8:43
呆然と震えていた加蓮を致し方なくプロダクションの医療室に預けてきた数分後。
車を運転しながら俺は状況を整理する。
あの状態の加蓮と会話をするのは困難と判断して、詳細に何が起きたかは聞かなかったが、彼女のあの一人言から察するに美優は殺されてしまったのであろう。
送迎車の運転手に殺害されてしまったのであろう。
何らかの思惑から画策された計画の失敗を悟った運転手は、犯罪の危険を顧みず、自ら行動に移したのだ。
わざわざ金を使って自分の代わりに美優を殺してくれる共犯者をつくったくせに、何を早まったのか今日行動に移したのだ。
運転手は逮捕を恐れていた。その証左は所々に表れている。間違いなく逮捕を恐れていた。
けれども運転手は自分の手で美優を殺した。明日以降に計画を持ち出して殺害すれば良かったのにわざわざ今日に、だ。
どれだけ
加えて、ここにはまた別の意思を感ぜられる。
運転手がどうしても今日中に美優を殺害したい事は既に示した。
なら、何故事務所で犯行を行わない。金で雇った誰かを自分の送迎車近くにでも配置しておく方がよっぽど効率的でやりやすい。奏の時のように階段から落とすのも良いだろう。
何故そうしないのか。
ライブに気を遣ってる訳でも無ければ、事故に見せかけたい訳でも無く、憎しみや逮捕への恐れも関係はない。
アイドルの誰かが傷害を負えばライブは中止になるし、やむを得ない場合は運転手自身が殺しに来た。提示したような感情に
じゃあどうして?
分からない。運転手が何を考えているのか。
だって、おかしいんだ。
変な行動が多すぎる。
美優を殺害したいという意思とは裏腹に色々と噛み合っていないのだ。
彼女を殺したいならやり方はいくらでも…………
……いや待て。
ちょっと待て。
発想を転換させろ、望。
(……
もしも、運転手でさえ
憎しみを餌にされて雇われた受動側だとしたら。
(
仮定だ。
仮定してみよう。こうだったとして、考えてみよう。
そうするとどうだ。どうなる。
(美優を轢いたあの男は送迎車の運転手が作為者に命令されて雇った。)
…………撹乱のため……?
(どうしても美優を今日中に殺そうとしたのは作為者が命令したから。)
……やはりライブか?
(事務所での犯行は作為者が許可しなかった。)
……疑惑の目を逸らすため。
これらと事件背景を元に作為者を考察すると……
(……プロデューサー、か。)
もし、美優の送迎車の運転手が受動側だと判明したら。
もし、この作為者が本当にプロデューサーであったとしたら。
……もし、中辻が関係していたら。
(有り得なくないのがクソだ。ふざけやがって。)
鼻下をさすりながら俺は暑さに汗を流す。
美優は必ず救う。
しかし、その後が全く予想出来ない。
確かに、今までも分からない事だらけではあった。
でも、予測の出来る不明確だった。
今回は最低最悪である。
俺のこの、不出来で役立たずな頭が憎い。
大希なら簡単に切り抜けるだろうに。
自己嫌悪が止まない。
(そういえば鼻血が出てきてないな。)
×
いつからでしょうか。隠すようになったのは。
余りある能力が争いを生んで、争いを終わらせる人はいつも余りある能力を持つ。
秀麗であれば平等は生まれず、平等を求める人はいつも秀麗だ。
称賛は他の劣等を生む。
研鑽は他の堕落を生む。
私の幸福は私だけの幸福で、私の不幸は私以外の幸福になり得る。
完璧である事は上辺だけで望まれ、欠陥のある事は深層まで望まれる。
私は出来る子でした。
けれども皆、私を疎外します。
ひそひそ話、内緒話、噂、デマ。
出る杭は打たれる。
私は天才でした。
だから人扱いされません。
奇形種や腫れ物を扱うのと同様で、果たして私はこれでいいのだろうかと思慮を巡らせました。
いつからでしょうか。隠すようになったのは。
皆の幸福を願って、個を
×
9:02
「はい。大丈夫です。ちょっとした寝不足ですから。はい。ありがとうございました。」
そう言ってアタシは医療室の扉をゆっくりと閉める。
なんとなく、暫くそこに立ったまま深呼吸をしてみた。すーはーすーはー。
変わらず鼓動は鳴り止まない。常時より速く脈打つ心臓はこの状況をよく理解している。
(頑張れアタシ。)
数十分、ベッドの上で冷静になろうと目を瞑っていたアタシはさっき起きた光景を思い出していた。
くるまって、小さくなって、思い出していた。
全く知らないおじさんに私達は突然襲われた。
手には刃物を持っていて、怖くて、足がすくんで。
転んだアタシを守ろうと身を挺した美優さんは、勢いのままそのおじさんに刺された。
心臓の近く。ふかくふかく。
生温い。黒かった。
冷たくなっていく。でも何もできなくて。
霞んでいく世界に震えて。
……
何度も何度もその記憶を反芻した。
細やかにリフレインさせた。
その内震えが止まって、涙が溢れてきた。
声を圧し殺して泣いた。枕の湿りが広がっていくのを眺めながら。
泣き終わると体が重くなった。動けないほどに大きく疲労していたらしい。
反芻を止めて、そのまま眠った。温かさに包まれて。ふかくふかく。
でも直ぐ目を覚ました。スッキリとした目覚めじゃなかった。けれど明瞭に、何をしなきゃならないかが判るほどには頭も醒めていた。
重くもなく、軽くもない身体を起こす。
「同情でも、恩義でも無いんだから。」
「ただ、切磋琢磨するライバルが欲しいだけだし。」
「ライブも台無しになっちゃヤだし。」
「韜晦したまま逃げ切るなんて許さないよ。美優さん。」
蝶の嘲笑う声が聴こえた気がした。
四階のプロジェクトルームでプロデューサーのスマホを回収する。
瞬時、電話をしようか迷ったが。
《「
そうはせず、部屋に置いておいたアタシのスマホポーチにそれを仕舞って持ち運ぶ。
(プロデューサーはなんとしてでも美優さんを生存させようとしてる。)
彼女の生存が第一で、それ以外はそこまで重要視していない。
頑なな性格だ。彼はアタシが何かを提言したところで改めることなどしない。
そもそも彼自身だって一生懸命頑張っている。それを否定するつもりは無い。邪魔するつもりも無い。
(あの服装……帽子と手袋。)
醒めた頭が思い出してくれた。あれはここの送迎車を運転する人達の制服だ。
その制服を着用していたということは、彼がこのプロダクションに勤めている会社員であることを意味している。
ドームへの出発時刻まではまだ充分にある。今、彼はこの会社にいるに違いない。
(先ず地下駐車場に行こう。次に別棟の社員棟に忍び込む。)
アタシはプロデューサーの補佐を行うのだ。
そう心に刻んで、プロジェクトルームを出た。
短くてごめんね。