帰りたい。けれど帰れない   作:紺南

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第15話

リュウの声に答えて立ち上がる。部屋を出て行こうとする俺の背中に「いってらっしゃい」と霧絵が言った。

こんな時でもいつも通りなその声を聞くと、自分の置かれている状況をほんの一瞬忘れることができた。

穏やかに「いってきます」と言える。

こんな時だからこそ、日常と言うのは大事なんだとしみじみ思う。

 

部屋の前にいたリュウは泰然とした顔をしていた。

その顔を見て、聞きたくもないが一応聞いておこうかと口を開く。

 

「感想聞いていいか」

 

「……」

 

何も言わないまま、いつも通りの足取りで二つ隣の部屋に入っていった。

あのリュウが何も答えてくれなかったことが既に恐怖だ。

こわやこわやと内心呟く。どれだけ冗談めかしても実際怖いものは怖い。

 

扉の前で深呼吸する。緊張している。あんなもの見せられてはそれも当然だ。

あえてノックはせずに部屋に入る。

先ほどまでいた部屋だ。呼ばれているんだし礼儀も糞もない。中に誰がいるのかまで知っているのだから。

 

扉を開けてすぐ正面に、リインがベッドに腰かけて待っていた。

足をぶらぶらと揺らして、退屈そうな目で俺を待っていた。

 

「さっきぶりですね」

 

「ああ」

 

リインの横に腰かける。

人一人分の距離はあったのだが、すすっとなきものにされた。

 

「アスカさんで最後です」

 

「本当に全員やったのか」

 

「四人とも魔力はありました」

 

どなたも可愛い反応でした。

嘯くリインに呆れる。

 

「あほかよ」と呟いた。

「むふふ」と忍び笑いで返される。下品な笑い。余計呆れる。

 

こいつとは何だか随分長い付き合いな気がするが、実際のところ出会って数時間も経っていない。

それなのに不思議と数年来の付き合いがある気がした。思い返せば出会ったその時から遠慮なんてなかったし。

傍若無人なこいつに遠慮なんてすれば食われるだけだと、本能で察したのかもしれない。

 

「大分手加減も分かったので、身構える必要はありません。精々『んっ』と感じるぐらいです」

 

「安心したよ。手早く済ませてくれ」

 

左手を差し出す。

それをリインは両手で包み込むように握った。

きゅっと胸に抱かれ、しばし沈黙が流れる。

流れてくる物を待っていたが、一向にその気配はない。

 

「いや、早く流せよ」

 

「流してますよ」

 

え、いつの間に。

いや、それよりも。

 

「なんも感じないんだけど」

 

「……」

 

リインはさわさわと俺の手を弄り始める。

手首の方を握ったり、指先を撫でたり。

そうして、「流してますよ」と同じことを繰り返す。

 

「ぴくりとも感じませんか?」

 

「なんも」

 

「こちょばしかったり、ぞわぞわしたりもしませんか?」

 

「しない」

 

「……」

 

少しの沈黙。

短い間を経て、

 

「不感症?」

 

首を傾げつつそんなことを問われる。

 

「ちげえし」

 

「自慰行為はどれくらいの頻度でやってます?」

 

「それは答えなきゃいけない質問か?」

 

「冗談です」

 

指を絡ませ手を繋がれる。

 

「そっちの手も出してください」

 

そう言われたから、逆の手を差し出した。

同じように指を絡ませられた。

 

「さて、ちょっと気合入れて流してみましょうかね」

 

「怖いんだけど」

 

「平気ですよ。どれだけ面白い顔になっても、私が見ててあげますから」

 

「俺の気持ちを考えろ」

 

どんな過程を経てそうなるのか、おっかなくて全く想像出来ないけど、結果は多分酷いことになる。それだけは分かった。

その時点で逃げる気持ちが勝っていた。反射的に腰を浮かせる。

繋いだ手を振りほどこうと力を籠めるも、リインは予想外の怪力で振りほどけない。

まるでリュウを相手取っているかのようだった。

 

なりふり構わず、身体を左右に振って無理やり解こうとする。

普通はこれで振りほどけそうなものだが、ただ遊園地のアトラクションみたいに一緒に回るだけだった。

その上で「おお!」なんて嬉しそうな声を聞かされては、逃げることはできないのだと悟ってしまう。

 

気が抜けたからか足がもつれる。バランスを崩して尻もちをついてしまった。

手を繋いだままだからリインが上から乗っかってくる。

馬乗りで上から見下ろされる冷たい目。

 

「流しますねー」

 

どれだけ暴れようと、まるで動じない声音に死を覚悟した。

来るかもしれない刺激に備えて目を瞑り身を強張らせる。

 

