「カレーが作れたからシチューが作れると思って……」
「うんうん」
「レシピ通りならいけると思い、ルーから作れると思って……」
「うんうん」
「それでルーから作ってたら、色々やってる内にルーが白を超えてブラウンも超え、あまつさえブラックに……」
「色々と飛躍しちゃったね。僕の予想の範疇を超えてアドベンチャーしちゃったね」
「ごべんばざい、じじょお!」
涙を流し、頭を下げる文乃。
彼女はどうやらカレーライスを作れたことに自信をもってシチューも作ってみたようであったのだが、案の定失敗して、メッセージに添付した画像のような惨劇を生み出してしまったようである。
しかし、ルーから作ろうとするなど彼女も大胆だ。
シチューには大まかに二種類ある。
一つは、赤ワインやトマトをベースにしたブラウンルーを用いるビーフシチュー。
もう一つは、バターと小麦粉をベースとしたホワイトルーを用いるクリームシチュー。因みに後者は、名称自体は日本発祥の日本の料理とされている。
文乃の発言から、クリームシチューを作ろうとしていた意図は伝わってくるものの、ルー自体が市販で売られているこのご時世で、自らルーから作ろうというのは中々にチャレンジャーである。
クリームシチューに用いるホワイトルーは、上述の通り小麦粉を使うのであるが、しっかり注意して作らなければ小麦粉が玉になってしまったり、スープが粉っぽくなってしまったりするのだ。
そのような訳で、素人が市販の固形ルーを用いずシチューを作るのは難しいのである。
「ま、まあ、古橋さんが料理に前向きになったのは良い傾向だよ」
「ぐすん……そう?」
「うん。じゃあ次はクリームシチュー、行ってみよう!」
「はい、師匠!」
***
用意する食材は、玉ねぎ、にんじん、ブロッコリー、じゃがいも、マッシュルーム、鶏もも肉。調味料は塩、胡椒。そしてサラダ油である。
そしてクリームシチューを作る上で最も重要であるホワイトソースを作る為の、バターと小麦粉、牛乳だ。
「ちなみに牛乳自体をシチューに使う国はいっぱいあるけれど、それに小麦粉でとろみをつけたりする国は日本ぐらいだけだったから、今日本で知られてるクリームシチューは日本の料理って認識になってるんだ」
「なるほどー!」
そんな訳でホワイトソース作り開始である。
熱したフライパンにバターを投入し溶かしたら、早速小麦粉を投入。
ここからはノンストップで掻きまわし続けなければ、小麦粉が玉になって、後々クリームシチューが粉っぽくなってしまう原因になりかねなくなる。
火力は弱火から中火。
あまり火を強め過ぎると、ホワイトソースの色が茶色っぽくなってしまい、クリームシチューのイメージである白色から見た目がかけ離れていってしまう。
「最初はもちろん粉っぽいけど、5分くらい経ったら大体混ざった感じになるよ」
「そうだね」
「で、一旦手を止めてみて」
「ん?」
文乃が言われた通りに手を止めれば、良い感じに混ざってきたホワイトソースがブツブツと泡が立ってくる。
「このくらいになったら、熱い牛乳を入れる!」
「なんで熱い牛乳なの?」
「冷えたのを入れちゃったら、折角温まってたホワイトソースが固まっちゃって、これまた玉ができちゃう原因になるんだ」
「へー、そっかぁー!」
言われるがまま電子レンジで予め温めていた牛乳を投入した文乃。
その時、良太が刮目する。
「そこ! 古橋さん、ホイッパーでかき混ぜて!」
「ほ、ホイッパー!? 乗ってぴょんぴょん飛び跳ねる楽しい感じのアレ!?」
「それはホッピングだね」
「その道具!」
「は、ポゴスティックだね」
「え? え? じゃあ、どどど、どれ!?」
「落ち着いて古橋さん! あのしゃかしゃかかき混ぜる……泡立て器って言えば伝わるかな?」
「あ、なんとなくそれなら!」
鉄製の茶筅のような見た目の調理器具。
