「星……綺麗」
深窓―――とまではいかないが、それに似た様相を醸し出す文乃は窓から夜空を見上げていた。
天気もよく燦然と輝いている星がよく見える。
文乃が理系の大学に通いたい理由だ。
いつか母と約束した星を見つけるために天文学を学ぶ。だが、それも最初から誰にでも認められた道ではない。
父の反対もあり、ろくに進路のことも話し合えない日々がどれほど続いたであろうか。
しかし、その日々ももう終わりだ。
「……よしっ」
彼女に一つの契機が訪れた。
一人の男子が親身になってくれたおかげでようやく叶った父との和解。10年もかかってしまったが、その分見上げる星は今まで以上に澄んだ光を放っているように、文乃の目には見えた。
一つの決意を胸に抱いた文乃が考えるのはサプライズ。
それは―――。
***
「たまにはお父さんに料理を作ってみたいっていう要望だったね」
「うんっ!」
大分事情を端折られはしたものの、とりあえず父に料理を作りたいという申し出をしてきた文乃の頼みを受けた良太は、『父親想いだなぁ~』と感心しつつエプロンの緒を締める。
「それじゃあ、今日は『なんか星っぽいのをあしらった料理』っていう古橋さんのアバウトなリクエストを受けて……」
「ありがとう!」
「七夕ゼリーを作りたいと思います!」
「いよっ、待ってました!」
※ちなみに今の季節は秋である。
だがしかし、七夕でなくとも『星ゼリー』と押し通せる一品でもあるため、細かいことは気にしたら負けだ。
「それじゃあ、用意するものはこれ! まずゼリーに欠かせないのはゼラチンパウダー!」
「う~ん、前のは寒天ゼリーだったけど、寒天粉じゃあダメなの?」
「そう言うと思って……用意してあります」
「わぁ!」
「基本的に料理する上で留意したい寒天とゼラチンの違いは固まる温度だね。だから、冷たい料理では代用できるよ。あと、食感も違うよ。寒天はしっかりした口当たりが特徴なんだけれど、ゼラチンはとろんとした食感がするんだ」
「へーっ!」
植物由来の寒天と動物由来のゼラチンでは、やはり違いは出てくるものだ。
カロリーにそこまで差異がある訳ではないが、含まれている成分こそが寒天とゼラチンを使いわける境目となろう。
「寒天には食物繊維が豊富だからダイエット向き。ゼラチンの元はコラーゲンだから、食べるとお肌がぷるぷるになるかもね」
「うん、いいねいいねっ!」
どちらも女子には捨てがたい効能を発揮する栄養素を有している。
ダイエットに適した寒天、そしてお肌がぷるぷるになるゼラチン。両方が兼ね備えられたデザートとは、まさに至高の一品になるのではないかという期待で、文乃はドキドキしている。
「その他の材料はヨーグルト、牛乳、砂糖、かき氷シロップのブルーハワイ、ドライマンゴー、アラザンだよっ」
アラザン―――それは砂糖とデンプンを混ぜ合わせた後に粒子状に加工し、食用銀粉もしくは銀箔で覆った製菓材料のことである。
分かりやすく言えば、チョコレートなどのデザートなどの上にトッピングされている銀色の粒粒だ。そこまで仕上がりの味にかかわる存在ではないものの、見た目の星っぽさを出すためにはちょうどよいであろう。
「それじゃあ始めよっか!」
「はぁーい!」
「まずはヨーグルトを滑らかになるまで混ぜよう!」
ヨーグルトは何の具も入っていないプレーンのものを使うのがベストだ。
おおよそ滑らかになってきたのであれば、次なる工程に移る。
「80℃くらいに温めた牛乳に砂糖とゼラチンパウダーを振り入れて、それからさっきのヨーグルトにこれをこしながら容器に入れるっ!」
「できたよ、佐藤くん!」
「じゃあ、冷蔵庫に入れて固まるまで冷やそう」
「了解!」
分量さえ量って用意していれば、作業自体はとても簡単なものである。
ここまで数度の料理を経てきた文乃にとってはお茶の子さいさい―――ではなく、うっかり牛乳を凄まじいほどまでに沸騰させかけてしまったが、良太のフォローも入ることで鍋が悲惨なことになることだけは避けられた。
だが、ここまで来れば後はもう簡単な工程と言っても過言ではない。
耐熱容器にかき氷シロップ(ブルーハワイ味)と水を投入し、沸騰するまで電子レンジで温める。
その温めたシロップに寒天ゼリーを投入し、これまたよくかき混ぜた後は、先ほどのヨーグルトと牛乳の土台部分同様冷蔵庫に入れて固まるまで待つ。
「あとは……待とっか!」
「たまにはゆっくり待つのもいいね~!」
「それじゃあ……」
ヌッと背負ってきた鞄から取り出した物体。それは参考書やノートなどといった受験生には必須の勉強道具である。
同様に文乃もそれを見計らい、近くの部屋に用意していた勉強道具一式を抱えて来た。
「待ち時間は受験生らしく勉強しよう」
「……だねっ!」
間をおいて頷く文乃。
薄々彼らは気付いていた。そろそろ……否、既に本格的な受験シーズンに入っているのだから、本来であるならば悠長に料理を教え、教えられているべきではないと!
