センター試験。それは日本の大学における共通入学試験のことであり、一般的に1月の半ばに行われる。
故に、12月ともなれば受験生は自身の勉強に追い込みをかけることとなり、親も勉強に励む我が子をなんとかサポートしようとするものだろう。
受験に成功―――勝つように。
「と言う訳で、今回はカツ丼作っちゃおう!」
「カツ丼……!」
カツ丼を作ろうと口に出す良太に、文乃は戦々恐々していた。
カツ丼は、とんカツを出汁で煮て卵で閉じた後、ほかほかのご飯に乗せた丼物である。サクサク衣に染み込んだ出汁とジューシーな肉、そして白飯のコンビネーションが絶妙な食べ物であり、受験シーズンには願掛けに食べられることが多い。
「これから料理教えるのは時間的に厳しいしね。僕から教えられる料理は多分これで最後だよ……」
「し、師匠……」
「というか、最初の時点では揚げ物を教えるのがものすごく怖かったよね」
「師匠……!」
ごもっともだ。
カレーを作ろうとして謎の黒い液体を作る人間に揚げ物などやらせようものならば、火事になること必至である。
しかし、機は熟した。ある程度料理のノウハウを覚えた今の文乃であれば、揚げ物を習得するに足りると良太は考えた。
そんな良太の考えを理解してか否か、文乃は唇を噛んで目尻に涙を溜める。彼女自身、揚げ物をしようものならボヤ騒ぎになることを自覚していたのだろう。
「よし……カツろう!」
「カツろう?」
新単語を口に出す文乃はさておき、レッツ・クッキング。
***
「まずとんカツを作るのに必要な材料がこちら!」
ドン! とテーブルの上に置かれるのは、15分ほど前に冷蔵庫から出して常温に戻した厚切り豚ロース肉である。
「常温に戻すのは、揚げた時に中まで火が通るように……だねっ!?」
「そうだね。でないと、中まで火が通るまで揚げようとした時、衣が焦げるまで揚げることになっちゃうからね!」
そのような厚切り豚ロース肉をとんカツへと昇華させるに必要な材料は、塩こしょう、卵、薄力粉、パン粉の以上だ。
「の、前に……肉と脂の間の筋に切りこみを入れて」
「うんうん」
「そして、肉を叩いて厚みをそろえよう」
「待ってました!」
肉を叩くと聞くや否や、文乃は台所を漁って肉たたき棒を取り出した。
恐らく人生で一度も使ったことがない道具であろうが、だからこその好奇心が文乃の心を躍らせる。
「どのくらい強く叩けばいいっ!?」
「強すぎずリズミカルにがベストかな」
「……そっか」
肉たたき棒を構えていた文乃が若干落ち込んだ。
その様子に『どれだけ強く叩くつもりだったんだろう……』と良太は慄いた。何故ならば、文乃の背中から肉への並々ならぬ怨念を感じ取ったからだ。
『全ての肉など平らになってしまえ』―――そんな怨念を。
シンクに映る彼女の瞳に光は灯っていなかった……。
閑話休題。
注意された以上、バチボコに肉を叩く訳にもいかなくなった文乃は言われた通り、強すぎずリズミカルに肉を叩いて伸ばしていく。
そうして平らになってきた頃合いに、塩こしょうで下味をつける。
下味をつけた後は、薄力粉を薄くまぶしてから溶き卵に潜らせ、最後にパン粉を全体にまぶす。
「これで揚げる前の準備は整った訳だけど……」
「どうしたの、古橋さん?」
顎に手を当ててう~んと悩んだ様子を見せる文乃は、良太にこう答える。
「油の温度って……」
「とんカツを揚げるなら低温……160℃ぐらいだよ?」
「でも、油の温度ってどうやって計るの?」
「なるほど」
鍋によっては油の温度を計ってくれる代物も存在するが、恐らく一般家庭にはないだろう。
「まさか温度計で測るんじゃないよね……?」
