「カリーナ、私はね。のんびりと前線に行かず、可愛い娘を眺めていたいのだ」
「そうですか」
「私はね、ドールが好きだよ」
外見に限れば、と女は言った。
軽い一言であったが、中々に酷い言い草であった。
外見は気に入っているが、中身は気に入らないと、そう言っているのだ。
確かに、誰だろうと外見の美醜というのは美に重きを置くものであるし、基準がどうあれ美しいものを尊ぶのは必然である。
彼女はぶつくさ言いながら手元の書類を放り投げた。
「だから、こんな書類は嫌いだ。嫌いだよ、カリーナ。頼むよ、我が親愛なる頼もしい後方幕僚どの」
「麗しいと言ってくださらなかったので嫌です」
「たくましい──」
ぱんっといい音がして、宙を舞っていた書類が卓上に戻って来た。
「……もとい、麗しの君。報告書を仕上げてくれたまえ」
「もう何時間もやっていますよ。あなたが手にしているのはほんの一割程度です」
目に隈ができている部下を前に無言になる女であった。
だいたい、自分よりも明らかに年下の娘が必死に書類の山と格闘しているのを、強制したのは指揮官その人である。
碌でもない人間だが、上の階級章をもらう人間など大抵うまく責任を逃れつつうまい汁を吸い上げた者と相場が決まっている。
責任感がないわけではない。損得勘定でうまく逃げるのがうまいだけである。
本人はそのように強弁して止むことがないのであるが、その度に部下の冷たい視線に晒されるのであった。
指揮官は無頓着に一枚の紙面を掴むと、おもむろに首をひねった。
「こんな、面白くもないものにこだわるのはごめんだ」
「はいはい、文字が可愛く見えたら末期ですよ、指揮官様」
「読み物ならいいんだよ。私は」
「読んでくださいよ。中身を」
渋々、といった様子で小難しい文面に目を落とす。
女は顔に手を当てた。
「我が部隊への支給はこれだけか?」
数行の数字の羅列はグリフィン本社より割り当てられた、資材の数量を示していた。一般に必要とされる量よりも少々数が少ない。
にべもない言い方をすれば、足りない。
出撃後に弾薬が尽きた兵士というのは悲惨である。敵は己が敵の事情など微塵も知らぬ。いや知っていれば、尚更のこと張り切って鉛玉の雨を降らせるように動くだろう。
そうしなくてはならない──これはどの国のどんな位の軍人であろうと共通の認識である。鉄血と対抗するPMC所属の者たちも例外ではなかった。
そして、人形は人間ではない。
部品の交換で傷が癒える。
精神の動揺は最小限、生まれながらにして銃撃戦の熟練者にして、ヒトと比するまでもなく成長の段階で肉体の状態による劣化途上はありえない。
──であればこそ、一度傷付けば部品なしでは復帰できないとも言える。
以前の部隊崩壊に関しても本来バックアップを基に数人の再現までは可能であったはず。それを資源を削減しようとして、結果的に多少育ってきた部隊を丸ごと失った。
金がないとはそういうことだ。資源がないとはそういった結果に直結するのだ。
弾がない故に破損する。
資源がない故に直せない。
直せない故に──壊れてしまう。
「運良く生き残って壊れずに済んだ人形が増えるのを願うつもりかね、上の人たちは」
「出すところには出してますよ」
暗に役立たずと言われているようなものであった。
彼女にとっては屈辱であると同時、安楽でもあった。
死人に口なし。況や人形ならば、である。
犠牲を犠牲として割り切れる者ならば話は違えど、そうでない者にとってはこの糾弾こそが奇妙な爽風となりうる。非難すらされないというのは、ある種の拷問だ。自らの矮小を、あるいは無能を、更には非力を──能動的に自覚しなくてはならない。
心なしか穏やかに、女は頷いた。
「だろうよ。分かっているとも」
「私だって手伝いますから、もう少し頑張ってはいただけませんか?」
「きみがツインテールにしてくれたら、頑張る」
「上にボーナスの陳情をしてくれたら、考えます」
似合うと思うが、と指揮官。
