生を受けて二十数年経ち、世間というもののやるせなさや友情というものの曖昧さに、否が応でも流されてしまう大人の気持ちが理解でき始めた頃。少しずつ暗くなっていく道を、私は歩いていました。
平々凡々とは、暗闇です。灯りの無い人生こそが波風の立たない本物の普通。最早形式ばった儀式と化した個の殺害は、己を蝕む病の様で、療養のしようもなく、装いの仮面は既に外れなくなっていました。
これまでは自分のせいで色んな人が傷ついた。幸せになってほしい人も私が曇らせた。だから、自分を白く塗りたくった。一般と同化してしまえば、皆、幸せになれる。
ならば、これでいいでしょう。朝が辛くて、仕事にうんざりして、お昼ご飯を節約して、夕方は眠気と戦って、残業を能面で片付けて、疲弊しきって帰宅して、死んだように眠って、朝がきて……
会社勤めの私は、こういう仄暗い人生街道で良いんです。これが私の選択で、それでいて且つ、私の辛い分を誰かが幸せになってくれているのです。
だから、この道を歩いているんです。
(
「大丈夫、美優?顔色悪いよ?」
「あ、いえ……その……あまり寝てなくて。でも、大丈夫です。安心してください、日和さん。」
「そっか。良かった。いつもの笑った顔じゃなかったから心配しちゃった。」
きれいに清掃されたオフィスにて、ソファーに座る桜田さんにそうやって配慮されます。
桜田日和。おそらく唯一の友人である彼女とは、付き合いが短いにも関わらず、珍しく気の置けない間柄でした。
思えば、友人となったきっかけは些細なもので、仲良くなったのもなんとなくの偶然だった筈。始まりを忘却してしまっている私からすれば、こんな風に会話をしていることでさえどこか烏滸がましい気がします。
不思議とはこの事を言うのだろうと朧気に思います。対極の存在が友情を育み、世間を生存している。反発する事も無く、そのうえ作用し合っている。僻み嫉む事無く、尊重し合って関係している。
桜田さんは私と全然違う。自分からすれば、彼女の様なキラキラとした存在と、私の様な陰目の存在が何故ここまで合致するのか、甚だ疑問でした。
彼女とは一緒にいると幸せになれる。全く、誰かさんとは真逆だったのです。
(悉くシニカルジョーク。私なんか、不幸を運ぶだけ。)
だから、やっぱり、羨望くらいはしてしまう。
全く変化のない事務作業の工程を無意識に反復できるようになった頃から、目に見えて桜田さんの機嫌は良くなっていきました。
元々明るい人ではありましたが、それとは少々ベクトルの違う、他己的な影響を受けた明るさを感じます。
それを不思議に思い、しかしながら、あまり人の事を詮索しても幸せにはなれないという事を私は知っています。
ですから、直接的に理由を見聞するような事は決してしませんでした。親しき仲にも礼儀あり、とでも言うのでしょうか。自分の行動で誰かを不幸にしたくはありません。これは杞憂などではなく、正当なものです。
それにしても何故でしょうか。心がほんのちょっぴりだけ、ウキウキとしだしているのです。
(友人が喜んでる姿ほど嬉しいものはないと断言できます。これを見たら。)
仕事に対する精の出し様が、人生に対する目の輝き様が、ほとんど一変していて。
胸の奥がじんわりと温かく感じました。
……因みに、噂の体ですが、彼女は仕事の成績が特に良質らしく、早期の昇進が期待出来るので云々と。
優秀な人材は声のかかる時期も早いんだなぁと世間知らずに一考したり、一人の友人として誇りに思ったり。
そうして、私の心内の羨望の中に
漸くこの平穏志向が報われて、幸せになるべき人が幸せになりだした頃。
会社は慌ただしく移ろい行く社会の趨勢模様を描いているようで、有り体に言えば、所謂繁忙期に入ったところでした。
それまでのルーチンワークよりも数倍過酷で、削らざるを得ない睡眠時間に精神を磨り減らす日々を過ごす。直前に萌芽したポジティブな自尊心がもし存在していなかったら、摩耗に減退、再度荒んでいた事でしょう。
休みたくても休めないのは当たり前。皆が頑張っている。沢山の事務処理、雑務が舞い込んで。
(自分の為にじゃなくて、皆の為に。これが、幸福の路。)
前向きに捉えて発言します。
「あの、手伝います。何かやれることとかありますか。」
こうして増加した仕事量に、自虐的な満足感。
だって、桜田さんは私なんかと比べ物にならないくらい社会に身を費やしている。彼女の努力と幸福を無駄にさせない為、少しでもサポートをしたいんです。
それが、
(せめて彼女くらいは幸せにしたいから。)
その一心で心身を賭しました。
空き時間の有効活用。
僅かな仮眠と
習得し立てのアロマテラピー。
エトセトラ、エトセトラ。
大丈夫。
まだ大丈夫。
倒れる手前までなら頑張れる。
あと少し。
ほんのちょっとの我慢。
踏ん張り所はここなんですから。
仕事だけに集中して。
誰だって必死に頑張っている。
私も頑張らないと。
皆の為に。彼女の為に。
幸福の、為に……!
