帰りたい。けれど帰れない   作:紺南

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第13話

「見ててください」

 

そう言ったリインが、掌からこぶし大の水球を生み出した。

ゆっくりと回転するそれは、時折気泡を吹きながら、重力に逆らいリインの掌の上にある。

お手玉のように宙に投げても形が崩れることはない。掌に戻ってきたとき、タプッと崩れそうになるが、粘性があるのかすぐに綺麗な円形に戻った。

握りつぶした時でさえ、数秒かからず元の形になる。その間、床には一滴もこぼれていない。

 

俺たちはそれをまじまじと見つめる。

七夏と和人と俺は出来る限り顔を近づけ、水球を観察した。

ベッドの上ではリュウが首を伸ばしてこちらを見、霧絵がいつもの無表情でやはりこちらを見ている。

時おり、思い出しように何か仕掛けがないかと辺りを手で探ってみるも何もない。

 

これが魔法……。

思わず呟いた言葉にリインが頷く。

 

「これが魔法です。面白いですか?」

 

「少なくとも興味深い」

 

三人に迫られ、若干逃げ腰だったリインは俺の返事に気を取り直したようで、「触ってみます?」と水球を突き出してきた。

恐る恐る突っつく。弾力があり、突っついた指は跳ね返ってきた。

 

「どんな感じ?」

 

「柔らかい」

 

「水なのに?」

 

「なんか水風船みたいな感じ」

 

七夏がしつこく感想を求めてくる。

というかお前ら一回見てるんだろと言うと、「見ただけ。触ってない」と言われた。

 

「七夏さんたちも触りたいならお好きにどうぞ」

 

「よし。じゃあ、触るわよ……。さ、触るわよ……。触るからね? 触っていいのよ……ね?」

 

「いいから早く触れ」

 

かなりびびっているのか、何度も確認してきて凄く鬱陶しい。

チラチラと横目に見てくるのはどういう意図があるのか。

背中を押してほしいのか。なら押してやる。

 

「ほれ」

 

「ひっ!?」

 

七夏の手首を掴んで、水球に触れさせる。

一度悲鳴を上げたかと思うと、すぐに押し黙ってしまった。

 

「どうよ」

 

「うん……」

 

反応は鈍い。指先の感覚を堪能しているらしい。

触っている内にその手付きから遠慮がなくなっていく。突っつくだけだった手は、今や鷲掴みでこねくり回し始めていた。

 

「水風船……と言うよりは、おっぱい触ってる感触だわこれ」

 

「そんな感想はいらん」

 

と言いつつ興味は深々だった。胸ってこんな感触するのか。

先ほど突っついたときの感触を思い出す。うーん?

 

「すご……」

 

「胸の感触に感動してるのか」

 

「誰がそんなものに感動するか。いつでも触れんのよそんなもんは」

 

一しきり触りつくし、充実感に満ち満ちていた七夏だったが、一言冗談を言えば一転それは鳴りを潜める。

かくいう俺は満足してない。胸の感触だということを聞いてしまった以上、もう一度触らずにはいられない。

 

「もう一回触らせてくれ」

 

「アスカさんはもう触らないでください。次、和人さんどうぞ」

 

「なんでだよ」

 

思わず文句を言うと、リインは「メッ」って感じで水球を遠ざけてしまう。

意味不明だが、触るなということなら触る訳にもいかない。

 

「おぉ……。なるほど。確かに、これはおっぱいみたいな……」

 

和人が一人で感動している。

ちょっと聞き逃せないことを言っていたが、果たしてこれは今触れても良いものなのか。

まあ、誰も触れないのなら俺も触れないでおこう。

 

「さっきからそちらでそわそわしてるリュウさんはどうしますか?」

 

「いや、俺は……」

 

触りたそうにしながら固辞しようとするリュウ。

リインは「そうですかー」とあっさり引っ込めようとしていた。

勿体ない。ちょっと揺さぶってみる。

 