だが、勉強三昧では精神衛生的に悪い。こうした時々の心にとってもお腹にとっても安らぐひと時が、肩の力を抜くいい機会になっていた。
しかし、潮時は近づいてきているだろう。
一抹の寂しさを覚えつつ、特に良太は志望校の赤本の問題を解き進める―――が、文乃が解いている問題集に違和感を覚え、つい口に出してしまった。
「あれ? 古橋さん、理系の大学志望してるの?」
「え? あ、うん! そうだよ」
「古橋さんって文系の科目得意って聞くから、てっきり文系の大学に進学すると勝手に思ってたんだけど……」
「そう見えちゃうかな?」
たははっ、と苦笑する文乃は『確かに客観的に見たら……』と自分の成績や今まで指導してくれてきた教師の言葉を思い出す。
どうひっくり返しても。それこそ天地がひっくり返ってもとても理系の大学には進めぬほどの壊滅的な数学科目の成績しか取れていなかった文乃であった。
「でも、私が行きたいって決めたから」
しかし、それも徐々に変わってきている。
数か月前に教育係についてくれた成行。彼が本気で自分の志望について考え、向き合って勉強を教えてくれるようになってから変わり始めたのだ。
「それを応援してくれる人もできたから、今も頑張れてるんだ」
「……」
「……はっ! なんか変なこと言っちゃったね、ごめん!」
やや上気した頬に気が付いた文乃が、何とも言えぬ空気に気が付き、わちゃわちゃと腕を振って空気を変えようとする。
しかし、一瞬でも女の顔を見せた文乃に男の存在を感じ取った良太は、一体どういう反応をすればいいのかわからず“無”を選んだ。
張り付いてしまった悲しい笑顔を浮かべたまま、取り繕うとする文乃を見つめる。
そのような居た堪れない空気を打開せんと、文乃はハッと妙案を思い浮かべたかのように面を上げた。
「そうだ! 私の数学力を試すために、なにか数学の問題出してみて!」
「え? いや、急に言われても……あっ、一つあるかも」
「ようし! ドーンと来ちゃって! すらすらと解いてみせるから!」
「じゃあ、僕が特に印象に残ってる問題なんだけど―――」
(無い)胸を張る文乃を前に、良太は屈託のない笑みを浮かべて言い放つ。
「π>3.05を証明しろっていう問題なんだけど……」
(んんん~ふっふっふ~……っ!?)
―――東○大学入試問題が一つ。
この後、ゼリーが固まるまでの時間をフル活用し、文乃がなんとか解いたというのはまた別の話だ。
***
「トーブン……トーブン……アタマ、パンク」
「ノートが真っ黒になるくらい書きなぐって頑張ってたもんね」
良太が提示した(促したのは文乃であるが)問題で急速にエネルギーを消費した文乃は、現在進行形で早急なる糖分補給を求めていた。
しかし、おあつらえ向きに今回の料理は甘いデザートである。
そして、それはすでに完成直前。
「うん、いい感じに青く固まってるね」
「わぁ~、きれい!」
「青色にしたかったからブルーハワイにしたけど、他の色にしたかったらかき氷シロップのいちごとかメロンとかも使っていいかも!」
周知の事実かもしれないが、かき氷シロップは香料が違うだけであり、味自体に違いはない。つまり、ブルーハワイ味をいちご味やメロン味に変えたところで、味的に失敗する可能性は低いと言える。
色とりどりなゼリーを作りたいのであれば、シロップの味を変え、色を変えるのもよいだろう。
それは兎も角、夜空をイメージしてのセレクトされた青色に染まる寒天ゼリーに対し、良太が文乃に手渡したのは一本のスプーン。
「それじゃあ古橋さん。いい感じにグチャってやって!」
「ここに来て急にアバウト!?」
これまで懇切丁寧に教えてくれていた良太による突然な雑な説明に困惑する文乃であったが、言われるがままスプーンで寒天ゼリーを混ぜるように崩していく。
折角のゼリーを崩すのは気が引ける作業である。
しかし、程よく崩れて光を反射する寒天ゼリーと仄かに漂ってくる甘い香りは、文乃の腹の虫を刺激するに十分であった。
「あぁ、このままでも……」
「そこはグッと堪えてもらって……そのゼリーを、こっちの容器に盛り付けよう」
並べられる容器。
