ヘスティングス兄妹にとっても『簒奪者』号の喪失は痛手だったが、決して戦力的な意味合いではない。
あの戦闘艇は元々彼らが自らの手で殺した叔父貴の所有物であり、引き上げられて調べられればその事が明らかになるだろう。
それはつまり、捜査の手が彼らの元へ伸びかねない事を意味するのだ。
だが、ビッグレッドはヘスティングス兄妹の考えなど知らなかったし、どうでも良かった。
どちらかといえば彼は自分の戦闘艇の喪失よりも、30人近い部下の喪失の方に怒り狂っていて、今朝方、その怒りをフォースターとかいう元海軍大佐へぶちまけようとしていた。
結局、赤毛の大男がフォースターを責める事はなかった。
彼が海軍大佐殿に割り当てられた部屋へ向かった時、その部屋の半開きのドアから怒号が聞こえてきたからだ。
その怒号の主こそがフォースターで、そしてその怒りの相手はポール・ヘスティングスだった。
「ポール!俺は15分と言ったんだ!」
「大佐、ごめんなさい。まさか敵の増援があんなに早く来るとは…。それにたった5分でしたし…」
「その5分で敵の増援がやって来た!その5分で趨勢が変わってしまった!!その5分で30人の命運も決まってしまった!!!」
フォースターは暴力を振るったが、それはポールへ向けられたものではない。
海軍大佐の鍛え上げられた暴力は彼自身に向かって使われる。
彼は私室の洗面台の鏡に頭を打ち付け、それを粉砕してしまった。
「………すまない、ポール。俺の詰めが甘かったんだ。多くの人を助けるつもりが、多くの仲間を失ってしまった…」
「大佐………」
「前線指揮官に自主裁量の余地を残すべきだったんだ…ビッグレッド……彼には本当にすまないことをした……」
額から血をダラダラと流すフォースターを見て、赤毛の怒りは急速に冷却されていく。
あの大佐も大佐なりに考え抜いていたのだろうと感心すると同時に、なんというか…ドン引きもしていた。
とてもフォースターの部屋に突入できるような空気ではないが、赤毛は部屋に入ってフォースターにこう言いたかった。
「いや、あの、その、まず、止血しよっか?」
ビッグレッドは踵を返し、仲間達の元へ戻る事にした。
どうやら、そもそもの原因はフォースターではなくポールの方にあるらしい。
あのクソガキはどうやら大佐のアドバイス通りに物事を進めなかったようだ。
だから、フォースターがポールと話し終わったら、あのガキとはじっくりと話し合う事にしよう。
そう思いつつ廊下を歩き出した時、背後から声をかけられる。
「あ、あの!艦隊指揮官の方でいらっしゃいますか?」
「………?」
振り返ると、随分と丁寧な口調で話すメイドがそこにいる。
…確か…カーリューとかいった。
あのフォースターの嫁であり、そして優秀なKANSENの。
彼女はすなまそうな顔をして、ビッグレッドに深々と頭を下げている。
「申し訳ありません!主人が細部までこだわっていれば、こんな事には!」
「………あの様子じゃあ、どうやらアンタの旦那が悪いわけじゃなさそうだ。旦那は旦那で良くやってたように見える。」
「いいえ!それは違います!主人はポール君への細かい指示を怠っていました!いくらこれまで作戦を指揮していたからと言って、ポール君は軍人ではありません!意思の疎通を図る為の努力を怠っていたのです!」
考えてみれば、今回の襲撃は元々リスクの高いものであると誰もが承知していた。
セイレーンに襲撃されている貨物船に乗り込むという時点で命がけだし、その命懸けの作戦を、ビッグレッド自身も「おもしれえ」と承知したのである。
実際、海軍大佐の作戦は途中までその計画通りに進んでいた。
ポールの判断の甘さはたしかにあったとして、それでも敵の対応部隊の速度は異常なモノであり、そしてそれは誰にも予測のできないものだっただろう。
