文乃ちゃんは料理ができない   作:柴猫侍

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8. サバの味噌煮

 

「私、頭が良くなりたいの」

 

 それは余りにも唐突な願い出であった。

 

「……えっと、青ペンで書くと記憶しやすいって言うよね」

「ああっ、ごめん! 勉強方法についてじゃなくて」

 

 遠くを見つめる瞳を浮かべる良太に対し、言葉が足りなかったことを即座に理解した文乃は慌てふためいて訂正する。

 彼女が懐から取り出したスマホ。その画面には、魚の画像がデカデカと映し出されている。

 

 それが意味するものとは―――。

 

「お魚食べると頭が良くなるんだよっ!」

「あ……うん」

「そんな可哀そうな目で見るのはやめて! 私もわかってるの! どこかのキャンペーンソングに触発されてお魚を食べたところでポンポン点数が上がる訳じゃないってことは!」

 

 デリケートになってしまう受験生。志望校に合格するためには、どんな手を使ってでも良い点数を取れるようにと努力を重ねることだろう。

 勉強は勿論のこと、生活習慣も然りである。規則正しい生活。寝る前に復習して勉強したことが頭に定着するようにしつつ、夜更かしをしないように就寝。そして朝早く起きて一日の活力を得るために食事を摂る。

 

 食事は体の基本。仮に『これを食べれば体に良い!』という食品があれば、人は進んで食べようとするものであろう。

文乃もついついダイエット食品に手を出してしまいがちであるが、結果は期待するほど出なかったことは言わずもがな。

 

 だが、だからといって軽視してよいものでもない。単純な話、必要な栄養素を摂らなければ勉強のパフォーマンスも落ちてしまう……そのことを文乃は伝えたかったのである。

 

「お魚にはDHA(ドコサヘキサエン酸)って言うのが含まれてて、脳神経の発達とか機能の維持に役立つんだって」

 

 青魚に含まれている栄養素『DHA』。

 現代ではサプリメントとして売られてもいるが、料理として美味しく頂けるのであれば、お腹だけではなく心も満たされて勉強への英気を養えるだろう。

 

「う~ん、となると……」

 

 青魚で作る代表的な料理の一つ、それは。

 

「よしっ、今回はサバの味噌煮にしよっか」

「わかりました、師匠!」

 

 

 

 ***

 

 

 

 サバの味噌煮。それは魚料理の中でも定番と言える料理だろう。

 まろやかな味噌だれに包まれたサバの身が口の中でホロホロとほどけていく瞬間は、まさに至福の時と言える……かもしれない。

 何はともあれ、日本人として作れて損はしない一品である。

 

 今日も古橋宅のキッチンに集合した二人は、いざ料理に取り掛かろうとしていた。

 しかし、エプロン姿の文乃がやけに張り切っているのを見て、良太が違和感を覚える。

 

「なんかすごい気合い入ってるね、古橋さん」

「えっ!? そ、そうかな?」

 

 良太に指摘されて取り繕った笑顔を浮かべる文乃であったが、その表情に滲み出る不安と興奮までは隠せない。

 しばしジッと見つめれば、根負けした文乃がふぅと息を吐き、額に滲み出た汗を腕で拭いとる。

 

「だって、お魚を使うから、とうとう私も三枚おろしにチャレンジするんだと思うと……」

「え? しないよ」

「しないの!?」

「しないよ!?」

 

 魚の捌き方の一つである三枚おろし。それをしないと聞くや否や、楽しさ半分不安半分であった文乃の顔が驚愕一色に染まる。そんな文乃に対して、良太もまた彼女に対して驚く。

 

「私、てっきり三枚おろしするものかと……サバを丸々一匹捌くものかと……」

「流石にそれはハードルが高すぎるかな」

「動画でしっかり予習してたのに……」

「予習してたのっ!?」

 

 かなり落胆した様子を見せる文乃。彼女は、一人の女として料理ができることへの憧れは人並みに持ち合わせている。それで実際に料理が上手くなったのかと問われれば疑問が浮上するところであるが、現在までの料理へのモチベーションの高さを見れば、興味があること自体は間違いないと言えよう。

 

