随分と昔の、大体俺が小学生くらいだろうか、そんな頃の話だ。
岩手に住むいとこの家へ遊びに行った俺は二つ歳上のお姉さんにお世話になっていた。
そのお姉さんが三船美優ことみゆねぇである。
名前に違わず美しくて優しいみゆねぇと遊ぶのはとても楽しかった。
自分の我が儘にも文句一つ言わず付き合ってくれたのは子ども心に嬉しかった。
一週間程度の滞在の、ある日のこと。
一階にいたみゆねぇのお母さんの怒声が二階の俺のもとまで聞こえてきた。
朝も早いというのに何が起きたのだろうか。
気になって見に行くと、そこではみゆねぇが無表情で佇んでいた。
お母さんは悲しそうな顔をして怒っていた。
みゆねぇは異論も反論も起こさずじっとそのお叱りを受けていた。
お母さんはそれを見て更に口調を荒げた。
誰が何を言っていたのかはもう覚えていない。
けれどもただ、その光景が普通と比べれば異常であったことは確実で。
後にみゆねぇが俺へと放ったあの言葉が脳にこびりついて離れない。
「自然に生きるなんて、私には難しすぎると思いませんか?」
×
アイドルを保護するように生活して一週間が経った。変化はない。
いやまあ、モノクロームリリィのインストアライブ成功により、多少二人の仕事が増加したという変化はあったが。
それ以外の部長に関係する変化は何も起きていなかった。
自分は彼の失脚の為に暗躍する者ではない。故に大人しくするのが最適解であり、受動を心掛けるのが安全策であるのだ。
先輩が密かに裏活動をしている以外、暗い事業は起きていない筈である。ならばやはり俺のこの選択は正しいものであろう。
と、そんな思考中、
「プロデューサー、寝癖。」
そう高垣さんが俺に指摘してきた。
鏡を見てみると確かに立っている。これは恥ずかしい。はやく直そう。
「ありがとうございます。楓さん。」
一言彼女へ感謝を述べてから俺はトイレに逃げ込んだ。
「……ふふっ。幸せ。」
「なのに、彼は……」
「やっぱり許せませんね。」
部屋から出る際、何処かからか冷たい声が聞こえた気がした。
更に一週間が経ったある日、俺はある
ちひろさんから手渡された厚い封筒。全社員に配布されたらしい資料に疑問を持つ。
社内にて周囲に人がいないことを確認してからそれを開き、中身を見る。
「社内改革の為の人事異動について、って……は?」
そこにはつらつらと文字列が並べられていた。内容は単純で、これはつまり。
(事前対策としての摘心……あいつらとばされるのか。)
中辻の名前がその資料内にはあった。
彼と関係を築いていた人事部の奴らの名前も同様である。
要約すると、この資料は彼らの無問題的左遷について書かれているようであった。
この資料を確認した俺は急いで先輩に電話をかけた。
まだ動く時ではないと言っていたのに何故、と訊くためである。
しかし彼の返答は困惑に満ちていた。そんなのは知らないと。
(どういうことだ……?)
これが先輩の手管ではないという事は、俺ら以外に中辻の悪事を暴いた奴がいるという事を示唆している。
唐突すぎる人事異動などそういった作為がなければ会社は起こさないからだ。メリットがない。
さて、そのように考えるとこの作為者は味方に思える。しかし安易に結論付けてはいけない。高垣さんやみゆねぇ、俺と先輩の担当アイドルの未来もかかっているのだから。
したがって作為者は中立的であると仮定することしか今の俺らには出来ない。確実なものが何一つ無い、ぽっと出の作為者なのだからそいつが誰なのかも分からないのだ。不明瞭に帰結せざるをえない。
(……取り敢えず皆に影響が無けりゃいいんだ。)
俺はこの作為者を中立と結論付けて、中辻と人事部の一部の奴らが地方にとばされるのを見届けた。
とばされるまでの数日、中辻の俺を見る視線は明らかに殺意を孕んでいたがそんな勇気など無い、口だけのおっさんだ。しかも遠くの支社に行ってもう会う事などない野郎だ。興味も無く、ただ無視した。
こうして、釈然としないまま奏と先輩の事件は幕を降ろした。
(一応、俺の辞職と高垣さんの引き抜きはこれで解決としていいだろう。)
幾ばくの日にちを経て六月。先輩は仕事に復帰した。
日常が戻ってきていた。
×
事実を知ってからの五月、六月、七月は俺にとって久しく思える平和の日々が続いてくれた。
五月の後半では心がアイドルデビューを飾った。
確かに四月の時点で心は正式なプロダクション所属のアイドルとなっている。しかしそれはただアイドルという称号を与えられたに過ぎないものだ。