『あの泡立てるヤツ』という感じで伝わってしまう道具の正式名称は『泡立て器』もしくは『ホイッパー』だ。
それを手に取り、牛乳を加えたフライパンの中身をかき混ぜる文乃。
「ここでしっかり混ぜないと玉になっちゃうから気を付けてね」
「なるほど~」
「そしてある程度混ざってきたら、今度は木べらに持ち替えて混ぜる!」
「はい!」
「そして沸騰してきたらホワイトソースの完成さ!」
「やうやう白くなりゆく……」
「それは枕草子だね」
と、軽快にホワイトソースを作り終えれば、本格的にクリームシチュー作りの開始である。
「玉ねぎはくし切りにしてから、さらに横半分に切る。じゃがいもは一口大に切ってから水に晒す。にんじんは乱切りだね」
「……マッシュルームは?」
「マッシュルームは濡らしたキッチンペーパーで軽く拭いてから、十字に切って」
「しっかり洗わなくて大丈夫なの?」
「うん」
大抵、スーパー等に並んでいるきのこは栽培されたものであり、清潔な状態で栽培されていることが多い。
そしてきのこは吸水力が高い為、水で洗ってしまうと水を多く吸ってしまうのみならず、風味や香りも落ちてしまうのである。
一方で、原木栽培されたきのこ―――特にしいたけは塩水で洗う方がいいという意見もあり、そうした方が身が引き締まって美味しくなるのだ。
「どうしても気になっちゃうんだったら、ボウルに溜めた水の中で軽く振るか、流水でさっと洗うくらいにしておくのがおすすめだよ」
「へー! 皮むきしない分私向けの食材かも!」
「うん、そうかもしれな……あっ」
何気ない一言が文乃の心を傷つけた。
「……ううん、気にしないで。今のは私が……うん」
「ごめんね、古橋さぁーん!!」
目が死んでいる文乃がマッシュルームを十字に切る様はひどく哀愁が漂っており、その陰気は食材に影響しそうなほどだ。
「ブロッコリーは小房に切ってから、1分くらい塩ゆでにするよ」
「うわぁ~! このままマヨネーズつけて食べてもおいしそうだね!」
「お弁当に入れると一気に中身の彩りが華やぐから、お母さんのお供と言えなくもないかも。しかも、ブロッコリーはビタミンCやβカロテンも豊富。栄養もたっぷりだよ!」
「う~ん……でも、この茎捨てちゃうのもったいないよね」
そう言って文乃が掲げるのは、小房に切った後に残ったブロッコリーの太い茎である。
「あ、折角だからそれも塩ゆでしよっか」
「え? これって食べられるの?」
「うん。皮をピーラーで向いて、スティックみたいに切ってみよう」
極太の茎。食べるともなれば結構なボリュームになりそうなものであるが、これはクリームシチューには使わない。
もう一つのサイドメニューに用いるのである。
そうしてブロッコリーの塩ゆでを終えた後、小房に切った蕾と茎をしっかり分け、蕾の方は冷水につけて冷やす。
「じゃあ、次は鶏もも肉だね」
「ああ、今から私はお肉を……!」
「そんな仰々しくしなくて大丈夫だから」
震えた手で包丁を握る文乃に、一口大に切るよう指示する良太。
その間彼はトレーを用意しているが、
「……それってなにに使うの?」
「うん? ああ、鶏もも肉の―――」
「あ! 下味をつけるのに使うんだね」
「まあ、そんな感じかな。あ、古橋さん。今度はフライパンも使うからね」
「フライパン?」
なぜクリームシチューを作るのにフライパンを使うのだろうか。
そう言わんばかり首をこてんと傾げる文乃は、ホワイトソースを作り終えて洗ったフライパンを今一度コンロの上に置く。
「じゃあ鶏もも肉の下味をつける為に……古橋さん。このトレーの中に、塩とこしょうを適量入れて」
「ええっ!? 適量って言うのが一番困るよぉ~!」
「大丈夫大丈夫! そうだなぁ……トレーにまんべんなく調味料が広がる感じにだね。一つまみずつやっていけば、まず失敗はしないだろうからやってみよう」
