信じられないぐらいには、鎮守府の警備は模範的だった。
設備も、装備も、カーリューが目にしてきた数々の鎮守府のどれよりも充実している。
外柵沿いの道路ではSd.Kfz.222装甲車が少なくとも2両は見受けられたし、kar98k騎兵銃を担ぐ巡察徒歩兵も大勢いた。
ほかの鎮守府との違いは、それを行なっているのが通常の兵士ではなくヒヨコである事ぐらいで、しかしヒヨコながらに彼らは立派に警備任務を果たしていたのである。
そのヒヨコの警備隊を束ねる、これまたヒヨコの曹長は、先程朝イチにアポなし面会を敢行しようとしてきた女性が立ち去る姿を警備所内の誰もが見ていない事に気がついた。
もうあと1時間後には下番して、ビールとソーセージを楽しんだ後に眠りにつける。
だが、それでも彼は目の前の問題を放置することはなかった。
「おい、クルト!巡回に異常がないか確認しろ!」
「
曹長はこの鎮守府が気に入っていたし、それは部下も同じだった。
彼らの故郷の鉄血公国が恋しくなる事もあるが、そこにはセイレーンとの戦争が終わってから帰っても遅くはないだろう。
今はこの鎮守府の警備隊として勤務して、たっぷりと稼ぐのだ。
彼らは鉄血財界の大物、ビスマルクに雇われている私兵である。
よって、給与は国防軍より高い上に手当てがつき、更に嬉しい事にこちら側の雇い主もボーナスを支払ってくれるのだ。
ロバート・フォン・ピッピベルケルク=セントルイスファミリア1世に貸し出されるビスマルクの私兵ほど、美味しい兵役は無いに違いない。
この鎮守府の指揮官は、必要がないにも関わらず年に4回もボーナスを支給し、最高の兵舎と食事を与え、週末にはビールを配る。
辛い24時間の警備隊勤務の最期の1時間まで気を抜かずにいられるのは、そういった待遇の結果だろう。
曹長が巡回の確認を取らせている間に、眠気が吹っ飛ぶような美しい女性がやってきた。
品位の塊のようなその女性は、手に籠を持ち、随分とすまなそうな顔をして警備隊受付へとやって来る。
「おはようございます、曹長」
「これはベルファストさん。おはようございます。」
「先程はつい声を荒げてしまい、本当に申し訳ありませんでした。」
「いいえ、お気になさらず。私だって時には情緒不安定になって感情的になってしまう事があります。そうですね、例えば…そこのクルトが仮眠の交替に来なかった時とか。」
警備所の中で笑いが巻き起こった。
寝坊癖のあるクルトが曹長に怒鳴られたのは5時間前のこと。
彼はすまなそうな顔をして、頭をカリカリと掻いている。
ベルファストも上品にクスリと笑った。
「うふふ、それは大変ですね。…もしよろしければ、お召し上がりになってください。」
「おお!これはありがとうございます!」
「次の上番者の分もございます。」
「クルト!間違っても2つ食べるなよ!」
またも巻き起こる笑いの渦。
だが、今度はクルトが真剣な顔をして声を張り上げた。
「曹長!!巡回12と13からの応答がありません!!」
「何だと!?もう一度確認しろ!!」
「………ダメです、反応ナシ!!」
「警備レベル引き上げ!!警備レベル引き上げ!!警備レベルイエロー!!非常配備!!」
今度はもう、曹長もジョークを飛ばしてはいなかった。
警備所内の兵士も、次々に騎兵銃を持って外へ飛び出していく。
施設の裏側ではⅣ号戦車がエンジンを唸らせ、鎮守府のメインストリートへとキャタピラを進めていた。
「貴女も早く安全な場所へ!」
「ええ、ありがとうございます!お気をつけて!」
曹長に促され、ベルファストは指揮官の下へと急ぐ。
タイミングから考えて、彼女はあまり考えたくない方向を疑わざるを得なかった。
あと1時間待てばゆっくりと自分のベッドで眠れた二人組は、カーリューの回し蹴りによって後頭部を蹴られ、硬いアスファルトの上で意識を失っていた。
彼女は素早く物陰へ移動して身を潜める。
おかしい。
対応があまりにも早すぎる。
もう彼女はメインストリートを横断することができない。
既に1両のⅣ号戦車が道を塞ぎ、シュタールヘルムを被ったヒヨコたちが非常線を敷いている。
カーリューはここがベルリンなのではないかと疑いたくなった。
しかし、ここまで来てしまった以上、もう後戻りは出来ない。
アポイントメントを旧友に断られ、今朝警備所から叩き出された時点で、彼女にとっては非常に不本意ながらこういった手段に出ざるを得なくなる事は容易に想像できた。
だから出発する前にも、この鎮守府でハードネゴシエーションに陥った場合の対応も考えていたのだが。
まさかここまでの警備体制を見せつけられるとは思ってもみなかったのだ。
「くっ。細部まで詰めたつもりが…私としたことが考えが甘かったようですね」
彼女は意を決して立ち上がり、全速力を持って走り始める。
万事滞りなく、抜かりなく。
