例え思慕であったとしてもこの気持ちに偽りなどなかったのだ
ぱさ、と白く艶やかで、長く結われた髪がほどかれる。
腰近くまで伸ばされた白髪。正にそれは白閃の化身であるべくと生まれながらにして表現されている様だと、常々シロガネ・セイギは思っていた。
こうも髪の長い女性さえそう見かけなどはしないし、何よりも男で髪を伸ばすなどそれこそ滅多にない事だ。
よく髪を伸ばすのは願掛けと言われているが、果たしてこの男の場合であれば一体どんな意味を持つのであろうか。
肌理細やかでありながら艶やかで流れるそれは間違えれば絹糸のようにも見える。
絵に描いた様な美丈夫と言えども、この男は腐ってもこの帝国軍の最高戦力である英雄で美しいと表現するよりも凛々しいと言った方が正しいか。
汚されぬその純白さもまたこの人――カミナギ・ヤマトと言う男の魅力でもあると思う。
だが剣を鞘に納め、国の為、民の為とその軍人としての宿命を下ろした瞬間に、またこのカミナギ・ヤマトという男は別の姿を見せていた。
ふぅ、と珍しく溜息を吐く様子にセイギは思わず声を掛けられずにはいられない。
「大佐、時間も時間ですから少し湯浴みをしてきては?」
「嗚呼、そうしよう。セイギ、お前もそう職務を詰め込むなよ?」
「承知しています」
時刻は午後9時過ぎ。
今夜は二人して、軍中央部つまり来るべくするシェオルへの遠征について召集をかけられ、昼は軍務を除けて案外遠征について軍上層部が渋っていた為にやけに時間を食ってしまった。
故にヤマトの方がセイギを気遣い、「夕方からの執務は自宅でのんびり行えばいい。」と言う一言に甘えていたと言う経緯である。
セイギの一言に無言で「宜しい」とだけ視線を寄越すと同時にその長い髪をほどく。
今日の任務は当たり前だが軍上層部が関わっている。故に、軍務とは違って精神力や頭脳労働の方に負荷が掛かるが、果たしてこの男の鋼の精神に頭脳労働が刺さる訳ではないはずなのに、その横顔はどこか気だるげであった。
「…本当に大丈夫ですか?大分疲れている様ですが。」
「…」
すると突然押し黙ってはそっぽを向く。嗚呼、そう言う事かとなんとなくセイギはヤマトの心情を理解する。
「眠れなかったんですね。」
「…やはりお前に誤魔化しなど通用しないか。」
参った、と言わんばかりの苦笑を見せては肩を竦ませる、それもそうだ。
何せセイギも『霹靂の英雄』と呼ばれていても、まだ若い。そして階級に関しても、軍人の技量としてもヤマトの方が上手である。
それだけ彼にとっての責任も重い上に、彼はある一件の事から軍内で力を誇るクナカミ中将から酷く毛嫌いされている事もあるのだから。
セイギがまだ幼少の頃、彼の郷里では天災とも言えよう事態が唐突に降りかかった。
この帝国ではがしゃ髑髏と呼ばれ、そのがしゃ髑髏が引き起こした災厄を久良杜事変と呼ばれている。
第陸級の魄喰鬼の襲来により、一個中隊が壊滅。このカミナギ・ヤマトという男ただ一人を除いては。
つまりこの男一人でその災厄を沈めた事が伝説の始まりだったが、軍内部としても国民からしてみてもこれは最初信憑性は欠けていただろう。
しかし偶然にも生き残った筈のセイギがその伝説を目に映す事はなく、ただひとりの生き残りとして、ヤマトに連れられ帝都まで戻るとセイギはまず病院へと収容される。
その間ヤマトは暫くの除隊と謹慎処分を受けていたが、それでも定期的にセイギの見舞いには訪れていた。だが当初のこのカミナギ・ヤマトという男は本当に不器用な男だった。
病室で声を掛ける時は決まって、大体「調子はどうだ?」や「今日は気持ちのいい日だ」程度しか口にしていないとセイギは記憶している。
もちろん彼もその頃は記憶喪失の事もあって、塞ぎこんでいたから最も何も会話をする気など起きる気がなく。互いに会話を成り立たせる事が出来る様になったのは本当に時間が掛かった。
だがセイギはカミナギ・ヤマトと言う男から受けた恩は何一つとして忘れた事はない。
身寄りのない自身を引き取り今の名前を付けただけでなく、文字を読む事から士官学校に上がるまでに一通りの教養を教え、教養だけでなく剣技の会得。そして何よりも人間として生きて行く為に様々な事を教えている。
だからこそセイギは彼を一人の軍人として、唯一の育ての親として、何よりたった一人の人間として思慕の念を抱かずにはいられなかった。
二人の思い出だけが残るこのヤマトの自宅で、書類整理をしていたものの、彼は常に自宅にいる時は軍服ではなく、紺色の着物を身に纏っていて、今もそうだ。
「とりあえず先に風呂を済ませてくる。待たせやしない、風呂から上がれば私も手伝おう。」
「…」
その言葉に対してセイギは無言で返す。ただ軍人として、恩人としてその存在に憧れ、背を追っても彼自身許せない事が一つある。それは自身を「私」と呼ぶ事だ。
セイギ自身の記憶では、まだ幼い彼を引き取った時、ヤマトは自身を「私」ではなく「オレ」と言っていた。だがセイギが立派にその成長の過程を見せていく内に、ヤマト自身安心しきったのかどこか自分を隠すようになった。
セイギは静かに俯く。
決してあの人は自分を認めていない訳ではない。だが何故こうも悔しいのか。
「貴方は、どこへ行くのですか…。」
一体その表情すら見せない自身と同じ灰色の瞳には何を映しているのだろう? 何を思っているのだろう?ただ淀み、不安定なだけなこの感情を捨てたいと思っても捨てきれないのも、また悔しい。
「…」
余計な事を考えても仕方ない――そう気持ちを切り替えてはセイギは残った書類の整理をすべく、手を動かす事にした。
◆
まだこの時点では…大丈夫…?