「流石に温度計を揚げるのはちょっと……」
ちゃっかりと温度計を用意していたらしい文乃が手に掲げるが、良太がそれをやんわりと制止する。
そんな文乃へ代わりに持たせたのは菜箸だ。
「油の温度なら菜箸から出る泡の具合でわかるよ」
「へぇ、そうなんだぁ!」
油の温度の計り方には、菜箸の泡の具合で計る他に衣やパン粉で計る方法があるが、衣とパン粉の方法よりも菜箸で覚えた方が揚げ物料理全般で使える方法であるため、ここでは菜箸での計り方を用いよう。
今回の料理であるとんカツは低温で揚げるが、揚げ物に使う油の温度は150~160℃が低温、170~180℃が中温、180~190が高温と分けられる。
その温度の違いをどのようにして菜箸で計るかと言えば、事は至って単純。菜箸を油の中に突っ込むだけだ。
「低温だと箸先から細かな泡が静かに出てきて、中温だと箸全体から出てくる。高温だと、箸全体から勢いよく泡が出てくるんだ」
「へぇ~! 菜箸って便利」
「現代までにお母さんが培ってきた技術の結晶とも言えるね」
実際にこの方法をお母さんたちが培ったのかはさておき、油を低温まで加熱したらパン粉をまぶした豚ロース肉を投入する。
返すタイミングは衣が少し色づいてきた頃だ。
そして仕上げに、揚げ油の温度を高温まで上昇させ、一気にカラっと揚げる。こんがりとキツネ色に上がってきたら取り出し……、
「これでとんカツは完成!」
「……っ」
「食べたい気持ちはわかるけども、抑えて」
「うん、わかってるよ。わかってるんだけども」
揚げたてのとんカツを前にごくりと喉を鳴らす文乃であったが、これまた良太に制止されて食欲を抑え込まれる結果となる。
そんなとんカツができれば、ようやくカツ丼を作る作業だ。
用意するものはとんカツを始めに、玉ねぎ、卵、三つ葉、だし汁、みりん、砂糖、しょうゆである。
「まずはとんカツを幅2センチくらいに切っていこう」
「うんっ!」
言われるがまま、とんカツに包丁の刃を入れる文乃。
揚げたてなこともあり、直接触ることが憚られる熱さだが、だからこそ食指が動きそうになる。
サク、サク、と衣が切られていく小気味よい音がキッチンに響く。
こんがりきつね色の衣……このままソースでもかけて食べたら、どれだけ美味しいのだろうという考えが二人の脳裏に過る。
そんなことを思った時、腹の虫が『食べたい!』と喚き始めるではないか。
グゥ~とキッチンに響きわたる二人の腹の音。一瞬の静寂の後、二人は気まずそうに対面した後、耐え切れなくなったように笑ってしまう。
「佐藤くん……」
「……一つ、食べちゃおっか」
「賛成!」
賛成派多数でとんカツを実食である。
とんカツの一かけらを二等分にし、冷蔵庫に入っていたウスターソースをかけ、そのままひょいと口に放り投げるように食べる二人。
まず歯触りの良い衣を感じたかと思えば、続けざまに豚ロース肉の肉汁がじゅわりと舌の上に広がる。豚の脂の甘みがウスターソースの塩気と合わさり、口の中はまたたく間に芳醇な香りに包まれていく。
「すごい、とんカツだぁ~!」
「まあ、とんカツだからね。このとんカツを使ってカツ丼を作っていくんだよっ!」
「絶対おいしい!」
と、英気を養えた二人はいざカツ丼作りの作業へと移る。
とんカツの他に切るものは玉ねぎと三つ葉だ。玉ねぎは6ミリ程度の幅に切り、三つ葉は3センチほどの幅に切っていく。
そうして切るべき材料を切り終えれば、だし汁をフライパンへと入れ、強火にかけて煮立たせる。
「煮立ったら玉ねぎから入れるよ」
火加減を中火にし、蓋をする。
