「ごほっ、ごほっ……はぁ。」
味気ない空間。何も感じない。同じ日々の繰り返しだ。アタシは既にここに飽きていた。
窓の外では青空が堂々と広がっている。燦々と輝く太陽。たなびく雲。清々しい天気。最悪である。
どうせ外には出られないって分かっているのだ。アタシは縛られた存在。餌が吊るされているのに食べる事が出来ない憐れで盲目な馬鹿。庇護無くして生きる事は不可能な、そんなサイコーな奴。
体が弱いと心も弱くなる。磨耗した精神は身体を蝕む。だから無理をしてでも明るくいないと、アタシは本当に一生外へ出られなくなる。笑おう。最悪にキレイな日々を嗤おう。そうでもしなきゃ、希望なんて持てない。
しかしながら、幸運な事に一週間後、アタシは念願の外を味わえることとなった。今までの努力の成果だろう。顔が綻ぶのを久しぶりに感じる。
勿論、これまで外へは数えきれないくらいに何度も行った事がある。ずっと病院のベッドの上で生活していた訳じゃない。
でも、そこでもアタシは縛されて動けなかった。笑ってしまった。おかしくなるくらいの大笑いだ。
元来、笑いとは攻撃的なものらしい。それならばこの時のアタシは、怒りに狂っていたのだろうか。
アタシはただ、思い切り原っぱを走り回ってみたかっただけなのに。
誰もが普通に経験する事を経験したかっただけなのに。
(そんな当たり前が、漸く叶う。)
体調は芳しくないから憂鬱だけど、楽しい予定が先に待っていると考えるとネガティブな感情は些末に感じられる。
頑張れる。それが堪らなく嬉しかった。
「加蓮ちゃーん。点滴の確認に来ましたよー。」
いつもの時間になり、聞き慣れた声が部屋に入ってくる。女性にしては低めの声。看護職的には患者を落ち着かせやすいみたいなので彼女は自分の声を気に入っているらしい。
「いよいよ明後日ですよ。外に出るのは。」
彼女は作業を止めず、話し続ける。アタシにとっての運命の日をまさか忘れる筈がない。言及されるまでもなく、だ。
我慢の日々から解放される。それをどれほど待ちわびたことか。
今だけは病院特有の鼻につくエタノールの臭いにも腹を立てずに済む。
「加蓮ちゃんは外で何がしたい?」
「……関係ないでしょ。」
「興味あるな~。教えてくれない?」
「終わったなら早く出てって。邪魔。」
「……そっか。ごめんね。」
誰かが近くにいると心がざわつく。不快だ。なんとかして排斥しようと試みる。
こんな事をして、性格が悪い自覚はある。彼女は仕事をしているだけ。理解している。
でもダメだった。嫌悪感には勝てない。病院なんて嫌いで、注射は痛くて、夜は寂しくて。子供らしく当たり散らしてバカみたいだけど、それに抗えるほどアタシは強くなかった。
数分後、彼女が部屋からいなくなった。大嫌いな無音がまた戻ってきた。
意識してみると案外大きく聞こえる心臓の音。明日を待ちわびている。今日は念入りに体を労らないと。
幅を取っているベッドに寝転がって目を瞑る。ごろごろ動いて暇を潰すけどそれは直ぐに飽きてしまった。
明日起きる出来事はアタシの人生に於ける転換期だ。そういう確信がある。
そのせいか今日という日は人生で一番つまらない日になりそうだった。今日の感情が全部明日に吸い込まれてしまったみたい。
「晴れ空だ。」
運の良い事に、心地よい木漏れ日が部屋に射していた。体力の温存に最適な睡眠という手段がこれで取れる。
「昼寝しよ。」
十三日が楽しみだなぁ。
2011 10/12 13:47
×
俺は、色んな友人からカリスマだと言われて生きてきた。
何をしても皆は熱狂した。何をしなくても皆は俺に付いてきた。
沢山の人から期待されたし、羨望された。
俗的に云えば数え切れない程の女にモテたし、同様に俺に惚れない女など一人として存在しなかった。
そう……高垣楓を除いては。
別にそれが気に入らないとかは無かった。いつも自分に群がってくる女という存在は、俺からすればどうでもよかった。
