寝ぼけた頭の片隅で微かに足音を聞いた気がして、意識は少しずつ覚めていく。
ゆっくりゆっくり目を開けると、薄汚れた天井が目に映った。しばし呆と見つめる。
カーテン越しの光は明るい。多分朝だろう。
二度寝の魔力に屈しかけながら、大きく息を吐く。
トントンと扉がノックされ、返事も待たず遠慮がちに扉がひらいた。
ぴょこっと茶色い髪が隙間から覗いた。
「アスカ様……起きてますか?」
眠たすぎて返事をするのも億劫だった。
このまま無視すると彼女は部屋に入ってくる。
昏々と眠る俺を揺さぶって、「起きてください」と言うのだ。
なおも無視すると段々と涙声になっていく。
女の子を泣かした経験は後にも先にもその一回だけだった。
「…………起きてないって言えば寝かせてくれるんですか?」
「起きない場合はリイン様を呼ばないといけないので……その……」
「起きてます」
茶髪のメイドさんは安堵の表情になる。
相好を崩して言う。
「朝食をお持ちしますので、お着替えを済ませてくださいね」
「ゆっくりでいいですよ」
遠ざかる足音を聞きながらベッドの上に体を起こす。
うんっと伸びをしてカーテンを開いた。
見える景色は風光明媚な異世界風景。
これもだいぶ見慣れたものだ。
思いながら一つ欠伸を漏らした。
リインによるセクハラ魔力検査から数日が過ぎた。
この数日間、外では色々なことがあったと聞く。
では、俺はその間何をしたかと言うと何もしていない。ほんとに何もしなかった。
魔力検査の直後、部屋を出た辺りで兵隊っぽい格好の人に連行された。
部屋の外で待ってくれていた霧絵がリインとメンチを切っている。
思わぬ事態に呆然とし、その光景を尻目に違う部屋に通され、「念のため隔離します」と有無を言わさぬ強引さで部屋に押し込まれた。霧絵たちとの接触は必要最小限にするよう、後でやってきたリインに言い含められたりもした。
突然の出来事に目を白黒させたものだが、理不尽な命令などわざわざ聞く義理はない。
「嫌だ」ときっぱり断って、「三日寝ていたというのにずいぶん強気ですね」とリインは不機嫌な口調だった。
ずいっと顔を近づけられ、至近距離でこう言われた。
「三日も寝ていた人が、今までと同じように過ごせるとお思いですか? 何一つ不自由なく元気に暮らせると本気で思ってますか? そんなわけないじゃないですか。この世界に来た時に、身体のどこかがおかしくなったかもしれない。変な病気にかかっているかもしれない。疑い出すと切がありませんが、とにかく三日目を覚まさなかったことは事実なのです。起きたからと言って、目を離した隙に体調が悪化してぽっくり逝かれると非常に迷惑なのです。なので万が一にでもそういうことが起こらないよう、しばらく監視させていただきます。勝手な行動は慎んでいただきます。使用人を一人つけますので、何かするなら必ずその人を連れてください。少しでも異変があれば必ず伝えてください。治ったとこちらが判断するまで、基本的にこの部屋から出るのは禁止です。あなたが変な病気を持っていて、それが他の方々に移る可能性を考えて、霧絵さんたちとの接触も暫くの間断って頂きます。
……は? 『嫌だ』? まだ言いますか。これだけ言っても聞き分けられないと言うなら縛り付けますよ。私の左腕に貴方の右腕をくっつけて四六時中ご一緒しますよ。朝昼晩、寝ても覚めてもお風呂からトイレまで、ずっとずっと一緒しますか? 私はそれでもいいですよ。あなたが良いのなら、全く構いません。いっそそうしますか。その方がいいですね。誰かロープ持ってきてください」
ガチ切れ状態のリインが、本当に俺の腕と自分の腕を縛ろうとしたので、その場は受け入れるしかなかった。
その表情は真に迫りすぎていた。受け入れなかったらどうなっていたのか分からない。言う通り縄で繋がれた生活が待っていたのかもしれない。
ともあれ、一度頷いてしまった以上、俺は部屋に監禁される運命だった。
お付きの使用人が控えてこそいるが、何もすることなんてない。
この数日のやることの無さ、退屈っぷりは今までで味わったことが無いほどの苦痛をもたらし、内心生きているのが嫌になりもした。
着替えを済ませた後、やることもなく窓を開けて風に当たる。
窓から地面は遥か眼下だ。その上面格子が嵌っていて出ることはできない。監禁部屋に相応しい内装である。どういう意図で作られた部屋なのか、その内訊ねてみようと思う。
「お着替えは終わってますか?」
「終わってます」
再び遠慮がちなノックが響き、茶髪のメイドさんが顔を見せる。
手には盆を持っていて、朝食が湯気を立てている。
「お体はどうでしょう?」
