バブールレーン   作:ペニーボイス

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Ⅱ章 赤ん坊と苦労人と
革命的ブルジョワジー


 

 

 

 

 

 カーリューは久し振りに朝のシャワーを浴びた。

 

 大切な指揮官の為にも、節制を心がけていた彼女にしては珍しい行動かもしれない。

 その大切な指揮官はまだベッドの中で、きっと彼女が帰ってきた時にはカンカンになっているに違いないだろう。

 あれだけ止められたのにも関わらず、それでも彼女は行こうとしていたのだから。

 

 

 外はまだ薄暗く、ロイヤルの朝日もまだ眠っているようだった。

 早起きは辛いが、指揮官の為と思えば耐えられる。

 彼女は電話を掛けてタクシーを呼び出すと、鎮守府の正門まで歩いて行くことにした。

 そこから乗れば幾らか運賃も少なくて済むし、タクシーのエンジン音や…酷い時は運転手が鳴らすクラクションで指揮官が起きてしまうこともない。

 

 

 外行きの服に着替えたカーリューは、そのまま寝ているジョン・"ジャック"・フォースター大佐の枕元へ向かう。

 

 

「ご主人様、行って参ります。…吉報をお待ちください。」

 

 

 彼女は指揮官の頬に軽いキスをして、覚悟を決めたように寝室を出て行き、そしてその足で外へと向かい、まだ肌寒い午前4時のロイヤルへと歩みを進めた。

 

 鎮守府正門に向かうに連れて、あの日の記憶が蘇ってくる。

 

 

 鳴り響く銃声、入り乱れる悲鳴、倒れゆく人々。

 肉片が転がり、手足が飛ばされ、おびただしい血で染まるアスファルト。

 歳を重ねた老人、まだ若い青年、年頃の少女、そして…………。

 

 

「うっ!」

 

 

 彼女は思わず足を止め、身を屈める。

 吐瀉物が食道を駆け上がってくるのを感じたが、彼女は無理矢理にでも堪えて飲み下した。

 酸性の強い口臭を、今日会おうとしている相手に嗅がせるわけにはいかない。

 第一印象が悪ければ、今日指揮官へ行う小さな裏切りがまったく無駄なものになってしまう。

 どこかでコーヒーか、紅茶でも飲まないと。

 そう思いながら彼女は早足で正門に向かい、そこでタクシーに乗った。

 

 

 勝算はある。

 彼女は自身にそう言い聞かせた。

 きっと良い結果を得て帰れる。

 その為には何でもするつもりだった。

 

 中将は楽勝だったが、あの後任の少将は難しいかもしれない。

 調べたところでは、彼はMI5時代に革命直後のコィバ共和国(史実のキューバ)を操り、DRA(史実のIRA)を叩き潰し、挙句の果てには北方連合の政変に大きく関与しているらしかった。

 きっと、一筋縄ではいかないだろう。

 それに情報畑の人間なら生き延び方としての保身は十分に心得ているはず。

 下手をすれば、フォースター(大切な指揮官)の方が危ない。

 

 

「いいえ、カーリュー。貴女なら出来るハズよ。」

 

 

 タクシーの後部座席で発せられた彼女の小さな独り言は、静かな車内では充分に耳にする事ができた。

 

 ところがタクシーの運転手は、これでようやっと今日の夜勤が終わるところで、もうそんなどうでもいい独り言など聞いてはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マッマ達によるおしおきのせいで、朝起きた時には鼻腔の中が第一次世界大戦だった。

 

 まるで鼻の中が、

 

 ベル臭がしたと思ったらピッピ臭がソンムの戦いしてきて、そのまま押し切るかと思ったらダンケ臭がヴェルダン要塞戦で、いつのまにか加わってたアヴマッマ臭がブルシーロフ攻勢してきたけどプリンツェフ臭に追い出され、最後は圧倒的物量を誇るルイス&ヘレナ臭がやってきてヴェルサイユ条約1919年

 

 みたいな具合。

 

 

 

 鼻がぶっ壊れるわ、いい加減。

 決して臭いとかじゃないけど、でも壊れる。

 6、7人の女性の腋の下の匂い嗅ぎまくりとか何プレイなの、ほんとさ。

 

 

「…ん♡…あ、ミーシャ、おはようございます。」

 

 

 今朝一番の早起きはアヴマッマでした。

 朝イチからヘンな声出すのほんとやめてもらって良いですか?