 その中でも文乃にとっての憧れの一つとして、魚を捌くことがあった。

 野菜や肉の塊とは違い、一匹の生物の姿としてまな板の上に置かれることが多い魚。生物丸々一匹を処理することは相応の知識を持っていなければならないことは当然のこと、ある程度手慣れていなければ、折角の身を無駄にしてしまうことにつながりかねない。

 鱗、骨、内臓―――それらを淡々と処理し、捌いていくテレビの中の料理人の手際は、子どもであった文乃に憧憬を抱かせるには十分であった。

 

 魚を捌ける=デキる女。

 

 そんな方程式が、文乃の中に勝手に築き上げられていたという訳である。

 しかし、良太が用意してきたものは切り身……おろす必要も内臓の処理の必要もない状態での登場であった。無念である。

 

「師匠……私に、私にまだ三枚おろしは早いということでしょうか!?」

「モチベーションが高いのは良い事なんだけれど、最初から高いハードルに挑んで挫折するのも、ね?」

「あうぅ」

 

 三枚おろしをしてみたかった文乃を、良太は必死に宥める。

 

「手間暇も大事だけれど、ほら、料理って大変だから……手間暇で躓いてつまらなくなったら本末転倒だしね。ほら、よく料理本でも紹介されてる手抜き料理! あれもすごく美味しいんだし、無理に手間暇かける必要はないよ!」

「それもそうだね! 佐藤くん、良いこと言う!」

 

 結果、なんとか言い包める(?)ことができた。

 人間、怠けられる部分は怠けたくなる生き物なのだ。

 どのようにしてひと手間加えて美味しくさせることを考える一方で、どれだけ手を抜けるかも考える。美味しい手抜き料理の本がある程度売れていることからもわかることだろう。

 

 だが、なんでもかんでも省いていいというものではない。

 今回はそれを踏まえたうえで料理を進めていくことになる。

 

「用意するものは、まずサバの切り身」

「……あれ? これ、中骨付きなの?」

「うん、そうだよ」

「骨はとらなくていいの?」

「骨をとらなくていい理由があるんだ。だから、ひとまずそのピンセットを置こうか」

 

 学校の生徒を骨抜きにしている文乃が骨を抜く気まんまんでピンセットを掲げている姿を前に、良太は凶器を握る犯人を目の前にした刑事の気分だ。

 確かにサバの切り身には骨付きとそうでないものの二種類がある。

 魚の骨とは、小さい子どもが魚を嫌いになる理由の一つ。食べ辛いこともさることながら、時には呑み込んでしまった小骨が喉に刺さり、病院沙汰になってしまった者も居ることであろう。

 

 しかし、今回あえて骨付きのものを買って来た理由には、骨があるからこそのメリットが挙げられる。

 

「骨付きの身を使うと骨から出汁が染み出たサバの味噌煮が作れるんだ」

「鯛のあら煮みたいに?」

「そうだね」

 

 骨とは料理に際して邪魔になる部分ではない。

 時には料理に一層の深みを出してくれるアクセントにもなってくれるという訳である。

 

 『まあ、あくまで食べやすさでの好みもあるけど』と付け加えた所で、良太は大きなボウルをドンと用意してみせた。

 

「それじゃあ、今から霜降りについて教えるね」

「霜……降り……?」

 

 魚なのに霜降り?

そう一瞬フリーズする文乃であったが、文系方面に頭脳が発達している彼女の脳内では、国語辞典が凄まじい速度で捲られ、『霜降り』という単語の意味についての検索が行われていた。

 

「脂肪が網の目みたいに筋肉の間に入ってる牛肉……」

「それは霜降り牛肉だね」

「霜が降りたみたいに白い斑点のある布……」

「それは霜降り小倉だね」

「80年代に流行ったダメージジーンズの一種……」

「それは霜降りジーンズだね」

「五葉松の近縁種……」

「それは霜降り松だね」

「11月……」

「それは……霜降り月だね、じゃなくて!」

 

 そろそろ霜降りがゲシュタルト崩壊してきた良太は、とめどない語彙で追いやってくる文乃を遮り、本当の意味を教授しに入る。

 