このデビューで歌った事が、人前に立って音を響かせた事が、実質的な始まりといえるだろう。
実際、彼女の満足げなあの表情を見ればこの時初めて彼女にアイドルとしての自覚が芽生えたという事は想像に難くない。
「……プロデューサー。」
「ほんとに……ほんっとに、ありがと。」
「まだ、夢、諦めなくてよかった……っ!」
六月はみゆねぇがアイドルデビューを飾った。
その淑やかに歌う姿は数少ない人々を魅了した。
当たり前だが、新人も新人なみゆねぇのインストアライブにファンなどはいる筈がなかった。
現実は寂れたものであったのだ。
しかしながら、俺にはドーム公演に負けない程のアイドル特有のオーラが感ぜられた。
みゆねぇは奏や加蓮、心と違っていた。魅了する力が特に強いのだ。
やはり俺が見込んだ通りだった。
みゆねぇには
誰も、俺以外の奴がそれを見出だす事は出来なかったようだが。
「あの、こんな感じで良かったのでしょうか……」
「魅了された……ですか?」
「それなら、安心です。」
ライブの数日後には高垣さんの誕生日を控えていた。
盛大に、とはいかなかったがそこそこの規模で彼女の誕生日を皆で祝ったらしい。
《らしい》というのは丁度出張でその場に俺がいなかった事を指している。
そのため後日、俺は個人的に彼女を祝う事となった。
とはいえ高垣さんは名の知れたアイドルだ。二人で何処かへ出掛けたりご飯を食べに行ったりなどは出来ない。
貧相な脳を使って思いついた事はプロダクション内のカフェで少しの会話を交わすくらい。
加えて俺は一プロデューサーである。
誕生日プレゼントを担当アイドルにあげるなんて背徳行為は出来なかった。
祝うと言ったのに、してあげられた事は会話だけだった。
……それなのに。
「ありがとうございます。望くん。」
貴女はそうやって、嬉しそうな素振りをする。
まるで恋する乙女のように微笑むのだ。
「嬉しいな。」
酷い人だ。貴女は。
期待させるのが上手すぎる。
悪女じゃないか。
本当に困ってしまう。
今年も、俺の誕生日を貴女は忘れず祝ってくれた。
同じように数時間程度会話して、祝福してくれた。
胸のあたりがむず痒い。
(そんなこと、有り得ないのにな。)
身体の火照りは夏の暑さじゃ誤魔化せなかった。
七月では奏と加蓮それぞれのソロ曲発売が決定された。
デモも完成しており、あとは二人の歌を入れるだけ。
発売予定月も既に決まっていて、奏のは九月、加蓮のは十月である。
異例の速さと言わざるをえないこの決定には二人に言えない裏事情があった。
中辻の件だ。
実はソロ曲発売を提起したのは彼であったらしい。
上が検討した結果による決定はそうそうな理由があっても覆らない。
俺的には中辻の名残など吐き気を催してしまうが、やはり会社の方針は絶対である。
中辻のことだ。どうせ新人の自分をソロで失敗させて色々と難癖を付け、芸能界から引き摺り降ろすつもりだったのだろう。もう関係無いが。
……いや、案外、中辻も良い所があったかもな。
「か、奏!新曲!しかもソロ!ソロだって!」
「わ、分かってるから落ち着いて!肩を揺さぶらないで!」
「やったー!!!!」
「話聞いて!?」
(二人を幸せにしてくれたんだから。)
災い転じて福となすとはこの事か。
笑いながら俺はそう思った。
「プロデューサーさんも笑ってないで加蓮を止めて……じゃないと吐くよ……」
「待って、吐かないで。」
×
2018 8/7 8:43
真夏日として太陽は猛威を奮う。たれ落ちた汗が蒸発するのも一瞬の事だった。
今日は346プロダクションに於ける選出型ドームライブの日。我らがアイドルや彼女達を推してくれるファンにとっての一大イベントの一つである。
毎年八月の前半に開かれるこの定例ライブは芸能界全体と比較してみても規模が大きく、世間への影響も多かれ少なかれ与える為、プロデューサー達にとっての大々的イベントでもある。
今日のライブに出演出来るアイドルは
俺の担当からはなんと二人も選出されることとなった。
他のプロデューサーからは驚きを超えて戦慄の域に着くと言われてしまった。
それは当然でいて妥当だろう。このような若輩者がプロデューサー歴十年、二十年の方々を軽々と追い越しているのだから。
そしてアイドル歴一年半の高垣楓はまだしも、
プロデューサーらはみゆねぇの実力を甘く見すぎている。経験不足と年齢を引き合いに出し、不可能性を論証しようと躍起になるクレーマーにはさすがに憤りを隠せなかった。同じプロデューサーなのに、アイドルを愛する者であるのに、結果に納得せずぐちぐちと文句を言われ続ければ勿論怒るに決まっている。