「なんにも問題ないです。そろそろ外出てもいいんじゃないですか?」
「それは私が決めれることではないので……」
一使用人に求めることではないのは分かっていた。
けれど言わずにはいられない。本当にやることがないのだから。
朝食はお粥っぽかった。米が食えるのかとテンションが上がったことも遥か昔のことのよう。
残念なことに、ここ数日朝は毎日これが出され、今では見る度にテンションが下がるようになった。
さすがに味付けは日ごとに変わっているが、一目見てまたかと思うぐらいには飽きている。現状居候以下のごく潰しとしては、食べれているだけ感謝しなければとも思うのだが。
流動食ばかり出されるのは病人扱いされてるからなのか。
じっと見つめてくるこの人に聞けば答えてくれるだろうか。
「……ラーヤさん」
「はい?」
「見られていると食べづらいんですが」
「あ、えっと……。ちゃんと食べれているかも報告しなければいけないので……あの……」
話が通じないわけではない。俺の言葉はしっかりと届いている。
しかしこのメイドさんは止めてくれる気配はない。
おどおどと気弱な性格で押しに弱そうに見せて、きっちり仕事はこなしている。
今までもことあるごとに外に出せと要求したのに、ただ一つも受け入れられていない。
見た目に反して強情だ。実は化けの皮を被っているのではないかと密かに疑っている。
「どのくらいの食べっぷりだと満足ですか」
「美味しく食べていただけるなら何もいうことはありませんけど……」
「そうですか」
容器を持ち上げ、半分ほど残っていた物を掻き込み、水で飲み下す。
この食いっぷりならば文句は言えまい。こんなもんでどうだと目を向けると、あまり動じていない瞳で見つめ返される。
「早食はお体に悪いですよ」
至極真っ当な指摘に、やっぱり猫を被っているような気がしてならない。
もしこれで素だとすると天然物ということになる。
ラーヤが食器を片付けるのを見つつ、やることがないからぼうっとしている。
前々から考えていたことがある。馬鹿な考えだが限界も近い。やるだけやってみよう。それでだめならダメでいい。心境は半分悟って仙人のようになっていた。
「すぐに戻ってきますので」
そう言う彼女に「はい」と答え、扉から出て行こうとするその背中にぴったりとくっつき後に続こうとする。考えていた事ってこれだ。笑いたいなら笑えばいい。
「……何をされているのですか?」
「お構いなく」
「かまうなと言われましても……」
「無視してください」
「あの……」
「どうぞ先に進んでください」
まごまごと立ち止まるラーヤをけしかける。
ラーヤは進むことなく、盆を手近な台に置いて俺を振り向いた。
「私の一存ではアスカ様をここから出すことは出来ないので」
「知ってます」
「それならいいのですけど……」
再度食器を手に持つ彼女の背後に付く。
ラーヤと俺との間で攻防が始まった。
「ここで大人しくしていてくださいっ」
「もちろんそうします」
「私の背後にくっつかないでっ」
「誤解があるんじゃないでしょうか」
「誤解も何も実際こうして……!」
「気のせいですよ」
「――――っ!」
「いったぁ……」
あまりにしつこくしたせいだろううか。
思わずと言った調子で脛を蹴られた。
思わず蹲るほど痛かった。
「あ、す、すみません! 大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃないので出してください」
「リイン様を呼んできます」
「大丈夫なので呼ばないでいいです」
攻防の末ラーヤは一人去り、俺は足にダメージを負った。
多少の暇つぶしにはなった。だが目的は達成できなかった。
一度でもいいから外に出たい。霧絵たちはどうしているだろうか。それが気がかりだ。
それから少しの間を経て、リインがやってきた。呼ばないでいいって言ったのに。
「思ったより元気な様ですね」
ベッドに腰かける俺にそう言うリインは身体をつぶさに見ている。
最後に会った時は最高に機嫌が悪そうだったが、今はそれほどではなさそうで、若干ぶっきら棒な感じがするだけだった。
これなら遠慮なく話して問題ないだろう。また縄を掛けられる心配もない。
「外に出せ」
「さて……。どうしましょうか。ラーヤちゃんで遊ぶぐらいには元気なようですしね」
遊んだというのは心外だ。上手くいくとは思っていなかったが、苦肉の策でやってみただけなのだから。
悩む素振りを見せるリインはチラッと俺を見て、結局首を横に振った。
「んー。ダメ」
「おい」
「メッ、ですよ。アスカさん」
我が儘な子供を相手どるかのような仕草は、癪に障るの一言だった。