彼女とて、予想外の展開はあれど腹案がないわけではない。
どうにか指揮官執務室に辿り着く為にも、彼女は速度を上げていった。
…………………………………………
「侵入者!?え?マジで!?ヤダよ、こわいよ!!」
「落ち着いて、ミニ・ルー!セーフティ・ルームへ急ぎましょう!」
「あぁ!!鍵が開かない!!坊やが危ないって時にッ!!」
「ティルピッツ、落ち着いて!私たちがいればMon chouは安全よ!」
「つーか、また!?またなの!?今まで側頭部ぶち抜かれたり、ドタマぶち抜かれたりしたのに、またなの!?また私どっか撃たれんの!?いーやーだー!!いーやーだー!!」
20分後、カーリューはピッチピチの対●忍みたいな服に着替えて、目的地である指揮官執務室の直上にいた。
換気口から下を見れば、秘書艦と思わしき3人のKANSENが目に見える。
指揮官の声は聞こえるものの、肝心の彼の姿が見えないのが不思議だった。
だが、そこにいるのであれば問題ない。
彼女の目的を果たすには十分だ。
カーリューは持ってきた装備を整えると、薄暗い天井裏で目を凝らし、何か突起物はないかと探す。
幸運なことにまさしく突起物がそこにはあり、彼女は装備…降下用フルハーネスのフックをそこへしっかりとかけた。
本来はこんな事はしない予定だったのだが、警戒レベルが上がってしまった以上仕方ない。
プランBだ。
指揮官を拉致して、"説得"する。
天井裏の換気口のカバーを音を立てぬよう、ゆっくりと取り外し、もう一度中の様子を伺う。
「つーかよぉ、そもそもよぉ、狙われすぎじゃねえ!?お前はア●ルフ・ヒトラーかってぐらい狙われすぎじゃねえ!?何なの!?私が何したって言うの!?」
「ミニ・ルー!ミニ・ルー!落ち着いて!」
どうやら、目標はセントルイスと思わしきKANSENの直近にいるようだ。
まだ彼女の位置からは見えないが、背の高いセントルイスに隠れて見えないのだろう。
彼女はハーネスを微調整しつつ、セントルイスの直上へと迫る。
カーリューは驚いた。
自身が目標だと思っていたのは、セントルイスの谷間に挟まる赤ん坊だったのだ!
(赤ちゃんが指揮官!?どう言う事!?)
決して声には出していなかった。
だが驚きのあまり気配の遮断を怠ってしまったらしい。
セントルイスの谷間の赤ん坊が、まっすぐ上を…つまりカーリューの方を見上げて、こう言った。
「イピカイエ!?」
カーリューはすぐさまハーネスから離脱し、セントルイスを押し倒すように着地。
赤ん坊を掴んで谷間から引き抜くと、今度は小脇に抱えて離脱を試みる。
「なっ!?坊やが!」
「セントルイス!?大丈夫!?」
「私は大丈夫!でもミニ・ルーが!」
ピィイイ!!ピィイイ!!ピィイイ!!
警笛が響き渡り、無数の警備兵がこちらへ向かってくるような音が聞こえ始めた。
カーリューは赤ん坊を抱えたまま、指揮官執務室のある四階の廊下から、窓ガラスを割りながら飛び降りる。
無事に着地して走り始めると、何発かの発砲音が追ってきたが、すぐに射撃は中断され、ティルピッツと思わしき女性の声が聞こえて来た。
「撃つな!撃つな!坊やが一緒よ!」
赤ん坊を抱えたまま、カーリューはメインストリートへと飛び出して、通りがかったシュビムワーゲンに飛び乗った。
短い格闘戦の末に運転手を引きづり下ろすと、全速力で正門へ向かう。
サイドミラーからはこちらに砲塔を向けるⅣ号戦車と歩兵達を見る事が出来たが、いずれも赤ん坊の為に発砲を控えているようだった。
シュビムワーゲンはそのまま正門から飛び出して、雑然とした一般道路へと飛び出していく。
とんでもないことになってしまったと、彼女自身思っていた。
ただ、顔は半分隠していたし、正体がバレたという事はないだろう。
だが、仮にも海軍の高級士官と思われる人物を拉致してしまったのだ。
本来なら、中将の時のように、ベッドに誘い込むハズだったのだが…
しかし、MI5の英雄が赤ん坊とはどういう事だろうか。
この赤ん坊は、そもそも本当にあの少将と同一人物なのか?
「ゴファッ!!!」
何か吐き出すような声が聞こえて、彼女は抱える赤ん坊を見やり、そして気分を悪くした。
赤ん坊は真っ赤な血を吐き出していて、それは彼女のトラウマを刺激する。
あの日見た光景…
歳をとった老人、若い青年、年頃の少女…そして……血塗れの………小さな小さな………………
「うっ!」
彼女は追っ手を巻いた事を確認すると、シュビムワーゲンを道端に止め、乗り物から降りて吐瀉物をまき散らした。
「お〝エェッ!!おぶえッ、おえええ〝っ!」
決して繰り返したくない、あの日の記憶。
それを繰り返さないためにも、この赤ん坊を、まずは彼女の鎮守府へ連れ帰らなければならない。
吐血の原因は軍医に診てもらわねばならないし、指揮官は更に怒るだろうが、彼女にはそれでもあの日の事を思い出すよりはマシなように思えたのだ。