「…………え?」
「……桜田さんが死んだ…………?」
(どうして。)
突然の友人の夭折に、くたびれた私の脳髄がショートしました。
(なんで。)
睡眠不足で前方不注意。自動車三台が交通事故を起こして彼女だけが死んだ、と。
(彼女は、違う。)
それを知ったのは彼女が死んでから一週間後の事でした。
(神様。)
葬式も既に終わっていて、私は、彼女に別れすら言えませんでした。ない交ぜの真っ白い感情は、不恰好な渦を巻いて中空に離散していくばかり。
(彼女じゃありません。)
どうして一週間も彼女の死を知る事が出来なかったのか、何故彼女が事故を起こす程に疲弊していたのか、なんで彼女の異常に気付く事が出来なかったのか。
(私のせいですか?)
そういった思案が浮かんでは、自責となって消化されていく。
(幸福なんて嘘っぱちですか?)
ポジティブな自尊心は崩壊して、羨望が破滅の導火線であった事に辿り着く。
(まだ不幸が足りませんか?)
やっぱりこんな結末になるのかなんて、諦観と妥協の極地に収束する。
(ほんと、シニカルジョーク。)
簡単な事でした。
私が不幸の根因だったんです。
私がいるから皆が不幸になる。
私がいるから友人が不幸になる。
私がいるから幸せになるべき人が不幸になる。
(間違いだらけの人生。)
自分は人扱いされてはいけなかった。
不幸にならなければならなかった。
平穏や平凡じゃ生温かった。
思い切りどん底へ、行くべきだった。
(ごめんなさい。)
「……辞めなきゃ。会社。」
(ごめんなさい。)
「連絡先も全部削除しないと……」
(ごめんなさい。)
「明々後日が引っ越し……」
(こんな私で、ごめんなさい。)
「ひっぐ……えぐ……ごめん、なざい……ごめんなざい……出来が悪くて……ごめんなさい……」
×
カラリとした風が肌を凪ぐ。季節は秋めいて、夜の訪れも夏と比べて随分早くなってきた。寒くはないが涼しいと言うには少し厳しい。スーツ姿で震えてしまう。
来たことのない住宅地というものは往々にして珍妙なものに見えてしまう。その場所に慣れていないという事もあるのだが、なんとなく異国感が漂っていてムズムズとするのだ。階段が錆びた銀色を誇示していれば、尚更。
珍妙さを誇るそれで上へ昇る度に鋭い鉄の音が響く。ここは古びた小さいアパート。この場所が都会である事に間違いはないのだが、ただそこはかとない過疎感をコイツは周辺に漂わせていたので、少し心配になる。
目的の部屋に到着し、扉を叩く。事前に訪問するという連絡はしておいた。一応だが。
(だからいる……よな?)