「……」

 

「……」

 

10秒くらい待った。

一向に訪れないその時。恐る恐る目を開く。

変わらぬ冷たい表情のリインと目が合う。

 

「ダメみたいですね」

 

絡まっていた指が解かれて手が自由になる。

手に掻いた汗が少し気持ち悪い。かなり慌てていた。その証拠だ。

 

「これ、魔力はないってことでいいんだよな?」

 

「……」

 

リインは答えない。

この期に及んで、わざわざ教えられる必要もないけど。

俺に魔力はない。魔法は使えない。

 

「困りましたね」

 

「仕方ないだろ」

 

こればかりは持って生まれた才能だ。

100mを9秒で走れと言われて、全ての人が走れるわけじゃない。

同じことだ。俺にその才能がなかったと言うだけの単純な話。

 

「アスカさんはそれでいいんですか?」

 

「いいもなにも、足掻けば何か変わるのか?」

 

小さな子供みたいに、泣きわめいてねだれば誰かが与えてくれるのだろうか。

この年になって恥も外聞もなくねだるのはかなり恥ずかしい。

ねだったところで与えられることもないだろうし。そう言うのはもう懲りた。

 

「まだ少し可能性は残っています。最後まで諦め悪く足掻く気はないのでしょうか?」

 

「ない」

 

この場合、どれだけ足掻いたところで徒労に終わる可能性が高い。

魔法に興味がないとは言わないが、才能がないのであれば諦める他ない。

悲しいことに諦めるのは得意だ。少なくとも諦めたふりをするのは得意なのだ。

だからもういいだろう。足掻いても苦しいだけなのだから。

 

「力は必要ないと? 弱いままでいるんですか? 本当にそれでいいんですか?」

 

「なんだよ力って。魔法が使えたら強くなれるのか?」

 

そもそも物理的に強くなった所でそれに何の意味がある。

何の意味も感じられない。日本はそんなこととは無縁の世界で、どちらかというと精神的な強さが重視されていた。精神的に強くなるのに魔法は必要ではない。

 

反論する俺をリインは無言で見つめてくる。

ニコニコと笑っていると年相応の子供に見えた。しかし真顔になると途端に大人びて見える。

何もかもを凍り付かせてしまいそうな絶対零度の視線が、それを後押ししている。

 

緊張から生唾を飲み込んだ。思えば、俺は今自由が効かない。腹の上に馬乗りで乗っかられている。

体格で勝っていようと、この体勢で上から襲い掛かられては手も足も出ないかもしれない。

自分の身体能力に自信がないと言うだけじゃない。さっき振りほどけなかったことを考えると本当にそうであっても不思議じゃない。

 

ふっと吐いた息に過敏に反応し身を強張らせる。

 

「惰弱な方を選ぶと、そういうことですね」

 

「惰……いや、強くなれるならなりたいけどな。でも魔法の才能ないならそもそも無理だろ。変に夢見させんなよ」

 

「それもそうですね。私も慌てていました」

 

リインは俺から視線を上げてどこか違う方を見た。

その目は暗い光を帯びている。何も映していない暗い瞳は、見ていて吸い込まれそうな怪しい雰囲気を宿していた。

 

「異世界から来た五人の内、一人だけ魔力を持たないのは少し面倒ですね」

 

「何がどう面倒なんだよ」

 

「あなたたちの存在は近く世界に知れ渡ります」

 

考えもしなかった答えに言葉を呑む。

それが意味するところを考えるも、はっきりしたことは思いつかなかった。ただ何となく嫌な予感はする。

 

「人の口に戸は立てられません。出来る限り抑えようとはしているんですが、やはり無理ですね。今頃、人から人へ情報が伝わっているでしょう」

 

「それで?」

 

「七夏さんが言っていた拉致がどうこうと言う話に繋がります」

 

「……」

 

考える。考える。

七夏の言葉と他国に知られることの関係性。

 

「……他所の国から糾弾される、とか?」

 

「可能性はあります」

 

嘲笑を浮かべたリインが俺に視線を戻す。

「知っていますか?」と口調にまで嘲りを含んでいた。

 

「この世界にはまだ奴隷がいるんですよ。アスカさんたちの世界にはいないそうですね」

 

誰に聞いたのだか。

確かに元の世界に奴隷はいなかった。少なくとも日本で見たことはないし、世界中でもそうなっているはずだ。

 

「奴隷を容認する自分達のことは棚に上げて、あなた方を酷い目に遭わせるなんて許さんと、善人面した大国が首を突っ込んでくるかもしれない。そして、保護と銘打ってあなたちの身柄を要求してくるかも。そうなったら凄く面倒くさい」

 

