文乃ちゃんは料理ができない   作:柴猫侍

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7. ハンバーグ

 

 古橋家のキッチンでは、現在進行形で肉汁が躍る音が鳴り響いている。

 コンロの上に置かれているフライパン。そこには蓋がされているものの、中で半ば蒸し焼きにされている肉の塊からあふれ出す脂が、万雷の拍手の如き音を立て、文乃の鼓膜と心を躍らせる。

 

「フンフンフ~ン♪」

 

 思わず鼻歌を歌ってしまう文乃は、炊き立ての白米を器によそう。

 炊きたての白米からは日本人の心を安らがせる香りが迸っている。このまま食べても良し。塩を振りかけてもよし。他、様々なおかずと組み合わせてもよしと、日本人の食卓にはなくてはならない主食だ。

 料理を習う以前はロクに炊飯もしなかった文乃にとって、炊き立ては母親が死んで以来久しい存在であったが、最近は炊き立ての美味しさに目覚め―――加えて、自分が炊いたという達成感による相乗効果によるものもある―――こうして手間を惜しまず炊飯をしていた。

 

 そうしててんこもりに白米をよそうと同時に、テーブルの上に置いていたタイマーが鳴る。

 

「おおっ! 完成したかな~っ♪」

 

 当初とは違い、時間・分量を守ることに注意を払い始めた文乃は、あらかじめタイマーを設定していた。

 彼女が作っていたのはハンバーグだ。子どもから大人まで大好きな肉料理。こんがりと焼かれた表面を割れば、ふっくらとした中身から肉汁がこれでもかと言わんばかりに旨みたっぷりの肉汁溢れるアレだ。

 

 王道にデミグラスソースをかけてもよし。

 ご飯に乗せ、それこそロコモコのようにして食べるのもよし。

 和風ドレッシングをかけてみるのもよし。

 

 とにかく、ご飯との親和性は抜群であるとは言えよう。

 良太に教えられなくとも、こうして意欲的に料理を始めるようになった彼女は、今回ばかりは焼いたハンバーグの肉汁が如き自信を持っていた。

 

(事前に料理の手順も調べた! ……まあ、ちょっとパン粉とかなかったから、お肉100%だけど、きっと大丈夫!)

 

 ……若干、適当な部分は見受けられるものの、こうしてある程度レシピ通り作ろうと試みているだけ成長はしているだろう。

 

「よーし……オープンっ!」

 

 目を爛々と輝かせる文乃は、中の蒸気で真っ白に曇る蓋を開ける。

 次の瞬間、湯気と共に立ち上る香ばしい香りが、文乃の顔をほころばせた。

 

 この匂いだけでご飯一杯はイケる! そう確信する文乃であったが、本題は中に佇む肉塊だ。

 表面はこんがり。中はふっくら。収まりきらず溢れた肉汁で照っている肉の本尊。愛情をこめてしっかり捏ねた肉の塊がそこに在るはず。

 

 期待に(無い)胸を躍らせ、文乃は湯気が消え失せたフライパンの中身を凝視する。

 

「……あれ?」

 

 しかし、そこにはあるハズだったものがない。

 いや、あるにはあるのだがいやに小ぢんまりとしている。もっと具体的に言えば、あるべき姿から瓦解し、無数の肉片に散らばっていた。

 ボロボロと崩れ落ちた肉の欠片たちは、フライパンの表面に溜まっている油と脂が混じった液体によりカリカリに揚がっているではないか。これはこれで美味しそうではあるが、文乃が求めていた結果ではなかった。

 

 想像していたのは、子供が夢見るようなビッグなハンバーグ。

 

 だが、今目の前にあるのはなんだろう?