そうして玉ねぎを煮ること3分。玉ねぎがしんなりとする頃合いを見計らい、用意していた調味料でありみりん、砂糖、しょうゆを加えて混ぜる。
「ここでとんカツの出番だよっ!」
「あぁ~、おいしそう! これって衣が出汁をいい感じに吸ってサクサク感を残しつつ味が染み込んでいくんだよね!?」
目を爛々と輝かせている文乃は、一方の端だけなくなったとんカツをフライパンの上に並べていく。
これだけでも十分美味しそうな見た目をしているものの、ここからさらに煮立たせてからが本番だ。
「用意した溶き卵! これを中心から外側へ向かって流しいれる!」
「はいっ!」
事前に溶いていた卵が、グルグルと回すようにフライパンに流し込まれていく。
渦を描く卵は沸騰していた出汁の熱でみるみるうちに鮮やかな白と黄色のコントラストを生み出していく。
一気に見た目が華やいだ。
このまま卵にも出汁の味が染み込むまで煮込むのも一興であるが、今回は卵は半熟、とんカツの衣はサクサクのままで完成させるため、卵が半熟になったら火を止める。
「ここまで来たら完成は目前だねっ! どんぶりにご飯をよそって、その上に具を煮汁ごと乗せよう!」
「んっ……!」
緊張の一瞬。
もしかすると手が滑ってとんカツごとフライパンをひっくり返さないかと心配する文乃であったが、特にそのようなハプニングもなく、白飯の上に王冠の如きとんカツが乗せられた。
煮汁でふやけることもなかった衣の上面は、依然として鮮やかなキツネ色のままだ。
一方で、とんカツを乗せられた白飯は一緒に乗せられると共に注がれた煮汁によって、じんわりと出汁の色に染まっていく。
「ほわぁ~……!」
「じゃあ、最後に三つ葉を乗せて……」
爽やかな香りが立つ三つ葉を卵に閉じられたとんカツの上に添えれば、カツ丼の完成である。
本格的な揚げ物料理。さらにそこから派生した丼物の完成に、文乃は良太以上の感動を覚えているようであり、顔から笑顔が離れない。
「はぁ~……その者黄身の衣まといて白色の米に降り立つべし! だよっ!」
「ジ○リ?」
ランララランランラン♪ と音楽が聞こえてきそうなセリフを文乃は口にする。
そんな彼女の冗談を聞きつつ、テーブルの上に鎮座するカツ丼は、良太が監修していることもあってか初心者の文乃が作ったにしては色鮮やかで食指を動かせる見事な出来だった。
そんなカツ丼を食べる為、良太の分はどんぶりから半分ほどよそう。
「それじゃあ……」
「うんっ!」
椅子に座り、端的な応答で意思疎通する二人は箸を手に持ち、
「「いただきますっ!」」
本当の実食。
とんカツを一つ摘まみ上げ、一口分噛み切ってからご飯を頬張る。
とんカツのジューシーさもさることながら、半熟の卵とそれに混ざった出汁が程よい塩気を出し、これがご飯によく合う。
サクサクの衣も歯触りが良いが、一方でたくさん出汁を吸い込んでふやけた衣もご飯との相性が良く箸がどんどん進む。
「うん、うん。作り立てはやっぱり美味しいねっ!」
「七味をかけても美味しいよ」
「そうなの? かけるゥ!」
薬味をかけることを勧められた文乃は、持ち前の運動神経も相まってかすさまじい速度で七味唐辛子が入っている瓶を持ってきて、パッパッとカツ丼にかけてまた一口頬張った。
「うん、辛みがいい刺激になってる! あぁ~、もう! ピリ辛ってどうしてお箸が進んじゃうの!?」
揚げ物なだけあってカロリーが高いことも承知だが、文乃の箸が止まる気配は一向にない。
寧ろ、七味による味や香りの変化もあってか、どんどん箸は進んでいき完食直前まで食べ進めるではないか。
しかし、ジッと見つめてくる良太の視線に気が付いたのか、最後の一口を頬張る直前でピタリと止まる。
