あのとき娘が発した唸り声を気にしていれば、
あのときすでに、あの子は
妻を愛しきれなかった男と、父を憎んでやまない娘。そんなふたり暮らしに2LDKは狭すぎる。娘が高校に上がってからは、ますます身動きとれなくなってきた。否が応でも重なり合う生活圏が、監獄めいた息苦しさを醸成し続けていたのだ。しかし今や、このちっぽけなマンションの一室が、銀河系よりなお広く、
「なおして」
と囁く娘の後頭部で、8つめの目玉がギョロと回転し、壁紙の継ぎ目に向けられた。娘が立ち上がる。肩の甲殻が一枚剥がれて床に落ち、剥き出しになった白い筋肉の裂け目から、濁った膿が吹き出す。
勢いよく飛んだ膿の飛沫が、少し私の頬に散った。
その間、私は、じっとソファに体を埋めていた。静かなリビングの隅で、ただぼんやりと、娘が「なおして」「なおして」と繰り返すのを眺めていたのだ。他に何ができたというのだ。いまさら何をしてやれたというのだ。
娘は化物になってしまった。
あの日、仕事から戻った私は、リビングで呻きながらのたうっている娘を直視してしまい、声にならない引きつった叫び声を上げた。その時の娘の姿が今でも目に焼き付いている。当時はまだ、黒ずんだ甲殻も全身を覆い尽くすには至らず、少なくとも左半身と顎から上の素顔は見ることができたし、目玉もたったの4つしかなかった。甲殻の発達に伴って内側から引き裂かれた衣服が肩口にぶら下がっており、その隙間からこぼれかけた片方の乳房に、私はぞっとするような美しさを認めて、一瞬、見惚れた。
しかしすぐに、肌のあちこちにグジャグジャに裂けた深い傷があることに気付き、私は父親として、大人の人間としての分別を取り戻した。救急車を要請した。私の説明に救急隊員も困惑したことだろう――“娘の身体にカニの殻がついてしまった。頭から目玉がふたつ余計に生えている!” ことによると、私のほうを収容する準備さえしていたかもしれない。
だが彼らも知ったはずだ、娘の姿を目撃して。私がただ、ありのままの事実を語ったに過ぎないということを。
担当した医師は、ひとまず傷を縫い、薬を塗ってくれたものの、甲殻と目玉については、ただ難しい顔をして口をつぐむばかりだった。医師は誠実だった。レントゲン撮影、CTスキャン、血液検査、その他もろもろの調査を行って――今の娘に大人しく検査を受けさせるのは容易なことではなかった――徹夜で分析した挙げ句、苦悶の表情で、こう報告してくれた。
「どこも異常ありません。お子さんは紛れもなく健康体です――」
「何言ってるんですか!」
私は医師に噛み付いた。私は寝不足と疲労と不安のために攻撃的になっていた。とどのつまり、私は娘を心配するというよりも、自分の身に降り掛かった唐突な異変のために、芯から
「何もないわけないでしょう」
「私も信じられません。ですが全ての数値は健康で平均的な女子高校生のそれを示しています。WBCが――というのは白血球のことです――少し高いですが、これは軽い感染症のせいでしょう」
「これがただの風邪だっていうんですか」
背後で音がした。診察台に座っていた娘が、手に持っていた幼児向けの絵本――病院の待合席の本棚から無造作に引っ張り出してきたものだ――を取り落としたのだ。そばにいた看護師が拾い上げてくれたが、娘はもうすっかり本から興味をなくしていて、今度は看護師の服のボタンを食い入るように見つめ始めていた。
その目。どこを見ているのかまるで分からない、魚介類めいた目に、私は耐え難い嫌悪感を覚える。非人間的な黒さと深さが、私を責め続けているように思える。そんな目が、17年あまり慣れ親しんだ、母親似の整った顔に、2つも余分に貼り付いているのだ。ああ、たった今、左の眉の上に5つめの眼球が開眼しはじめた――!
