……ほんとごめんなさい。
「ふぃ〜、さっぱりした〜」
「それは良かったわね」
「………………え、何でいるの?」
一人で泊まるには中々に広い部屋。
そこに一人で泊まっている俺は、風呂上がりの独り言に当然返事はないものと思っていた。
確かにさっきまで女性プレイヤーが二人いたが、彼女達はすでに自分の用事を済ませていたはずだ。
用事がないなら帰るのが自明の理。
付き合いの長いアルゴならまだ分かったが、今日会ったばかりの彼女がまだここに残っている理由は、ほんとうに分からない。
濡れていた栗色の髪はとうの昔に乾き(システム的にすぐ乾く)、きょとんと傾げられた首にあわせさらりと流れる。
「何でって、あなたが言ったんでしょ? 寛いでろって」
「…………俺そんなこと言ったっけ?」
「言ったっけって、あなたねぇ」
隠しもせず呆れ顔を晒すフェンサー。
おそらく風呂に入る前のあの時だろうが、あの時は正直、自分でも何を言ったか覚えてないので何とも言えない。
俺の態度から、ほんとうに覚えていないと分かったのか、溜め息一つで気を取り直した様子のフェンサーは話を続けた。
「まあいいわ。それよりこっちが本題。アルゴさんから、伝言を預かってるの」
「へー、アルゴから」
口では関心を示しながらも、心の中でアルゴに悪態をつく。
アルゴめ、伝言なんぞメッセージで十分だろうに。
わざわざフェンサーを残したということは、それなりに理由があるんだろうが。その理由は俺か、はたまた彼女か、一体どちらにあるのやら。
どちらにせよ、俺はまだもう少し、眠ることが出来ないようだ。
諦めて理由を確かめるためにも目で続きを促すと、なにやら覚悟を決めた様子のフェンサーは、んん、と咳払いを一つしてからアルゴの伝言を伝えてくれた。
「『ソー坊、今日の午後四時、この街の中央広場で、第一層攻略会議が開かれるゾ』だそうよ」
「ねぇ、なんで声マネしたの? しかも結構似てたし」
「そうしろって、アルゴさんに言われたのよ……」
思わず突っ込んでしまった俺と、突っ込んで欲しくはなかったのか、いたたまれない様子のフェンサー。
幸いフェンサーは、自分の心の整理で手一杯のようなので気づかれることはない。
それにしても、こんな指示に従うなんてやはり態度が柔らかくなった気がする。口数も増えたように思うし。迷宮区で会った時からは想像も出来ない。
やはりお風呂の力は偉大だった、ということだろうか。
それはそれとして、伝言の内容といえば。
「攻略会議、ね」
嬉しい気持ちは、勿論ある。
この一ヶ月間、必死にできることはやってきたつもりだし、後悔はない。
が、前に進んでいるという気がしていなかったのも事実だ。
攻略会議が開かれるということは、ボス部屋が見つかったか、あるいはもう時期見つかるのだろう。
ボス部屋とは迷宮区の最奥に存在する一際大きな部屋のことで、そこにはその名の通り、通常のモンスターより遥かに強いボスモンスターが存在しており、そのボスモンスターを倒すことで次の層への階段が現れる。
そしてそれを第百層まで繰り返し、そこにいるであろう百層のボスモンスターを倒すことこそが、俺たちプレイヤーの最終目的であり、残された唯一の現実世界への帰還方法でもある。
たがら間違いなく、現状を先に進めるであろう攻略会議は嬉しいのだが、どうしても不安の方が勝ってしまう。
死の危険、という不安が。
しかしそんなことよりも、さらに目下の問題がある。それは、
「四時、かぁー」
そう、時間である。
いつもの俺ならば問題はなかっただろう。迷宮区に行く前の寄り道がてら訪れればいいだけだった。
しかし今日に限って言えば例外だ。
これからの俺の予定は、もう別の事で決まっている。
ーーー寝るのだ。
当然である。
あれだけ眠い眠い言ってたのにも関わらず、あれよあれよという内に眠れないままここまできている。もうほんとのほんとに限界なのだ。
現在の時刻はすでに正午。会議までに寝れる時間は四時間、遅れないことを考えると三時間半とみていいだろう。
無理である。
起きれるはずがない。
自分で言うのもなんだが、俺は一度寝たらほんとに起きれない。
一応いつもアラームをセットして寝ているのだが、無意識にアラームを止めていることも、アラームを無視して寝ていることも多々ある。
現実世界の話をすると、どうしても起きなければならない時は、恥を忍んで、親にモーニングコールをして貰っていたぐらいだ。
しかし当然ながらこの世界に親のモーニングコールは届かない。
つまり詰みである。これ以上寝ないという選択肢は有り得ない。
「あんたは会議に出るのか?」
それなら後で内容を教えて貰えないだろうか、という淡い期待を込めて聞いてみた。
しかしその返事はあまり肯定的なものではなかった。
「今は、分からないわ……」
視線を下げながら答えたその声は、後半は殆ど消え入りそうだった。
会議に出るということは言うまでもなく、ゲームクリアを目指すことと同義だ。
ゲームクリアとは夢で、希望で、そして現状、幻想だ。
確かに彼女は今日、ゲームクリアには欠かせない迷宮区攻略の最中に倒れていた。
しかしそのやり方はまるで、死に場を求めているようでもあった。あくまで主観の話だが。