 そして挟むな。

 朝イチから挟むな。

 まだ誰も起きてないからって、挟むな。

 

 アヴマッマは私を挟んだまま、浴場へ向かう。

 

 

「ミーシャ、朝シャンしましょうか。」

 

 …ブルジョワジーだね。

 

「えぇ〜、朝シャンがブルジョワジーとか仰るならミーシャの家燃やしますよぉ♪」

 

 うそ、ごめん、取り消す。

 取り消すから共産圏のトチ狂った革命路線突っ走らないで頼むから。

 

「冗談です♪さて、ミーシャ。ママは着替えますから、目隠しを。」

 

 

 アヴマッマが着替える間、私はいつも通り目隠しをさせられた。

 そのあと海パンを穿かされるのもいつも通り。

 アヴマッマは私を優しく洗い、その後自身も身体を清めて浴場から出る。

 

 

 ふぁあああ〜〜〜、ス

 

「スッキリした?」

 

 うおおおおおおおお!?

 ピッピママ!?

 朝イチから高血圧にさせんなよ。

 心の臓がスタップフォーエバーするじゃない。

 

「おはようございます、ティルピッツ」

 

「ええ、アヴローラ。おはよう」

 

 

 ティルピッツとアヴローラがお互い笑顔で挨拶する姿を見て、私はなんというか、少し安心した。

 アヴローラは元北方連合内部人民委員部の工作員で、私もMI5時代には何度か対峙している。

 ピッピも敵意を感じていただろうし、尋問中のアヴローラがマッマになるとか言い出した時は拳銃片手に尋問室に入ってきたくらいだった。

 なんかギスギスした感じになってたら嫌だなあとは思っていたが、この分だと大丈夫そうだな。

 

 

「アヴローラ、約束通り?」

 

「ええ勿論。」

 

 なんだお前ら、何の密約を結んだ、おい。

 空気が一気に不穏になったろうが。

 

「ちゃんとシャワーだけです。」

 

「そう、ありがとう。それじゃあ、坊やを私に。」

 

「はい、どうぞ。」

 

 

 アヴマッマは私をピッピママに引き渡す。

 ピッピママは水着姿で、明らかにご入浴前のご様子。

 

 あ、あの、ピッピママ。

 私ついさきほどシャワー浴びたばかりでありますので…

 

「え?だって、シャワー浴びただけでしょ?」

 

 へ?

 

「湯船に浸かったわけじゃないでしょ?」

 

 へ?

 

「さて、坊や。ママと一緒にお風呂でちゅよ〜」

 

 はいデ〜ス。

 

 

 

 結局マッマ全員と交代でお風呂しました。

 いっちゃんキツかったのルイスマッマ。

 安定のルイスマッマ。

 何たって、ルイスマッマの他にセントルイスBとセントルイスCがいたんだから、もうこれは迷う事なくルイスマッマ。

 ベルが「次からはベルファストMk.2〜5を呼んで一緒にお風呂です、ご主人様少々キツくなりますよ?」とか言ってたからもうマジで勘弁してくだせえ。

 

 

 

 肌がふやけまくりになってしまったものの、おかげで普段より少し気温の低いこの日でもゆっくりと温まって眼を覚ます事ができた。

 

 最後のルイスマッマとの入浴が終わると、私は挟まったままリビングへと向かう。

 

 ちょっと前までは先にマッマ達が出勤して、私を執務室で待ち受けるスタイルが流行っていたのだが、「やっぱりあやしながら出勤したいわね」とかダンケが言い出したおかげで今のスタイルに落ち着いた。

 まあ、あれだったからね。

 こういうのもアレだけど、私も少し寂しかったし。

 

 

 私の席の前のテーブルには、3本の小さめの哺乳瓶が並んでいる。

 それぞれキャップが銀、青、灰色になっていて、それの意味するところは、『ピッピの冬一番搾り』、『ルイスのスッキリミルク哺乳瓶』、『ダンケの季節のミルク〜マルセイユ風〜』である。

 もういらない誤解しか招いていないが、これらは勿論18禁的な意味を持つものではない。

 

『ピッピの冬一番搾り』は、ピッピがわざわざ酪農地帯まで行って搾ってきた牛乳だし、『ダンケの季節のミルク』はアイリス南部から直送された牛乳である。

『ルイスのスッキリミルク哺乳瓶』はヘレナちゃ……あ、ハイ、すいません、言い直します……ヘレナ叔母さんが飼ってる牛さんから搾った牛乳だ。

 

 

