バブールレーン   作:ペニーボイス

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マッマの中に落ちて

 

 

 

 

 

 ロイヤル北部

 スコットランドの北端

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の夫は誠実な紳士で、どれだけ辛くとも苦悩を表に出すことさえしなかった。

 極貧の生活に追い込まれ、妻が身勝手な献身に走っても決して自我を見失う事なく。

 弱者に手を差し伸べ、自身を犠牲にしてでも助けようとする。

 

 その素敵な紳士は今、彼の妻の前で、己の血に塗れて息絶えていた。

 

 

 カーリューは最早取り乱す事もしなかった。

 ただ、一切の瞬きすらせず、血塗れのキャベツやネギを頭や首に巻いている赤児を見つめているだけ。

 そして、その口元は、誰にも聞き取れないような小声で何かをブツブツと言い続けている。

 キュラソーはどう声をかけて良いものか分からず彼女のことを見つめることしかできないし、ユニコーンはグッタリとしていた。

 そして、アリゾナはついに息絶えてしまったペンシルヴァニアの遺体を抱えたまま微動だにしない。

 

 

 恐る恐る口を開いたのはユスティア・ヘスティングス。

 彼女と医療班は、赤児の吐血を前になす術もなかった。

 彼女やカーリューは理解できていなかったのだ。

 以前連れ去った赤児の吐血が止まった、本当の理由を。

 それはキャベツでもなければネギでもなく、勿論自然治療法の成果なぞではない。

 赤ん坊には母親こそが必要で、よってフォースターは自分の血で窒息した。

 だが、ユスティアにとっては、フォースターを殺したのは自分だと言われてもおかしくはない状況に立たされた事が、形容のしようもなく絶望的に感じられる。

 

 

「………ごめんなさい、カーリュー…大佐には、最善を尽くしたのだけれど…」

 

「………」

 

 

 カーリューは疲れと絶望によって鋭く砥がれた目線を少しユスティアに向けただけだったが、その目線の鋭さはユスティアに粗相を強いるのに充分なものだった。

 ユスティアは歯をガチガチと鳴らしながら、軽く「ヒッ」と声をあげる事しかできない。

 しかし、幸いにもカーリューの怒りの矛先はユスティアではなかった。

 

 ユスティアにとってもう一つ幸いだったことは、その直後に彼女の兄が飛び込んできた事である。

 

 

「ユスティア!………あっ…ごめんなさい、カーリューさん…た、大変です、今すぐにでも移動しないと…」

 

 

 カーリューはユスティアに向けたのと同じ視線をポールに向け、結果としてポールは少したじろいだが、しかし彼にはまだ優先すべき事項を伝えられるだけの度量が残っていた。

 

 

「ロルトシートは僕らを見捨てました。昨夜海軍開発部の中将が暗殺され、嫌疑が僕らにかけられています。マクドネルはもはや無力で、海軍が我々を追っています。…お辛いのは重々承知の上で申し上げますが…移動しないと…」

 

「………」

 

 

 カーリューはまだ無言だったが、そのまま冷たくなった赤ん坊を谷間に迎えた。

 彼女の白い肌に赤い血が滴り、前衛的な絵画のようにそれが広がる。

 グッタリとした赤ん坊を収めた彼女はおもむろに顔を挙げ、そして帰港から始めて言葉を発した。

 

 

「………殺す。」

 

 

 

 

 

 海賊団の残党とKANSEN達は早速移動を始めた。

 ユスティアとポールは次善の策を持っていたが、カーリューはその無言の圧力を持って兄妹の意見を跳ね飛ばす。

 復讐に支配され歪んでしまった彼女は、燃え盛る憤怒に塗れていながらも、敵…いや、()にとって最も痛手となる方策を思案されるだけの頭脳を持ち合わせてもいた。

 

 無言の圧を振り撒く彼女に、海賊の残党はただ従うしかない。

 彼女が誰を殺したがっていて、或いは誰を殺そうとしているかは全員よく分かっていた。

 そして、下手に意見すればその殺意の矛先が己に向きかねないというのも重々承知していたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダメだ、ピッピ!

