魔法少女リリカルなのはStS -Ende der Rache, schlaf mit umarmender Liebe- 作:フォールティア
幼少の頃、自分は幸せだったと思う。
平凡な家庭に生まれ、穏やかに育ち、陽だまりのような愛情を受けていた。
両親の笑顔、抱擁の温かさ。
不安なんてない。これから先もずっと、こんな日々が続くのだと、そう信じていた。
けれど、そうはならなかった。
自分は偽物だと、本物の居場所に居座った、偽物だと教えられた。
記憶も過去も、本物から写されただけの、偽物。
両親はそれを……否定しなかった。
罪悪感に押し潰されそうな顔で、連れて行かれる自分へと手を伸ばしていた二人の顔は、今でも脳裏に焼きついている。
自分には特別な力があると、連れて行かれた先で色々な事をされた。
薬を打たれたり、電極を刺されたり……ああ、"そういう"事もされた。
だから嫌いになった。全部が。
消えてしまえば良い。自分も世界も何もかも。
触るな見るな語るな消えて死んで炭になって無に帰れ。
全部を恨んで、全部を嫌って。
そうして世界を呪っていたし、このまま死ぬのだと思っていた。
けれど、そうはならなかった。
そう、あの日。
あの鮮やかな、雷光に。
「全く、しぶといわね。抗う姿勢は好ましいけど、しつこ過ぎるのも考えものね」
「ハァ……ハァッ……!」
やれやれと肩を竦めるドゥーエを、エリオは荒い息を吐き出しながら、ビルの屋上から睨み上げた。
その全身は血によって赤く染まり、バリアジャケットは半ばその役割を放棄したように思えるほどに引き裂かれ、裂けた額から流れた血が左目の視界を赤く塗りつぶしてしまっている。
辛うじて致命傷こそ避けているが、無数の傷による出血からの失血死は時間の問題だろう。
だと言うのに、エリオの目はまだハッキリと眼前の敵を見据え、闘志を顕にしている。
「あぁ、苛つくわ。その視線。まだ勝てる気でいる、生意気な目。これだけ甚振られてまだ分からない?自分が決して勝てないって事が」
「…………」
言葉通り、苛立たしげに吐き捨てたドゥーエの挑発めいた言葉に、エリオの口は閉口したままだ。
聞こえているが、聞いていない。
(僕は、何を望んでいるんだろう)
意識は内側を向いたまま、己が渇望を探る。
迫りくる凶爪を避け、防ぎながら、より深くへと潜る。
血を失い過ぎたからか、視界がぼやけるが、それでもエリオの思索は止まらない。
《思い出せ、エリオ・モンディアル。お前は一体、何を求め、何に憧れ、何に焦がれ、何を信じた?》
それは一体誰からの問いかけなのか。
分からない。分からないが、その問いにエリオはあの日を思い出す。
『もう大丈夫。私が、傍に居るから』
冷たいリノリウムの床、真っ白で無機質な壁と、点滅する灯りの中で感じた、優しい声と温かな抱擁。
幼少の頃と同じようなそれでいて少し変わった、取り戻された穏やかな日々。
そこにはずっと、あの人が居た。
誰かを救うために、守るために戦い、毅然と振る舞いながら、優しく笑いかけてくれた、あの人が。
ああ、こんな風に成りたいと。そう思った。
かつて自分がそうされたように、今度は自分が誰かを守れるように、救えるように。
もうこれ以上、取り溢さないように。
この手の届く限りのモノを、無くしたくないから。
「そうだ。もう奪われたくない」
本物の居場所に居座った、偽物だからこそ。
容易く死ぬ事なんて許されない。それは何よりの
本物が歩む筈だった道を簒奪したのだから。この幸福は、この思いは奪わせない。奪わせてなるものか。
貴方から奪った人生は散々でしたなんて、そんな結末は断じて赦されないし赦さない。
だから、
「僕から……奪うな──!!」
叫ぶ。腹の底から、魂の底から。
己の
瞬間、その言葉を待っていたかのように腰に佩いた剣が輝き、独りでに帯から離れ、ドゥーエの一撃を受け止める。
「な……!?」
「もう、奪わせない。これ以上……僕から、僕たちから、何も……奪われて、たまるか……!!」
俯いていたエリオが顔を上げ、ドゥーエを睨む。
先程までの闘志に、明らかな殺意の混ざった眼光に睨まれ、ドゥーエの足が一歩下がった。
(恐れた?私が?こんな子供に……?)