「僕がこれから古橋さんに教えたいのは『霜降り造り』のことだよ」

「霜降り造り?」

「料理番組とかで、魚の切り身とか鶏肉に熱湯をかけるのとか見た事ない?」

「あっ、あるかも!」

「それが霜降り造りさっ! 湯引きって言った方が聞き慣れてるかな」

 

 魚や肉には臭みがある。焼いたり揚げたりする調理法では、その過程で脂が焼け落ちたり、高温で熱せられることによって食指が進まなくなってしまう嫌~な風味が落ちてくれるのであるが、煮る料理ではそうはいかない。

 食材を水や出汁の中に入れる煮る料理では、その臭みなどが煮汁に移ってしまうのである。

 そこで行う下処理こそが霜降り造りだ。

 

 手順としては、霜降りしたい食材をボウルに入れた後、90℃程度の熱湯を注ぐ。熱湯を加えた後は菜箸を使うなりして全体を軽く混ぜ、食材の表面が全体的に白く染まった頃合いに水を差して冷ます。

 手が入れられるほどの熱さになったら、食材についているよごれや血、鱗を丁寧に取り除く。

 

 そうして綺麗に洗い流せれば霜降りは完了である。

 

「なるほど……こういうところには手間暇をかけなきゃ! だね」

「最低限行っておきたい作業が下処理みたいなものだしね。最初の内は大変だけど、こういうのも慣れていかなきゃおいしい料理は作れない……全国の料理を作るお父さんお母さんにはほとほと頭が下がる思いだよね」

「……うん、そうだね」

 

 ふと、霜降りを行う文乃の手がピタリと止まる。

 どこか寂しげな、それでいて懐かしむような色を瞳に滲ませた彼女であったが、隣で指南してくれている良太に気取られないようにと頭を振るい、すぐさま作業へと意識を戻そうとした。

 

 だが、脳裏に過る亡き母の思い出を振り払うことはできない。

 

(お母さんも毎日大変だったんだろうなぁ―――)

 

 

 

『文乃~!』

『なぁーに、おかあさん?』

『夕飯のことなんだけど、カレー作ろうとしたら失敗しちゃって黒焦げになっちゃったから、レトルトでもいい?』

『うんーっ!』

 

 

 

(……おや?)

 

 いや、もっと違う思い出があると振り返る。

 

 

 

『文乃~!』

『はぁーい! なにー?』

『うどん作ろうとしたらドロドロに液状化しちゃったの~! カップ麺でいいかしら?』

『うんーっ!』

 

 

 

(……おやおや?)

 

 違う、そうじゃない。今一度文乃は母との思い出を思い返そうとする。

 

 

 

『文乃~!』

『んー?』

『パイ焼いてたんだけど、円周率のこと考えてたらうっかり真っ黒こげになるまで焼いちゃっちゃった! これじゃ食べられないから、近くのスイーツ屋さんへ買いに出かけましょっ!』

『はぁーい!』

 

 

 

「―――大変のベクトルが違かってん!!」

「急な関西弁どうしたの!?」

「下処理も大変だけど、後片付けも大変だよねって話!」

「え? あ、うん! そ、そうだね!」

 

 くわっと険しい表情を浮かべた文乃。彼女が自身の料理下手が母譲りのものであったことを悟った瞬間だった。

 

 閑話休題。

 

 そうこうしている間にもサバの切り身の霜降りが終わり、次なる準備に移る。

 

「下煮用の煮汁を作ろう!」

「うん!」

「用意するのはみりん、しょうゆ、酒、水。これを混ぜたものを鍋に入れて中火にかけて、フツフツしてきたら……」

「サバ投入! だね!」

「その通りっ!」

 

 ここまで来たら文乃も慣れたものだ。手際よく下煮用の煮汁を作り、沸騰してきた頃合いを見計らってサバの切り身を投入する。

 注意点は、皮の方を下にすると皮がなべ底に張り付いてしまい、盛り付けの際サバの切り身が不格好な見た目になりかねないという点だ。味にそこまで違いが出るという訳でもないが、見栄えがいい方が視覚的にも楽しめる。料理とは舌だけではなく、目や鼻でも楽しむものであるため、ほんのちょっとした心がけで楽しめるポイントが増えるのであれば、その程度の労力は惜しまずとも良いだろう。