卑しい姿を見せてしまったとでも思っているのか、恐る恐る良太に対し上目遣いの状態で視線を送る文乃は、羞恥から上気した頬に一筋の汗を流す。
そのような文乃の視線を受け、見とれてしまっていた良太はハッと我に返り、あたふたとせわしなく手を動かす。
それから『ハハッ』と取り繕うような笑みを見せた良太は、頬をポリポリと指で掻き、文乃の食事を促すようこう告げた。
「僕はいっぱい食べる古橋さんが好きだよ」
「げほっ!?」
「だから、どうぞ召し上がって」
「だ、だよねっ! 安心して! こんなに美味しいもの残したりしないから! ―――あむっ!」
良太の言葉に咳き込んだ文乃であったが、平然としている彼の姿を見て、一瞬脳裏を過った言葉の意味が邪推であると結論付け、最後の一口を頬張った。
「ごちそうさま!」
空になったどんぶりの前で文乃は合掌した。
(ビックリした……告白されちゃったのかと思ったよ)
表面上はカツ丼を完食して満足そうな顔を取り繕っているが、内心は告白染みた良太の言葉にドキドキとしていた。
一方、良太はと言うと、
(古橋さんは好きな人が居そうだし……料理を教えてあげられただけでもいい思い出だし、これを機にすっぱり諦めよう!)
割と前向きな心持ちで文乃のことを諦めていた。
結ばれなくても、十回も料理を教えられたのであれば思い出としては十分だと考えたのだ。
のほほんと笑みを浮かべつつ、良太もカツ丼を完食。
それからは二人仲良く食器を洗った後、良太を古橋宅から見送った所で、文乃の料理勉強は一先ず終止符が打たれるのだった。
***
「よし、一人でもお料理できるもん! だよっ!」
良太にカツ丼を教えてもらった日、文乃は一人料理に勤しもうとしていた。
鍋の前に立ち、しっかりとレシピ通り具材を鍋に投入し、火加減も調節しつつ鍋の中身をかき混ぜる。
(それにしてもビックリしたなぁ~……急にあんなこと言うんだもん)
混ぜる、混ぜる。
(『好き』……かぁ)
混ぜて、さらに混ぜる。
(……はっ! いや、成幸くんはそういうんじゃなくて! あぁ~~~!!)
そして焦げた臭いが漂ってきた。
「あれ? ……きゃ~~~!」
いつの間にか長考していたようであり、鍋の中身が一部焦げ始めていることに気が付いた文乃であったが、もう遅かった。
シチューを作っているハズであったのにも拘らず、できたのはシチューとは似ても似つかない真っ黒な液体。時折浮かんでいる焦げた具材が文乃の悲壮感を煽る。
「……あ゛ぁ! 料理してると、こう……色々頭に浮かんでくる!! だよっ!」
なまじ時間がかかる料理であればあるほど、文乃のここ最近の(恋の)悩みが脳内に浮上し、結果目の前で作っている料理から意識が外れる。
結果、失敗してしまう……。
「こんなんじゃ、私……料理できないよぉ~~~!」
文乃ちゃんは料理ができない。
*完結*
こんにちは、柴猫侍です。
この度は本作を読んで頂き誠にありがとうございます。料理を作らない作者がレシピ本を買ったりネットを漁った知識で書いた意欲作でありましたが、読者の皆様は楽しんで頂けたでしょうか?
少しでも楽しんで頂けたのであれば、自分としては幸いです。
本当に拙い作品であったとは思いますが、何度も言うようでありますが、読んで頂き誠にありがとうございました。
気が向きましたら、自分の他の作品にも目を通し、お眼鏡に適うものがあって読んで頂けるのであれば自分としても嬉しい限りです。
今後も投稿活動はゆるりと続けていくつもりです。
今後とも柴猫侍をどうぞ宜しくお願い致します。
それでは、また別の作品でお会いしましょう。さようなら。