「分かっています。ですがあなたの視線がいやらしくなるので嫌です」
変態扱いであった。
自業自得である。女が、その髪型にこだわることが偏執にも近い領域にあることは、少なくとも部隊の運営に携わる者たちにとっては常識ともされることであった。
「いやらしい? 私が? 馬鹿を言え、私は単に……身嗜みの話をしているんだ。そう、このような……なんだったか」
「このような荒っぽい仕事だからこそ、身綺麗にしろ?」
「うむ」
「……いつだかゲロまみれで出勤してきた方に言われたくありませんよ……」
「そんなこともあったな!」
女にとっては遠い日の思い出である。
酔っ払いを介抱したカリーナにとっては昨日の出来事のように思い出される悪夢であった。
加害者と被害者の心的衝撃には明確な差が生じるものではあるが、酒の席においてはなおのことである。
酔っ払いは言ったこともやったこともあったことも起きたことも起こしたこともやらかしたことも、そうしてしまった時点でめっぽう酔っ払って覚えていやしない。
そしてまた呑む。悲劇は繰り返されるという寸法である。
ちなみに、気の毒なカリーナはこの女を引き摺って帰宅すること十と数回、その後にえぐみのあるバードキスに襲われること四、五回、色々あって布団で簀巻きにすること二回を数える。
しかもその度に服を貸し、風呂に入れてやり、寝かしつけてすらやるのだから、最早専属介護士であった。後方幕僚とはなんだったのか。
勢いに押されてバーに入るたびに苦悩するのが、気の毒な少女の常態であった。
そんなカリーナはとにかく、と楽しそうな指揮官の顔にペンを向けた。
「書類、きちんと処理しないとスコーピオン に会わせませんよ」
「いいよ、部屋に呼ぶから」
嘆息、脱力、そして頭を振る。
少女のストレスを誰か緩和してやるべきではないだろうか。特に、この上司以外の者の推薦を求む。でないと近いうちに気の毒な少女が可哀想なことになってしまう気がしてならない。
「部屋に呼ばせません」
「
「なりません。特にベッドが絡むと」
「……ならないかな」
「痴話喧嘩の末発砲事件にまで発展したことをお忘れになりましたか」
いたいけな人形をたらしこんで、前代未聞の基地内銃撃戦を発生させた大バカ者である。よくよく考えるとよくも更迭されずに済んでいると思われるが、正規軍の方で似たようなことをやらかしたからPMCなどに居るのかもしれない。
こういう人間に限って無能ではないのだから困りものなのである。時として勤勉で誠実な人間が非生産的な人物であるように、いい加減で堕落した人間が神の気まぐれのように能力を授けられることもある。
この女はそこまでの傑物ではないだろうが、それにしても生娘を口説く才能だけはあるらしい。
彼女はサインを書き込みながら肩を竦めた。
「まぁ私を取り合ってあそこまで情熱的に……いや、何でもないよ。うん。その証拠にきちんと止めたじゃないか」
「その結果どうなりましたっけ」
「……セミダブルのベッドに買い換えることになった」
──珍しくもその人形たちは別の基地で活躍中であった。
「大事に思っているんだ。皆のことを」
「
「本当にさ。大事に、大切だと思っているんだよ。金と同じくらいに」
金は大事である。命と同じくらい、大事なものだ。
では命を持たぬ人形と比べると、どうなるのだろう。
命すらも金でやり取りされるのだ。人形など所詮は生体部品といくつかの金属パーツの集まりでしかない。
命を持たぬ存在に、何の意思と意義があろうものか。
依然としてその論調は強い。人形は人形で、人は人である。
彼女はふと笑った。
「だからこの状況はどうにかしないといけない。金がないのではどうにもならないからな」
「戦果をあげてください。鉄血の連中はどこにでもいますから、適当に倒して来てくださいよ」
「それができるなら苦労はしない。我々の戦力を鑑みれば、最も勢力圏に近い領域ですら……怖い」
ただでさえ少ない予算の中、これ以上失態を重ねるわけには行かないのである。