「落ち着いて聞いてください」
医師があくまでも冷静に呼びかけてくる。私は現実に引き戻された。
「彼女の甲殻や眼球が形成された原理は不明です。ただひとつだけ言えるのは、あれらの器官は、身体の表面が
長期戦になります。入院をおすすめします。私に調べる時間をください。いかがです?」
「長期間というと……」
「半年か、1年か……全く予想が付きませんが」
私はうなだれた。
医師がすっかり焦れて返事を促したあとで、私はようやく顔を持ち上げることに成功した。
「無理です。お金がないんです」
こうして、私と娘はふたりきりになった。
いや――私ひとりきりで放り出されたのだ。いつ終わるとも知れない戦いの中に。
まず娘の高校に連絡して、当面のあいだ病欠が続くことを伝えた。電話口の担任教師は、センター試験対策がどうの、夏の補習がどうのと
電話の最中も、娘はテレビのリモコンを分解するという、神から授けられた高尚な使命に勤しんでいた。進学について考える暇はなさそうだ。
大学。私は娘に大学に行ってほしかった。何か研究の職に就いてほしかった。私自身は子供の頃から“学者さん”に憧れて、大学まで行ったけれど、そこで挫折してしまった人間だから。娘にはその先に辿り着いてほしかった。そのための教育もしてきたし、教育にかける金を惜しむこともしなかった。才能だってあったはずだ。娘が全国模試で県内2位を取ったというのが私の自慢だったのだ。それがみな、無駄になるのだろうか。10年かけて積み重ねてきたことが。
電話を切ってから私は娘のために食事を作り、仕事に出た。娘のことは心配だったが、家の中のものをいじり回すことはあっても外を徘徊することはないから、身に危険はあるまい。腹が減っても机の上の食事を食い散らかすことくらいは自分でできる。なにより、私が働かなければ娘だって飢えて死ぬのだ。
夜、仕事を終えて、へとへとになって家に帰ると、家の中は膿と残飯で泥沼のようになっていた。私は無言でそれを片付けた。娘はテーブルを上下ひっくり返し、パイプ製の脚を丹念に撫で回すことに没頭していた。
「なおして」
娘がかすれた声でいう。私がテーブルを元に戻してやると、今度はその下に潜り込んで天板を擦りだした。
頭痛がする。片付けを終えると、医師から処方された
娘は夜通し歌っていた。低く小さな声で、なにかひどく物悲しいメロディを。
頭痛が頭の芯で大暴れしているのが分かったが、ロキソニンがそれを
翌日も似たようなものだった。
その翌日も。
更に次の日も。
そうして一体何ヶ月か過ぎただろうか? 半年。1年。はじめに告げられた期間が過ぎても医師の調査の経過は芳しくなく、要するに、何ひとつ事態に進展はなかった。その間、私は毎日食事を作った。会社に行った。そして帰って、娘を見た。それだけだ。
頭痛がひどい。ロキソニンが手放せない。最近は、会社から帰宅しようと思うだけで、頭の中で鐘を滅多打ちにするような痛みが響くようになった。同僚や上司が腫れ物に触れるように私をいたわった。だが私には愛想笑いを返す余裕もなくなっていた。
いつしか、私は家の掃除を諦め、ゴミや膿をそのままにして寝るようになっていた。徐々に悪臭がし始めたが、気にしなければそれまでだ。仕事をひとつ減らすことで、頭痛は確実に弱まってくれた。
ロキソニンが切れ、私は病院に行った。娘は連れて行かなかった。娘の殻には鋭い棘が生え始め、触れるだけで怪我をするようになっていたからだ。医者に責められた。私は何も言わない。
翌日、娘は食事を食べなかった。深夜に帰宅した私は、腐敗を始めた料理を見て、無言で三角コーナーにぶち込んだ。
あくる日も娘の断食は続いた。水も飲まない。
3日目になって、私はようやく漠とした不安感と向き合うことに成功し、娘に何か食べさせようとした。口元まで食事を運んだ。娘は13個の目を一斉にこちらへ向け、サンドイッチを腕で薙ぎ払った。パンが潰れ、ハムが壁にへばり付いた。私の手の甲に棘が3本突き立ち、私は悲鳴を上げた。血が小川のように流れ出した。娘は呻いた。その声は弱々しく、死にかけているのが私にも読み取れた。
「なおして」
娘は泣いていた。
身体の8割がたと顔の右半分を棘だらけの甲殻に覆われ、その棘が自身の残り僅かな素肌に突き刺さり、傷になり、膿が湧き、腐臭のする膿に体中まみれて、増え続ける目玉のために頭部が倍近くに膨れ上がって――それでもなお、かつてと変わらない愛らしさを保つ左半分の少女の素顔から、ぼろり、ぼろり、涙をこぼし、こぼしながら濡れ、濡れながら震え、天に向かって詠うがごとくに訴えるのだ。
「なおして……なおして……」
私は――
私は吠えた。
そして立ち上がった。娘がビクリと小さく震え、全ての目を動員して私を見ている。私は今、どんな顔をしているのだろう? 娘はああして目を見開いて硬直しながら、私の表情の中に、一体何を見ているのだろう? 私は今――
私は娘の手を引っ張り上げて、むりやりに立たせた。手のひらが棘に貫かれるのさえ構わずに。
車に娘を乗せ、エンジンをかけながら、私は頭の中で、ある一言を繰り返し繰り返し念じ続けていた。この決意を忘れないように。心がくじけないように。実行に移し成し遂げるだけの、勇気が湧いてくるように――
ひとつだけあった。そうだ。ひとつだけ残っている。私が娘にしてやれることが、たったひとつだけ。
――
車が走り出した。走りは力強く、もう二度と止まらないかに思われた。
(つづく)
次回、「2.閂」は、本日9/22(土)18:04に公開します。
以後、30分ごとに全6回を公開し、20:04に完結の予定です。