「ホント!? 今、言質とったからね!」
失敗しない―――その甘美なる誘いのままに、文乃は塩が入ったケースに手を入れ一つまみ。
そして親指と人差し指に挟まれて姿を現したのは、その塩の海に身を隠していた氷山の如き、塩の塊であった。どこから出てきたのだろうか、ピンポン玉くらいのサイズがある。
「一つまみ……っと」
「ストォップ!!」
「ええっ!? 言質とったのにぃ……」
「古橋さん、それは断じて一つまみじゃないよ! それを一つまみとして通すのは、ひとくちチョコに『一口頂戴』って言うくらいの横暴に等しいよ!」
などと、文乃の横暴を阻止し、無事トレーに塩とこしょうをまんべんなく振り撒かせる。
そこへ一口大に切った鶏もも肉を並ばせ、さらに上からもまんべんなく塩とこしょうをまぶす。
「そして、ここで薄く薄力粉をまぶす」
「はい、師匠!」
「なんだい、古橋さん」
「なぜ薄力粉をまぶすんですか!?」
「いい質問だね。説明しよう!」
薄力粉、もしくは小麦粉を肉や魚にまぶす理由は、基本的に肉汁を逃がさずジューシーに焼き上げるためだ。
豚の生姜焼き然り、鮭のムニエル然り、焼く前に一度粉をまぶすのにはそういった理由がある。
「え? ということは……焼くの?」
「うん、そうだよ」
「そうだったんだ!?」
「焼くことで香ばしさも出るからね。単純に煮るだけより、一度焼いてからにした方がおいしくなるんだよ」
料理は手間暇をかけるほどにおいしくなるという訳である。
ほー! と感心する古橋は、人生で初めて使用する粉ふるいで薄力粉を鶏もも肉にまぶした後、熱したフライパンにサラダ油を引いて……。
「あ、テレビで見たことあるかも! 確か、こういう時って皮から焼くんだよね!?」
「うん、その通りだよ古橋さん! 皮の方が焼くのに時間がかかっちゃうから、中に火が通る時間も考慮して皮から焼くのが、皮つきの鶏肉を焼く時の鉄則だね。皮は脂っぽいから取り除く人も居るけど、しっかりパリパリに焼いたらそれはもう―――」
「もう焼けてるかなあ♪」
「まだダメェ―――!!」
「ひゃうん!?」
一分と経たずしてフライパンに並べた鶏もも肉をひっくり返そうとした文乃の暴挙を止める良太。
どの程度焼けているか、いちいちひっくり返して確認する者も居るであろうが、それは軽率な行動と言わざるを得ない。
しっかりおいしいパリパリの鶏皮を焼き上げる為には、一定時間ひっくり返さず根気よく待つ必要がある。
そんなこんなで鶏もも肉の両面がきつね色に焼き上がったのであれば、一足早くなべに入れておく。まだ火はつけない。
そしてここからは野菜を焼いていく番だ。
油を引き、まずは玉ねぎを炒める。玉ねぎが少し透き通ってきた頃を見計らい、水きりしたじゃがいもを投入。さらににんじんも投入だ。
少し炒めて全体に油が回ってきた頃に、マッシュルームを入れて炒める。
「焼けてきたらなべに入れて、ローリエと水を入れる!」
「カレーに引き続き!」
「香りがよくなるからね」
カレーにも用いたローリエを水と具材の入ったなべに入れた後、次に入れるのは市販のブイヨンの素である。
「コンソメでも代用できるよ」
「う~ん。でも、ブイヨンとコンソメの違いってなんだろう?」
「まあ、さしたる違いはないんだけどね」
「ないの!?」
日本ではブイヨンとコンソメが混同されていたりするため、そこまで気にかける必要はなかったりもする。
ちなみに違いをまとめるとこうだ。
ブイヨンは牛肉、鶏肉、魚からとった出汁。コンソメは、それらに脂肪の少ない肉や香味野菜を煮立たせたスープ。
ブイヨンは濁っている。コンソメは澄んだ琥珀色をしている。
ブイヨンはシンプルな味。コンソメは香りが強く、深い旨みがある……等々。