「こんなの二度とない機会かもよ?」

 

「む……」

 

「そうだね。水の球に触る機会なんてそうそうないだろうね」

 

「むぅ……」

 

唸って、悩む。

ぐずぐずと優柔不断に決めきれないリュウに、七夏が大きな溜息を吐いた。

 

「悩むぐらいなら触ればいいでしょ」

 

「いや……」

 

「口答えしない。ほら、立つ」

 

「……」

 

結局、リュウも俺たちと同じように水球に触れて感動していた。

そして順番的に最後は霧絵の番になるのだが。

 

「では、霧絵さん?」

 

「いらない」

 

「いいんですか?」

 

「どうでもいい」

 

ベッドに腰かけ頬杖をつく霧絵は本気の本気で興味がなさそうだ。

念のため「いいのか?」と俺からも聞いておく。こくりと霧絵は頷いた。

 

「ふむ。ではそういうことで」

 

見る見る内に小さくなる水球は、俺たちの目の前で完全に消えてしまう。

辺りを見回しても、あれだけの量の水はどこにもない。蒸発してしまったのだろうか。いや、どちらにしてもありえない現象だとは分かっているのだが。

 

「さて、魔法をご堪能いただいたようでなによりです」

 

順繰りに俺たちの顔を見るリイン。

 

「異世界であること、納得していただけましたか?」

 

最早、ここが異世界であることに異を唱える気はなくなった。

あんなもの、もし地球で再現しようとするなら大がかりな機械が必要になるだろう。

間違っても人が触れる環境じゃできないと思う。

 

頭の中で可能性が潰えていく。異世界と言う単語が現実味を帯びて、信じないわけにはいかなくなった。

けれど、頭では分かっていても感情はそう思い通りにはいかない。強情にもまだこんなことを言ってしまう。

 

「実は種か仕掛けがあるんじゃないか?」

 

「種は魔力。仕掛けは魔法です」

 

魔法。魔力。どちらも聞き覚えはある。

しかし実際に口にするのは小学生か中学生ぐらいまでだろう。異世界か……。

 

「先ほど七夏さんがおっしゃっていましたね。『凄い才能があって』と」

 

「……言ったけど?」

 

「実を言うと、我々もそれを期待しています」

 

七夏が言葉を失う。

先ほど小馬鹿にされていたにもかかわらず、七夏の妄言は意外に的に掠っていたらしい。

 

「勇者とまではいきませんが、もしかしたら異世界の方々は魔法が使えるんじゃないかと。そう思っています」

 

「……もし、魔法が使えたら?」

 

緊張を滲ませて問う。

先ほど水球できゃっきゃしていたのが嘘のような緊張感。

 

「魔法が使えたらいいですね。というお話です。それ以上のことは何も考えていませんよ」

 

「さっきの、七夏の話じゃないけどさ。もし、本当に僕たちに勇者みたいな才能があったのなら、君たちの対応って変わってしまうんじゃないのかな?」

 

「と、言いますと?」

 

「異世界から強い人を呼べるなら、呼んでしまおうって思わない? たとえそれがどんなに低い確率でも」

 

和人とリインが見つめあう。

最早睨みあうと言っても良いほど、互いに目力が強かった。

 

「召喚の魔法は不完全ですし、おいそれと使える物でもありません。その可能性はほぼ無いかと」

 

「確率が1%でも、起死回生の一手に成り得るなら使うんじゃないかな? 追い詰められた人間は何をするか分からないって、僕らの世界でもよく言われることだけど」

 

「確かに、人間は追い詰められるほど愚かになりますね。藁にも縋るなんてよくある話です」

 

頷き、同意しながら、リインは続ける。

 

「まあ、しかしご安心ください。召喚の魔法が使えるのはこの国で私一人です」

 

「今はそうなのかもしれない。でも、この先も君一人とは限らないだろう。それに世界で見たらもっと多くの人が使えるんじゃないのか? なら、僕たちの考えてる――――」

 