けれども興味は持った。彼女は他とは違うらしい。その違いの正体がたまらなく知りたかった。
それに俺が彼女の事を好いているという噂が流れれば、他の女に告白されるような面倒事を避けられるかもしれない。
嘘を吐くのには充分な理由だった。
「望、俺、一目惚れだわ。」
彼は……望は、腹を割って話せる唯一無二の友人だ。ガキの頃は最低だった俺が人として、男としてやり直せたのは望のおかげだ。信頼している。
でも、だからこそ、秘密にしたい事もあった。まるで矛盾しているが、人生なんてものはいつもそういうもので溢れかえっている。
高垣楓に一目惚れしたという嘘も、俺のエゴでしかない。
人を虐げていた俺が今では人気者で、存在するだけで認められる。
人の為に行動し、努力を怠らず、信念を持って正直に生きている彼は埋もれていくのに、だ。
そんなのは間違っていると思う。
彼は将来、人を先導し、成功を修める人格者になる。その道を阻む障害はなにがなんでも取り除かなければならない。
(今の内に人望を作ろう。きっと望の役に立つ。)
勉強しか出来ない頭で必死に考えて行動する。
やはりここでも、高垣楓を利用するのが最善策であると俺は結論付けた。
彼と彼女の距離を近づければ、高校生活に加え、その後の人生にも良い影響を与えてくれるのは必至。
「声楽入らね?いや、一人じゃなんかさ。」
「なあ、頼む。楓さんと話そうと思うと心臓の高鳴りで死んでしまう。俺の良い情報を楓さんに流しておいてくれ。」
「だって二人きりとかまだ恥ずかしいもん。」
……結果的に、俺達三人は友人といって相違ない関係に至る事が出来た。
そして、次は何をしようかと考えていたとある休みの日、俺は彼女に呼び出された。
彼女ははにかみながら用件を話す。
望が好きらしかった。
それ以外は忘れた。
心に穴が空いたんだ。
認めたくなかった。
どうしても認めたくなかったけど。
考える事が出来ないくらいに体が冷たくなる。
嘘は……嘘じゃ、無くなっていた。
気づくのが遅すぎた。
もう間に合わないじゃないか。
しかもこれがまた驚くほどバカみたいに重たい感情で、自分で自分が気持ち悪くなった。
もしかしたら俺は、好きな人がいなくなったら自殺してしまうくらいの拗らせた男かもしれない。
高校二年生の俺はまだ幼かった。
友と恋を天秤にかけ、ずっと頭を悩ませていた。
×
彼と過ごした日々を忘れた事はない。だって、自分の人生を輝かせてくれたのは彼なのだから。
その思い出の中でもとりわけ印象的なのは、勿論あの日。
「来たぞーっ……温泉!テンション上がるぅ!!」
そう叫ぶと、彼が少し困った顔をしたのを覚えている。
懐かしいなぁ。凄く楽しかったんだよね。全てのしがらみとか嫌な事を忘れてとことんはしゃいだんだっけ。
青春ってこういうのを言うんだろうなって、ニコニコ笑って満喫してた。
……正直、彼が好きだった。それもあって明朗だったんだろうね、昔の自分は。
ううん、今も好き。男女の想いで、好き。
だけど間違えちゃった。沢山、取り返しのつかないもの。
その内の一つはこの旅行の日の夜。
「来たぞー☆めちゃかわな乙女が☆」
温泉で濡れた髪すら乾かさず、彼の部屋に入る。
一緒にいたくて何も考えず突入した。あぁ、馬鹿だ。
ドキドキする心臓。焦った精神を落ち着かせる為に彼の呑んでいたお酒を一口奪う。
「強い。」
そう言うと彼はぶっきらぼうに返す。
「25度。」
「いいね。ちゃんと酔えそう。」
もう自分で何を言っているのかよく分からない。ただ愛が溢れて、頭が幸せに犯されている。変な感情に支配される。
「どうしたんですか先輩。そんな薄着だと湯冷めしますよ。」
その言葉に悔しさを感じる。何でそっちは緊張してないの。こっちは邪な想いを抱いているのに。まるで私が道化みたいじゃん。
「……肌見える方が嬉しいかなって……なんちゃって……えっと、うん。」
