16:25
一人、階段を歩く。四階。
奏には先程と同様に待機メールを送り、加蓮にはアプローチをかけずそのままレッスンルームへ行かせた。
三階。
これで奏が怪我をする未来はなくなる。俺が誰かは分からんクソ野郎に突き落とされてハッピーエンド。
二階。
さあ、やれよ。クソッタレ。
……一階。
(…………?)
何も起きない。
時計を確認する。時刻に違いはない。
何故何も起きないんだ。誰かが突き落とされて足首を捻挫するのは確定事項だろう。その役を買って出てるんだぞ。早く落とせクソ野郎。
それともなんだ。確定事項自体が間違いとでも言いたいのか。
付随情報があるのか。
分からない。全然分からない。
(俺は大希と違って頭が良い訳じゃねぇんだ。止めてくれよ。)
と、隙間風の音が微かに響いているのに気付いた。
(風……どっから吹いているんだ……?)
この状況に少し混乱していた俺はただ風が吹いているだけなのにそれをおかしいと思ってしまった。
風が吹く事の何がおかしいのだろうかと今は思う。
が、しかし、それが幸を奏したのも疑いようのない事実だった。
(ドアが開いてる。さっきは閉まってたのに。)
二階の階段と廊下を隔てるドアが、僅かに開いていたのだ。
耳を澄ますと、そのドアの向こう、つまり廊下から足音がした。遠ざかっていく。
「……そういうことかよ……っ!」
はっとした俺は急いで一階から二階へ上がり、完全にドアを開け、走り去って行く人影を追いかける。
(妙にタイミングのいい奴だと思っていたがそこから見ていたのかっ!)
だがそうするとおかしい点が一つある。
何故俺は突き落とそうとしなかったのか。
単純な答えだ。そしてその答えは、付随情報について考えてた時も浮かんだものである。
(即ち、誰かが突き落とされて足首を捻挫する、じゃなくて、アイドルが突き落とされて足首を捻挫する、という事だったんだ。)
そもそも加蓮が突き落とされた時に考えるべきだった。
俺が加蓮を呼び出した事は誰も知らないはずなのに何故犯人は知っていたのか、と。
それが思い付かなかったとしても、犯人がなんのためにこんなことをやったのかを考えるべきだった。
奏が怪我をしないようにすることを考えるだけじゃダメなことに気付いていなかった。
犯人がアイドルなら誰でも突き落とすつもりだったという事が加蓮の件から分かり、アイドルを傷つけてメリットの生まれる奴が犯人であることも分かった。
なら、ここで奏を救う云々を完遂した所で再犯される可能性があるではないか。
しかも、加蓮や心、みゆねえ、高垣さんに被害が及ばないという保障はない。
このクソ野郎の正体を暴いて、白日の元に曝さなければ、このタイムリープは成功し得ない。
こいつみたいな社会の宿痾は、絶対に許さない。
「逃がすかよ……っ!」
16:58
見失わないよう躍起になって犯人を追いかけていると、スマホが震えだした。
ちひろさんからの電話だった。
(……いや、『それ』は有り得ない。犯人は逃げ続けてるのだから。)
奏の時と状況が被って、焦る。
だが犯人は今も逃げ惑っている。そういう電話ではないだろうと思いながら俺は電話に出た。
17:52
鼻血を拭くのも忘れ、呆然とトイレの個室で立ち竦む。
「加蓮が、レッスンルームで、足首を捻挫……」
ちひろさんの電話の内容は、加蓮が自主練中に怪我をしてしまった、というものだった。
アイドルが突き落とされて足首を捻挫する事も必然ではなかった。
足首の捻挫のみが必然性を持つ事象だったのだ。
「結局あのクソ野郎も見失ったし……クソっ。」
電話に気をとられたせいで犯人には逃げられた。男か女かも分からないまま。
「…………落ち着けよ。俺。」
犯人が16:25に二階のドアの向こう側にいる事、そしてそいつがアイドルを突き落とそうとしている事が分かったのだ。
これを使って今度こそ犯人を捕まえる。
「難しくやろうとしすぎなんだよ。もっと単純に考えろ俺。世界は人が思う程難しくはないんだ。」
奏を救い、犯人を暴く。
難しい事じゃ、ないだろう?