 

 そして、煮汁が少なくなってサバの切り身全体に火が通るまで、サバの味噌煮に必要なアレを作る作業へ移る。

 サバの味噌煮を作る上で不可欠であるのは―――そう、味噌だ。味噌なくサバを煮れば、それはただの水煮でしかない。『出汁で煮たらどうなるのか?』という質問はご法度である。

 

「味噌にも色々あるけれど、今回は無難に米味噌オンリーで味噌だれを作ろっか」

「合わせ味噌とかでも大丈夫なのかな?」

「うん。自分の好みで白味噌と赤味噌を混ぜてみると、コクが出ていいかもしれないね」

 

 そう言って良太が取り出す味噌だれに必要な材料は、味噌の他に、砂糖、みりん、水である。

 てっとり早く全てを合わせるようにかき混ぜれば、味噌の芳醇な香りが鍋で煮立つ煮汁の湯気と共に鼻腔を擽ってきた。

 

「はぁ、良い香り……!」

「ちょうどサバにも火が通ってきた頃だね……」

「それじゃあ!」

「ドーンと回してかけちゃって!」

 

 言われるがまま、文乃は味噌だれの入った器を手に取り、サバの切り身が煮込まれている鍋の目の前に立つ。

 すでに下煮用の煮汁で良い香りが漂う鍋の中であるが、ここへ味噌だれを投入することで、古橋宅のキッチンはより彩りに満ちた香りに包まれることになるだろう。

 口の端から涎が零れ落ちそうになることを我慢し、ごくりと生唾を呑み込む文乃。

 呼吸を整え、その度に鼻を突き抜ける香りに蕩けているような顔を浮かべそうになるが、なんとか気を保ち、いざ投入の儀へ取り掛かる。

 

「セイッ!」

 

 ややとろみの付いた茶色の液体が鍋の中へ回し入れられる。

 折角の銀色に輝くサバの皮が隠れてしまうが、何故だろうか。この味噌だれに覆われている身の方が、何もかけられていない状態よりも一層輝いているように文乃の目には見えた。

 

 ここからは最早流れるがままだ。

 火力を強火へと上げ、残った煮汁と味噌だれが混ざった汁をサバにかけながら煮る。そして、再び煮汁が煮立った時こそが完成の瞬間だ。

 換気扇で逃しきれない味噌だれの香りがキッチンに充満し、それを嗅ぎ取った文乃の腹の虫が暴れまわっている。

 

「はぁ~~~……♪」

「これを皿に盛りつけてっと。今回は白髪ねぎを細かく刻んだものを添えるよ。青ねぎでも香りにアクセントが付いて美味しくなると思うから、色々試してみてね」

「うん!」

 

 皿に移されたサバの味噌煮。その上で湯気に揺れるほど細やかに刻まれた白髪ねぎの存在感は抜群である。

 この間にも炊き立ての白飯は用意されている。

 出来立てのサバの味噌煮と炊き立ての白飯。合わないことがあろうか? いや、ない。

 箸を突き立てれば程よく一口大にほぐれる身を頬張り、即座に白く艶立つご飯を口に頬張る。

 サバの脂の甘み、そしてその脂が滲み出たことで完成している味噌だれとの親和性はこの上ないほどマッチングしていると言えるだろう。脂の甘みと、味噌の塩っ気、そして両方が合わさることによって生まれる芳醇なコクが、口の中で米粒に絡み合い―――。

 

「っ……QED……!」

「なにかを証明終了しちゃった!?」

「サバの味噌煮がご飯に合わないことなんてないんだってしみじみ思ったよぅ……」

 

 そう言い、パクパクとサバの味噌煮とご飯を交互に口を運ぶ文乃は、せわしなく口を動かすこと数分、あっという間に完食してしまう。

 美味しく頂ける青魚料理の一つ、サバの味噌煮。今回もまた一つ、文乃は賢くなったのであった。

 

 

 

 

 

「あ、でもサバの味噌煮って割とカロリーが高いから、食べ過ぎには注意だよ」

「うっ!?」

 

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