そんな感情から出た誘惑。探る為の撒き餌。
揺れてほしい、ドギマギしてほしい、どうせなら真っ赤な顔を拝ませろ~って思って、恋情に浸かった脳ミソは言葉を発させた。
「旅行って楽しいね。思い出が沢山できたよ。」
「あの…………仲良くしてくれて、ありがと。うん。」
もう止まれなかった。好きで好きで仕方なかった。
「言いたい事があるから言うね。」
「好きだよ。」
「っ……」
私の告白の後、彼は喉から声を漏らした。
暫くの時間が経つ。一秒、二秒、三秒。無限にすら感じた。
自分自身の脈動が恐ろしく大きく聞こえる。もうさっきまでの淡い幸福感は無くて、今はただ、言ってしまったという確かな恐怖感で足がすくんでいた。
拒絶されたらどうしよう。甘い想いのまま流されて、本当に私の望む回答が来るのかな。重くないかな。そもそもいきなり何をやってるんだろう。これってただの卒業旅行じゃなかったのかな。何で自分で壊しちゃったんだろう。
色々な考えが途端に思い付いて、全身に氷水を浴びたみたいに怖じけ付く。
(彼はどんな表情をしているかな。)
にわかな期待。大きな憂鬱。好奇心は止まない。僅かな希望を掴ませてほしいと願って、汗が滲む。
好きだ。大好きなんだ。同じ気持ちであってほしい。好き、好き、好き、好き……
現実感の薄らいだ呼吸を行いながら、徐に彼を見る。
そうして悟ってしまった。
苦虫を噛み潰したような顔。
背けられた瞳は遠く違う人を見つめている。
一縷の望みは砕かれた。もう無意味だと。
頭の中がドス黒い何かで埋めつくされて、曇天の空。
ものすごく醜悪な感情。抑えきれない。
そんな自分が気持ち悪くて、その時は寝たふりをした。
強大な孤独感と自責。彼を見れない。見たくない。
(私はどんな表情をしているかな。)
どうせぐちゃぐちゃなんだろうな。
心は顔に出るって言うしね。
彼は私にタオルケットをかけてから外に出た。
優しいなぁ。
(でも、優しくなんてしないでほしかった。)
自分が自分でなくなる心地がする。あいつには他に好きな女がいるんだって!へぇ、それはどんな人?
「…………重過ぎでしょ。」
妬ましい。そんな想いを初めて知った。
それは、私にどんな事でもさせる気がした。
だから、次の日からは装ったよ。
昨日のはまやかしだって暗に伝えた。
また元通り。いつもと同じ。
そんな訳ないのにね。
×
2018 8/7 20:16
中辻は死んだ。
葛城は重体。
飯田と先輩は行方不明。
桜田は逮捕された。
そして先程。
(三船美優が、死んだ。)
あの事件の後、俺が見た事は少ない。
警察や救急車、マスコミが大量に押しかけた。
俺は怪我をしていたから、病院に行く事になるのは分かっていた。
しかしそこにまさか、絶命直前の美優が運ばれてくるとは思いもしなかった。
加蓮も肉体的、精神的ショックで入院。現在、上階の端の部屋に奏と一緒にいる。
余りにも救われない結末だった。
加蓮の事を考慮せずに再度過去へ戻ろうにも肝心の写真がない。携帯もないからデータで遡る事もできない。
家に帰ろうにも帰れない。警察の方々がここに来るらしかった。
事務所にも事情を説明しないといけない。
美優が死んだと。
(違う、明日にでも戻ればいい。そうだ。もう一度やりなおそう。)
ざわつく感情を落ち着かせる。今日という日は消えて、誰もが笑えるハッピーエンドになる筈だ。
なんとかなる。頭を使って、論理的に。
「大丈夫?無理してない?」
「……ごめん。ちょっと、ヤバそうかな。」
「そっか。そう、だよね。」
待合室のソファーに座る俺へ話しかける心。
事件の連絡は彼女の元にも当然伝わっていた。急いで来たからか、未だに彼女の額には汗が滲んでいる。
「あーあ……なんか、なんだろうな。虚無というか魂のぬけ殻というか……大事な人が死ぬって、自分も死んでいく感じ。」
心は覇気のない声色で独白する。俺には言葉を返す気力もない。