以上のような違いはあるものの、上述した通り日本では両方が混同されているため、市販の固形や顆粒タイプのものを用いる場合はどちらでも構わない。
「で、弱火で煮立たせていく内にアクをとる」
「ん~……」
「……どうしたの、古橋さん? そんな険しい顔して」
「私がアクをとろうとしたら、スープが全部なくなりそうな気がして……」
「そんな時は一旦くしゃくしゃに丸めたアルミホイルを広げて、スープの上に敷けば……」
「師匠ぉー!」
アルミホイルの裏にアクが付いている光景に文乃は感涙する。
「キッチンペーパーとか網目の細かいお玉、専用のアク取りブラシを使うのもありだよ」
折角野菜や肉のうまみが出てきたスープを無駄にせず、邪魔なアクだけをとる手段。
それは何十年……否、何百年も昔から主婦が悩んできた問題である。
だが現代、アクをとる手段は見事に確立されたと言っても過言ではない。ネットの海を探せば、アク取りの手段などいくらでも出てこよう。
「そして蓋をして15分煮込む」
「うん!」
「で、その間にシチューには使わないブロッコリーの茎を使った料理を作っていこう」
塩ゆでして柔らかくなったブロッコリーの茎を用いた料理は至って簡単。
スティック状の茎には豚バラを巻き、塩とこしょうし、そして薄く油を引いたフライパンでこんがり焼く。
「豚バラまきの完成!」
「わあ~! 豚バラはこんがりジューシーで、中のブロッコリーはほどよくしゃきしゃきしてておいしい~!」
細長い野菜に豚バラを巻いて焼く。それは最早料理の必勝パターンだ。
にんじん、だいこん、アスパラ、ピーマン……肉を巻いて焼けばおいしい野菜など数多く存在する。
そしてその調理の手軽さも魅力的だ。
こうしてサイドメニューも無事作り終えるなどして15分経過。
「ここでようやくホワイトソースの出番! ソースを加えて5~6分くらいかき混ぜる」
ホワイトソースを加えれば、あっという間になべの中身が白く染まっていく。
かき混ぜていく内にとろみ出て、まさしくクリームシチューらしい見た目にもなる。
「もし水分が多いようだったら、ソースだけを別なべで温めて濃度を詰めるといいよ」
クリームシチューの真髄はそのとろみ。
クリームシチューのクリームシチューたる由縁がダメになりそうであったら、一旦具材を引き上げて煮詰め、水分を飛ばすという工程も必要となる。
しかし今回は良太の監修もあり、無事にとろみのあるおいしいクリームシチューになりそうだ。
「よし、ここらへんでブロッコリーを入れてっと……あとは塩こしょうで味を調えるだけだね!」
「下ごしらえの長い料理を終えるとクリームシチューであつた……」
『雪国』っぽいフレーズで感動の弁を述べている文乃。
そうして出来上がったクリームシチューを食べれば、彼女の端正な顔立ちに笑顔が咲き誇る。
「んっふ~!」
鼻息荒く、文乃はシチューの味に興奮していた。
野菜の素朴な甘みの中に、出汁として入れたブイヨンの味が染み込んでいる。
煮る前に焼いた鶏もも肉はと言えば、あらかじめパリッと焼いていた香ばしい皮がクリーミーな味わいのシチューの中に一つアクセントをつけてくれていた。
ローリエを入れていたのも効いたのか、仄かにすがすがしい香りがシチューの温気と共に鼻を通り抜けていく。
「シチューはパンにつけて食べてもおいしいよね」
「うんうん!」
「あと、具材を紫にんじんだったり紫キャベツにすると、一気に色が毒々しくなってハロウィンにぴったりの料理に変わるよ」
「うんうん!」
ぱくぱくとシチューを食べ進めつつ首肯する文乃。話を聞いているのかどうかわからぬ彼女に対して苦笑を浮かべつつ、良太もまた彼女と共同作業で作ったシチューを食べ、一言。
「おいしい~♪」
「おいしいね~♪」
大満足の一品。
しかし、大満足であるが故に食が進み、一つの悲劇を巻き起こすになることを二人はまだ知らない。