「そうじゃないんです」

 

リインは首を振る。

和人の必死さに比べ、リインの態度は何とも緩慢だった。

余裕に満ちているとも言える。その余裕が俺たちには不気味に感じられ不安になる。

 

「後で詳しくお伝えしますが、人は魔法を一種類しか使えません」

 

「あー、んー……ちょっと待って」

 

まだ魔法って単語がナチュラルに出てくる状況に和人は適応できていなかった。

理解が追いつかなさそうだと周囲に助けを求める。

そういうことなら、一番そういうことに詳しい七夏がバトンを受け取った。

 

「つまり、人類は一つの魔法しか使えないってこと?」

 

「いいえ。一種類です。それも人類全体で一種類ではなく――――うーん、どう説明しましょうか……。先ほど、私は水球の魔法を使いましたよね? あれを水球ではなく、水の魔法だとお考え下さい」

 

「水の魔法? ……あ、もういい。分かった。つまり一属性しか使えないってことね?」

 

「その通りです。正確には個人の適正属性しか使えないってことです」

 

リインが拍手する。それを受ける七夏は胸を張った。

今の会話で二人とも分かり合ってしまったようなのだが、傍で聞いている俺にはちんぷんかんぷんだった。

 

「属性って何よ」

 

「ろくにゲームすらやったことのない男は、そのまま無知を悔いて死になさい」

 

あまりにひどい。ついに死ねと来たか。

最近リアルに死を覚悟したからか、いつもなら聞き流せるその言葉が今はやけに突き刺さった。

 

「和人、分かる?」

 

「うん」

 

「リュウは?」

 

「一応は」

 

「霧絵?」

 

「まあ」

 

「あんただけよ。分からないの」

 

「へえへえ。無知で申し訳ありませんでした。愚かな私めにも分かるよう教えていただけませんか?」

 

「むかつくから教えない」

 

「ふざけんな教えろ」

 

「死ね馬鹿」

 

喧嘩を始めた俺たちの間に和人が割って入ってくる。

 

「まあまあまあまあ。落ち着いて。二人とも興奮しすぎだよ」

 

和人の背中越しにリュウに宥められる七夏が見える。

呆れ顔のリュウとぷいっとそっぽを向く七夏。それだけ見ればいつも通りの光景だ。わざわざ怒る必要もないぐらい見慣れた光景だ。

和人の言う通り、確かにちょっと興奮していたかもしれない。

 

「じゃあお前が教えてくれ。属性って何?」

 

「うん。でも、アスカってゲームやったことあるよね」

 

和人の口から具体的なゲームの名前が出てくる。

俺たちが小学生ぐらいの時に流行っていたゲームだ。

確か俺もやったことがあるはず。

 

「ああ。あるな」

 

「あれやってるなら分かると思うよ。属性攻撃って聞き覚えない?」

 

「ない」

 

即答したら、和人は露骨に顰め面になった。

心配そうな視線に見つめられ居心地が悪くなる。

変なこと言ってしまっただろうかと不安になるが、記憶にないものは仕方ないだろう。

 

変な空気が漂う俺たちの間に、いつの間にか近づいて来ていた霧絵が顔を突っ込んでくる。

 

「アスカの記憶力は当てにしない方がいい」

 

「でもこれ本当に酷いよ。僕確かアスカの口から属性攻撃って聞いたことあるから」

 

「いつ?」

 

「小学生ぐらいかな」

 

「覚えてねえ」

 

「アスカ……」

 

「ほとんど障碍者」

 

霧絵の言いっぷりも中々に酷い。

 

「アスカさん、昔の記憶ないんですかー?」

 

今まで黙って見ていたリインまで入ってきた。

訊ねる声には少し熱がこもっているように思える。

 

「いや、あるよ。たぶん」

 

「今回の召喚でなくなったとかではないですよね?」

 

「それは知らんけど」

 