一度何かを諦めた人間とは、少なからず過去に希望を抱いていた人間のはずだ。
そしてそういう人間の多くは総じて、次に希望を持つことをしたがらない。
なぜなら、もう一度裏切られるのが恐いから。
だから俺はその「分からない」に、会議に行くかどうか以上のものが含まれている気がして、それで同じような考えのアルゴが、この子をここに残した理由も何となく察した。
全く、人をいいように使いやがって。
まあそれが分かっていてなお、思い通りに動く俺も大概なのだが。
……だからいいように使われるんだろうなぁ。
自分の性格に辟易しながら、それでもその性格のせいでまたも彼女に、
「あんたは、この世界でどうしたいんだ?」
普段の俺なら絶対に踏み込まない領域、聞かない質問。
アルゴの思惑のためだけではない。
それを聞いた理由は俺自身、この世界でどうしたいかが分かっていないからこそ参考にしたいという汚い打算と、自分と同類であって欲しいという醜い希望から来たものだった。
しかし彼女は、その問いに対してははっきりと、自分の答えを示してみせた。
「私は、負けたくない。この世界に」
真っ直ぐに俺の目を見る、綺麗なライトブラウンの瞳と視線がぶつかる。
刹那、迷宮区から続く、この子との奇妙な関係が走馬灯のように脳裏を過った。
なぜあの時、彼女を助けたのか。
なぜあの時、彼女を町まで連れ帰ったのか。
なぜあの時、彼女と入り口で別れなかったのか。
なぜ今、彼女の瞳から、目が離せないのか。
まだ名前も知らない。まともに話してもない。一緒にいた時間は一日にも満たない。
それでも彼女の在り方は、強くて、気高くて、儚くて。そして何より、
ーーー美しいと思った。
そんな彼女に俺は、自分の答えの片鱗を見た気がした。
だけど今は純粋に、彼女の選択の手助けをしたいとも思った。
それこそが、俺の答えへの近道のような気がして。
「なら、会議に出るといい。君みたいにこの世界に負けたくないと、そう思っているやつらが集まるだろうから」
キリトのように、と心の中で付け足しておく。
「なら、あなたはどうなの?」
「俺?」
予想外だったその質問に呆気に取られるも、すぐにいつもの調子を取り戻し軽口めいた答えを返す。
「
「そう」
さして興味もなさそうに頷くフェンサー。
まあいいさ。これはヒントをくれたことへの、俺なりのささやかなお礼ってだけなんだら。
「それと、攻略会議には出るつもりだよ。起きれたら、だけど……」
いやほんと、この流れで行けないのは辛いのだが。
内容後で教えて? とはもう言えない。言える雰囲気ではない。
「寝るの? 今から?」
……確かに四時間後にある会議に出るつもりのやつが、今から寝るのはおかしな気もするが。いや、おかしいのだが!
それでも一言、俺は物申したい。
「誰のせいだと思ってる。誰の」
「?」
きょとん、と可愛く首を傾げる彼女。
ほんとうになんの事か分からないらしい。
いいだろう、俺が教えてやる。
ついでにこの、私起きれません問題(仮称)も解決できる、一石二鳥の方法で!
「いいよなー、誰かさんは。さっき七時間近くも寝たんだもんなー。そりゃ眠気もないよなー。七時間近くも見張りをしてた、俺と違って」
「うっ」
嫌味ったらしい俺の物言いに、ようやく思い至ったらしく、分かりやすく顔に出る。
それでも彼女は気丈にも、何とか弁解しようと試みた。
だが甘い。
「……仕方ないじゃない。もう終わったものだと、思ってたんだから」
「だから爆睡ですかそうですか」
「うぅっ」
若干の悲壮感さえも漂わせながら話す彼女に、それでも俺は容赦しない。
別に今までの憂さを晴らしてやる、なんて気はない。ないったらない。
「いやー大変だったなー。迷宮区から連れ出すのも、見張りをするのも。まあ全部、俺が勝手にしたことなんだけどね!」
「…………なにが望みなのよ」
……いや、俺が言わせておいて何なのだが、悔しそうにこちらを睨みながら言うそのセリフは、なんというかその、危険だ。主に俺の理性が。
頭が一瞬フリーズし、思わず全く関係ない望みを口走りそうになったが、しかしそんなことをしたら社会的に死ぬと思い留まり、逆に冷静さを取り戻した。
そうしてようやく、この話を始めた時に最初に考えついた、私起きれないんですぅ〜問題(適当)を解決する方法を口にした。
「んん! それじゃあ遠慮なく。……起こして?」
「…………は?」
「いやだから、起こして?」
俺は寝たい、でも起きれない。
かと言って、会議に出ないわけにもいかない。
ならどうするか、答えは簡単。
起こしてもらえばいいじゃない。
「……はぁ。3時半で大丈夫?」
「もちろん」
さすが、話が分かる。
すごいジト目でこちらを見ているのは気にしてはいけない。気にしたら負けだ。
「これで、貸し借りはなしだからね」
「はて、なんのことやら」
「ちょっと!」
「それじゃ、おやすみ〜」
ほんとになんのことやら。
むしろ借りができたのは俺の方だというのに。
最後にそんなことを思いながら、俺はようやく意識を手放した。
眠たさのせいで、後半のソウ君のテンションがおかしなことになっています。これを書いてる時の作者のように。