バブールレーン   作:ペニーボイス

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デイ・ドリーム・ビリーバー

 

 

 

 

 

 ビスマルクがラインハルトの宿泊部屋に辿り着いた時には、もう既に先客がいた。

 その先客は既に縛り上げられていたが、しかし、ビスマルクは怒りのあまり自我を見失うところだった。

 何故なら、その部屋の光景は彼女にとって許しがたいものだったからだ。

 

 今縛り上げられている無礼者は、どうやらVIPルームに手榴弾でも投げ込んだらしかった。

 グローセが血塗れになって座り込んでいるし、彼女が抱え込んでいる赤ん坊も同じくらい血塗れになっている。

 その2名を見た瞬間から、ビスマルクは自身の怒りを抑制するという困難な任務をも始めなければならなかった。

 グッタリとしている自身の息子の姿は彼女に怒りと悲しみを執拗なまでに強いているが、もしここで自我を失えば、それこそこの攻撃を仕掛けてきたクソ野郎共の思う壺になってしまう。

 鉄血公国艦隊の長であった経験がまだ活きていて、おかげで幸いな事に彼女はどうにか自我を保つ事ができている。

 

 不埒なテロリストを縛り上げた者たち…テオドールとシェフィールド、シリアスがちゃんと奴の口まで縛っている事にビスマルクは何よりの感謝を示したかった。

 このテロリストが言葉を発する事ができたなら、間違いなくビスマルクの怒りを煽り立てた事だろう。

 だが、テオドールが気を利かせたせいでテロリストはせいぜい嘲笑の笑みを浮かべる事しかできずにいる。

 もちろん、それだけでも不愉快だったが、おかげでビスマルクは自身を落ち着かせる為の間を得る事ができたのだ。

 

 

「…会長、申し訳ありません。あの後シェフィールドさんやシリアスさんと合流したのですが間に合いま」

 

「何も言わないで……良くやってくれたわ。ソイツを地下牢にぶち込んで、医療班を呼んで頂戴。シェフィールドとシリアスも本当にありがとう。…おそらく、その男が以前リヴァプールで私の荷物を奪った"ジェンキンス"と呼ばれる男よ。MI5から海賊に鞍替えしたのはきっとコイツだけではない。調べてくれるかしら?」

 

「仰せのままに。」

 

 

 テオドールがテロリストを引っ立て、シェフィールドとシリアスが調べ物に向かった後、ビスマルクは勿論血塗れのグローセと息子の元へと進み出る。

 

 

「…ごめんなさい…ビス……あなたの……ボウヤ…」

 

「言わないで、グローセ。奴らの侵入を許したのは私のミス。あなた自身も危ないわ、今は安静にして。」

 

「…で、でも……」

 

「安静になさい!!」

 

 

 ビスマルクは自身でも()()()()()()()()()()()()()()()()()を自覚していた。

 …せざるを得なかった。

 まだグローセに抱き抱えられている息子は………息が絶えているように見える。

 

 彼女は恐る恐る息子の首元に手を伸ばす。

 その状態からすれば絶望的とは分かっているが。

 しかし、僅かな希望であっても縋らざるを得ない。

 だが現実は非情なもので、彼女は残酷な事実と向き合わなければならなかった。

 

 

「………ラインハルト…ラインハルト…!」

 

 

 彼女の息子、ラインハルトは息をしていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

(以下ラインハルト視点)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気がつくと長閑な麦畑にいる。

 いやおかしい。

 先ほどまでグローセ叔母さんの腕の中で、これでもかとばかりにガクブル震えていたはずだ。

 

 朧げな記憶を辿る。

 空襲があり、沿岸への攻撃が始まり、俺はグローセ叔母さんに連れ出されるところだった。

 ところが、ボディガードの1人が侵入者の情報を得て、我々は立てこもる事になったのだ。

 

 立て篭もったはいいものの、最終的には我々は突破された。

 1人の男…かなりの()()()だった…がボディガード3人を瞬く間に撃ち倒し、グローセ叔母さんとも相討ちになった。

 叔母さんはまだしっかり生きていたけど、テロリストもしっかり生きていた。

 …そうだ、確か手榴弾を……

 

 

 従兄弟から以前、"あの世"へ行きかけた時の話を聞いた。

 今目の前に広がる光景を見る限り、俺は従兄弟の言った事は本当のようだと思わざるを得なかった。

 俺はビスマッマの暴走のせいで赤ん坊の姿になったハズだが…しかし、今ではしっかりと元の身体に戻っている。

 この辺りからしても、俺はほぼ間違いなく天に召されたのだろう。

 

 

 普通ならどうするだろう?

 泣き叫ぶだろうか?

 憤慨するだろうか?

 それとも。

 

 俺のように歓喜するだろうか?

 

 

 この悲劇的な最期に歓喜できたのは、俺の目の前に一人の少女が現れたからだった。

 いいや、少女だけじゃなくベンチも。

 その少女は公園でよく見かけるタイプの木製ベンチに腰掛けて、トルティーヤにヒントを得たと思わしきお菓子をサクサクと食べている。

 俺は衝撃のあまり声をかけられないでいたが、幸いな事に彼女の方が俺に気づいてくれた。

 

 

「…!…ラインハルト?」

 

「………そ、そんな…そんな」

 

「どうしたのそんな所に立って…。こっちに来なよ。」

 

「シュ、シュペー…会いたかった…」

 

「……うん!私も会いたかった!」

 

 

 俺はシュペーの隣に座り、彼女の頬を指先でつついてみる。

 彼女は少し恥ずかしそうな…なんとも可愛らしい表情を見せた。

 この実感、この表情。

 間違いない、本物のシュペー…俺のシュペーだ!