「昔からだからその心配はない。帰ったらまた病院に連れて行く。セカンドオピニオンが必要かもしれない」

 

「そうした方がいいよ」

 

本気で心配そうな和人の顔。「へえ」とリインが興味深そうに相槌を打つ。

霧絵が俺の手を掴んでベッドまで連れて行こうとした。握る手の力強さと来たら、心強すぎて、重病の見つかった患者のような気分だった。

大雑把にベッドメイクされ、ここで寝ろと指示される。しずしずと布団の中に潜り込もうとして、「待ってください」とリインに制止された。

 

「属性についての説明は私からしますよ。馬鹿でも分かるように簡単にお教えしますので、わからないことがあればその都度聞いてください。大丈夫。ちゃんとご理解いただけるまで最後まで教えます。私諦め悪いんですよー」

 

「俺普通に高校行けるぐらいの頭あるんだけど」

 

ぼそっと呟いた高校って単語がリインにはピンとこなかったらしい。

はてなと首を傾げられる。いや、この反応はもしかしたら聞こえなかったのかもしれない。

 

「魔法には『属性』があります。あるいは『系統』とも言いますね」

 

「ああ……」

 

説明初っ端、系統って単語だけでピンと来てしまった。

 

「例えば、先ほど私が水球を出しましたが、あれは分類すれば『水属性』あるいは『水系統』の魔法と言うことになります」

 

「ああ。いや、もういい。わかった。大体分かった。騒がせて悪かった。ちゃんと理解した」

 

手を振って止めさせる。

一度理解してみれば、こんな簡単なことで分かんねえとか言ってた自分が恥ずかしくなってきた。

 

「ほんとですかー?」

 

「わざわざ語尾延ばすな。憎たらしい」

 

くすくすと笑うリイン。

馬鹿にされている訳ではないと信じたいが、自分より年下の子供に教えられると言うのは思ったより恥ずかしかった。

これでよく知っている相手なら恥ずかしさなんてないが、出会って一日と経たない相手だとどうしてもそう感じてしまう。

 

「つまり、あれだろ。水属性の魔法って言うのは水関連の魔法ってことで、人は一つの関係の魔法しか使えないってことだろ?」

 

「はい。その通りです。良くできました」

 

パチパチと拍手される。

信じたいけど、やっぱりこいつ俺のこと馬鹿にしてるよなあ……。

こいつのこと信用するのはやめよう。

 

「そういうことですので、和人さん。召喚魔法の使える人間は世界中探しても、ごくごく少数ですので、そんなに心配なさる必要はないですよ」

 

「そう、なんだね。わかった。そういうことなら――――」

 

「ちょっと待って」

 

言いたいことは多々あるだろうが、一先ず納得しかけていた和人を七夏が遮る。

 

「おかしくない? あんたさっき、水の魔法使ったわよね?」

 

「はい」

 

「それに加えて召喚魔法も使えるっていうのはどうして? 一属性の魔法しか使えないって言ったじゃない」

 

「ああ、それはですね」

 

確かに、人が一つの属性しか使えないと言うリインの言葉が正しいのなら、水の魔法を使ったリインが召喚の魔法を使えるのはおかしい。

その時点でリインの説明は破たんしている。

 

「簡単なことですよ。私は特別なんです」

 

「……具体的には?」

 

「私は色々な魔法が使えます。一属性だけでなく、数えるのが面倒になるぐらい、たくさんの魔法が」

 

世界で私ぐらいなもんですよーと、誇るでもなく胸を張るでもなくただ淡々と。

自分の特異さを伝えるリインの言葉を、俺たちはどう呑み込めばいいのだろうか。

顔を見合わせる俺たちに、リインは平坦な調子を崩すことなく続ける。

 

「ただ、この世界では私一人ですが、異世界人である皆さんはどうなんでしょうね」

 

そこのところを我々は期待しているのですと、リインはこともなげに言ってのけた。

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