あのSBSとかいう連中の存在なんて、誰もがその影すら知らなかった。
作戦に賛同した時点で、この偶然の敗因の責任は彼にもあるのである。
「…すまん。本当にすまん。」
「!!…貴方が謝らなければならない事なんて」
「いいや。俺たちも俺たちで、アンタの旦那やポールに任せきりにしていた。旦那は勿論、ポールも
ビッグレッドはそう言葉を残して立ち去った。
赤毛の大男の大きな背中を見送るカーリューはその場に残され、少し救われたような気持ちになる。
彼女からしてみれば、今回の失敗が組織内の断罪ではなく次回への材料として扱われている事は希望とも言える。
夫が見限られることも、この組織が断罪の内紛で崩壊する事も、彼女の望みではない。
ジョン・"ジャック"・フォースターの妻であり、しかしメイドでもある彼女は、今では夫のみならず、夫が活路を見出したこの組織の事さえ案じていたのである。
「本当に大佐を愛しているのね」
赤毛の大男に背後から話しかけたカーリューだが、今度は彼女自身が背後から話しかけられる番のようだ。
ただ、カーリューは振り向きはしない。
声の主であるユスティア・ヘスティングスが、いや、ヘスティングス兄妹の両方が、夫を利用しようとしているだけのように思えていたからだ。
「ええ、勿論。心の底から愛しています。」
「本当に、本当に素晴らしい…うふふ、たしかに大佐は魅力的な男性ですものね」
「何をおっしゃいたいのでしょうか?」
「昔から、"出る杭は打たれる"という言葉があります。大佐のような人物が海軍の上層部に好まれるハズはありません。ですから……罪を被せるのにも抵抗はなかったのでしょうね」
「どういう意味ですか!?」
ユスティアは悠然とカーリューの眼前へと歩いてくる。
そして、驚愕するカーリューに一冊のファイルを手渡した。
そのファイルは何枚もの写真と資料で彩られていたのだが、一番最初のページに貼っていたモノはビッグレッドが先回の襲撃で手に入れた唯一の戦利品…積荷の目録のコピーだ。
「ダイヤモンドと電動歯ブラシ。双方ともある男へ向けて送られています。そしてその男の名前も明記されていますね。」
「ロバート・フォン・ピッピベルケルク=セントルイスファミリア1世………」
「そう。貴女の大切な夫を海軍から放り出した男。彼は何かの事故で赤ん坊の姿になってしまったようですが、本来はこういう男です。」
ユスティアはファイルから次々と写真を取り出していく。
低身長で少々肥満気味の海軍中佐時代から、鉄血公国式ラ●ザップ後のMI5時代、そして赤ん坊に退行した現在まで。
「これは……彼のMI5時代の写真ですね。隣にいるのは鉄血公国情報部長のラインハルト・レルゲン。それぞれ、ティルピッツとビスマルクが脇にいます。」
ユスティアはその中でも、一枚の写真をカーリューによく見させる。
それはロブ・マッコールなる人物が"フォン"の位を与えられた時の写真で、鉄血公国首相から勲章を授与される様子が映し出されていた。
勲章を与えられる本人は緊張した様子だが、その脇にいるティルピッツはまるで息子が学校で何かの賞を取ったかのような微笑みを浮かべている。
そしてそれを横から見ているのが、ラインハルトとかいう軍人で、更にその脇にはビスマルクが写っていた。
「この写真に写っている4名には、実を言うと擬似的な血縁関係があります。勲章と称号の授与の推薦はこのラインハルトとビスマルクからなされたもの。そして、今回私達が狙った貨物船はビスマルクの会社の物でした。……もう、意味は分かりましたよね?」
「………なんて事…………」
「あのセントルイスファミリアとかいう少将は、恐らく家族ぐるみの副職に手を染めている…。私達の活動を利用して、貨物船の護衛をビジネスとして始めようとしているのです。」