 マグレイヴン少佐も始末させる!

 始末しないとダメだ、何が何でも!

 

「嫌よ、絶対認めない!少佐のどこが問題なの、坊や!?」

 

 少佐は勘が良すぎる!

 彼の経歴を見ろ、技術開発部の警備主任という地位が勿体なく感じるぞ。

 情報流出を防いだ回数は15回、内3件はKGVの非正規作戦!

 ダメだ、この男を生かしておくわけにはいかない。

 今夜中に始末しろ!

 

「ご主人様!!このベルファスト、もう我慢なりません!!一体どうなさったというのですか!?」

 

「そうよMon chou!!頭がどうかしちゃったの!?いくらあなたの為とはいえ、人殺しの手配なんてもうそろそろ嫌よ!!」

 

 嫌なら嫌でいい、チームから外れろ"ダンケルク"!

 "ベルファスト"も"ティルピッツ"もいつだって外れていい!

 私は必要だと思うことは何でもするし、何だって躊躇しないからな!

 

「うっ…!」

 

「くっ!」

 

「…坊や……」

 

 

 

 私が述べた事は決してコケ脅しなんかじゃない。

 確かに辛い決断ではあるが、必要とあらばママ達を"ママから除外する"気ですらいる。

 もうここまできたら失敗は許されないのだ。

 迷っている暇ではない、危険な要素は全て排除しなければ。

 

 そうでもしなければきっとママは守れない。

 今まで散々ママ達に守られてきた。

 今度こそ私が彼女達を救うのだ。

 その為にビス叔母さんに提案をして、資金を注ぎ込み、既に何人か手に掛けている。

 こんなところで止まるわけにはいかないんだ。

 

 

「………」

 

 ルイス、ルイス!

 海軍参謀本部が予想より早く動いてる!

 海賊団をぶっ潰す気だ!

 今連中を潰されたら、スケープゴートとして使えなくなる!

 

「………」

 

 対応しているのはトマス大佐の艦隊だ!

 彼を始末して対応を鈍化させよう!

 ルイス!聞いてるのか!?

 

「………」

 

 ルイス!!

 

 

 

 勘弁してくれ。

 ピッピの次はルイスかよ。

 

 今ルイスママは私を谷間に挟んだまま、俯いて微動だにしないでいる。

 頼むよルイス!!

 もう、そういう類の「怒ってますアピール」はウンザリなんだ!!

 いつか言ってたじゃないか、「私達を頼って」と!!

 だから頼ってる!

 君達が私の頼りであることには変わりない!

 なあ、頼むよ!

 分かってくれ!

 これも君達を守る為なんだから!

 なあ、ルイス?

 ルイス!!

 

 

 

「………!」

 

 おい、ルイフゲェッ!!

 

 

 ルイスママが意を決したように顔を上げ、谷間を両側から圧迫した。

 私は予想だにしていなかった圧かけをくらい、半強制的にちょっと面白いリアクションを取らされる。

 私の主張を封じた彼女は、唖然とする他のマッマ達を置きざりにしてカツカツと歩き出した。

 当然私は抗議の声を上げる。

 "おい、ルイス?"

 "頼むから戻ってくれ"

 "作戦が破綻してしまう"

 "またベッドにでも押し込む気か?"

 "やるだけ無駄だ、私の決定は変わらない!"

 etc………

 

 だが、ルイスママは黙々と歩き続ける。

 天の恵を受けしモデル体型のスラっとした脚が、廊下を大股で移動していた。

 私が何を言っても…最終的にはママから除外すると脅しても…全く耳を貸さずに歩き続けている。

 

 

 ルイスママは私を抱えたまま、彼女の部屋を通り過ぎ、風呂場を過ぎ、私の寝室も通り過ぎていく。

 一体私をどこへ連れていく気なんだ?