理性では抑えられない本能的な反応をしたことに、ドゥーエの思考が乱される。
明確に何かが変わった感覚が脳をざわつかせる。
『このままでは不味い』
肉体に刻まれた防衛本能が判断を下す。
趣味に興じている場合でも、恐怖している場合でもない。
切り替わった思考と肉体が同調し、エリオを殺す為に駆動する。
鉄すら容易に切り裂く爪を、無防備に晒した胸へ目掛けて突き出す。
心臓を抉り、首を断つ。それで全てが終わる。
「
しかし。その爪先は、殺意は、間に合わなかった。
「──
燃える"怒り"と闘志のままに、己が渇望を象る。
肉体に、魂に溶け込み一体となった聖遺物が正しく形を成す。
ストラーダの外装を地鉄としてその身を新たに鍛造する。
かつて、護国の英雄が掲げ、振るい、共に駆けた剣にして槍。
その名は、
「
赫銀の刃が、具現する。
コアを残し機械然とした外見は消え、刀身は薄く鋭く、柄は赤の混じった銀となり、ストラーダとしての面影はもはや希薄だ。
そして何より目を引くのが……
「なによ、その腕……」
手先から肩口までを覆う、腕甲だ。
その色は聖遺物と同じ赫銀であり、無数の帯が折り重なった様に見えるそれは、金属のような質感でありながら、エリオに合わせて靭やかに動き、隙間から赤い燐光が舞い上がっている。
芸術品とすら見える美しさ。
しかし、爪を弾かれ後退したドゥーエは先程より強く恐れを覚えた。
(ダメ、アレに触れたら絶対にマズい……!)
見惚れるほどに美しい。確かにそうだ。
だがそれは断じて蝶や花を愛でるような、そんな生易しいものではない。
突き詰められた殺戮機構、人が刃物に芸術性を見出したような、危うげな、一つ誤れば死を齎す。そういった美しさの中にある明確な殺意をドゥーエは感じ取っていた。
「これが……聖遺物」
異常なまでの高揚感に包まれ、エリオは僅かに困惑したが瞬き一つの間に思考を整え、ドゥーエを見据えた。
慣らすように変化した腕とストラーダをぐるりと回し、構えを取る。
「投降してください」
「……何ですって?」
唐突なエリオの提案に、ドゥーエの眉根が寄せられるが、エリオは構わず続ける。
「アナタは元来直接戦闘に向いていない。動きを見ていれば分かります。今に至って聖遺物を使っていないあたり、聖遺物も戦闘には向かないものでしょう……そして僕は、もう加減が効きそうに無い」
「ハ、ハハ──ガキが、私を殺せる
それは、ドゥーエにとって何よりの侮辱だった。
聖遺物に覚醒した程度で自分を殺せると思い上がったその思考、発言、存在、全てがドゥーエを苛立たせ、先の恐怖を忘れさせた。
(殺す)
脳の発したオーダーに誤差無く身体が駆動し、一度離れた距離を一足で詰め、死角となっているエリオの左側から鉄爪を突き出す。
首元を狙った一撃は寸分違わず、少年の首を貫くだろう。
スローモーションになった視界の中、エリオが槍を自らの首元へと動かすのが見える。
この速度とタイミング。今更防御しようとしたとてもう遅い
。
さあ、爪先が柔肌へと届──
「させません」
「え……は?」
見えない何かに阻まれるように、ストラーダの穂先の表面数cmの所で鉄爪が停止する。
一体何事かとドゥーエの思考が回り出すと、強烈な違和感が襲いかかってくる。
彼我の距離は零に等しい。なのに何故、自分はこんなにもこの距離を『
異様な感覚の混乱と気味の悪さに顔を抑え、数歩下がるとドゥーエは青褪めた顔色のままエリオを見た。
「何を、した……!」
「何も。そちらこそどうしたんですか。攻撃を
「…………空、振り?」
エリオの言葉にドゥーエは目を見開く。
有り得ない、確実に自分は攻撃を振り抜いた。確かに届きはしなかったが態と空振り等という愚を犯すほど馬鹿では無い。
二度、三度。繰り出す攻撃の全てが空振りに終わり、傷の一つすら付けられない。
ドゥーエが混乱に混乱を重ね後退する中、エリオは静かに構えると、
「では、行きます」
ドゥーエへと飛び出した。
足下に展開した加速魔法の残光と共に、コンクリートを踏み砕く程の加速による突撃。
単純な直線軌道によるそれは、普段の彼女ならば容易に対処できるような攻撃だ。
刃先が迫る中、ドゥーエは大きく横へと跳んだ。
(これなら……!)