「まだ数日じゃないですか。もう数日は様子を見たいですよね」
「もう十分だ。こっから出せ誘拐犯」
「んー。あんまりわがまま言われると困っちゃうんです。何が不満なんです?」
皆目見当つかないとリインは小首をかしげるが、そんなの自明だろうと言い募る。
「ここはやることがなくて暇すぎる」
狭い部屋に一日中閉じ込められ、外に出ることは出来ず、かといって室内ですることは何もない。
気を利かせてラーヤが持ってきた本は文字を読めず、落書き帳として机に置かれたままだ。
あまりに退屈だから天井の染みを数える日々。
いっそ拷問だと言ってくれた方がましだった。この状況があと何日も続くことを考えたら発狂してしまいそうになる。
「気持ちはわかりますが、ラーヤちゃんがいるじゃないですか」
「メイドさんと何しろって言うんだよ」
「何でも好きなことをすればいいではないですか」
暖簾を腕で押している様に会話が噛みあわない
リインとしては何かアイデアでもあるようだが、それを教えてくれるわけでもない。
自分で考えろと言うことだろうか。考える力を身につけろなどと学校で散々言われ、耳にタコができるほど聞き飽きた。
まさか異世界でも同じことを求められるとは。
「出す気ないなら、せめて聞かせろ。四人は?」
「はい。あの後、皆さん無事に魔法を使えることが判明しまして、各々励まれています」
「そりゃあ何よりだ。自分のことのように嬉しいね」
「嫉妬は見苦しいですよ」
「今の言葉のどこに嫉妬があったんだよ」
「私には分かります。というか分からないはずないですよね」
リインは言う。
「それぞれ使える魔法は珍しい種類の物でした。やはり異世界の人は特別な才能があるのかもしれません」
「偶然だってこともあるだろう」
「目の前のお人を見ると否定できないのが悲しいです」
眉を顰めるリインは、言葉通り至極残念そうな顔だった。
何一つ才能の無い俺と、才能ありまくりな四人とで、良い感じにつり合いが取れているようだ。
俺と言う反証がいる限り、異世界人に特別な才能があるなどとは言い切れない。
「アスカさんを自由にするのはもう少し様子を見てからになります。病気の潜伏期間なんて可能性もありますから」
「ああ。これでもし本当に病気だったなら、猛威を振るってやりたいよ」
「冗談でもそれは口に出さないでください。殺されても文句言えませんよ」
今まで聞いたことがないぐらい真剣な言葉だった。
まじまじリインを見つめると、「私は何とも思っていないので良いのですが」と取り繕われる。
「それではアスカさん。またちょくちょく様子を見に来ます。嘆くほど暇な時間があるのなら、有意義に使った方がお得だと思います」
「それは外に出れれば解決する話だろう」
「出られないならという話です。いえ、納得できないというなら別にどうでもいいですけど」
好きにしてくださいと、リインは最後投げやりな感じに言い捨てて部屋から出て行った。
入れ替わるようにラーヤが入ってくる。
ストンといつもの調子で空いている椅子に座り、手持無沙汰にしている。
部屋の中は静かだ。
ラーヤは俺が喋らない限り口を聞かない。
俺もあまり喋る性質ではないから、黙っていることが多い。
だが本来なら慣れているはずのこの静けさが、リインとの会話を経た今、なぜか肌に突き刺さっている気がした。
「……」
部屋の中を見回す。
閉じ込められた初日にラーヤが持ってきた本が目に留まる。
すっかり埃を被ってしまったそれを暫しの間見つめる。
「……ラーヤさん」
「はい?」
突然話しかけられたラーヤは目を丸くして俺を見た。
内心面倒だなと思いながら、リインの言葉を思い返し、やることがないならやろうかと前向きに考えてみる。
「文字教えてくれますか?」
「……はい」
俺が立ち上がるのに合わせてラーヤも立ち上がる。
二人で机に置いてある本に歩み寄った。
表紙の文字を撫でる俺の横で、ラーヤは机の中を漁っていた。
取り出したのは紙と黒いインク。それから懐から取り出されたペンを見て溜息を吐く。
やっぱり何度考えても面倒ではあるのだが、俺一人魔法が使えない現状では役割分担の意味も兼ねている。
魔法の練習をしているあいつらと文字の勉強をする俺。
もしかしたら、俺たちが日本に帰るために何かを調べなくてはいけない時、勉強したことが役に立つかもしれない。
万に一つなさそうだと思いはするけども、やることがないのなら、やっておいて損ではないだろう。
無駄ではあるかもしれないが、損になるはずはない。
リインが俺にこういうことをさせたかったかどうかは、また別の話ではあるけれど。