 もう普通に牛乳でええやん。

 なんでそんな地域ブランドみたいな扱いしてんのよ。

 なんでブランド化扱いしてんのになんでそんないらない誤解しか招かないネーミングしてんのよ。

 

 

 

 

 朝食を終えると、私はベルマッマに抱えられて、洗面台へ向かう。

 歯を磨かれ、顔をソフトリィに洗われ、身だしなみを整えられると、そのまま更衣室へと連れていかれ、今度は制服に着替えさせられた。

 

 その後、ピッピとダンケとルイスとベルは鉄血28号に、アヴローラとプリンツェフとヘレナはMG151/20機関砲搭載のSUVにそれぞれ乗り込んだ。

 もう通勤が過保護すぎる。

 航空機用の馬鹿でかい機関砲をルーフトップになんか設けてるもんだから、周りの車が萎縮しまくってるし。

 

 

 一度だけ、よほどのアドベンチャーと思わしき人物が、あろう事か鉄血28号に煽り運転をかけてきた事がある。

 その車の運転手は、愛車のボンネットに20mm徹甲弾を叩き込まれ、何もない道路のど真ん中で可哀想な待ち人となってしまった。

 運転席のプリンツェフと、ルーフトップで20mm機関砲を操作するアヴローラは渾身のドヤ顔だったし、停止した彼の愛車のすぐ後ろでこれでもかとSUVのエンジンを空ぶかししていた。

 たぶん、きっと、トラウマ級の出来事だったろうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、私は無事に鎮守府に到着し、執務室までダンケの谷間で運ばれる。

 部屋に着くと、今度はルイスにシフトチェンジし、これで今日の勤務体制が整った。

 ベルマッマがカフェインレスの紅茶を淹れてくれたし、ピッピとダンケは別の机で早速業務に取り掛かっている。

 ピッピとダンケの机は執務机の両端にあり、正面から入ればまるで面接官か何かみたいに見えるはずだろう。

 

 

 私がまだ執務室に入って10分もしていないのに、いきなり机の上の電話が鳴り出した。

 

 おいおい、まだ始業したばっかりだぞと思いつつも、私は手が届かないのでルイスマッマにとってもらう。

 

 

「はい、ミニ・ルー。正門の警備隊からよ?」

 

 正門の警備隊?

 こんな朝早くからアポなしの面会でもぶっ込んできたとでも言うのかな。

 

「ご主人様!」

 

 うわ、ベル、どうしたいきなりそんな大声出してぇ。

 心臓がスタップ・ザ・パーリーするじゃないのよ。

 今日で2度目だよぉ。

 

「…これは失礼しました。お電話を、よろしいでしょうか?」

 

 

 ベルがなんだかおかしい。

 ついこの前、ある鎮守府の予算要請蹴った時もそうだったけど、やっぱりベルがおかしい。

 

 普段は品行慎ましい彼女が、警備隊に向けて高圧的に話しているのを見るのは初めてだ。

 

 

「追い出しなさい、今すぐに!威嚇射撃しても構いません!」

 

 ベ、ベル?

 

「わかりました!その女性と代わりなさい!…………」

 

 

 ベルは受話器を持って、少し奥まで下がる。

 随分と小声で話していたが、明らかに怒っている様子が伺い知れた。

 ベルが怒るなんて本当に珍しい。

 

 たぶん、彼女の事だから、警備隊には後で差し入れを持って行ったりもするんだろうが、それにしてもさっきみたいな態度を取る理由が分からない。

 

 

「ダメなものはダメです!!帰りなさい!!」

 

 

 ベルがとんでもない声量で怒鳴り、そのまま電話を叩き切る。

 マ、マジでどうなされたのベルマッマ?

 

 

「本当に申し訳ありません、ご主人様。私の古い友人なのですが……今の彼女は私の知っている彼女とは違うようです……ご主人様に合わせるわけにはいきません。」

 

 べ、ベル?

 何か力になれるなら…

 

「ご心配には及びません。…大変失礼致しました。警備隊にお詫びの品を持って参ります。」

 

 

 ベルはそう言って、執務室を出て行った。

 取り残された私と、ルイスと、ピッピとダンケには何が何やら。

 とんでもない予感しかしなかったが、とにかく、元の仕事に戻る事にした。

 

 吐血の時紛いなりにも助けてもらったとはいえ、あのクソ中将のせいで余計な仕事が増えている。

 マッマ達だけに任せきりもできないし、今日もとっとと終わらせて帰ろう。

 

 

 

 

 

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