 そう思う私をよそに、ルイスママはドンドン歩き続ける。

 無言のまま、時折………大粒の塩水を降らせながら。

 

 

 

 

 彼女がやっと止まったのは、ある倉庫の前。

 ルイスママは黙々と鍵を開けて中に入ると、少しだけ埃をかぶった木箱を持ち上げて脇にどかす。

 その木箱に覆われていたモノを見た時、私の全身には鳥肌が立つ。

 

 

 や、やめろ、ルイスママ!

 そんな事してる場合じゃない!

 

「………」

 

 時間がないんだ!

 このままじゃ失敗してしまう!

 

「………」

 

 わからないのか、ルイス!

 この計画が失敗したら!

 ルイスだけじゃなくママ達全員が離ればなれになるかもしれないんだぞ!

 

「………」

 

 

 

 その装置とは…そう、私を赤ん坊にした、あの忌々しい機械である。

 ルイスは私の抗議などまるで無視したまま黙々とセッティングを進めていく。

 そして、最後には私を定位置に置き、彼女自身は椅子に座ってスイッチを押した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起きて、ミニ・ルー。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 とてつもなく暖かな、とても居心地の良い場所で、私は目を覚ます。

 傍らにはルイスママがいて、私を腕枕で抱えながらも上から覗き込んでいた。

 彼女の蒼い髪が私の鼻をくすぐるほど顔を近づけていて、鼻腔全体をルイスの良い匂いが包み込んでいる。

 

 一体、ここは…

 

 いや、そうだ。

 不味い、ここにいては不味い!

 まだ始末しなければならない人間が沢山いる!

 こんなところに、こんなところにいる場合じゃ………

 

 

 

 

 暖かな気温のせいだろうか?

 或いは鼻腔を包むルイスの香り?

 眼前に迫る彼女の朗らかな微笑み?

 後頭部に感じる、少ししっとりとした彼女の腕と…体温?

 

 

 何故かは知らないが、私の思考能力はドンドンと鈍重になっていく。

 私はルイスママに抱えられながら草むらの上で日向ぼっこをしていて、頭ではそんな事をしている場合ではないと理解していても、しかし贖うことができずにいる。

 

 よくよく見れば、私は"元に戻っていた"。

 赤ん坊の身体ではなく、鎮守府に来た頃の、おっちゃんサイズな身体に戻っているのだ。

 ルイスママは相変わらず半身で私の顔を覗き込んで、にこやかな表情を浮かべ続けている。

 

 

 

 ル、ルイス?

 

「なぁに?ミニ・ルー?」

 

 ち、近くない?

 

「…うふふふ♪やっと元のミニ・ルーになってくれたわね…」

 

 

 

 ルイスがそう言いながら、半身から仰向けになり、彼女の微笑みが私の視界から消えると、その眼前には穏やかな海が広がっていた。

 

 あぁ…ここには来たことがある。

 柔らかな日差し、海の香り、草の匂い、澄んだ空気………

 ここは一体………

 

 

「ここは私とミニの精神世界。」

 

 

 いやあなた人を胎内に打ち込んどいて挙句精神世界共有を強要するとか正気か?…とは思ったが口には出さずにいよう。

 空気読めないマジレスはよくない。

 

 

 

「ここはきっと…あなたの故郷。あなたが生まれ育った場所。…本当に帰りたいところ。だから、私達はここにいる。」

 

 …………ル、ルイス、戻らないと…

 

「………慌てなくても大丈夫よ、ミニ・ルー。ここにいる時間の経過は、現実のそれよりもずっとゆっくりなの。」

 

 へ、へぇ〜…

 

「ミニ。あなたが戦うのは、何のため?」

 

 ………どういう意味かな?

 

「はぐらかさないで。あなたがあんな事までして戦う理由はなに?」

 

 ママ達を守りたいんだ、ルイス。

 最近悪夢をよく見るだけど…アレはきっと予兆なんだ、"ああ"なる前に手を打たないと!

 

「落ち着いて、ミニ?ママにどんな夢を見ているのか、教えて頂戴?」

 

 

 

 

 起きた時には大抵忘れ去っている悪夢も、この精神世界では映画でも観ているように思い出せていく。

 私は、ルイスの香りに包まれながら…その悪夢について話し始めた。

 

 

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