「スコーピオンだって頑張ってはいるが、このままでは前線に送ってやることはできない」
「……贔屓しすぎでは?」
「贔屓するのであれば個別で契約しているとも。そうだろう? あの、面白い契約だよ。指輪を送って、その相手を
「言葉を慎んでくださいよ、指揮官様。あなたは別に、好かれているわけではないんですからね」
戦場であれば後ろから撃たれるということもある。
だが彼女らがいる場所は、戦場から遠く離れた作戦会議室だ。あるいは司令室だ。
「何故か都合の悪い時に支援部隊が近場にいない、なんてことになるんですよ」
「いいとも。私にはスコーピオンがいればいい」
カリーナの表情が露骨に歪んだ。
愛情があるのか。そうでなければ苛立ちか、異常者への嫌悪か。
少女の拳がぎりっと握り締められた。
「あなたは……いつまで彼女にすがるつもりですか」
「いつまでも。当然だろう。私は、軍人だけどね。別に民草を守ろうなんて、そんな高尚な考えはないよ。お金が欲しいから今は戦っているし、いや、見ているだけか。昔も大して変わらないさ。稼いだお金で女の子を、人形たちと楽しくやるんだ。それだけで、なにか問題があるとは思えないね」
「何体目ですか?」
少女の問いは低かった。
「いいですよ、あなたが誰を買おうと、何が好きだろうと。でも、あなたが愛しているスコーピオンは、今のスコーピオンは何体目だと思っているんです」
「何体目だろうとかわいいものはかわいいよ。関係ないね」
「何体目に何と言葉をかけたか、覚えておいでですか?」
指揮官の反応が、遅々として喉の奥に留まった。
モデルさえ同じであれば、ドールの性格は同一である。
性格が同一であるのだから、いくら個体が違ったとしても
女はそう思っていた。
そのはずなのに、舌の根が痺れたように動かなくなっていた。理由はない。ただ、無味無臭の麻酔薬が、舌根に注入されたかのような感覚であった。
「カリーナ」
「何ですか。怒ったんですか、指揮官様」
「いや。今日は暑いねと思ったのさ」
汗でシャツが──と彼女が言うと、少女は赤面して己が身を抱いた。
「私の部屋のシャワーを貸そうか」
「え、遠慮します!」
「指揮官クラスにしか個別のシャワー室はないからね、遠慮しなくてもいい」
「辞退します!」
ふ、と笑って指揮官は席を立った。
「どうしたんですか。まだ仕事は──」
「汗をかいたのでね。少しシャワーを浴びてくるよ」
返答を待たずして、女は部屋を早足で出て行ってしまった。
残されたのは赤面した後方幕僚どのだけである。確かに、彼女のYシャツは滲んだ汗で所々柔肌に吸い付き、薄く霞みがかった肌色を演出して色気のある様子であった。
例えば、突然の雨が降ったとして。
そこが数少ない雨宿りのできる場所、そう、バス停や寂れた店の軒先だったとしよう。
少女がそこに駆け込んできたとする。少女はホワイトのシャツに、明度の高いインナー、それに西洋式補正下着しか上半身にまとっていない。水分を含んだ衣服は、当然にして少女の体温を奪うべくハリのある肌に張り付くのである。
その光景を、数多くの乙女を毒牙にかけてきた女がすぐ隣で見ていたのだ。
カリーナからすれば、そんな女がそんな状態で隣にいたのだ。
「……つ、次の呑みのお誘いは断ろうかなあ……」
でも私が行かないとなあ、と続くあたり人の良い少女であるが。
出て行った女は呑気な少女とは打って変わって、険しい表情で爪を噛んでいた。
幼稚な仕草はその人物の精神が追い詰められていることを示すとされる。一種の回帰行動である。事故が、最も他者と遠かった頃の行動を反復することで、一種の防御を行うのである。
何体目のスコーピオンなのか──その言葉が重く、女の心臓の奥を突き刺していた。
心の場所を問うのであれば、今の女にとってそれは心臓の、あるいは自らのはらわたにあって最も致命的な部位にある
「何体目に、なんて」
誰に言うでもなく、周囲の好奇の視線も気にせず、彼女はつぶやいた。
「そんなもの、覚えていないに決まっているじゃないか」