その中には固まったヨーグルトと牛乳が混ざったゼリーがある。砂糖も入っているため、ヨーグルトの酸味を牛乳が中和し、ちょうどよい甘みが出るであろうゼリーの上に、文乃は青い崩れたゼリーを盛り付けていく。
「おぉ……なんか様になってきたね」
「じゃあ、後は星型にくり抜いたドライマンゴーとアラザンをトッピングしよう!」
最後の工程、それは七夕ゼリー(もしくは星ゼリー)の見た目で最も重要であり星型のドライマンゴーのトッピングだ。
あからさまなドライマンゴーは勿論のこと、その周りでチカチカと慎ましやかに光を反射するアラザンがこれまた星空を連想させる。
「今回はドライマンゴーを使ったけれど、この辺りは好みだからりんごとかキウイフルーツとかでも全然オッケーだよ」
「うんっ!」
百円ショップに行けば大抵売っているであろう星型にくり抜く調理器具。あれさえあれば、面倒な手間をかけずとも色々なフルーツを星型にくり抜くことができる。
何はともあれ、これで大方完成だ。
夏ならば涼しさも感じさせてくれる青と白のコントラスト。
そうでなくとも、勉強で消費したエネルギーを補給できつつ火照りを冷ませる甘く美味しい一品である。
(これを……)
少し多めに作った七夕ゼリーを前に達成感を覚える文乃。
既に脳は限界を迎え、早急な糖分補給を訴えているが、文乃は頭を振ってとめどなく湧き上がってくる食欲を抑える。
そう、これは―――。
***
「……」
静かに玄関の扉が開かれた。
現れたのは一人の男性。落ち着いた雰囲気を漂わせる男性、彼こそが文乃の父である古橋零侍だ。大学に教授として勤めており、家に帰るのは時々といった具合である。
その所為もあってか、娘である文乃との交流も少なく、和解にも時間がかかってしまった―――否、意識的に家を避けていたからこそ妥当な結果であった。
しかし、最近になってようやく娘との和解が叶い、なんとか時間を作っては帰宅して家族の時間をとるよう心掛けている。
それでも10年以上ろくなスキンシップをとっていなかったツケは大きく、現にただいまさえも口に出せなかった。夜中に帰って来たこともあり、もし文乃が寝ていたのであれば起こしてしまうかもしれない。そんな懸念があったから―――という言い訳を自分に言い聞かせ、一つため息を吐いてから靴を脱ぐ。
「お父さん、おかえり」
「っ!」
だが、そんな零侍の前に文乃が二つのカップを持って現れたではないか。
「あ、あぁ……ただいま」
「お疲れ様。仕事大変だったでしょ? だから、ね」
ぎこちないながらも笑顔を浮かべてみせた文乃は、リビングを視線で指し示して続ける。
「友達と一緒に作ったゼリーがあるんだけど、一緒に食べない?」
娘に誘われるがままリビングへと向かい、目の前のテーブルにゼリーを差し出される零侍。これまで干渉することがほとんどなかった為、娘の料理の腕がどれほどのものかまでは把握していないものの、見た目だけであればよい出来であると一人感嘆していた。
「これをお前が……」
「うん、友達とね」
「そう……か」
「ほら! 冷める……ことはないけど、ご賞味あれ!」
これまでの時間を取り戻さんと明るく振舞う文乃に促され、零侍はスプーンでゼリーを掬い、口に運んだ。
最初に感じたのはヨーグルトの酸味と香り。だが、そこまで酸味はきつい訳ではない。白いゼリーの部分の甘さと、青いゼリーの部分のブルーハワイの香りが漂う涼やかな甘みが合わさり、なおかつ上に乗っていた星型のドライマンゴーが疲れた体に染みわたる甘さを溢れさせていく。
「どう、かな?」
不安そうに自分を見つけてくる文乃。
そんな娘に対し、零侍の口から出た言葉は―――。
「……うまい」
「!」
「だが、少々私には甘すぎるな」
「え」
「コーヒーと合わせなければ、な……」
「えぇ~~~!? 一生懸命作ったのにそのリアクション!?」
悲しい中年の味覚は、娘の淡い期待を砕き散らした。
隣でプンプン怒る娘の様子に、ようやく『しまった』と感じた零侍であったが、時既に遅し。
またヘマをやらかしてしまったと反省する零侍であったが、
「だったら、次はもっとおいしいの作るからっ! もうっ!」
「―――ああ、楽しみにしてるよ」
ふくれっ面で再戦を決意する娘に、父は甘すぎる甘味に口元をぎこちなく歪ませるのであった。