるぐる回り続ける中、何とか今まで耐えているのだ。

 

そしてついに、待ち侘びたその時はやってきた。

 

もぞり、と迷宮区で見た時のように、いや、それよりは幾分か緩慢に、彼女が体を動かす。

すると突然、ばちっ、と音がしそうな勢いで両の瞼を開き、上体を起こした。

掛けていた上着が落ちることにも気づかず、周囲に視線を彷徨わせ、そしてここが迷宮区じゃないことを理解したのか、視界に入った唯一の人間であるところの俺に顔を向けた。

 

ライトブラウンの瞳と、視線がぶつかる。

 

彼女は、食いしばった歯の間から、低く掠れた声を押し出した。

 

「余計な……ことを」

 

その一言で、少しだけ眠気が飛んだ。

 

確かに、余計なことだっただろう。

俺は彼女と知り合いだったわけでも、パーティーを組んでいたわけでも、ましてや助けを求められたわけでもない。

 

彼女はもうすでに、二日か三日、あそこにいたと言う。

ならば言っていたことは事実であろうし、そしてそれを為すだけの実力もあるのだろう。

 

しかも彼女が倒れた場所は安全地帯。

モンスターに襲われることもなければ、あの時間帯なら、俺という例外を除けば、他のプレイヤーが通ることも滅多にない。

いずれ彼女は目を覚まし、またあそこで、いつ終わるともしれない戦いを、終わるまで続けたのだろう。

 

本当に余計なお世話、ただのお節介だ。

 

だからこれは彼女の正当な言い分なのだろう。

 

「余計な……」

 

何かを思い出すように、いや、後悔するように、再度絞り出したそのひと言に、しかし俺は、今度はきちんと応じた。

 

その口許に、シニカルな笑みを滲ませながら、

 

「目の前で倒れてたやつがいたら、心配するのが当然だろ?」

 

俺は、俺の言い分をもって。

 

俺の身も蓋もない、あまりにあんまりな言い分に呆然となっている彼女が少し可笑しくて、思わず、くすり、と笑ってしまう。

しかしそれが気に入らなかったのか、目に見えてむっとする彼女にもまた、悪いと思いながらも、可笑しさが込み上げてくる。

 

「…………なによ」

 

「いや、べつに。さて、それじゃ町に帰るか」

 

七時間座りっぱなしだった腰を上げ、大きく一つ伸びをし、深呼吸を一つ。

別にお尻が痛くなっただとか、体が固くなってしまっただとかはないのだが、何となくやってしまう。

仮想の肺に、仮想の朝の空気を取り込んで、体の中の空気が入れ換わったように感じる。

 

どれもこれも何一つ意味のない行為だが、なんだか今はとても気分がいい。

今日はよく眠れそうな気がする。

 

そして俺が歩き出したことでようやく、彼女が動き出した。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。帰らないわよ、私。最後の一本の耐久度が半分になるまで塔から出ないって決めてるの」

 

おそらくは剣の耐久度のことだろう。

同じのを五本買ってきたって言ってたし。

だがそんなことでは、俺の歩みは止められない。

 

「いやでもお前、もう塔から出てんじゃん」

 

「あっ」

 

本来なら、そういうことじゃない、と言い返せたんだろうが、先の俺の発言のせいで少々素が出てしまっているようだ。

思わず同意と取れるような反応してしまい、しまった、といった顔をする彼女。

それに対して俺は、今度はばれないようにまた、くすり、と笑った。

 

「そういう事だから。とりあえず町に帰るぞ。せっかく助けたんだから、せめて町までは無事に届けさせろよ」

 

「別に! 助けてなんて頼んで……」

 

「なら、あんな所で倒れてんなよなー」

 

押し付けがましい俺の物言いに、思わず反論しかける彼女だったが、全部言い切る前に被せた俺の言葉には、それ以上何も言ってこなかった。

 

俺は歩みを止めることも、振り返ることもしない。

もう眠気が限界なのだ。

迷宮区の時とは違い、今度は穏やかな気持ちで、声で、話せたことを嬉しく思いながら、俺は迷宮区最寄りの《トールバーナ》の町へ、軽い足取りで向かうのだった。

 

不承不承といった様子で、付かず離れず、しかし確かに後ろをついて来る彼女に、またも、可笑しさを覚えながら。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

トールバーナの北門をくぐったと同時に、視界に【INNER AREA】という紫色の文字が浮かび、安全な街区圏内に入ったこと教えられる。

無意識にため息が口から漏れ、知らず入っていた肩の力が抜ける。

 

「さて、帰って寝るか」

 

ようやく何かから解放されたような気がして(まあ俺が勝手にしたことなんだが)、思わず口から出たその一言に、結局最後まで同じような間隔でついてきた彼女が反応する。

 

「……ほんとに町まで連れてきたかっただけなの?」

 

訝しげなその言葉に、少々呆れ気味に応じる。

 

「そう言ったろ。それにそれ以上は、俺が言えることじゃない」

 

ここから先を言うということは、彼女に対して責任を持つということだ。

今の俺に、そんな覚悟はない。

彼女も俺の言葉に込められたものを感じたのか、それ以上の追及はしてこない。

 

「ということで、俺はもう、部屋に帰って風呂に入って寝る」

 

「…………なんですって?」

 

ん? 今の俺の言葉に、何かおかしなところでもあっただろうか?