16:20
今回のタイムリープは、干渉を出来るだけ控えた。
早めに346へ到着した以外、最初と同じである。
奏は犯人のメールによって階段まで来るし、加蓮は自主練しにレッスンルームへ行く。
これじゃ駄目だと誰かが言うかもしれない。
いや、これで良い。俺はそう確信している。
今までタイムリープを理論がなんだ必然がなんだと難しく解釈していたが無駄だった。
変に過去をねじ曲げるよりかは、一つだけスパッと過去を変えた方が成功しやすい事に漸く気付いたのだ。
だるま落としだってそうだろう。
一思いに力を込めてやった方が成功する。
俺は今二階の廊下にいる。階段へ向かっているところだ。
(奏が犯人の思惑通りに階段を過ぎようとする方が油断するだろう。)
実際そうだった。
廊下の影に隠れて階段の方を見ると、格好の変わらないクソ野郎が僅かに開けたドアから上を見つめていた。
(ハナから犯人を捕まえようとしていればよかった。)
悪いとは言わないが、奏を救うためのこれまでのタイムリープが滑稽に思えてきてしまう。
(……もともと、過去に戻ってやり直してる時点で滑稽ではあるんだがな。)
思いながら、そっと、足音を、たてぬよう、近づく。
そっと、そっと。
抜き足、差し足。
(俺のアイドルに夢中なのは嬉しいが……)
怪我させて終いにゃ泣かせたってのは許せないかな。
「おい。」
静かに声をかけながら距離を詰める。拳の届く距離まで。
相手は驚いているようだ。帽子を目深に被っていて詳しくは分からないが。
まあ、何をするかは決まっている。
俺には怒りって感情があるからな。
殴らせろ。
×
腹に一発の殴り、これまでの恨みを込めて『足首』に三発の蹴り、顔に一発の張り手を食らわせて帽子を剥ぎ取った。
その姿に俺は声を失う。
「…………何やってんすか、先輩。」
左頬の赤く腫れた、床に伏す先輩プロデューサーが、そこにいた。
犯人だった。
先輩が犯人だった。
あの温厚で、優秀だった先輩が。
(わけ、わかんね…………)
「やりすぎだろお前……いって……足首真っ青じゃん……」
ぼそぼそと呟かれる。
「何やってんすか。」
震える声を隠しもせずに質問をした。
「うっわ。やべぇなこれ。くそいてぇ。」
平気そうな声色で何かをほざかれる。
……ふざけんなよ。
「……な、何やってんすかっ!」
感情をあらげてもう一発顔を殴ろうとする。が、掌で拳を止められた。
「分かってんだろ。じゃなきゃこんなにやられねぇだろうし。」
俺の問いに、冷静にそう答えられた。
それに俺は、ただ絶望して。
失望して。
悲しくて。
ただ泣きながら。裏切られたと思いながら。
「…………お前、人間のクズだよ。」
「そうか。」
「人の事考えろよ社会不適合者。」
「ああ。」
「許さねえからな。絶対に。」
「知ってる。」
「辞職に追い込ませてやる。」
「……クソ野郎。」
全てを諦めたような瞳で俺を見る先輩。
その見当違いで馬鹿馬鹿しい意見に腹が立ち、俺は伏したままの『本物のクソ野郎』の腹を蹴りあげる。
「っぐ……げぼっ……っ……」
痛みに地面を転がる先輩。ざまあみろ。
「どっちが本当のクソ野郎か、そこでいつもみたいに検討してろ。」
時計を確認すると、既に事件の時間は過ぎていた。
多分これで大丈夫だろう。こいつの足首も捻らせておいたし。
共に過ごした嘘の一年間を振り返り、悲しくなる。
まさかアイドルを蔑ろにするような人だったなんて、と。
人として、勿論プロデューサーとしても、最低である。
こいつみたいな社会の宿痾は、絶対に許さない。
排除してやる。
どうせ、嘘だったんだ。あの楽しかった日々は。
悲しさなど、感じなくていい。
泣かなくていい。涙なんて止まれ。
ただ、こいつを。このクソ野郎を。
22:43
未来へ戻ると、そこはトイレの個室ではなく人通りの少ない歩道だった。
(これは、高校の時と同じ…………っ!)
ズキズキとする頭痛とある程度の鼻血。
しかもこの時間。
これは未来が大幅に変わったということだろう。
と、
(っ!な、なんだこれ……記憶が……っ!)
覚えのない記憶が頭の中を巡っていく。
あの後先輩プロデューサーは医療室に運ばれた。
奏と加蓮を含む担当アイドルは無事であった。
彼を運んだのは俺。
怪我の原因を訊かれた時、先輩は暈して答えた。
俺は17:30にプロジェクトルームへ行った。
少し後にプロジェクトルームに来た奏がメールの件で怒った。
途中、加蓮が乱入した。
____
記憶の流れ込みが止まった。夜の道を一人で帰るところでだ。
どうやら記憶の補完のようだった。
スマホのメール欄を開く。
そこには日常が記されているだけだった。
(…………救えた、のか。)
良かった。
《「こんな、小さな失敗をしなかった過去に書き換えるわ。」》
「感謝しろよ奏。お礼はキスな。大人っぽいお熱いやつ。ははっ。」
暗い夜道で一人ごちる。
一粒の涙が、俺の目から落ちた。
重い……重くない?