淀んだ空気が流れる。人生はここまで狂えるものなのかと自嘲する。
「プロデューサーは死んじゃダメだよ。」
彼女はひとりごちる。
分かってる。
俺が死んだら、美優を救えない。
こんな結末は認めない。
自分の為に誰かが死ぬのは
北条加蓮は一人だと生きていけない。無様。生き恥。無意味。死に損。
(こんな人間こそ死んだ方がいいのに。)
最初に犠牲になったのは名前も知らない大学生だった。
2011年10月12日。次の日が人生最高の日になる予定だった。
神様は意地悪でひねくれている。
その日の夜、原因不明の体調不良でアタシは生死の狭間をさまよった。
それが点滴ミスによるものであったと、後になって判明した。
その最中に、瀕死の重症を負った女子大学生が搬入される。通り魔に刺されたらしかった。
お世辞にも大きな病院とは言えなかった。手練れの医者も少ない。
しかも自分が相当危ない状況だったそうで、より若い自分が優先された。
結果、彼女が死んだ。命は捨てられた。
大丈夫。大丈夫だよ。私は加蓮ちゃんの味方だから。
鬱屈としていたアタシにそう声をかけた看護師の嘘臭さ、不信感。
抱くは他者への疑問。
(美優さんがアタシを庇って死んだ。)
涙が止めどなく溢れる。それは枯れる事を知らない。
ベッドの上で点滴を垂らされ、希望は消え失せた。
あの時に戻ってしまった。
(辛くて、恐くて、冷たくて。)
プロデューサーさんはまたやり直すのだろう。ひたすら愚直に、強い精神で。
アタシはもう駄目だ。何も、考えたくない。逃げたい。
(少ないチャンスを頑張っても、失敗だらけの人生……アタシってホントに生きる価値ないなぁ。)
「泣いてるの、加蓮……?」
呟いたのは奏。こんな自分を心配して、側にいる。
「腕、痛む?」
首を振る。
「そう……お腹は?」
もう一度横に。
「…………」
しんとした沈黙。数秒経ち、顔を俯けた彼女が呟く。
「……私はずっと味方だから。」
アタシは返事もせず、まだ静かに泣き続けていた。
失敗ばかりの劣等生なのに。泣いてばかりの役立たずなのに。
ほんの少しだけ救われた心地がした。
20:33
「ねぇ、楓ちゃんは?」
彼女が俺に問う。
「心が来る前にどこか行った。俺にもよく分からない。」
「……なんか言ってた?」
「……?」
何に対してだろうか。彼女の面持ちは重い。
「私の事とか、美優ちゃんの事で。」
「あぁ……覚えてないな。言ってたかもしれない。」
頭の中は戻った後の事でいっぱいだ。空返事になる。
「急にどうした。やっぱり皆が心配か。」
「うん。」
「俺に任せてくれ。どうにかするから。」
「できないよ。」
「安心してくれ、俺はできる。」
「時間でも戻るの?」
「…………それはできない、けど。普通は。」
「だよね。戻れたらいいのにね。」
「そう、だな。」
「誰も見捨てないなんて不可能。だから……せめて大好きな人だけはって。」
「……何を言って?」
「美優ちゃん殺したのは私なんだ。」
「……笑えない冗談はやめろ。」
「ここに来る警察も味方なの。」
「なぁ、話聞けよ……」
「今日で全てが終わるの。」
「心!!いいかげんに……っ!」
「ホントだよ。プロデューサー。これが私の決断。」
初めて聞く冷徹な声。楚々とした佇まいにこれまで感じた事のない真剣さ、鬼気迫るもの。
困惑を隠せない。
告白。
二度目の告白は信じられない、信じたくもない内容だ。
今日で終わる?何が?
冗談も大概にしてほしい。
「嘘つくなよ。美優を殺したのは桜田だ。そもそもお前は現場にいなかっただろ。」
「うん。」
不服そうに首肯される。
「そもそも終わるって、一体何が終わるんだ?」
「あなたと加蓮ちゃんは知りすぎたんだ。」
「は?」
そう言って鞄から彼女が取り出したのは、
「終わるのは、二人の命だよ。」
更新が途絶えてた理由は活動報告に書きましただからごめんなさいゆるして頑張って沢山絶望させるから(意味不明な供述)