そう考えたのも束の間、床の軋む音の後、その扉はゆったりと開いていった。
瞬間、現在の彼女の窶れた顔に似合わない、密閉空間に充満していたであろう艶やかなアロマのそれが漏れ出てくる。貴女らしいけど、貴女らしくもない。
「……久しぶり、みゆねぇ。」
一年間と音信不通であった従姉の彼女、三船美優。
変わらない容貌に代わって、返ってきたのは居心地の悪さと暗い雰囲気。
唐突にみゆねぇからの連絡が途絶えて色々と心配になった俺は数ヵ月前からコソコソと彼女の捜索活動を行っていたのだが、発見出来て嬉々御満悦、安心ながらに向かってみようと、そうしたらしたで一抹の後悔を抱いてしまった。
濁り澱んだ眼と痩せこけた頬。いつの日かの純真さは面影すらない。
一体何があったのか。それも気になるが、一番はみゆねぇの状態だ。ご飯はちゃんと食べてるのか、とか。
「取り敢えず中に入れて欲しい。その……世間話とかさ。迷惑じゃなければなんだけど。」
「………………どうぞ。」
ぽつり。糸の解れの様な掠れた声で返される。どうやら黒濁の瞳は俺の姿を映していないらしい。
(相当に精神が参ってるな、これは。)
全然、みゆねぇは大丈夫ではなさそうだ。
「今日も来たよ。暇だったし。体調は?」
「…………大丈夫です。」
「……そう。良かった。」
口実を付けて彼女の家に足を運び続けて八日目。ただ一心に、ほっとけなくて、あの時の笑顔をもう一度見たくて。胸に蟠るエゴイズム染みたお節介を俺はどうしても焼かずにはいられなかった。
ベルガモットの香りが些かに漂う。思うに、みゆねぇの状態は八日前よりも大分良くなった。しかしその代わりに、彼女の表情は反比例する様に暗くなっていた。それが堪らなく俺の感傷を誘引して、同時に腹立たしい。
みゆねぇの大切な友だちが事故で死んでしまった事、会社を辞めた事、人間関係をリセットしようとした事、それら全てを後悔している事……それら洗いざらいを俺はこの一週間で聞かされた。
無力感と挫折、絶望。大きな虚無感が彼女を包んだのだ。
俺を見つめているみゆねぇの瞳はどうにも俺を映しているように見えなくて、うっすらと
(なんでもない会話が最たる緩和材なのは理解している。)
でも、そんな事しかできない自分自身が、
そんなことでいいのかよ。
失敗を恐れて行動しないなんて、本末転倒じゃないか。
何の為に俺は、継続してここに来ているんだ。
励ましたいからだろ。恩返ししたいからだろ。元気になってほしいからだろ。
自分まで悲観的になってどうするんだ。
そんな考えを持って、一週間経つ。
既に準備は万端だ。
(少しうざったいくらいでいい。)
そろそろ行動に移そうか。
「……みゆねぇさ、明日一緒に出掛けない?」
「……え……ど、何処に……?」
希望に溢れたステージに、笑顔を振り撒くシンデレラ。与えられるのは非日常。
細やかなる恩返しをさせて下さい、姉さん。
笑顔の魔法という恩返しを。
「アイドルのライブ、だよ。」
×
連れてこられたのは彼の勤務先の会社。リハーサルライブ……とやらが行われる専用の箱?があるらしく、それを眺望できる狭い部屋に私は入れられました。
プロデューサー見習いである従弟の彼は仕事があるようで、これを見れば世界は変わる、と一言残し、直ぐに戻る事を確約して、名残惜しげにここから去っていきました。
この一室は完全防音で、一方の壁がガラス張りとなっています。階上に建てられていて、つまりはガラスの窓から見下ろす形でライブを眺望する事となります。
「…………」
私と同じくして連れてこられたのでしょう。隣にもう一人、背の高い女性がいます。壮観な会場を見つめているその姿は端麗としていて、まるでモデルのよう。寡黙ささえも魅力に映ります。
私とは違って希望に満ち々ちている決意の表情が、より一層清楚な美しさを引き立たせていて。
それがまた、己の醜悪さを明るみに晒していくのです。
(辛くてたまりません。)
階下では準備に追われている方々が目まぐるしく動き廻っています。笑顔をきらす事無く、溌剌と。
彼は……こんなものを私に見せて、責めたかったのでしょうか。
お前が失わせた笑顔を思い知れとでも?それとも、成功の対価とやらでも自慢したいのでしょうか?