確実に回避できる距離とタイミングを取った。
少なくともこの乱れ切った思考を落ち着かせられる。
そう思って着地した、その時。
ドスッ
何かが腹へと突き刺さった感覚。
視線を下へと向けると、刃が、刺さっていた。
「なん、で……?」
疑問と共に口端から込み上げた血が溢れ出す。
『何故?』
度重なる思考の混乱に脳はパンクを引き起こし、たった二文字の言葉を反芻し続ける。
攻撃も、回避も、全て最適なタイミング、"距離感"で行われたはずなのに。
どうして攻撃は空振り、避けた方向へ先回りされた?
己に突き刺さる槍を見る。
自分の腹に刺さっているのに、ドゥーエはどうしてか、それが酷く遠くにあるように見えた。
「ま、さか……『距離感』……?」
ズルリ、と。槍が引き抜かれる。
迸る激痛に顔を歪めながらドゥーエは槍へと手を伸ばすが、掴めた筈のその手は虚しく空を搔いただけだった。
止め処無く流れ出した血に、身体から力が抜け落ち膝をつく。
勝敗は、誰の目にも明らかだった。
「貴女の手は、もう僕には届かない」
憐れむように告げられる拒絶の言葉に、ドゥーエは顔を上げた。
眉根を寄せ、今にも泣きそうな顔をした少年が立っている。
心の底から忌避している事を、それでもやらなければならないと分かっている人間の顔だった。
「……嘘よ」
自覚する。自分が死ぬことを。
年端もいかぬ少年に、哀れみを持って殺されることを。
他者を偽り、嘘で塗り固めた生を歩んできたドゥーエはその事実を認めたくなかった。
「嘘よ嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘!!私は……私がこんな……っ!偽物に」
血反吐を吐きながらエリオへと手を伸ばすが、やはり届かない。
バランスを崩した身体が崩れるように血溜まりに倒れる。
血と魂が流れ過ぎたからか、常に展開されていた偽典聖遺物の力すら消え、ドゥーエの姿が変わる。
茶色の髪に素朴な顔立ち。それこそがドゥーエの本当の姿だった。
しかし、彼女がそれを知ることは無い。
他者を、自身すら偽り歪めてきた彼女の視界は、既に滲んでしまい、感覚は消えていた。
消えていく。消えていく。
「あれ……私……誰だっけ」
そして、自分が誰なのかわからないまま、ドゥーエは息絶えた。
「偽物……それでも」
亡骸となったドゥーエの瞼を閉じて、エリオは立ち上がる。
「僕は、エリオ・モンディアルとして生き抜く」
眼差しは真っ直ぐに、エリオは飛び立つ。
ストラーダの噴煙と尾を引く残光は、天に昇る流星のように瞬いた。
戦いは、まだ終わっていない。