リインの言葉を思い出す。

大国に挟まれた小国と言っていた。

もし本当にそんな立地条件なら、他国の介入は想像するだに面倒だ。

 

「今すぐにと言うわけではないでしょう。それでもいつまでしらを切り通せるか……。アスカさんたちには、その時に備えて自衛手段を持って頂きたかったのです」

 

「自衛……」

 

いざという時は自分の身は自分で。降りかかる火の粉を払わなければいけないのか。

嫌な展開になってきた。こんなの元の世界に帰る見通しがまるで立っていないと暗に言っているようなものだ。

 

「最高で五人。最低でも二人か三人は魔法が使えたら良いなと思っています。まさか魔力すらない人がいるとは思いませんでしたが」

 

「無能で悪かったな」

 

「今時珍しいですよー。たいていは『んっ』ってなりますから」

 

「異世界人に一般常識を当て嵌めんなよ」

 

「まったくですね。気を付けねば」

 

リインは立ち上がり手を差し出してきた。

少し躊躇したが、今度は素直にその手を借りて起き上がる。

 

「さて、貧弱で脆弱で惰弱なアスカさん。魔力無しのダメダメっぷりが露呈してしまったわけですが――――」

 

「言い方に悪意を感じる」

 

「気のせいです。――――わけですが、その点についてはご安心ください。アスカさん一人ぐらいなら何とか守れますので」

 

俺一人ぐらいならなんとかねえ……。

 

「霧絵たちはどうなる」

 

「魔法を使えるかどうかを確認し、使える人は特訓してもらいます。どの道暇でしょうから、その辺りの不満解消も兼ねて」

 

「魔法使えなかったやつはどうするんだ?」

 

「それは追々考えねばなりませんが。多分大丈夫です」

 

どこに大丈夫な要素があるのか分らず首を傾げる。

リインはニヤリと口端に笑みを乗せた。

 

「勘ですが、全員魔法使えると思いますよ。アスカさん以外は」

 

「なんだそれ」

 

「納得できないなら経験則と言い換えましょうか。これが当たるんですよー」

 

何年分の経験則なんだか。

こいつの背格好を見るに信用できるほどの物でもなさそうだが。

 

「アスカさんは無能なので私が守ります。ですからどんな状況になろうと安心してください」

 

「それは嬉しいけど、霧絵たちも守るんだよな?」

 

というかそっちの方を優先してほしい。

俺のことは、まあ……ほどほどにして。

 

「出来る限り頑張りますよ。その出来ることが少ないのが悩みの種で」

 

「お前が連れてきたんだから、責任ぐらい取ってくれ。こっちは争いとは無縁の平和ボケした学生集団だぞ。いきなり戦えって言うのは無理だって」

 

「責任とって元の世界に帰すですね。分かってます」

 

本当に分かっているのだろうか。

てくてくと扉に向かって歩き出す小さい背中。

こんななりで俺を守ってくれるのだと言う。何とも頼りなく、それでいてこんな小さな女の子に守ってもらわなくてはいけない自分が情けない。

思えば俺の人生そんなことばかりだった気がする。

 

「力かぁ……」

 

さっきはああ言ったが、色々知ってしまった後では考えも変わる。やっぱりないよりはあった方がいい。

自分の身ぐらい自分で守りたい。その方が安心するし心にゆとりも生まれる。誰かに依存して生きるのは嫌だ。

とは言え、魔力の無い俺には魔法なんて夢のまた夢のわけで、力が欲しいなら別の形で手に入れなければいけない。

どんな形であれ、何をどうあがいても一朝一夕で手に入れられそうにはない。

 

「ちなみに、ですね」

 

扉に手をかけたリインが背中越しに語り掛けてくる。

前を向いたままなのでその表情は伺えない。

 

「もしまだ魔法が諦められないのなら、一縷の望みにかけて、頭がパーになってしまう程の魔力を流すと言う方法もありますよ」

 

「拷問かよ」

 

頭がパーってどうやったらそんなことになるんだ。怖すぎる。

 

「魔法使えても頭逝ってるんじゃ意味ないし」

 

「だから一縷の望みなのです。魔力がある望みとパーにならない望みに全てを賭ける。なんだかワクワクしませんか?」

 

「破滅願望か被虐趣味でもあるのかお前は」

 

「どうでしょうねー」

 

煙に巻きながら扉を開き、その向こうに消えていく。

今のはどういう意図があったんだろう。まさか頭パーにしてみませんかなんて誘われたわけじゃないだろう。ただ単に脅されただけか。もしそうならやっぱりあいつの考えは読めない。

 

ため息をつきながら、リインの後に続いて部屋をを出た。

 

 

 

 

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