魔法少女リリカルなのはStS -Ende der Rache, schlaf mit umarmender Liebe- 作:フォールティア
「赫海に動きは!?」
「ありません!座標も同様に動きありません!」
慌ただしく指示連絡が飛び交うブリーフィングルーム内で、はやてはリィンに指示を投げつつ、上がってきた情報を整理していた。
数時間前にクレンが失踪。その様子を発見した整備班員曰く、「熱に魘されているようだった」「足りないと呟いていた」「止めようとしたら魔法で飛んで行ってしまった」と言う。
そしてほんの十分前、彼のデバイスであるヴィーザルから座標信号が送られてきた。
よりにもよって赫海のど真ん中である。
結果としてラボも情報を受け取ったパラディオンも、水を打ったように動き出した。
ただの脱走にしては無謀を通り越して自殺行為である以上、何かしらの理由、事態があるはずだと、はやては考えた。
(赫海は生命を溶かす、文字通り死の海。先遣隊があんなことになった以上、当然人間には入ることが出来ない。聖遺物使いだから入れたんか……?)
これまでの資料やクレンのバイタルデータなどを次々と捲りながら考える。
(それに、わざわざ入って行った理由や。私らが確認している、ウリディンム達くらいならワケなく倒せるはず。そうじゃないなら……)
姉妹達、と書かれた資料を見つけ、読み込む。
(王様達が接敵した時点で、最大火力で掠り傷程度。こちらは撤退を余儀なくされるダメージ……それにあの数や、いくらクレンでもあの状態じゃ……つまり、クレンは脱走してから姉妹達に捕捉、連れていかれた可能性が高い、か?)
確たる証拠こそないが、最もこれが近いだろうとはやては決めた。
同時に、ヴィーザルの座標が未だ動いて居ないことに疑問を覚えた。
「送ってきたのはヴィーザルの座標だけ……シャーリー、クレンの座標は?」
「未だ反応ありません」
「ふむ……」
考える。
この場合、クレンは一体どうなっているのか。
死んだ、というのは考えにくい。
仮に向こうが殺したにしても、あまりにも動きが無さすぎる。
こちらにとっての最大戦力だ。殺したのならさっさとこのラボを潰しに来るだろう。
そうなって居ない以上、クレンは生きている。
なら彼は今、"何をしているのか"?
「……ぁ」
はた、と思い出す。
整備班員の証言の一つを。
「足りないと呟いていた」
そこからはやてが想起したのは、エルトリアに到着する直前の、クレンとの会話だ。
『コレデハカテナイ。マダタリナイ。『アレ』ニハトドカナイ』
『奪え』
そんなことを言われたと、彼は言っていた。
あれが本当に、聖遺物の言葉だとしたら。
赫海の性質が生命を溶かして、『保存』できたのなら。
「クレン……まさか」
「総隊長?」
「…………赫海から、"奪う"気なんか……?」
投降してから約二時間。
あの森から連れられてきたのは赫海の上空だった。
陸を埋め尽くすような赤黒い粘液が何か腐ったような臭いを放ち、大気は薄紫に汚れている。
そして、無音だった。
「こちらです」
「……何も無いだろ」
俺を囲うように立つラーム・ラハムの一人の言葉に、そう返す。
見渡す限りの赤赤赤。拠点らしきものなど見当たらない。
と、不意に赫海が動きだした。
「なんだ、これ」
渦も潮流も無く、がぱり、とまるで巨大な口を開くように、俺達の足下で赫海に穴が空いた。
奈落、と形容するに相応しい、真っ暗な闇がそこにはあった。
困惑する俺をそのまま引き連れてラーム・ラハム達はその中へと入っていく。
おおよそ地下50mくらい下ったところで、開いていた赫海の口が閉じ、真っ暗闇に……ならなかった。
気味の悪い赤い光が全体を照らしている。光源もなにもないのに、だ。
それに赫海がこちらを埋めるようなことも無かった。むしろこちらを避けるように空間が出来ていた。
通路があるわけでもないのに迷わず進む連中の後を付いていきながら、俺は小さく唸った。
「……うるせぇ」
この中に入ってからと言うもの、衝動を促すような声とは別の、囁き声のようなものが四方八方から聞こえている。
「どうかしましたか」
耳も塞げずに顔をしかめていると隣に居たヤツが無表情に問い掛けてきた。
「ここは、いつもこんなうるせぇのか」
「うるさい、ですか」
少しの沈黙のあと、ソイツは答えた。
「……今、私たち以外に物音を発するものは居ません」