 

 

「ど、どうしたの、ラインハルト?急に泣いたりして…」

 

「シュペー…シュペー!お、俺はッ、君のことをッ、ウッ、グスッ」

 

「………」

 

 

 ずっと会いたかったシュペー。

 そのシュペーが目の前にいる。

 俺はなりふり構わず彼女に泣きついたが、シュペーはそんな俺の事を優しく抱きしめてくれた。

 彼女の匂いが記憶を呼び覚まし、俺の涙腺は止まることのない涙を垂れ流し続ける。

 

 

「グスッ、すまん、シュペー!俺があの時旅行なんて考えなければ…シェルブールなんか行かなければッ!」

 

「大丈夫、分かってるよ。皆、疲れが溜まってた。ラインハルトがしようとした事は決して間違ってないと思う。シェルブールでの事は仕方なかったんだ」

 

「でもッ、でもッ!」

 

「ラインハルト?」

 

 

 泣きじゃくる俺の頭を、シュペーは優しく撫で回す。

 

 

「本当の事を言うとね…私の事は忘れて欲しかった。いつまでもシェルブールの事を引きずっていって欲しくなかったから。」

 

「………」

 

「でも、ラインハルトは私の事を忘れなかった」

 

「忘れるわけないじゃないか!!」

 

「…そして、引きずることもしなかった。それって、とても難しい事だと思う。ラインハルトは本当に"強い"よ」

 

「シュペー!これからはずっと一緒にいられる!これからはずっと君の側にいられる!これからは」

 

「…ごめん、それはできない。」

 

「え………」

 

 

 シュペーからの突然の拒絶。

 俺は当然言葉を失った。

 その言葉の真意を問うかのように、俺は彼女の顔をみる。

 そこには、悩みの末決断を下した彼女の悲しげな顔があった。

 

 

「ラインハルト、私の事だけを見てはダメ。グローセさんやヒッパーちゃん、それにビスマルクさんの事も忘れちゃダメだよ?」

 

「………それって…」

 

「今ならまだ引き返せる。…ラインハルト、お願い。ビスマルクさん達には、ラインハルトが必要だと思う。」

 

「そ…そんな、嫌だ…せっかく会えたのに…シュペー…行かないでくれ…!」

 

「…ラインハルト。本当は私も寂しいんだ。でも、まだダメ。まだ来てはダメ。」

 

「シュペー…」

 

「ここにはまた来れるし、私にはまた会える。ラインハルトにはまだ、"あっち"でやるべき事があるハズ。それに…」

 

 

 シュペーが俺をベンチから立たせ、そしてまた抱きしめる。

 俺も俺で、反射的に彼女を抱きしめた。

 気づけば辺りには桜の花びらが舞い、辺りは白い空間に包まれている。

 

 

「大丈夫。私はいつだってアナタと共にいる…」

 

「シュペー…」

 

「ラインハルト……私のラインハルト……本当の本当に…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 "愛してる"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を覚ますと、目に涙を浮かべるビスマッマがいた。

 どうやらまだ俺は血塗れの赤ん坊の姿で、血塗れのグローセ叔母さんに抱えられているようだった。

 ビスマッマは俺が目を覚ましたのを見てとり、いつもやるように激しくではなく優しく俺を抱き抱える。

 

 

「…………」

 

「……ビスマッマ」

 

「ラインハルト、あなたが生きていてくれて……本当に良かった…私、あと少しで………ぐすっ、うっ、うぐっ、理性を失う所だったわ…」

 

「ごめんね、ビスマッマ。ママの事を置いてけぼりにしちゃう所だった。…本当にごめん、ビスマッマも大切なママなのに…」

 

「いいのよラインハルト。あなたが戻ってきてくれた事がなによりも大切なの。」

 

「お取り込み中失礼します、医療班が到着いたしました。」

 

 

 親子の感動の"再会"もそこそこに、シェフィールドが医療班を連れて入室する。

 彼らは真っ先に赤ん坊の元へ向かい、ついでグローセへの応急処置が始まった。

 

 

「…奇跡です。これで死ななかったとは…。手榴弾の破片が当たってはいますが、これがあと3ミリ右なら即死モノです…御加護があったようですね。」

 

 

 医療班の医師からそう言われて、俺は天井を見上げる。

 "私はいつだってアナタと共にいる"

 ありがとう、シュペー。

 そしてまた会う日まで。

 また、少しだけ泣きそうになったが、でも今度は涙を出さずに済んだ。

 いつまでも泣いてちゃ、彼女を呆れさせてしまう。

 だから、また会う日まではシュペーに誇れる人間でいよう。

 また会ったときに、今度は胸を張っていられるように。

 

 

 

 医師が俺への応急処置を終わらせた時、凄まじい砲声が聞こえた。

 ビスマッマのお気に入り、テオドールが部屋に戻ってきて、この砲声の正体を告げる。

 

 

「会長、砲兵陣地の80cm砲が砲撃を開始したようです!『敵艦1に大打撃』との事。」

 

「!…ようやく反撃開始といったところかしら。」

 

「反撃開始どころじゃありません、援軍も到着しています。出撃中の艦隊が戻りつつありますし、アイリス艦隊も合流してくれています。」

 

「ロブ君の援護ね。」

 

「それと…沿岸部も地上部隊の増援を得ています。」

 

「SBSの事かしら?」

 

「いいえ、守備隊の報告では『北連語としか思えない北連訛りの英語を話すボランティア団体』だそうです。」

 

 

 

 

 シュペー…それに、ブロ。

 どうやら俺はまだまだやっていけそうだ。


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