(早く、終わらせて下さいよ。
照明が暗がりを灯し、見守る人々は静寂を演出する。
異質な緊張感の中、張り積められた糸は檄を切る。
途端、ステージを照らすスポットライト。
そこには依然として立つ可愛らしい女の子達がいました。
(ああ、
浄瑠璃のようだなんてニヒルに決めつけて。
そう思って、ふと。
「ふふっ……」
独特の雰囲気で隣人が笑いだしました。朗らかに、優しく……暗幕から見守るアイドルプロデューサーみたいに。
「安心して下さい。」
それがどうしてか、見透かされているように思えてならない。
「童心のままで、いいんです。」
心の奥底を。くゆる悩みを。
「キラメキに憧れる少女で、いいんですよ。」
(………………)
「サビ、始まります。一緒に観ましょう?」
隣人に導かれる様に、私はまた、アイドルを観測します。
彼女はすっと私の手を握り、瞳はアイドルを離しません。
童心に戻って。
隣人の温もりと共に、それを実行してみます。
最高潮のボルテージに釣られ…………そこには依然として立つ可愛らしい女の子達がいました。
(……あれ。)
ポップな音楽に合わせて歌い、踊り、笑っていました。
(
純粋に自分を表現して、包み隠さず本音で生きて、笑顔を運ぼうと頑張って、憧れを憧れで終わらせない為に……本気で向き合って。
(なに、これ……)
同じステージで他の子に負けないよう、
秀麗を鍛錬し、平等を棄てた彼女達は、
称賛が他の劣等を生まず、寧ろ意志を向上させていた。エンターテイメントというそれを。
研鑽が他の堕落を生まず、寧ろ対抗意識による相乗効果を産出していた。理性的で、友愛に満ちている。
それぞれの幸福は満遍なく万人に配当され、それが称賛と研鑽という連鎖反応の起因となっていた。
完璧である事は望まれない。敢えて、欠陥のある事を望まれる。人間味が幸福を産出するから。
出来る子、出来ない子は関係なくて。
誰かが疎外される事もなくて。
ひそひそ話、内緒話、噂、デマさえあれど。
出る杭でも打たれ難い。
天才か凡才かはどうでもいい世界。
アイドルは、実に
個性のままに、己が欲望のままに、幸福論を振りかざして笑顔を産む自己表現。
誰もがずっと、隠さない。
皆の幸福を願って、個を
「……頬、触ってみては?」
隣人がぼそりと、そう呟きました。
言われた通りに触れてみれば、驚嘆。
「…………笑っ、てる。私。」
(これがアイドル……)
これまでに感じた事のない高揚に揺さぶられて混乱してしまう。胸の奥が、熱い。
そう思って、ふと。
重い楔が剥がれていく感覚。
止めどなく溢れる感情論に、心の理という枷が崩壊していく。
理解したのです。感情が、それを。
ここにありました。
私の理想が、幸福論理が。
やっと見つけられました。
紆余曲折なんて軽いものではなかったのですが、漸く、辿り着けたんですね。
平穏志向も自己韜晦も自己犠牲も全部間違ってました。
たったのこれだけだったなんて。
あんな風に、アイドルとして人生を賭ける人の比べられない程に幸福な事を、もっと早く知っていれば。
(ただそれだけは、考える。)
もしそうだったとしたら……
(親友は夭折せずに、済んだのでしょうか。)
階下でアイドル達はまだ舞踏会を楽しんでいます。
冷酷にもそれが対照的で、変に感傷的になってしまっていた私は、耐えられずに泣いてしまいました。
唐突に現実感が増してきたのです。
片や失敗だらけの人生を送って、親友を殺したバカな大人。片や成功を夢見て人生を送り、万人に幸福と笑顔を献上する潔白な青少年。
拭いきれない悔恨を残し、のうのうと生存するしかないなんて。
「辛い事とか、あったんですか?」
隣人は慟哭する私にそう問うた。
二人は数秒を沈黙する。