 荒廃した城の如く瓦解している肉の欠片たち。それはもはやハンバーグと呼べる代物ではない。そぼろだ。紛うことなきそぼろだ。因みに、そぼろは茹ででほぐしたものを指すから、厳密に言えば文乃のハンバーグになり損ねたこの肉片はそぼろではないのだが、見た目は十二分にそぼろと呼べる代物であった。

 

 しばし放心する文乃。

 

 しかし、茫然自失となる中で空腹を訴える体は素直に動いていた。

 フライパンの中にそぼろもどきに塩、こしょう、しょうゆをかけ、軽く絡めるように炒める。

 そうして味がついてから、文乃は味付けしたそぼろもどきをホカホカの白米の上に振りかけた。みるみるうちに、真っ白な白米は肉汁としょうゆが混じった液体にまみれ、黄金色に輝く。

 

 だが、これだけでは終わらない。あらかじめ文乃がスーパーマーケットで買っていた既製品の温泉卵を彼女が、そのそぼろ丼の上に落としたのだ。

 ゆで卵ほど固くなく、生卵ほど柔らかくもない。

 白く輝く表面は、続けざまに振りかけられる刻み海苔を受け、ぷるぷると震える。

 最後に文乃は、そんな温泉卵を、中の半熟の黄身が丼全体に広がるよう箸で割ってみせたのだ。

 

 完成。

 いざ、実食。

 

「―――おいしー♪」

 

 そぼろが白米に合わないことがあろうか? いや、ない。

 塩とこしょうで味を調えたそぼろは白米との相性は抜群。しっとりモチモチの白米に、カリカリで噛み応えのあるそぼろのハーモニーは、文乃に咀嚼をこれでもかと促していく。

 味もまた良い。若干の大味な感じは否めないものの、それでも肉本来の味に加えられた塩味が、温泉卵によって包み込まれ、マイルドな味わいと昇華している。

 最後に加えた海苔もまたいい風味を醸し出していた。

 

 文乃の箸は進む進む。

 そして、からっぽのどんぶりと共にテーブルの上に置いた。

 

「……でもなんか違う!!」

 

 くわっ!! と文乃の目は開かれる。

 

「思てたんと違う! 私、ハンバーグ食べたかってん!」

 

 ハンバーグが巡り巡ってそぼろ丼へ。

 変な関西弁にて一人で騒ぐ文乃は、そのことに対して嘆くのであった。

 

 夢想していたのは、大きい大きいハンバーグ。

 真ん中を割れば、ドバっと滂沱の如く肉汁溢れる分厚い肉の塊。凡そレストランでしか試したことのないような、あの心躍るアクションをしたかったのだ。

 

 腹は満たされた。しかし、期待で一杯だった胸は空いたままだ。

 この飢えはハンバーグを喰らうことでしか満たされはしない……。

 

「ハンバ―――グ!!」

 

 その日、師匠の慟哭が古橋宅にて響きわたるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「じゃあ、今日はハンバーグを食べたい古橋さんのために、僕はハンバーグ師匠になるよ」

「お願いします、ハンバーグ師匠!」

 

 日を改め、文乃は良太と共にハンバーグに再挑戦するに至った。

 市販のハンバーグでは駄目なのだ。自分で作ったビッグサイズのハンバーグが食べたいのである。

 その為には、文乃にとっての料理の師匠こと良太に、ハンバーグ師匠になってもらうより他ない。

 

 先日、突然教室に赴いてきて『ハンバーグ食べたいの!』と言いに来た彼女を付け合わせのミックスベジタブルを見るような目で見た良太。

 だが、彼女のハンバーグに対する情熱が分からないでもない彼は、自前のエプロンの下にデカデカと『肉』の文字が刻まれたネタTシャツを見に纏い、こうして厨房に立っている。

 

「さて……じゃあ、早速ハンバーグ作りに取り掛かろう」

「おー!」

「その前に。古橋さんの話を聞く限りで、なんでハンバーグがぼろぼろになっちゃったのかを反省してみようか」

 

 何事も反省は大事。失敗は成功の母というものの、なぜ失敗したのかと振り返らなければ、成功が生まれることはないだろう。

 反省による分析こそが、料理にとって肝要であると言えよう。

 

「とりあえず、ハンバーグがぼろぼろになっちゃう原因の一つとしては、ハンバーグの中の空気がしっかり抜けてないのがポピュラーだね」

「へー。それはどうしてなのかなぁ?」

「熱を通した時、中の空気が膨張しちゃうんだ。それで折角焼き上がったお肉にヒビが入って、そのまま崩れちゃうんだよ。だからほら、よくテレビとかでお肉を手にたたきつけて空気を抜く作業とか目にしない?」