ついさっきまで、このまま別れるような流れではなかったか?

もうほんとに眠気が限界なんだが。

 

しかし、目の前の彼女から感じる気迫が、ただ事ではないと伝えてくる。

俺は、あと少しだけだと自分に言い聞かせ、真剣な気持ちに切り替えて彼女の言葉を待った。

 

「お風呂……あなた今そう言った?」

 

「……へ?」

 

思わず、拍子抜けた声が出た。

しかしどうやら聞き間違えではなかったようで。

彼女は勢いそのまま、ここに来るまで一切詰めることのなかった距離をゼロにして、俺の襟元を掴んだ。

 

「ねぇ、どうなの? ほんとなの? お風呂って。あなたの部屋にはお風呂がついてるの?」

 

「っ!?」

 

近い近い近い怖い怖い怖い。

間近で見て、改めて思い知らされるその端整な顔立ちに思わず息を呑み、無意識に顔が熱くなるのを感じる。

しかし、そんなことなどお構いなしに詰め寄って来る今の彼女には、恐怖しか感じない。

 

「今日は随分と遅かったじゃないカ、ソー坊。それに、連れがいるとは珍しいナ」

 

後ろから聞こえた特徴的な語尾の声。

そういえば連絡入れ損ねたなー、と少々申し訳なく思いながらも、徐々に締め上がる首元に真剣に危機感を覚え始め、後ろにいる人物に心の中で助けを求める。

 

「アーちゃん、周りの視線集めてるから、そろそろ離してやってくれないカ」

 

俺の心の声が通じたのか、それとも本当に注目を集めることを嫌ったのか、そう掛けられた声に、未だに未練がましくこちらを見つめる(睨んでいるとも言う)彼女はようやく手を離したのだった。

 

すごい渋々だったが。

 

朝ということもあって、これから行動を開始しようとしていた人達の視線を集めてしまったらしい。

軽く会釈をして、騒がせてしまったことを詫びておく。

するとさほどの興味もなかったのか、すぐに向けられる視線の数は減っていった。

 

そしてようやく、俺を助けてくれた人物へと向き直る。

 

「助かったよ、アルゴ。いやマジで」

 

「にひひ、いいってことヨ。オレっちとソー坊の仲じゃないカ。特別に、今回はタダにしとくヨ」

 

俺の胸ぐらいまでしかない小柄な体に、金褐色の巻き毛、両の頬についた三対のペイント線が特徴的な女性プレイヤー。

丈の長いフード付きマントを着ていて、()()()()()風貌の彼女の名前は《アルゴ》。

その見た目から《鼠》のアルゴと呼ばれているらしいが、俺からしたら鼠よりも猫っぽいと毎度思っている。

 

俺の知っている、ただ二人、今後ろで俺を睨んでいる(見つめている)フェンサーと、もう一人の『戦うことを選んだ女性プレイヤー』だ。

 

しかし彼女が扱うのは剣ではなく、戦う相手もモンスターではない。

たしかに腰についているクローや投げ針を使うことはあるだろうが、そういう事ではない。

それが本職ではないのだ。

彼女が真に扱うのは情報で、相手取るのはプレイヤー。

 

彼女、《鼠》のアルゴは、この世界で唯一の《情報屋》だ。

 

「それで、いつものやつか? なら場所変えるか」

 

いくら注目がなくなったと言っても、これからするのは情報の話だ。

注意してし過ぎるということはあるまい。

 

「そうだナ。あ、ついでだし、ソー坊の部屋でするカ。アーちゃんもそれでいいカ?」

 

少し考えた後で黙って頷くフェンサーを尻目に、金褐色の巻き毛を揺らしながら前を歩くアルゴ。

 

……何がついでなのか、なぜ俺の部屋なのか、そもそもどうして俺の部屋を知っているのか。

疑問は尽きないが、そんな質問をして取られる時間もお金も惜しい俺は、黙ってアルゴについて行くのだった。

 

少し後ろに、ここに来るまでよりも幾分か距離の近い、《アーちゃん》を伴いながら。




アルゴの口調、難しいヨ……。

謝罪:
すみません、前にここに書いてた余談についてですが、原作において、迷宮区で赤フードの彼女がキリトに助けられたのが午前4時過ぎという明確な描写がありましたので、キリト君が今回の騒ぎを見ている、ということはありませんでした。
前回同様、本編には関係してこないとは思いますが、ここまで読んで下さっていた方には申し訳なかったです。

*ソウ君が赤フードの彼女を助けたのは、零時あたりを想定してます。

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