「……私、たまに彼女達の練習を見学しに来るんです。」
語り出す隣人の表情は、暗澹の渦にまみれていて見えなかった。
「例えば今日とかは仕事で失敗しちゃいまして。その、個人的にダメだったな、とか思う程度の小さいものなんですけど……」
「それでもやっぱり落ち込んじゃいます。こんな簡単に人って落ち込むものですし、貴女や、彼女達のプロデューサーさん、スタッフさん、この会社の役員の方々は恐らく、私なんかの数百倍大変な思いをしていらっしゃるのだと思います。」
「抱え込んで、溜め込んで、悩んで……そうやって過ごしていると、ある日を境にいきなり笑えなくなります。会話や駄洒落のキレも落ちて、やる気も無くなります。果てには幸せが逃げていきます。気付くと、身体も心もボロボロに。」
「発散って大事なんだなぁと、最近遅くも気付きました。こまめにリフレッシュして、希望を胸に抱く。のびのびと笑ってみせる。そんな感じの小さなポジティブシンキングが。」
「けれどもそんなの難しいんです。世間とか社会とか、そういう暗雲に揉まれた大人達は無条件になんて笑えない。自分だけが幸せになんてなれない。そう、作り替えられていくものです。」
「…………誰にでも、失敗や悔恨は付きまといます。あの時ああしていればよかった、こうしていればよかった、取り返しのつかない事をしてしまった、って。」
「
「そしてその分、
「今更なんて遅い、ではありません。
「……童心のままで、いいんです。」
その柔らかい一言を最後にして、隣人は黙した。
暗がりにすらりと映る姿は凛としていて、美しく。
「大丈夫。なんとかなります。」
「機会があれば、また会いましょうね。」
静かにこの場を立ち去って、微かに名残惜しく。
(…………)
目下の舞踏会は謙虚さの欠片も無く、爛漫に続いている。
(……)
キラキラとした存在。まるで彼女のようにも感ぜられる。
(やりましょう……)
終わらせよう。これまでのシニカルジョークを。
(やるしかありません……)
平凡を逸脱する覚悟を持とう。あの羨望のままに生存しよう。
(桜田さんはアイドルでした。幸福を、笑顔を、私に届けてくれる個性でした。)
「…………もう、悔やむ事のないように。」
(今度は私が、偶像になる番だ。)
×
素晴らしい結末とも言えるのでしょうか。
「くそっ……近寄るな、近寄るな……っ!」
彼と彼女を取り囲む有象無象は緊急事態に荒唐無稽なダンスを披露している。アイドルよりも上手に出来て、偉いものです。
「た、助け……!」
案外この状況で冷静にいられる自分自身には、結構な驚きを隠せません。経験が生きているという事ですね。最悪ながらに。
「黙れ、黙れっ!殺すぞ北条加蓮……っ!」
三船美優個人としては、これを諦念や失望、失敗に悔恨とマイナスには受け取っていません。
「っ……ぁ……」
人通りの多い廊下でナイフを彼女の頸にあてがい、全員を脅す彼。誰も近付く事はしません。無闇矢鱈と挑発してしまっては彼女を失う事になります。それは防がなければならない。それに加えて、恐ろしいのです。自分の失われる事が末恐ろしいのです。
「余裕がないんだよ……分かるか北条。私はこの後、獄に追い込まれて終わりだ。確実にそうなる。ああ、絶対にそうだろう。だから一人くらいは殺せる勇気がある……お前とかな……大人しく人質でいろ……いてくれよ……?」
醜くも、残酷な程に美しく、彼も偶像にすがっていました。
「ごめんなさい……ごめんなさい……っ」
あの頃の私が、再度、頭をもたげたのです。
「さあ……三船、美優…………やっと、待ち望んだこの時が来た……悲願の成される、この時が……!」
描き出されるのは失敗と悔恨の人生路。
「
そして、抜け出す事の出来ない運命路。
そろそろ物語の核心に迫っていきますね。