「う~ん……見たことあるような、ないような……」

「ともかく、空気を抜かなきゃハンバーグがぼろぼろになっちゃう! これは覚えておいてね」

 

 『次に!』と良太は続ける。

 

「古橋さんはつなぎ無しで調理したみたいだけど……」

「あ、うん。そうだよ。その日、牛ひき肉が安かったの!」

「なるほど……でも、折角だから今日覚えてね。ハンバーグの黄金比を!」

「黄金比があるの!?」

「黄金比っていうのは、1:1+√5/2の割合で……」

「凄い数学ぅ~~~!!」

 

 余りにも数学している内容に、文乃は涙目を浮かべながら頭を抱えてその場にうずくまる。

 

「まあ、今のは冗談だけど」

「冗談なの!?」

「うん。ハンバーグの黄金比っていうのは、牛肉と豚肉の割合のこと。牛肉7割で豚肉3割の割合にするとジューシーに出来上がるんだ」

 

 脂肪分の少ない豚肉を3割に抑えることで、ほどよく肉汁溢れるハンバーグに仕上がるという訳だ。

 

「へぇ~、知らなかった! 牛肉100%のハンバーグとかたまに聞くから、てっきりイケるものかと……」

「まあ、できなくはないし足りない脂肪分は牛脂とかでまかなえばできるしねっ。でも、その分塩で捏ねたり、つなぎを使う工程を大事にしなくちゃ」

 

 つなぎを制す者はハンバーグを制す。

 ただ単に肉に貪りつきたいという欲望に駆られ、肉オンリーのハンバーグを作ろうとしても失敗し、あるいは予想を裏切る形に仕上がり、落ち込むのが関の山だ。

 

 『そっか~』と塩を投入した肉を捏ねる文乃は、しっかり粘り気が出るまで、延々とその華奢な指をせわしなく動かす。

 粘りが出るまで捏ねるのがミソであるのだが、先につなぎの具材を投入してしまうと、肉汁を閉じ込めやすくする役割を果たす粘りが出るまで捏ねるのが大変になるため、今はこうして肉だけで捏ねている。

 

「よしっ、そのくらいだね。じゃあ次は、用意したつなぎの具材だけど、どれがどんな役割なのか知っておこう!」

 

 今回用意したつなぎの具材は三種類。

 玉ねぎ、卵、パン粉の三つである。

 

「まず玉ねぎ。入れる場合はあめ色になるまで炒めなきゃだけど、甘さがグッと増す玉ねぎを混ぜると塩味も際立って美味しさも倍増だよ」

「うん!」

「次に卵。ハンバーグの生地に卵を混ぜるのは、実は日本特有の方法らしいんだ。混ぜると、ふんわりとした弾力のあるハンバーグに仕上がるね」

「うんうん!」

「最後にパン粉。生地に少し練り込むと肉汁を吸ってくれて、ふっくら仕上げてくれて、なおかつ口当たりのいいハンバーグにしてくれるのが特徴さ。でも、入れすぎると肉汁を吸い過ぎてぱさぱさになっちゃうから注意してね」

「うんうんうん!」

 

 完成したハンバーグを想像する口の端からは、思わず涎が垂れる。

 応じて腹もキュ~っと鳴った。

 しかし、腹が鳴る羞恥心よりも、今はこれから作るハンバーグをどのようにして作るかの思いが勝っている。

 そんな文乃の熱意を考えてか、良太はスッと事前に用意していたつなぎの具材を差し出す。

 

「じゃあ、今回は玉ねぎと卵にしよっか」

「オッケー!」

「で、十分混ざったらいざ空気を抜く作業だ!」

 

 具材が混ざった生地を丸め、手に携える二人。

 ハンバーグの空気を抜く作業と言えばあれだ。キャッチボールの要領で、持っている一方とは違う方の掌へ投げるようにたたきつけるのである。

 

「わっとっと……なんだか、こういうのって食材を扱ってるから、思いのほか勢いが出ないっていうか……」

「わかる。でも、美味しいハンバーグを作るなら、思い切っていこう!」

「……そうだね! よーし、じゃあ……―――あ」

「ファ―――!!?」

「はわわっ、ナイスキャッチ!」

 