「しっ、しかし、それは貴女の勝手な推測でしかありません!第一、船の目録には少将向けの報酬が支払われていた!これはこれで問題ですが…家族ぐるみの副職とは考えにくい。ただの買収では?」
「確かにそうかもしれませんね。でも、考えてみてください。今回の件で、セントルイスファミリアは貨物船の護衛を請け負える能力を欧州中の海運業界に示した事になります。鉄血財界の大物であるビスマルクの知名度は言うまでもありませんね。大陸側の業者なら、私達に積荷を奪われるよりは多少高くても安全に運べる方法を選びたいはず。」
「………つまり、ビスマルクは少将に護衛を請け負ってもらう事で、彼女の所有する貨物船への依頼を増やす事ができる…」
「大陸側の海運業を独占できれば、セントルイスファミリアに支払った額などお小遣い程度になるでしょう。そして…カーリューさん、思い出してください。セントルイスファミリアは貴女と大佐を同じ護送車で運ばせました。」
「それが何だというのですか?」
「貴女がいれば、大佐は無事で済むと読んでいたのではないでしょうか?」
「…待ってください。意味が分かりません。主人が無事でいる事の、何が少将にとって利益になるのか…」
「大佐の担当海域は鉄血公国貨物船が非常によく通過する海域でした。たぶんセントルイスファミリアは私達の活動を知っていて、ビジネスへの転用を思いついたものの…大佐が邪魔になっていた。…実を言うと、大佐と貴女を運ぶ護送車の情報はMI5内部から流れてきたものです。」
「MI5は少将の古巣…」
「そう。並大抵の敵なら、他の鎮守府の残余の艦隊で対処できてしまうかもしれない。だからセントルイスファミリアはある程度厄介な敵を用意する必要があった。…私達に大佐を"救出"させたのは、それによって求められる護衛の質を向上させる為。」
「最初から…最初から全て仕組まれていたのですか!?あのクソ少将と鉄血女達のビジネスのために、あの人はッ!?」
カーリューが声を荒げる様子を見て、ユスティアは同情的な顔をしつつ内心はほくそ笑んでいた。
ああ、なんて騙しやすい人達なんだろう。
なんておバカなのかしら。
嘘に少しの真実を混ぜ込んだこのファイルが、夫を心の底から愛しているカーリューを騙すのには最適な材料に思えるほど。
ちょっと冷静に考えば看破できそうな嘘なのに。
愛は盲目っていう言葉は本当ね。
ユスティアはそう思いつつも悲しい顔は崩さない。
あとひと押しでカーリューをオトせそうなところまで来ているのだ。
ここで台無しにされてはたまったものではない。
「カーリューさん。私達も軽率でした。でも、大佐が不当な罰を受けるのは耐えられなかった…」
「ありがとう………ございます」
「今度は私達に手を貸していただけませんか?来週、軍の鉄道で5人のKANSENと艤装が輸送されるという情報を入手しました。その5人は、元は大佐の鎮守府のKANSENです。」
「…あの子達を"奪回"しようというのですか?」
「ええ。彼女達を奪回し、艤装を手に入れれば、あの薄汚いセントルイスファミリアを倒す事ができるかもしれません!!」
結局、ユスティアは失望することになった。
カーリューが元の鎮守府の仲間を巻き込む事を渋ったのだ。
あの長髪メイドにも、まだ理性というものが少しは残っていたらしい。
ただ、良い感触は感じていた。
遅かれ早かれ、あのメイドは落ちる。
何かあとひと押しあれば、兄妹の従順なペットのようになる事だろう。
ユスティアは何か…そんな材料がこれから降ってきそうな予感を感じていた。
根拠も何もないものの、この先をなんとなく楽観視できる。
そして、その勘はどうやら正しかったらしい。
それほど時間を置くことなく、彼女は国防省内部の協力者から"良い知らせ"を受け取った。