「…………そうか」
俺には聞こえて、コイツらには聞こえないのか。
じゃあ何なんだ、この声は。俺に何を望んでいるのか。
疑問に思いながらも俺は赫海の奥へと進んでいく。
囁き声は、止むことは無かった。
「たすけて」「ここからだして」「こわい」「ころして」「しなせて」「かえして」「いたい」「やめて」「かえりたい」「しにたい」「きえたい」「いきたい」「おねがい」「たすけ───
「ようこそ、クレン・フォールティア」
赤黒い空間の最奥、さながら神殿のような場所にマクスウェルは居た。
血と肉と鉄が混ざりあったような、歪で腐った玉座の間で、さながら王のように座していた。
「僕の"家"に」
「……ハ、家にしちゃ随分悪趣味だな。スプラッタが好みかよ」
漸く再生を始めた身体の痛みに耐えながら軽口を叩く。
口許に滑り落ちた脂汗を舐め取る。
その行動だけがこの空間において唯一の人間らしい行動のように思えた。
強まる衝動をそれで押さえ込んだつもりになりながら、俺は口を開いた。
「……で、なんでわざわざ俺をここまで連れてきた。今のアンタらなら簡単に殺せるだろ」
無駄話は不要、と。さっさと本題に入った俺の問いに、マクスウェルは首を横に振った。
「確かに。君を今すぐ殺すのは可能だ。容易く出来るだろう……だが、それじゃダメなんだ」
「何……?」
「タイミング、というモノさ。今の"位階"の君を殺し、取り込んだ所で、大した力にはなり得ない。それでは僕の──僕たちの目的には届かないんだ」
僕"たち"……となるとやはり、あのスカリエッティと協力しているのは確かなのだろう。
だが、なんだこの違和感は。それだけじゃないと勘のようなものが告げている。
俺の疑問を余所に、なおもマクスウェルは語る。
「だから君にはせめてもう一つ、位階を上げて貰わないと。その様子だと、まだ上がるに至っては居ないようだけどね」
「…………」
そう言って至極残念だと肩を竦め、苦笑する。
対する俺はもう余裕がない。
衝動と囁き声が強くなってきている。
『奪え』「たすけて」『殺せ』「いたい」『奪え』「しなせて」──
「ハ、ぁ……」
汗が止まらない。
乱れた呼吸が収まらない。
渇きが止まらない。
熱さが増していく。
抑えろ、と銀鎖に左手を噛ませて痛みで誤魔化す。
余裕ぶったマクスウェルを睨みながら俺は改めて問う。
「それで?俺を連れてきた意味は何なんだよ」
「君にまだ死なれちゃ困るんだ。だからまあ……餌でも上げよう、とね」
「ハ」
なんだ、それは。
「まあ僕の家族から奪えるのなら奪って見せて欲しい。出来なければ君は"失敗"だったというだけさ」
ラーム・ラハム達がいつの間にか手にしていた銃剣を俺に突きつける。
銀鎖が牙を離す。
視界が明滅する。
思考がストロボのように乱れていく。
身体の熱が、声が遠ざかる。
意識が切れる、その間際。
「────どうなっても、知らねぇぞ」
意味のない忠告を、吐き捨てた。
ぐしゃり、と何かが潰れる音がした。
それが愛娘の身体が半ば消えたものだと理解したのは、眼前の黒い影が揺らいでからだった。
「───」
ラーム・ラハム達が一瞬遅れで銃剣の引き金を一斉に引く。
普通の人間なら持つことすら不可能な大口径のそれが、嵐のように撃ち出される。
肉片すら残さないと言わんばかりの正確な射撃。だと言うのに。
ぐしゃり、とまた一人。今度は身体の右半分が潰された。
「────」
この時点でマクスウェルはこの事態がおかしいと考えた。
ラーム・ラハム達の火力は十分だ。それは彼を回収した戦闘において立証されている。
安全マージンはあった。あった筈なのに。
ぐしゃり、ぐしゃり、ぐしゃり、ぐしゃり
消えていく。削られていく。
求められたプロセスをなぞる機械のような正確さで愛娘たちが『処理』されていく。
それを眺めていると
「お父様」
近くに控えていた愛娘の一人が振り返る。
「お退き下さい。彼は今の我々ではおさ」
ぐしゃり
その頭が、弾けた。
制御を失った身体が祈るように膝を付き、崩れる。
仕事を終えた銀鎖の、蛇を模したチェーンヘッドが不快な音を立てながら持ち主の元へと返っていく。
たまらず、声が漏れる。
「ハ──」
それは次第に笑い声に変化した。
「ハハハ──これが」
視界の先。血に塗れながら無言で立つ彼を見て、マクスウェルは確信する。
ああ、彼は。彼こそが。この"世界"で唯一の。
「本物か──!!」
ぐしゃり