 途中、文乃の大暴投でハンバーグ一個分の生地が駄目になりかけたこともあったが、無事生地の形成は終了した。

 

「じゃあ次はようやく焼く工程に入るよ」

「うん!」

「ハンバーグを焼く時のコツだけど……古橋さんは知ってるかな?」

「知ってるよ! 真ん中を指で押してくぼみを作る……だよっ!」

「その通り!」

 

 ハンバーグを均一に焼くコツとしては、生地の真ん中を凹ませることが有名だろう。

 これは、生地の中心ということもあってか、真ん中には熱が通りにくいことが理由として挙げられる。もし仮にくぼみを作らず焼き、中心まで熱を通そうとすれば、その頃には周りの肉が焦げてしまうだろう。

 表面がこんがりと焼き上がるのは良い。しかし、焦げて苦いだけの炭は料理の風味を損なうだけだ。

 

「もし焦げそうになった時は、水か酒を入れて蒸し焼きにするといいね」

 

 そんな良太のアドバイスも受けつつ、ハンバーグは淡々と焼き上がっていく。

 ジュ~! と子どもの時ならば誰もが期待で心を躍らせるような音がキッチン中に響きわたれば、合間に二人の腹の音が聞こえてくるようだ。

 

「あれ? でも、ソースはどうするの?」

「それはだね、古橋さん。ハンバーグを焼いた後に作るんだよ」

 

 表面も十分焼き上がり、既にハンバーグといって差し支えない肉の塊を皿に移した文乃に対し、良太はハンバーグから溢れた肉汁に満ちるフライパンを指さす。

 

「ここに調味料を入れて、ソースを作るんだ!」

「絶対美味しいよソレ!」

 

 肉汁一滴さえ無駄にしないという訳だ。旨みたっぷりの脂なのだから当然である。

 

 用意する調味料は、水、酒、トマトケチャップ、ウスターソース、しょうゆ、バターだ。これらを肉汁に満ちるフライパンに投入して混ぜ、中火かける。沸々と煮立って、全体がとろみを帯びてきたらもう完成だ。

 

 白い皿。その中心に鎮座する肉の塊。そこへ流される赤みを帯びたソースが、みるみるうちに肉の塊を覆いつくしていく。

 湯気がふわりと立ち上れば、香ばしい肉の香りと複雑に絡み合った調味料たちの香りが混じり合い、二人の食欲を存分にそそる。

 

「はぁ~……!」

 

 まず鼻で香りを味わった文乃。数秒後には、蕩けた顔を浮かべて口から感動するように息を漏らした。

 

「よしっ、佐藤くん! 食べよう!」

「ご飯はもうよそったよ!」

「やったー!」

 

 ホカホカな白米は既に用意されてある。

 あとはもはや喰らうのみ。

 

 ゴクリと生唾を呑み込み、いざ(箸で)ハンバーグに入刀。

 

 割かれるハンバーグからは、内包されていた旨みたっぷりの肉汁があふれ出し、皿に満ちていたソースに混ざり合っていく。

 もう我慢できない。

 そう言わんばかりに文乃は一口大に分けた肉に、肉汁が混ざり合ったソースに絡め、そのまま口へ投入する。それから数度咀嚼してからは、左手に携えていた器から白米を口の中へ掻きこみ、また咀嚼を始めて口の中に満ち満ちる幸福という名の味わいに舌鼓を打つ。

 

「ハンバァ~グゥ~♪」

「そこまで喜んでもらえたなら、教えた甲斐があったと思えるよ」

 

 咲き誇る文乃の笑顔もエッセンスに、良太は自分が教え、文乃が作ったハンバーグに手を付ける。

 

「おいし~♪」

「冷めないうちに食べなきゃ! だよ!」

「そうだねっ!」

 

 そうして自分たちのハンバーグに舌鼓を打ち、存分に味わった二人。

 

 その後、文乃が美味しさのあまりご飯を食べ過ぎていたことにより、体重が増えていたことに嘆きの声を上げたのは、また別の話である。

 

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