まあそのような軋轢は置いといて。
俺はみゆねぇの自意識的な向上心を発見できた事がなにより嬉しかった。
今まで自己を隠しがちだった彼女がわざわざ任意の試験を受け、且つ、アイドルとしての意思を表明してくれた。
姉の成長が喜ばしかった。
けれどもその反面、残念だったこともあった。
「まだちょっとだけ心残りかな。」
助手席にて加蓮が呟く。
ドームに向かうこの車内には運転手の俺と隣に座る加蓮がいるのみであった。
奏は別件で到着が遅れる事になり、高垣さんとみゆねぇはプロダクションにて確認をとっているのでここにいない。二人だけの空間である。
彼女も任意の試験に挑戦したアイドルの一人だった。一所懸命に取り組んで、本気で挑んでくれた。
しかし結果は惜しくも三位。出演は叶わなかった。
俺はそれでも
今、一緒にドームへ向かってる理由も頭数増やしというアイドルとしては悔しいものなのだ。
「……そうか。」
「心残りってか、悔しい。」
「悔しい?」
「アタシ負けず嫌いだもん。腹いせにライブの準備めちゃ早く終わらせてやりたい。それで皆遅い!って皮肉りたい。」
「ボランティアじゃん。」
「キレた。デートコースね。」
ポジティブなのはいいが勘弁してくれ。
11:07
準備を一段落させてドーム外の自販機に行く。
炎天下の労働はキツイ。休み休みじゃないとやってられない。
加蓮と二人で自販機の前に立つ。
「なんで外の自販機使うの?中にあるよ?」
加蓮がゴミを見る目付きでそう糾弾してくる。暑い中引っ張り回してごめんなさい……
「炭酸が売り切れてた。」
「……あっそ。」
汗を流したら炭酸を飲みたくなるよね。
「アタシはお茶。」
「うい。」
注文を聞き入れて俺は小銭を財布から取り出した。
二人で飲料をがぶがぶ飲み干していると、遠くに人影が見えた。
ドームの外なのでたとえ道路を介していても顔の判別はつく。決して陽炎と見間違えたりはしない。
「美優さんだ。」
加蓮が言う。
あれ?もうそんな時間かと思いつつ俺はみゆねぇに向かって手を振る。
向こうもこちらに気づいたらしく手を振りながらこちらへ
(……
「送迎車無いの?」
加蓮が何気なくしたであろうその質問に俺は凍りついた。
見えたのだ。
歩く彼女の近くに停車されていた車。
加蓮が咄嗟に叫ぶ。警鐘を鳴らす。
だが、遅かった。
大きな音と共に道路へ血が飛び散った。
夏の暑さと反比例するように、頭が真っ白になった。
「……プロデューサー。」
《自然に生きるなんて、私には難しすぎると思いませんか?》
(車にとばされた……)
「プロデューサーっ。」
《あの、こんな感じで良かったのでしょうか……》
(小石みたいに……)
「プロデューサー!!」
加蓮に腕を掴まれ、はっとする。
「美優さん、美優さんが!」
増した喧騒と冷や汗に現実感を取り戻す。
泣き叫ぶ加蓮、喚き叫ぶ通行人、後ろでざわめくプロデューサー達。
心が、冷めていく。
義務感が、醒めていく。
これまでを思い出して。
「……加蓮。朝、俺を撮った写真見せろ。」
命令する。冷静沈着と要求する。
「そんなことよりも美優さんでしょ!?」
怒る加蓮。ああ、埒が明かない。
そう思った俺は警察に電話しようとして取り出したであろう加蓮の携帯を奪い取り、写真の欄を開く。
「何すんの!」
強く反抗する彼女を受け流しながらその写真を表示した。
今朝の八時頃、プロジェクトルーム。丁度良い。
じっと見つめていると風景が揺れだした。
「スマホ返せっ……!」
そつなくいなしてひたすらに集中する。
覚醒した義務感のままに俺は。
美優を救う。
8/7 8:32
気づくとそこはプロジェクトルームだった。
時間や状況からしてタイムリープは成功しているとみて確かであろう。
(みゆねぇを、美優を、救う。)
ただその義務のままに俺は___
「ねえ。」
スマホを片手に持つ加蓮が俺を見る。
据えた目は震え、怯えを孕んでいて。
(……まさ、か。)
俺は目を見開く。
蝶という、そのささいな羽ばたきに。
バタフライエフェクトに。
未だ知らない、何かに。
加蓮が声を発す。
ゆっくりと。
力強く。
……
「……
真夏日として太陽は猛威を奮う。たれ落ちた汗が蒸発するのも一瞬の事だった。
(そんな……神様……)
何故こんな事を。
嘲笑う声が聴こえる
楓さんと同じでPも六月が誕生日です。この話から楓さんは25歳、プロデューサーは24歳です。